山崎元の「金融資産運用論」

獨協大学特任教授の山崎元です。このブログは「金融資産運用論」の講義資料や講義の補足などを提供する目的で運営するものです。

【秋学期 9日目】 CAPMとその応用の問題点

2010-11-24 19:50:38 | 講義資料
ポートフォリオ理論は、投資家がリスクとリターンとを考慮して最適なポートフォリオを作るというハリー・マコーウィッツのアイデアが出発点になっているが、この分野は、1960年代、70年代に発展を遂げて、金融実務の世界でも応用された。
いわゆるモダン・ポートフォリオ理論は、理論と現実の問題を考えるにあたって好個のサンプルだ。今回は、代表的な理論の一つであるCAPMを題材にして、この問題を考えてみたい。以下、CAPMに関するメモを書いてみた。

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『CAPMに関する覚え書き』

 <W.シャープのノーベル経済学賞>

CAPM(Capital Asset Pricing Model;資本資産市場モデル)は、1990年にノーベル経済学賞を受賞したウィリアム・シャープの主な研究業績であると同時に、実務の世界にも応用されているモダンポートフォリオ理論を代表する理論モデルの一つだ。
私は(山崎)、CAPMの結論を支持しないが、CAPMを考える際の途中までのプロセスは、個人の資産運用法を考える上で大いに参考になると考えている。CAPMが現実離れする手前の部分までのロジックが大いに実用的だと思うからだ。


<CAPMの結論>
CAPMの結論は、証券アナリスト協会の副教材でもあり、日本では代表的証券投資のテキストである「新証券投資論 I.理論編」(小林孝雄、芹田敏夫著。東洋経済新報社)によると、
(A)「マーケット・ポートフォリオが最も効率的なポートフォリオであること」と
(B)「個々の資産の期待超過リターンは β値に比例する」ということに要約される。


<CAPMの導出過程>

CAPMの導出の過程を、順を追って眺めてみよう。
大筋は、以下のような感じだ。
(1) 投資家はリスク資産をポートフォリオとして保有する。
(2) 仮定により投資家は共通の情報を持っているので、投資家が直面する有効フロンティア(リスク当たりの期待超過リターンが最も効率的なリスク資産の組み合わせの集合)は全て同じだ。
(3) 投資家は有効フロンティア上の点のいずれかと、仮定により同一のリスクフリー・レートで可能なリスク・フリー資産での運用又は借り入れによる有効フロンティア上の点「M」に対応するポートフォリオの信用買いを行う。
(4) この際、投資家は、リスクに対して消極的であっても積極的であっても、リスク資産に関しては(3)のような運用を行い、投資割合の多寡はあっても、リスク資産の組み合わせは同じもの(M)に投資しているはずだ。
(5) ここでリスク資産のマーケットの需給は均衡していると仮定されるが、するとM は全てのリスク資産を時価額のウェイトで保有した「マーケット・ポートフォリオ」である。
(6) マーケット・ポートフォリオが最適ポートフォリオであるとの条件から方程式を解くと、個々の資産は、その資産の超過リターンのマーケット・ポーフォリオの超過リターンに対する相関係数(=β値)に比例した超過リターンを持つ。
(7) マーケット・ポートフォリオに連動するリスクは超過リターンで補償されるが、個々のリスク資産のマーケット・ポートフォリオに連動しないリスクは分散投資によりゼロに近づけることが可能なリスクであり、超過リターンによって補償されない。


<導出過程のどこが怪しいか>
この導出過程の中で現実に対する妥当性が疑われるのは、まず(2)の全投資家が共通の情報を持っていて共通の有効フロンティアを計算するという部分だ。

次に、(5)のリスク資産に関する需給の均衡と、これと共に導き出されるMがマーケット・ポートフォリオだという結論も現実味が乏しい。従って、この結論から導かれる(6)、(7)も怪しいと考えざるを得ない。

