千の言霊

一生ぬぐえない想いからたくさんの本をよみました 
そして いろんな言葉たちに出会いました 

千の風

2005-04-29 12:40:05 | Weblog
a thousand winds

Author Unknown

Do not stand at my grave and weep,
I am not there, I do not sleep.

I am a thousand winds that blow;
I am the diamond glints on snow,
I am the sunlight on ripened grain;
I am the gentle autumn's rain.

When you awake in the morning bush,
I am the swift uplifting rush
Of quiet in circled flight.
I am the soft star that shines at night.

Do not stand at my grave and cry.
I am not there; I did not die.

千の風

私の墓前で泣くのはやめてください
私はそこにいません。私は眠っていないのです

私は千の風となって、空を渡っています
私はダイアモンドのきらめきとなって雪に舞っています
私は太陽の光となって、豊穣の実りを与えています
私は優しい秋の雨となっているのです

あなたが静寂の朝を迎えたならば
私はツバメとなって飛び立ちましょう
歌わぬ小鳥は音もなく
輪を描き空高く舞いあがるでしょう
私は夜に輝く静かな星となっているのです

だからどうか
私の墓前で泣くのをやめてください
私はそこにいません。私は死んではいないのです

(作者不明  翻訳:Lyubin)



あの子が見えなくなって差出人の知らない方からの たぶん
新聞で事故のことを知った方からいただいたお手紙のなかに
この詩がありました

気休めはよしてよ と、そのときはそんな思いだったけど
時をたつごとに何度も 何度も読み返していました
そうあってほしい そうに決まってる
そう思えるようになってから 
この空間 この自然すべてが愛しく思えるようになりました
抱きしめてやることはできないけれど
かわいいホッペにキスすることもできないけど
いつも そばにいてくれてるよね
確めながら 話しかけながら 時を重ねることで
いつか きっと会えると思えるようになりました

自然法爾

2005-04-27 23:59:23 | Weblog
徹頭徹尾 人間は無力です。 すべては仏様が勝手にされること すべてがほとけさまのわざなのです
わたしは何もすることがないのです ほとけさまにおまかせする以外にないのです「ひろやさちの親鸞を読む」

本当に信じられない事故が起きました 
しかし 同じ場所にいても、隣同士にいても生死が別れることがあることを知りました
この世の中のことは本当にわからない世界
人間の力の及ばぬことが起こることがあるんだよ
自分の生き死にもわからない 朝まで元気だったのに次の瞬間いなくなることもあるのです
ある本の中に「あの子の死があったとしても 私は私の人生を歩く」そんな一節を見ました
私にはとてもできないけれど 子供が見えなくなっても 自分を見失わないで生きていくことができたらいいだろうな


むきあう時間

2005-04-20 16:31:16 | Weblog
きのう テレビが言った。
他人に感動してばかりだけど
自分に感動しているのかいって。


            世の中は平等じゃなく
            不平等でもない。
            自由でもないし、
            不自由でもない。
            ボクのうけとり方が あるだけ。
                           (「よわむしのいきかた」より 神岡 学)



こんなに不条理なことはなく たった16でみえなくなった娘のくやしさ
それは 受け取り方 で終っちゃうのかい?
私にとっても納得できない気持ちのまんま
これからを生きていくんだ とっても不自由だ とっても不平等だとおもう
子供をうしなった悲しみが受け取り方で片付けられるとしたら
今すぐ でっかい隕石が地球に落ちてこないかな~
地球もろともこっぱみじん それも受け取り方では平等だ
なーんて あほなことを考えていても始まらない
娘はきっと生きていたかったはず だったら 生かしてやろう
みえなくなったけど 私がかわりにあの子の存在を確かなものにしてやろう
そして 「死」というものが決して楽な存在ではないことを教えてやろう



