始めに言っておきますが、左遷されたわけではございません。
営業に異動となって1年4ヶ月しか経っておりませんが
12月1日付で総務に異動になりました。
話は先月中旬まで遡りますが、展示会の機材搬入やらで忙しいその日の朝から
総務部長から内線で呼び出しがあった。
(注:ウチの会社の総務部長は取締役が兼務してます)
「ちょっと来てくれないか?」
この役員さんとは、入社した年から何かと話す事が多いんですが
株主総会で、株主となっている会社からウチの会社の常勤取締役に
選任された年が、自分が入社したと同じであった事から「同期入社」という
間柄でもあったんですが…
話を交わすのは休み時間だけ。
しかし、呼ばれたのは就業時間中。
何だろ…?と思って、その役員さんの元へ行った。
はじめはロビーで待つように指示されたので、ここで待つのかな…?と思ったら
通された部屋は役員室!
御存知な方も多いでしょうが、この部屋にぺーぺーの社員が通される事は滅多に無い。
YDC(ヤングドライバークラブ)のポスター入賞報告ですら、事務室でやった程だ。
正直、ただ事ではない事だと思って緊張した。
そこで密談が始まった。
役:技術から営業に移ってからどうだね?
北:大変な時期に異動となりましたが、新規顧客も獲得することが出来て、充実してます。
役:そうか…やっと実り始めてきたってトコだな
北:そうですね。これからが勝負ですよ
役:そうだな。
………
暫しの沈黙挟んでから
役:そこで、北野君にお願いがあって来てもらったんだが…(中略)…総務に来て頂けないか?
北:え?私、異動してからまだ1年経ったばっかですよ?
役:実はだな…
といった感じで話が進んだ。
要は、総務のセクションでも後継者を探しているとのことだった。
そんなの、新入社員を突っ込め、と思ったが、会社のシステムをある程度知っている人間で
かつ過去に遡って3~5年前に入社した社員から選任したいとの事だった。
さらにこの話はオマケがあって、任務は会社設備のメンテナンスであるが
強電系出身者か、弱電出身でも強電を囓っている者を選任したいとの事。
(条件としては電気工事主任技術者を取得するというのもあった)
確かに高校は電気科を出たから、強電は囓りはした。
だが、強電はそれ以来全く手につけてない。
(軽く10年は超えてる)
北:今急に言われてすぐに答えは出ないんですが、いつまでに回答すればいいですか?
役:来週月曜には回答をほしい。
“青天の霹靂”とはこの事を言うんでしょうね。
展示会の準備人員で時間もあまりないことから、この日は返事保留ということでその部屋を後にした。
この話があってから、仕事に身が入らないの言うまでもない。
――翌週月曜。
週末散々悩んだ末にだした自分の答えは…。
「お引き受けします。」
…だった。
この答えを導き出したのは、後輩らがどういう道を辿ったか、ということ
総務と営業、10年後に何人残っているか?というところだ。
自分の場合、新入社員らが仮配属になる頃から、飲み会とかに顔を出して
なるべく話すようにしている。
(顔の出せる範囲でだが…)
そこから、後輩らがどういう道を辿ったかという事を大概知るが
強電を囓ったヤツは、残念ながら自分以居なかった、ということに気づいてしまった事。
御存知な方もいらっしゃるだろうが、強電囓ったヤツと囓らないヤツとでは
危険の認知度が違い、一歩間違えれば労災に繋がる。
(別に自惚れて居るわけでもない。)
もう一つの理由は、会社の10年後、誰が残るか?ということだが
営業は、先輩ではあるが自分より年下なのが1人いるので残るが、総務はゼロ。
そして最大の理由は、取締役から直々に自分を指名してきた事だった。
こういうパターンも滅多にない。
但し、どこの部署も若年層が少なく、新卒の新入社員が
喉から手が出る程ほしいのはどこの部署も変わらないので
反発が必至となる。これの事を前置きとし、条件として
「異動に反対な人がいたら、異動はしません」
というのを取締役に突きつけた。
しかし、この条件はあっさりクリアしてしまった。
この翌日、営業部長から早速直々に自分に出向き
部長:話はユニット長から聞きました。私としては反対の立場でしたが
理由が理由だけにやむを得ない状況です。
北野:営業に異動してから、まだ結果らしい結果を残せてないまま
異動することとなり申し訳ございません。
このとき、総務部長は自分の所属するユニット長(これも別の取締役)に
話を持って行って、納得させた運びだったんだろうと直ぐに判った。
だが、最後の言葉でウルッと来てしまった。
「また営業に戻ってきてほしい。これは私からのお願いだ」
この翌日、今度は直属の上司である次長から呼び出され
自分の教育係の主任と3人で会議をする事となった。
次長:話はユニット長と部長から聞きましたが、改めて話を聞かせてくれませんか?
北野:判りました…
と、事の経緯をかいつまんで説明。
次長:内容は判りました。一つ確認させて頂けませんか?
北野:何でしょうか?
次長:営業が嫌で引き受けた話ではないですよね?