ちなみに、CAPMの具体的な解釈では、現実の市場で(2)、(3)、(4)が成立していると考え、リスク資産として国内の株式市場だけを考えて、Mの点に相当するのが国内株式の時価総額加重ポートフォリオだと考えるようなものが最もポピュラーだった。


<市場の効率性に関する誤解>

(2)が成立すると考えた背景には、市場が効率的なので投資家は全て同じ情報と判断を持つはずだ、という「市場の効率性」が潜んでいたように思われる。

たとえば、時価総額加重のインデックスに連動するインデックスファンドとアクティブ・ファンドの運用成績を較べて、後者が前者に勝てないことを「市場の効率性」の証拠と考え、市場は効率的なのだから、情報は概ね瞬時に伝わり正しく解釈されているはずだと考えた。

しかし、インデックスファンドがアクティブ・ファンドに勝つのは、市場の効率性が理由ではない(市場が効率的でなくても、インデックスファンドは有利だ)。また、全ての投資家正しい情報と解釈を持つという仮定は非現実的だ。

現実は、「個々の投資家の持つ情報はバラバラであるが、何れも決定的に有利な情報や解釈力を持っているわけではなく、正確な情報にはほど遠いレベルにあって、相対的には殆ど差が付かない」といった状況だ。


<マーケット・ポートフォリオの特定問題>

加えて、リスク資産として国内株だけを考えてMを求めβ値を計算するというのは、取りあえず使えそうなデータが株式だけだったから、或いは、かつてのアメリカ人がもっぱら国内株で運用していたからという、中途半端な理由があったのではないか。

この種の実証研究には、「反証可能なモデルを作りその予測力を検定すればよく、モデルの仮定の現実性は問題でない」とするミルトン・フリードマン的な方法論の悪影響が感じられる。

理論としてのCAPMが要請している「M」(マーケット・ポートフォリオ)は、全てのリスク資産を含み時価総額でウェイト付けされたポートフォリオでなくてはならない。リスク資産は株式だけではないし、外国の資産も含まれる。

また、CAPMの結論(B)をテストするためには、Mが特定できることか、Mのリスク・プレミアムが分かることが必要だが、共に「観測不能」である。


<実務の世界でのCAPMの応用>

CAPMの応用で最もポピュラーなものは、個別企業の株式や企業価値を評価する際に、国内株式インデックスに対するβ値を計算して、そこからその企業固有の「割引率」を求めようとするもので、MBAのコースなどでは、まだ教えられているケースがあるようだ。しかし、CAPMの結論の成立が疑わしい以上、この応用は正しくない。しかし、正しくないのだが、たぶん「代わりがない」という理由で、このような企業評価が実務の世界で行われているのが現実だ。

個別企業の将来の予想キャッシュフローを評価する際に、適用すべき割引率をβ値で求めて、適正株価を計算するといった作業は、運用会社でも行われることがあるが、β値を求めないと個々の会社の株式の割引率、即ち期待リターンが分からないというのは、どことなく変ではないか。

もともと、「有効フロンティア」は個々の資産の期待リターンとリスクを知らなければ作れないはずなのに、市場の最前線にいるはずのプロの運用者自身がβ値に頼って個々の銘柄の期待リターンを求めているというのは、自分がそういう作業をしていること自体がCAPMの仮定に対する反証になっていることに気付いていないという意味で、大変間抜けである。


<個人の資産運用とCAPM>

ポ―トフォリオ理論を囓ったことがある人の中には「インデックス運用はCAPMが根拠である」というような誤ったイメージを持つ方が時々いるが、インデックス・ファンドがアクティブ・ファンドよりも優れている理由は、CAPMとは別のものだ。

CAPM導出の一連のプロセスを個人の資産運用プロセスだと考えると、(2)、(3)、(4)のプロセスについて、個人は、「自分にとっての有効フロンティア」と「リスク・フリー資産」の組み合わせで運用すれば、最も効率的なポートフォリオで運用できると考えるなら、論理的に問題はない。