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見えぬものでもあるんだよ

2005-04-12 16:05:39 | Weblog
青いお空のそこふかく、
海の小石のそのように、
夜がくるまでしずんでる、
昼のお星はめにみえぬ。
  見えぬけれどもあるんだよ
  見えぬものでもあるんだよ。


ちってすがれたたんぽぽの、
かわらのすきに、だァまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根はめにみえぬ。
  見えぬけれどもあるんだよ
  見えぬものでもあるんだよ。
(星とたんぽぽ 金子みすず)


見えるものしかわからないし
見えるものしか信じられない 
だけど 見えなくなったけどどこかに必ずいるんじゃなかと
だれか いるっていってよ 
そう思っていたころ 金子みすずさんの詩をしった
心に響いた
世の中みえるものがすべてじゃないよね
この詩をきっかけに精神世界をのぞいてみようと
思い始めたんだ



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愛こそ供養の心

2005-04-07 18:03:28 | Weblog
最愛の人に災難が襲ったなら それはあなたへの通報です 
あなたはそれに応えてしなければならないことがたくさんあるために それであなたに直接災難が来ないだけのことです
霊障は あなたの最愛の人の上に来ます 何よりもあなたに気付いてほしいからなのです(中略)
そして まず 今日までのご供養を怠っていたり無関心であった自分を心から詫びてください
あなたの心が 死者を思いやる「愛」によって溢れるとき 使者はようやくこの世への想いを払拭して 
安らかに天上界へと帰っていくことができるのです 「死者は生きている」荻原玄明


供養ってなんだろうってずーーーーっと思ってた
仏壇になんで手をあわせるんだろうって この罰当たりっておこられるかもしれないけど
実家では仏壇を開けることがめったになかったし 父親は「仏さま ほっとけ」の世界だったからさ 
最近 その父親が肝臓を患って余命わずかな宣告を受けた 母親は一生懸命 仏壇に向かって
手をあわせている 「どうか 治りますように」 まさに自己中心な神頼み 
本ではそういうのはかえって災いの元だと書いてあった 
先祖の魂に感謝し 思いやる気持ちを持つことが供養だそうだ 
なるほどなぁ~~ 今ある命というものは ずーっとつながってる命の一つで
その命に感謝しなければいけないなー
生まれる前になくなった魂も 100才までいきた魂もおなじ魂
なくなった時点で先祖となるらしい
私には生まれることのなかった兄弟がいる 生まれていたらやりたいことがいっぱいあっただろになー 
いろんな話もできたはず この本を読むまで忘れていた 
沙織はそんなことを教えてくれたんだ 
沙織 ありがとう この本をよんで やっと手を合わせられる そんな気持ちになったよ 



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臨死体験者の証言

2005-04-03 15:41:04 | Weblog
「ほんのしばらくの間しか、この物質世界にいることができない魂も、たくさんいます。
そういう魂も、みんなと同じように大いに喜んで生まれていきます。
自分たちにもなすべき目的のあることがわかっているためです。
その人たちには、それ以上、この世で生きながらえて成長する必要がありません。
なぜなら 自分たちの死が両親の精神的成長を早める材料になるからです。」
飯田史彦「生きがいの言葉」

病気でもなく 事故でもなく 突然いなくなってしまった娘を通して
この2年半 「何故?」「どうして?」その繰り返し
その苦しみや悲しみが精神的成長なんだろうか・・・
この世の不条理 この世の不公平をうらんでいくことが精神的成長なんだろうか
たしかに知らないことをたくさんしった けど 生きていくうえで
しらなくてもいいことばかりだ
毎日のようにニュースで流れる極悪非道な事件で幼い命がうばわれてる
これがその子の両親の精神的成長につながるんだろうかー
やりきれない思いだけが残るよ とても必然だとは思えない
今 思うことはそういう辛いことがあっても人のせいにしないで
自分の魂の修行だと思えと そうおもえばすべて丸く治まる
そうとしか受け取れない自分が悲しいー