いわゆるモダン・ポートフォリオ理論は、理論と現実の問題を考えるにあたって好個のサンプルだ。今回は、代表的な理論の一つであるCAPMを題材にして、この問題を考えてみたい。以下、CAPMに関するメモを書いてみた。
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『CAPMに関する覚え書き』
<W.シャープのノーベル経済学賞>
CAPM(Capital Asset Pricing Model;資本資産市場モデル)は、1990年にノーベル経済学賞を受賞したウィリアム・シャープの主な研究業績であると同時に、実務の世界にも応用されているモダンポートフォリオ理論を代表する理論モデルの一つだ。
私は(山崎)、CAPMの結論を支持しないが、CAPMを考える際の途中までのプロセスは、個人の資産運用法を考える上で大いに参考になると考えている。CAPMが現実離れする手前の部分までのロジックが大いに実用的だと思うからだ。
<CAPMの結論>
CAPMの結論は、証券アナリスト協会の副教材でもあり、日本では代表的証券投資のテキストである「新証券投資論 I.理論編」(小林孝雄、芹田敏夫著。東洋経済新報社)によると、
(A)「マーケット・ポートフォリオが最も効率的なポートフォリオであること」と
(B)「個々の資産の期待超過リターンは β値に比例する」ということに要約される。
<CAPMの導出過程>
CAPMの導出の過程を、順を追って眺めてみよう。
大筋は、以下のような感じだ。
(1) 投資家はリスク資産をポートフォリオとして保有する。
(2) 仮定により投資家は共通の情報を持っているので、投資家が直面する有効フロンティア(リスク当たりの期待超過リターンが最も効率的なリスク資産の組み合わせの集合)は全て同じだ。
(3) 投資家は有効フロンティア上の点のいずれかと、仮定により同一のリスクフリー・レートで可能なリスク・フリー資産での運用又は借り入れによる有効フロンティア上の点「M」に対応するポートフォリオの信用買いを行う。
(4) この際、投資家は、リスクに対して消極的であっても積極的であっても、リスク資産に関しては(3)のような運用を行い、投資割合の多寡はあっても、リスク資産の組み合わせは同じもの(M)に投資しているはずだ。
(5) ここでリスク資産のマーケットの需給は均衡していると仮定されるが、するとM は全てのリスク資産を時価額のウェイトで保有した「マーケット・ポートフォリオ」である。
(6) マーケット・ポートフォリオが最適ポートフォリオであるとの条件から方程式を解くと、個々の資産は、その資産の超過リターンのマーケット・ポーフォリオの超過リターンに対する相関係数(=β値)に比例した超過リターンを持つ。
(7) マーケット・ポートフォリオに連動するリスクは超過リターンで補償されるが、個々のリスク資産のマーケット・ポートフォリオに連動しないリスクは分散投資によりゼロに近づけることが可能なリスクであり、超過リターンによって補償されない。
<導出過程のどこが怪しいか>
この導出過程の中で現実に対する妥当性が疑われるのは、まず(2)の全投資家が共通の情報を持っていて共通の有効フロンティアを計算するという部分だ。
次に、(5)のリスク資産に関する需給の均衡と、これと共に導き出されるMがマーケット・ポートフォリオだという結論も現実味が乏しい。従って、この結論から導かれる(6)、(7)も怪しいと考えざるを得ない。
ちなみに、CAPMの具体的な解釈では、現実の市場で(2)、(3)、(4)が成立していると考え、リスク資産として国内の株式市場だけを考えて、Mの点に相当するのが国内株式の時価総額加重ポートフォリオだと考えるようなものが最もポピュラーだった。
<市場の効率性に関する誤解>
(2)が成立すると考えた背景には、市場が効率的なので投資家は全て同じ情報と判断を持つはずだ、という「市場の効率性」が潜んでいたように思われる。
たとえば、時価総額加重のインデックスに連動するインデックスファンドとアクティブ・ファンドの運用成績を較べて、後者が前者に勝てないことを「市場の効率性」の証拠と考え、市場は効率的なのだから、情報は概ね瞬時に伝わり正しく解釈されているはずだと考えた。
