探求者の旅立ち ~スピリチュアルへの旅~

あるライトワーカーとの出会いをきっかけにスピリチュアルの探求者となった自身の気付きや偶然の一致を書き綴っていきます

第88日目

2005-06-07 | 探求life
-日記-
No.1
午前中、蓮と京北町に向かった。その車の中で蓮が面白い話しをしてくれた。ある人がホームページで言っている内容で、その人は、自分は悟っている、人々を導くのは自分だ。みたいなホームページらしい。地球が次のレベルへシフトすることについては、そういう人が出てくるとは頼もしい存在と思うし、そんな人と話しをしてみたいとも思った。しかし、そのホームページの最後の締めの言葉には「神に合掌」と書かれているという。
その話しを聞いて、蓮を待っている間に読んだ「虹のオーガズム」の内容ことについて、蓮に話した。


-記事抜粋-
いわゆる精神世界や瞑想の経験者や、そうした知識ばかりをかじった者の中には、肉体の満足もろくに出来ないのに(あるいは肉体の満足ができないからこそなのだろうが)高望みや理想化ばかりして、気の交流だ、霊的合一だの、精神的合一ゴッコに走ろうとする者がウヨウヨしている。


悟りを開いた人でも、神に合掌するのが真実なのかと思った。俺と蓮の真実の中にはない
ことである。やはり、真実は人それぞれなのだと感じた一件である。
俺は、決してその人が間違っているとも思わないし、俺達が間違ってるとも思わない。真実の違いだけなのであるから。


No.2
今日もまた、スピリチュアルセックスの実践を行った。
今日は、蓮にもエネルギーの交流ということを意識してほしいと言っておいた。
毎回、毎回、色々なことを試すのだが、蓮をオーガズムに到達させることの難しさは変わっていない。しかし、蓮の感度は以前に比べ、急上昇しているのも事実である。
エネルギーの交流と言葉でいうのは簡単であるが、いざ実践となるとなかなか難しいものである。俺が蓮にエネルギーを流すのは簡単にできる。しかし、蓮が流したエネルギーを受けとるのって???
本によると、胸でエネルギーを受けとるようではあるが、後になって思うと、感じていないような気がする。
蓮がエネルギーを流していないのか、それとも受けとる俺がエネルギーを感じていないのか、はたまた両方か、よくわからないが、何か引っかかるものがある。
それは、「虹のオーガズム」だけに頼っているからではないかと、思っている。何かが足りない気が4日ほど前からしている。何なんだろう?
スピリチュアルセックスが終わり、いつもの如く俺は眠りに落ちていった。(ここ3週間ぐらい、いつも終わると眠ってしまう)その間、蓮にいつもと違う変化が現れていた。
スピリチュアルセックスが終わり、余韻で身体が動かない状態にあり、瞑想状態に近い状態の中で、しばらくすると笑いが自然と込み上げてきた、次に黒いきれいな花が、万華鏡のように回り始め、しばらくすると止まった。そのあと、映像が色々と出てきて、そばに女性がいたという。そのうち、勝手に目が開いてきたと言う。
その話しを聞いて、一番不自然に思ったのは、勝手に目が開いたということだ。気持ちのいい状態にいるときに、目が勝手に開くということは、俺にとって考えにくい状況だからである。
二人で話しながら行き着いた結論は、漠然であるが、蓮の過去に関係することであろうということであった。
それが何なのかはわからないが。


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