CAPM導出を説明する図でいうと、全投資家に共通の有効フロンティアを、個人が考えた有効フロンティアだと解釈し直して、リスク・フリー資産の金利を合わせて考えたときに最も効率的な点Mに相当する資産の組み合わせを一つだけ知っておけば、後は、取りたいリスクの量に相当するMとリスク・フリー資産の組み合わせを持てばいい、と読み直すことが出来る。
即ち、個人は、どのくらいの大きさのリスクを取るかに関わらず、リスク資産に関しては、同一のポートフォリオで運用すればいいということだ。

理屈の世界から現実に戻ると、生活する普通の個人は、自分にとってのMに相当するリスク資産の組み合わせを一つ知っていれば十分だ。さらに現実的に考えると、Mは厳密な意味で最も効率的なものでなくても実用上は構わない。実際問題としては、「ベストに近い無難なリスク資産の組み合わせ」と「個人にとって扱いやすいリスク・フリー資産」の二つを知っていればいいということになる。

【秋学期 8回目】 アセットアロケーション 1

2010-11-17 22:14:45 | 講義資料

今回は、アセットアロケーションの説明の続きです。

大まかな流れは次の通りです。

先ず、前回説明し残した「相関係数」を説明して、次に複数の資産のポートフォリオのリスクの計算の仕方を説明します。

次に、アセットアロケーションの計算に目的を与える「効用関数」の概念を説明します。

更に、エクセルのワークシートで「最適化計算」を行う流れを説明し、現実的なデータでのアセットアロケーションの例を見てみます。

この分野になれていない方は、一回で全てを覚えるのは難しいと思いますが、今回の授業では、それぞれのプロセスについて「何をやろうとしているのか」に注意して、大まかな流れを掴んで頂ければいいかと思います。


【秋学期 7回目】運用における「リスク」の考え方・扱い方

2010-11-11 03:13:14 | 講義資料

 前回まで、個人の資産運用を簡単にまとめると共に、もっぱらお金の価値の時間との関係についてご説明しました。特に、複利の「利回り」について理解することと、「割引現在価値」の概念を扱うことが出来るようになることが重要でしたが、「不確実性」や「リスク」をどう扱うかという問題が先送りされていました。
  今回以降しばらく「リスク」の考え方・扱い方を取り上げます。

(1)リスクと不確実性

  将来は何が起こるか分からない不確実性に満ちており、資産市場も例外ではありません。株価も、金利も(したがって債券価格も)、為替レートも、刻々と変化し、予想は難しい。予測の世界に「絶対」は、ほぼ存在しません(存在する場合については、ご自分で考えてみて下さい)。
  将来は不確実ですが、将来の不確実性には「種類」と「程度」があります。
  一つには、将来、どんな確からしさの下でどの程度の範囲の物事が起こりうるのか見当が付かない場合であり、これは「不確実」と呼ばれます。もう一つは、サイコロやルーレットのようにどんな確率でどんな結果が出そうであるかを数量的に表すことが出来る状態で、こちらの方は「リスク」と呼ばれます。先のことは確実には分かりませんが、たとえば「二つのサイコロの目の合計」は期待値や分布の様子を数量的に表すことが出来ます。
  資産市場の価格は、この「不確実」と「リスク」の中間の性質を持っています。
  将来の平均株価は、国債の価格よりも大きく動くだろうと(通常は)分かっているといった意味で変化の範囲や程度が何も分からない純粋な「不確実」ではない一方、株価の変化が将来どれぐらい激しいかを正確には予測できないという意味で完全に「リスク」として扱うことも出来ません。
  しかし、相当程度「不確実」であるとしても、運用の世界では、将来について、どの程度のどんな性質の変動があるかという「程度の問題」を数量的に「リスク」として表現して扱うのが一般的です。