しかし、インデックスファンドがアクティブ・ファンドに勝つのは、市場の効率性が理由ではない(市場が効率的でなくても、インデックスファンドは有利だ)。また、全ての投資家正しい情報と解釈を持つという仮定は非現実的だ。
現実は、「個々の投資家の持つ情報はバラバラであるが、何れも決定的に有利な情報や解釈力を持っているわけではなく、正確な情報にはほど遠いレベルにあって、相対的には殆ど差が付かない」といった状況だ。
<マーケット・ポートフォリオの特定問題>
加えて、リスク資産として国内株だけを考えてMを求めβ値を計算するというのは、取りあえず使えそうなデータが株式だけだったから、或いは、かつてのアメリカ人がもっぱら国内株で運用していたからという、中途半端な理由があったのではないか。
この種の実証研究には、「反証可能なモデルを作りその予測力を検定すればよく、モデルの仮定の現実性は問題でない」とするミルトン・フリードマン的な方法論の悪影響が感じられる。
理論としてのCAPMが要請している「M」(マーケット・ポートフォリオ)は、全てのリスク資産を含み時価総額でウェイト付けされたポートフォリオでなくてはならない。リスク資産は株式だけではないし、外国の資産も含まれる。
また、CAPMの結論(B)をテストするためには、Mが特定できることか、Mのリスク・プレミアムが分かることが必要だが、共に「観測不能」である。
<実務の世界でのCAPMの応用>
CAPMの応用で最もポピュラーなものは、個別企業の株式や企業価値を評価する際に、国内株式インデックスに対するβ値を計算して、そこからその企業固有の「割引率」を求めようとするもので、MBAのコースなどでは、まだ教えられているケースがあるようだ。しかし、CAPMの結論の成立が疑わしい以上、この応用は正しくない。しかし、正しくないのだが、たぶん「代わりがない」という理由で、このような企業評価が実務の世界で行われているのが現実だ。
個別企業の将来の予想キャッシュフローを評価する際に、適用すべき割引率をβ値で求めて、適正株価を計算するといった作業は、運用会社でも行われることがあるが、β値を求めないと個々の会社の株式の割引率、即ち期待リターンが分からないというのは、どことなく変ではないか。
もともと、「有効フロンティア」は個々の資産の期待リターンとリスクを知らなければ作れないはずなのに、市場の最前線にいるはずのプロの運用者自身がβ値に頼って個々の銘柄の期待リターンを求めているというのは、自分がそういう作業をしていること自体がCAPMの仮定に対する反証になっていることに気付いていないという意味で、大変間抜けである。
<個人の資産運用とCAPM>
ポ―トフォリオ理論を囓ったことがある人の中には「インデックス運用はCAPMが根拠である」というような誤ったイメージを持つ方が時々いるが、インデックス・ファンドがアクティブ・ファンドよりも優れている理由は、CAPMとは別のものだ。
CAPM導出の一連のプロセスを個人の資産運用プロセスだと考えると、(2)、(3)、(4)のプロセスについて、個人は、「自分にとっての有効フロンティア」と「リスク・フリー資産」の組み合わせで運用すれば、最も効率的なポートフォリオで運用できると考えるなら、論理的に問題はない。
CAPM導出を説明する図でいうと、全投資家に共通の有効フロンティアを、個人が考えた有効フロンティアだと解釈し直して、リスク・フリー資産の金利を合わせて考えたときに最も効率的な点Mに相当する資産の組み合わせを一つだけ知っておけば、後は、取りたいリスクの量に相当するMとリスク・フリー資産の組み合わせを持てばいい、と読み直すことが出来る。
即ち、個人は、どのくらいの大きさのリスクを取るかに関わらず、リスク資産に関しては、同一のポートフォリオで運用すればいいということだ。
理屈の世界から現実に戻ると、生活する普通の個人は、自分にとってのMに相当するリスク資産の組み合わせを一つ知っていれば十分だ。さらに現実的に考えると、Mは厳密な意味で最も効率的なものでなくても実用上は構わない。実際問題としては、「ベストに近い無難なリスク資産の組み合わせ」と「個人にとって扱いやすいリスク・フリー資産」の二つを知っていればいいということになる。