こういうのも無理はない。
技術に居た時、この次長も、同じ手法で営業に来てくれないかと頼まれたからだ。
だが、これについては真っ向から否定した。
なぜなら…
北野:次長から今年度指示があった新規顧客開拓活動を、今でもどこの会社に
行くか選定し、受注に結びつける要に動いてますので、寧ろ継続したい
です。これは日報を見て頂ければ判って頂けると思います。
ですが、法で定める必置資格者が居なければ、受注どころの話ではありませ
ん。
次長:判りました。日報は目を通していますからよく分かります。それを聞いて
安心しました。そういうことで、主任、当面そちらは2人にで動いてもらう
事になります。
主任:困りましたね。ですが、状況が状況だけに仕方ありませんね。
ある程度話が進んだところで、課員に状況を説明。
そして、最後に次長から一言。
「また営業に戻ってきてくれ。」
自分は営業マンとしてはズブの素人で、お荷物的存在だと思っていたのが
貴重な戦力として上司から認められていたと実感した瞬間だった。
やっぱりウルッと来てしまった…。
自分を引っ張った人と、育てて頂いた二人を目の前に
この言葉を聞かされた時は、流石に申し訳ないと思った。
北野:営業に異動してから、まだ結果らしい結果を残せてないまま
異動することとなり申し訳ございません。
次長:いや、結果はしっかりと出ているよ。それについては安心しなさい。
この言葉を聞かされた時、さらにウルッと来てしまった。
部長、申し訳ございません。
次長、申し訳ございません。
主任、申し訳ございません。
この日、家に着いたら堪えきれずに号泣してしまった。
自分の業務は、会議の場に居合わせた主任を後任となることが決まり
後日、各顧客に挨拶回りに奔走する事となった。
それはまるで蝋燭の火を受け渡して、自分の火を一本一本消すかの様だった。
最後に主任にこう言って営業の業務にピリオドを打った。
――主任の業務に自分の業務がのし掛かる形になり、申し訳ございませんが
後は宜しくお願いします。
この課に居られたことを誇りに思う。
実は、この内容を書き出したのは今月の頭からなんですが
書くに辛いものがあって先延ばしにした結果、大晦日となってしまった。
「書くのが辛い」って事は、それだけ思い入れがあった仕事だったって
事だったんだろう。
ここに来て、当時技術時代の上司である次長(今はその部の部長)から
自分に営業に行ってくれないかといってきたときの選定理由が
漸く判ったような気がする。
部長、ありがとうございました。
次長、ありがとうございました。
そして、主任、ありがとうございました。
営業に異動となって1年4ヶ月しか経っておりませんが
12月1日付で総務に異動になりました。
話は先月中旬まで遡りますが、展示会の機材搬入やらで忙しいその日の朝から
総務部長から内線で呼び出しがあった。
(注:ウチの会社の総務部長は取締役が兼務してます)
「ちょっと来てくれないか?」
この役員さんとは、入社した年から何かと話す事が多いんですが
株主総会で、株主となっている会社からウチの会社の常勤取締役に
選任された年が、自分が入社したと同じであった事から「同期入社」という
間柄でもあったんですが…
話を交わすのは休み時間だけ。
しかし、呼ばれたのは就業時間中。
何だろ…?と思って、その役員さんの元へ行った。
はじめはロビーで待つように指示されたので、ここで待つのかな…?と思ったら
通された部屋は役員室!
御存知な方も多いでしょうが、この部屋にぺーぺーの社員が通される事は滅多に無い。
YDC(ヤングドライバークラブ)のポスター入賞報告ですら、事務室でやった程だ。
正直、ただ事ではない事だと思って緊張した。
そこで密談が始まった。
役:技術から営業に移ってからどうだね?
北:大変な時期に異動となりましたが、新規顧客も獲得することが出来て、充実してます。
役:そうか…やっと実り始めてきたってトコだな
北:そうですね。これからが勝負ですよ
役:そうだな。
………
暫しの沈黙挟んでから
役:そこで、北野君にお願いがあって来てもらったんだが…(中略)…総務に来て頂けないか?
北:え?私、異動してからまだ1年経ったばっかですよ?
役:実はだな…
といった感じで話が進んだ。
要は、総務のセクションでも後継者を探しているとのことだった。
そんなの、新入社員を突っ込め、と思ったが、会社のシステムをある程度知っている人間で
かつ過去に遡って3~5年前に入社した社員から選任したいとの事だった。
さらにこの話はオマケがあって、任務は会社設備のメンテナンスであるが
強電系出身者か、弱電出身でも強電を囓っている者を選任したいとの事。
(条件としては電気工事主任技術者を取得するというのもあった)
確かに高校は電気科を出たから、強電は囓りはした。
だが、強電はそれ以来全く手につけてない。
(軽く10年は超えてる)
北:今急に言われてすぐに答えは出ないんですが、いつまでに回答すればいいですか?