  但し、リスクとして扱われているものが、分析者のどのような考えから、何に基づいて導き出されたものなのかについては、注意が必要です。
  例えば、「国内株式への投資のリスク」は、過去の株式リターンから計算されるのが通例ですが、どの時期の株式リターンを用いるかは様々で、用いるデータ期間によって結果は変わります。しかも、過去のリターンから計算されたリスクが、将来の株式リターンの変動の程度に正確に当てはまるわけでもありません。但し、まるっきり外れるわけではないので、そこそこの実用性がある、というのが現実です。
  過去のデータから計算されたリスクは、「株式リターンの変動の程度は、過去○○年間並だろう・・・」といった分析者・意思決定者の考えに基づいて、将来のリスクの推定値として使われているのだ、という文脈を理解した上で、具体的なリスクの数値を扱うことが重要です。

(2)リスクは「リターンの標準偏差」で表す

  リスクは、一般的に、リターン(収益率)の標準偏差で表します。一般的に用いられる単位は、「年率%」です。リターンの「分散」で表すこともありますが、分散と標準偏差は一対一対応するため、直観的に把握しやすい標準偏差で表現されることが多くなっています。例えば、「国内株式のリスクは19%、外国債券のリスクは10%、・・・」といった調子です。
  リスクの表し方は「リターンの標準偏差」あるいは「リターンの分散」に限りませんが、幾つかの便利な性質があるので、リターンの標準偏差でリスクを表すことが一般に普及しているのだ、と申し上げておきます。
  リスクをリターンの標準偏差で表すことに対して表明されることの多い違和感は、「リターンが平均値よりも上ブレすることは、いいことなのだから、おかしいのではないか。私はそれをリスク(危険)だとは思わない」といった意見をよく聞きます。
  これは一理ある意見で、たとえば平均値からの下ブレだけを計算する「半分散」をリスク指標にすべきだという意見も過去にはありました。
  ただ、この意見に対しては、「リターンのブレが、平均の上下に概ね対称に発生しているのであれば、平均からのバラツキ具合の程度を標準偏差として把握しておけば、平均からの下ブレについても見当を付けることが出来るのではないか」と言うことが可能です。
  標準偏差は数値を求めるにも、これを使って各種の計算を行う上でも「計算が簡単」で「扱いやすい」という長所があります。
  それに、どの方法でリスクを表しても、将来のリスクを正確に予測することは難しく、リターンの標準偏差以外の方法でリスクを表すことで、実用的なメリットを得ることが難しいのが現状です。
  加えて、現実的な理由として、リターンの標準偏差をリスクとして扱う人が多いために、「コミュニケーションの上で同じ表現方法を使うことが便利だ」という理由もあるでしょう。金融はお金の問題を扱いますが、お金は他人がいないと意味を持ちません。金融の世界では、他人と情報交換できることが重要です。
  リスクをリターンの標準偏差で表していいのではないか、ということに関する筆者の理解は以上のようなものですが、これは現実的な妥協の産物なのだ、と理解していただければ幸いです。
  但し、リスクを具体的な数値として扱うことは、運用の世界では必要なことです。資産の保有ウェイトも価格も具体的な数値であり、これに関する判断を自分で行ったり、他人に説明したりする上では、「リスクと期待リターンとを勘案して決めた」と言うしかありませんが、運用の意思決定の結果である「保有ウェイト」が具体的な数字である以上、これに対応するリターンとリスクの具体的数値があると考えざるを得ません。

(3)リスクの第一の役割は「損失の見当を付ける」こと

  具体的には授業で説明しますが、リスクを数量的に把握することの、第一のメリットは、これによって、起こりうる損失額の見当を付けることができることです。
  運用をしよう、特に、株式などに投資しようと考える際に、「損」のことから考える人は現実に少ないのですが、意思決定と行動の問題としては、起こりうる損失の規模と、これが起こったときの対処法をセットで考えておくことが重要です。
  運用の世界では、平均から2標準偏差分マイナスの状況を「最悪のケース」として想定することが多く、これは「少なからず甘い!」ことと(たぶん、投資したいと思う「お客さん」を減らさないため、運用業界としては悪い事態を強調したくないためでしょう)、何とも「大雑把である」ことの二つの問題点を持っていますが、将来の悪い事態の具体的把握の方法としては、割合簡単に出来る(暗算でも出来る!)便利な方法です。

