こどもアートあそびworkshop どろどろ

こどものお絵かきと造形遊びのワークショップ
触覚と感覚をジンジンさせたい。思いっきりどろどろになって遊んでほしい。

節分。新年をはじめよう

2020-02-03 | 日記
節分。あすから暦のうえでは春になります。
年末に子がインフルエンザにかかり1週間の闘病の見守りから、今年がはじまり、子らがかわるがわる熱を出し、うすぼんやりとした意識の中であっという間に1月が終わってしまいました。また、一昨年昨年と相次いで祖父母を亡くしました。喪中葉書も準備しなかったのに、のたりのたりするうちに日々が過ぎます。お年賀状を頂戴した方、ご連絡頂いたのに返事できていない方、いろいろと遅々として、ごめんなさい。
祖父母は、山の麓で旅館を営んでいました。わたしが小さいときに遊びにいく、おばあちゃん家はそんなわけで、広いエントランスがあったり、布団部屋があったりする、格好の遊び場所でした。それから、昔はそんな風に遊ぶことが容認された時代なのかもしれません。そして、特におばあちゃんは信心深い人で、山の神さん、水の神さんの龍神さん、お稲荷さんに仏さん…手を合わせて感謝感謝する姿は、わたしの中になにかを落としているような気がします。それから、おばあちゃんのおにぎりとらっきょう漬けは、当時のわたしの好みじゃ全然なくて、困ったことをふと思い出します。おじいちゃんは、ただただ孫に甘くて、欲しいものを買ってくれたり行きたいところに連れてくれたりするのです。そんな大好きなおじいちゃんは、イケイケだった。祖父母がいなくなって寂しい。とても寂しい。祖父母が居なくなると、おじいちゃん家のある場所に行くのがままならなくなりました。わたしにとっての原風景は、ここだと思うんだけど。

年始には、体調が優れない子のために静かな空間をつくっていたくて、やることは山積しているはずなのに、久しぶりに本を読んでいました(す)。その中で、いつか読んでみたいな…と思っていた、娘の「ハリーポッター」に夢中になっています。最近は、魔法界のことをふと考えています。昨年、友人の住むスコットランドに行ったので、ハリーポッターが書かれたというカフェの前で写真を撮ってみたり、石畳や石の建物の空間で過ごしたことを思い出したりしながら入る世界です。スコットランドに居た時には、こんなに早く読める日が来るとは思っていなかったけれど、非常に贅沢な読書体験です。

静かにゆっくりとしていますが、毎日の生活はめまぐるしい自転車操業です。中学校と小学校の授業のこと(非常勤で美術の先生をしています)は、とくにわたしの脳内を占めている割合が大きなものです。知識や技術ということじゃなく、血や肉となるような経験を・・とか思って、授業を決めるのにいちいちものすごく時間がかかります。それから、こどもたちのことはいつも気になっていて、1年生の息子が学校に行きたがらなかったのを経て、生きたいように生きる術を母として(自分事としても)模索中です。娘は無難を好んでいるようです。それはそれで心配です。旦那さんのことは忘れがちです、が、これでも感謝しています。あと、走っているのは、それだけで尊敬に値すると思っています。

小さなちいさな図工教室をしていますが、今年も続けたいなぁと思っています。できれば、場所が欲しいなぁ。こどもも大人もゆるく集まって、つくりたいものをつくれるような…。そんなことが可能なのでしょうか。今年度は、これを探ってみたいと考えています。

いい絵が描きたい、というのも想い続けています。この半年くらい1枚も日本画にはなっていないけれど、絵を描こうとしていることで見えている景色はいつもドラマチックです。特に、同じルートを通るはずの通勤で目にする山や水面の美しさは、週に何度も見ているのに見飽きることはなくて、まだまだ感動しています。やっぱり、自然はすごい。それから、自分が描こうとしているから、伝えられたり共感できたりすることがあるな、と。それでも絵を描くというのは、日々手を動かすことなんだろうと頭では知っているのです。

いろいろ欲張りです。
まぁ、今は、おもろいことしてよっと

豆を投げつけられ、家々から追い出されるさだめの鬼たちは、もともとは山の向こうや海の彼方といった異界から訪れる神々だったそう。しかも、人々に生きる力を授け、厄を祓い、豊作を約束するありがたい存在だったらしい。その神を恐れる感情が、もののけや仏教が伝える閻魔大王の手下の姿と結びつき、角や牙が特徴のイメージとして定着した、との説がある。
(2/3日経新聞 春秋)

ここのところ、授業を通して、こどもたちの中に、曖昧な不可解なものへの関心が薄れているのかもしれない、と感じています。明快である安心は大きいと理解できるのですが…、曖昧なもの、不可解なもの、そんなのを慈しんでもいたいなぁ