役:来週月曜には回答をほしい。
“青天の霹靂”とはこの事を言うんでしょうね。
展示会の準備人員で時間もあまりないことから、この日は返事保留ということでその部屋を後にした。
この話があってから、仕事に身が入らないの言うまでもない。
――翌週月曜。
週末散々悩んだ末にだした自分の答えは…。
「お引き受けします。」
…だった。
この答えを導き出したのは、後輩らがどういう道を辿ったか、ということ
総務と営業、10年後に何人残っているか?というところだ。
自分の場合、新入社員らが仮配属になる頃から、飲み会とかに顔を出して
なるべく話すようにしている。
(顔の出せる範囲でだが…)
そこから、後輩らがどういう道を辿ったかという事を大概知るが
強電を囓ったヤツは、残念ながら自分以居なかった、ということに気づいてしまった事。
御存知な方もいらっしゃるだろうが、強電囓ったヤツと囓らないヤツとでは
危険の認知度が違い、一歩間違えれば労災に繋がる。
(別に自惚れて居るわけでもない。)
もう一つの理由は、会社の10年後、誰が残るか?ということだが
営業は、先輩ではあるが自分より年下なのが1人いるので残るが、総務はゼロ。
そして最大の理由は、取締役から直々に自分を指名してきた事だった。
こういうパターンも滅多にない。
但し、どこの部署も若年層が少なく、新卒の新入社員が
喉から手が出る程ほしいのはどこの部署も変わらないので
反発が必至となる。これの事を前置きとし、条件として
「異動に反対な人がいたら、異動はしません」
というのを取締役に突きつけた。
しかし、この条件はあっさりクリアしてしまった。
この翌日、営業部長から早速直々に自分に出向き
部長:話はユニット長から聞きました。私としては反対の立場でしたが
理由が理由だけにやむを得ない状況です。
北野:営業に異動してから、まだ結果らしい結果を残せてないまま
異動することとなり申し訳ございません。
このとき、総務部長は自分の所属するユニット長(これも別の取締役)に
話を持って行って、納得させた運びだったんだろうと直ぐに判った。
だが、最後の言葉でウルッと来てしまった。
「また営業に戻ってきてほしい。これは私からのお願いだ」
この翌日、今度は直属の上司である次長から呼び出され
自分の教育係の主任と3人で会議をする事となった。
次長:話はユニット長と部長から聞きましたが、改めて話を聞かせてくれませんか?
北野:判りました…
と、事の経緯をかいつまんで説明。
次長:内容は判りました。一つ確認させて頂けませんか?
北野:何でしょうか?
次長:営業が嫌で引き受けた話ではないですよね?
こういうのも無理はない。
技術に居た時、この次長も、同じ手法で営業に来てくれないかと頼まれたからだ。
だが、これについては真っ向から否定した。
なぜなら…
北野:次長から今年度指示があった新規顧客開拓活動を、今でもどこの会社に
行くか選定し、受注に結びつける要に動いてますので、寧ろ継続したい
です。これは日報を見て頂ければ判って頂けると思います。
ですが、法で定める必置資格者が居なければ、受注どころの話ではありませ
ん。
次長:判りました。日報は目を通していますからよく分かります。それを聞いて
安心しました。そういうことで、主任、当面そちらは2人にで動いてもらう
事になります。
主任:困りましたね。ですが、状況が状況だけに仕方ありませんね。
ある程度話が進んだところで、課員に状況を説明。
そして、最後に次長から一言。
「また営業に戻ってきてくれ。」
自分は営業マンとしてはズブの素人で、お荷物的存在だと思っていたのが
貴重な戦力として上司から認められていたと実感した瞬間だった。
やっぱりウルッと来てしまった…。
自分を引っ張った人と、育てて頂いた二人を目の前に
この言葉を聞かされた時は、流石に申し訳ないと思った。
北野:営業に異動してから、まだ結果らしい結果を残せてないまま
異動することとなり申し訳ございません。
次長:いや、結果はしっかりと出ているよ。それについては安心しなさい。
この言葉を聞かされた時、さらにウルッと来てしまった。
部長、申し訳ございません。
次長、申し訳ございません。
主任、申し訳ございません。
この日、家に着いたら堪えきれずに号泣してしまった。
自分の業務は、会議の場に居合わせた主任を後任となることが決まり
後日、各顧客に挨拶回りに奔走する事となった。
それはまるで蝋燭の火を受け渡して、自分の火を一本一本消すかの様だった。
最後に主任にこう言って営業の業務にピリオドを打った。
――主任の業務に自分の業務がのし掛かる形になり、申し訳ございませんが
後は宜しくお願いします。
この課に居られたことを誇りに思う。
実は、この内容を書き出したのは今月の頭からなんですが
書くに辛いものがあって先延ばしにした結果、大晦日となってしまった。
「書くのが辛い」って事は、それだけ思い入れがあった仕事だったって
事だったんだろう。
ここに来て、当時技術時代の上司である次長(今はその部の部長)から
自分に営業に行ってくれないかといってきたときの選定理由が
漸く判ったような気がする。
部長、ありがとうございました。
次長、ありがとうございました。
そして、主任、ありがとうございました。