(4)リスクへの対策は4つ、「逃げる」「分散する」「ヘッジする」「保険を掛ける」

運用の世界でリスクに対してどう対処するかですが、一番簡単なのが、投資額を減らしたり、投資自体を止めたりすること、つまり「逃げる」ことです。簡単すぎて拍子抜けするかも知れませんが、「リスクの大きな資産でも、少額の投資に留めておけば、自分が負担するリスクは小さい」ということは、案外盲点になりやすいので、覚えておいて下さい。
但し、逃げ切ることが出来ないリスクもありますし(たとえばインフレのリスクとか、健康のリスクとか)、逃げることで失うリターンが大きい場合もあるので、リスク対策として「逃げる」が最善とは限りません。
二番目の対策で、運用の世界で重要なのは、「分散する」です。分散投資された状態のリスクをどう把握するか、分散投資をいかに行うのがいいか、参加者がが分散投資することができることを前提として考えると資産価格や資産市場の振る舞いについて何がいえるか(→これが所謂「ポートフォリオ理論」です)、といったことについて、今後、授業で取り上げていきます。
三番目の「ヘッジする」も重要です。ヘッジするとは、リスクを相殺するような契約を行って、自分がリスクの影響を受けないようにすることですが、金融の世界ではよく用いられています。
四番目の「保険を掛ける」は、通常、費用(保険料、プレミアム)を払って、他人に経済的リスクの全部ないし一部を肩代わりしてもらうことですが、これも広く用いられています。

(※ 図は春学期の授業で使ったもので、標準偏差の求め方を説明する際の数値例です)


【秋学期 6回目c】 個人の資産運用の手順

2010-11-03 23:22:50 | 講義資料
以下の文章は、「読売オンライン」に、「大切な個人のお金の運用手順」と題して書いたものだ(http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/trend/yamazaki/20100716-OYT8T00784.htm)。個人のお金の運用の基本的な手順について述べているので、一読してみて欲しい。



私事で恐縮だが、今年の4月から獨協大学の経済学部で「金融資産運用論」と題する授業を行っている。先頃、春学期の最後の授業を行った(あとは試験と採点だけだ)。

大学の授業なので、モダンポートフォリオ理論や行動ファイナンスといった投資の理論も説明するわけだが、個人の資産運用をどうやったらいいのか、理屈と現実の両方に沿った運用手順を考えることに重点を置いた。

個人の資産運用手順は、世間で「貯蓄から投資へ」と再々言われる割には、体系的で具体的な方法論が確立されていないと感じていたので、この授業の担当を機に、あらためて考えてみようと思った。

リスクとリターンの計算の仕方といった技術的な説明も勿論行ったのだが、授業を通じて何度も強調したのは、運用に取り組む手順の問題だ。

筆者が正しいと考えるのは、次のような手順だ。

(1)家計の把握と分析
(2)資産配分計画(アセットアロケーション)の作成
(3)個々の資産クラス(「国内株式」といった小分類)に対応する運用商品の選択
(4)最もローコストで使いやすい取引窓口の選択
(5)運用状態のモニタリング(必要があれば1~4を繰り返す)

これが理論的にあるべき姿なのかと問われると、少し返答に躊躇する。理論的には、資産配分計画と商品選択の間の線引きが難しいし、両者は一気に計算して解決すべき問題かも知れない。しかし、機関投資家の運用計画でも、アセットアロケーションと個々の資産クラスの運用とを分けて処理することが多く、この段階分けはまずまず現実的なものだろう。

一般にこの手順の中で間違いやすいのは、(4)の取引窓口選択を最初に持ってくる人が多いことだ。

たとえば、退職金が振り込まれた退職サラリーマンが、退職金が振り込まれた銀行のセールスに誘われて、その銀行に資産運用を相談し、結果としてその銀行にある運用商品で運用を行うようなケースが大変まずいので、気をつけて欲しい。
取引窓口の選択を間違うな

金融機関は、(1)家計分析や、(2)資産配分計画を真面目にアドバイスしてくれるかも知れないが、たとえば、「国内株式」なり「外国株式」といった資産クラスごとの運用商品を選択する場合に、その金融機関が取り扱う商品にベストなものが無い可能性が非常に大きい。

端的に言って、運用に関わる手数料(投資信託なら信託報酬)が高い商品を買ってしまう可能性がある。また、全く同じ運用商品を買うとしても、使う金融機関によって販売手数料が異なる場合があり、自分が利用する運用期間の手数料が高いかも知れない。金融機関はより多くの手数料を稼ぎたいと思っているので、(1)や(2)のプロセスも顧客の立場に立ってやってくれる保証はない。

「可能性がある」とか「かも知れない」などと書いたが、セールスの誘いを掛けてくる銀行のように、金融機関が手間を掛けてくれるケースでは、扱っている運用商品の手数料が(運用の手数料も販売の手数料も)高い場合が圧倒的に多いのだ。

少し考えてみると、高給取りである金融マンが時間と手間を掛けてくれるのだから、高く付くのが当然の経済常識だ(こういう大切な常識は、当然、学生にも教えなければならない)。

近年では、家電製品を買う場合でも、ネットの価格比較サイトで、どこで買ったら安いのかを調べて購入先を決める行動が一般化してきた。お金の運用の場合、対象はお金であり、その価値は家電製品よりもさらにはっきりしているから、このポイントは理解しやすいはずなのだが、投資に関する知識を伝達してくれるのが金融機関であることが多いせいか、「常識」を知らない大人が多い。

アセットアロケーションの作り方や、金融商品の選択方法など、個々のステップを個人がどうこなしていくかという問題も勿論ある。だが、それ以前に運用の正しい手順を理解し、守ることが重要だ。

なお、個々のステップで何をすべきかも含めた個人の資産運用の体系全体に関しても、追々ご説明していきたいと思っているので、今後にご期待いただきたい。
(2010年7月16日  読売新聞)

【秋学期 6回目b】個人の資産配分計画の概念図

2010-11-03 20:09:26 | 講義資料
資産配分計画(アセット・アロケーション)に関しては、後日、あらためて詳しく説明しますが、生活者レベルでの投資については、
(1)人的資本と金融資産の関係を理解し、
(2)リスクの上限を決めた上でリスク資産への投資金額を決めて、
(3)個人にとって最も効率が良く簡便なリスク資産の組み合わせ(現時点でベストな投資の具体的商品名と配分は授業で述べます)を持つ、
といった手順で実用上OKだろうと思います。

運用が仕事でも趣味でもない場合、存在する金融商品を全て知る必要はありませんし、「厳密にベスト」の組み合わせを常に維持しなければならないというものでもありません(何がベストかは曖昧ですし、ベストとセカンドベストの差はごく僅かです)。

但し、重要なことは、金融機関やその手先になっているようなFP(ファイナンシャル・プランナー)に相談せずに、自分で自分の運用内容を決めて、コストの安い商品を選び、同じく売買コストの小さな販売窓口を通じて投資を実行することです。

【秋学期 6回目】家計の簡易バランスシート

2010-11-03 16:35:04 | 講義資料
●「投資家のための家計分析の簡便法」


(1) キャッシュフロー表方式の欠点

マネー運用の本を読むと、人生計画を考えることと資産運用が密接に関係するとしばしば強調されますが、では具体的にどうすればいいかをスッキリと書いたものがなかなか見あたりません。

よくあるのは、将来のお金の出入りの数字を費目毎に埋めてゆく「キャッシュフロー表」と呼ばれるようなものですが、数字をたくさん入れる必要があって相 当に煩雑です。将来の収入は不確かですし、支出もその時々の事情で変化しますから、正確に書けるものではありません。また、それぞれのキャッシュフローの 不確実性がバラバラなので、これを幾ら眺めていても、「現在幾らの運用リスクを取ることが出来るか」という肝心のポイントが分かりません。悪くすると、運 用資金を支出の目的別に区切ってしまい、それぞれに運用商品をあてはめるような、非効率的な運用計画にはまってしまいます。将来のお金のやりくりをイメー ジするには有益であっても、この種の表をお金の運用計画のベースにするのは不十分です。

(2)個人版のB/S、P/L

そこで、簡単な家計の自己点検プロセスを提案してみたいと思います。

まず、ご自分の家計に関する数字を6つほど集めて下さい。数字はそれほど厳密でなくても結構です。状況を大まかに掴むことができれば十分です。

用意する数字は、(A)金融資産 (B)実物資産 (C)短期負債 (D)長期負債、それに(X)年間収入 (Y)年間支出 のたった6つで結構です。現状について正直に、メモ用紙にでも書いてみて下さい。

「金融資産」は、現金・預金・株式・投資信託など簡単に(数日で)換金できるものの合計額です。「実物資産」は、主に不動産、高い車をお持ちの場合は自 動車が含まれるでしょうが、取得価格ではなくて、現状で売れる価格を正直に書いて下さい。企業も個人も意思決定のための現状把握は「時価評価」が大原則で す。「短期負債」はカードローンなどの残高で、はっきり言ってこれはゼロが望ましい。「長期負債」は住宅ローンあるいは自動車ローンなどでしょう。まずは 名目のローン残高で結構ですが、厳密には、これも時価評価しなければならないので、多くの場合、名目上の残高よりも大きなものになることを覚えておいて下 さい(借金とは何とも損なものなのです)。「収入」、「支出」は税引き後の現実に近い数字をこれも正直に書いて下さい。

これらの数字を、図1のような形に書いてみて下さい。ついでに、(A+B)から(C+D)を引いて(E)自己資本を計算し、XからYを差し引いて(Z)年間余裕額を求めて下さい。

これで家計版の簡易バランスシートと損益計算書が出来ました。「自己資本」は企業なら株主資本、つまりストックのレベルの余裕でありプラス額、「年間余裕額」は企業なら利益、つまりフローのレベルの余裕額を表します。

企業でも遠い将来の収入・支出が不確実なのは家計と同じですが、バランスシートや損益計算書を見て、どの程度の運用リスクに耐えうるかを考えながら資金運用を行います。家計の場合も、基本は一緒です。


<<家計のバランスシートと損益計算書>>


(3)投資に向かない家計のパターン

この程度の簡単な分析でも、家計について、いろいろな問題点を見つけることが出来ます。

まず短期負債が金融資産を上回る(C>A)家計は、何れも対策を要します。カードローンなどの借金の利率は、株式など通常の運用の期待収益率を上回るので、早急に借金を返すことが重要であり、売却できる実物資産(B)があれば売却を検討してもいいでしょう。

これにさらに住宅ローンが加わって、且つ住宅が値下がりしているケースは、自己資本(E)がマイナス(債務超過)になっており、家計の「再建計画」の策 定と実行が必要です。ともかくローンを減らすことを最優先に考えなければなりませんが、共稼ぎにして年間収入(X)を増やすとか、生活を切りつめて年間支 出(Y)を抑えるといったことも考えなければならないでしょう。「将来稼げるから、大丈夫だろう」という甘い考えは禁物です。



<<リスク資産への投資には適さない家計のパターン>>



短期負債が存在しなくても、住宅ローンが大きくて差し引きの自己資本(E)がマイナスになる家計や、自己資本がぎりぎりプラスでも、住宅ローンが残っているような家計は、ハッキリ言って、リスクを取った運用には向きません。

住宅ローンのある家計は投資(たとえば株式投資)に向かない、と言い切ってしまうと、日本では投資できる家計が大幅に減ってしまいそうですが、まとまっ たお金があれば、投資するよりもローンを返済する方が、有利であり同時に健全です。たとえば、住宅ローンを借りている銀行が、ボーナス時などに投資信託や 投資型年金保険のようなものを勧めることがあるとすれば、その銀行員は顧客にとって悪魔かそうでなければ貧乏神のような存在です。

現実に住宅ローンを抱えている人が多く、また住宅ローンをはじめとする個人向けのローンが金融機関の大きな収益源になっていることもあってか、「住宅 ローンは別に考えて、お金の運用は運用として考えましょう」といった手合いのアドバイスもあるようですが、そのような運用をするとリスクが過大になりがち ですし、資産・負債両サイドで金融機関にコストを払うことになるので、非常に割の悪い状態に陥ります。

但し、勤務先の企業が確定拠出年金を導入しているような場合には、確定拠出年金の資金は借金返済に回せないので、ある程度のリスク資産運用を考えてもい いケースはあるでしょう。あとは損失額が完全に娯楽費と割り切れる範囲の場合、割り切って株式などに投資する人を止めようとは思いませんが、「借金をして 競馬をやっているのと同じだ」という程度の自己認識は必要です。

(4)リスク資産に投資できる家計のパターン

ローンのない家計は、リスク資産での運用を検討してもいいでしょう。しかし、年間支出額(Y)に対して自己資本(E)の蓄えが乏しい場合は、あまり大きなリスクを取ることができません。

自己資本の蓄えがどの程度あればいいのかということについては、一律に機械的に決めることはできませんが、自己資本が年間支出額の二倍から三倍あって、 かつこれが金融資産でカバーされていれば、ある程度安心な家計と見ていいでしょう。但し、年間余裕額は安定的にプラスであることが必要でしょう。支出が収 入を上回って、年間余裕額がマイナスの場合には、相当に大きな余裕がないと安心とはいえません。

一方、大きな支出の予定のない高齢者の家計のような場合には、自己資本の大きさが十分にあれば、年間余裕額がマイナスであっても大丈夫でしょう。

家計を安全にする自己資本を早急に蓄えることは非常に効果的です。日本の多くの家計で家に次ぐ大きな支出項目は生命保険だとのことですが(どちらも買い 手側にとって大きな率で損な商品です)、ある程度の備えを持てば、生命保険にお金をかけずに済みます。生命保険とは、一言で言えば「損な賭け」です。貯金 も頼れる身内もない若年夫婦に子供が出来たような、仕方がない場合を除いて、なるべく入らずに済ませるのが賢いと思います。


<<リスク資産への投資を考えてもいい家計のパターン>>


何れにしても、(E)自己資本 (Z)年間余裕額 (Y)年間支出、それに個々の家計の事情を考えて、「金融資産運用で1年間に損しても問題のない上限額」を考えることが重要です。

若いサラリーマンの家計はローンもないかわりに、大きな資産もない、という家計が多いでしょう。こうした家計はどう考えるべきでしょうか。厳しいアドバ イスが書いてある本では、年収ないし支出の2年分の蓄えがなければ、リスクを取った運用はダメと書いてあることがありますが、筆者はそこまでストイックに 考えなくてもいいと思っています。若いサラリーマンの場合、本人の「人的資本」(将来の稼ぎの割引現在価値と考えてください)が豊かで健康も安定している ことが多いので、たとえば1年間の損失上限を年間余裕額(Z)よりも十分小さく抑えておけば、株式などで運用しても構わないと思います。将来、もう少しお 金を持ったときのために、運用に慣れておくことはいいことではないでしょうか。

もちろん、図3の最初に掲げたような、無借金で資産が豊富、且つ支出を大幅に上回る支出があるというような活力のある家計が理想的です。こうした家計な ら、相当のリスクを取ることが出来ますが、年間余裕額(企業では利益に相当)やバランスシートを考えながらリスクの大きさを決めなければならないのは、企 業の経営と一緒です。