山崎元の「金融資産運用論」

獨協大学特任教授の山崎元です。このブログは「金融資産運用論」の講義資料や講義の補足などを提供する目的で運営するものです。

【7月1日】「投資」と「投機」のちがいは何か?

2010-06-30 23:52:37 | 講義資料
 「ハイリスク、ハイリターンの原則」について書いた拙文をもう一つご覧に入れましょう。「お金とつきあう7つの原則」(KKベストセラーズ)の第6章の原稿の一部です。「ハイリスク、ハイリターンの原則」の説明に加えて、投資と投機とギャンブルの区別についても説明しています。後半も読んで考えてみて下さい。

●Q1:たとえば、株式投資はギャンブルでしょうか?どの点がギャンブルと似ていて、どの点がギャンブルと異なるか、考えてみて下さい。

 尚、「投資」と「投機」をリスク・不確実性の経済的背景の違いで区別しようと考える、私の定義の仕方は、残念ながら、一般的に通用しているものではありませんが、考え方として重要であり、且つ便利だと思っています。
 定義に対する賛否はともかく、内容は正確に理解して欲しいと思います。

●Q2:では、外国為替のリスクは「投資のリスク」でしょうか、あるいは「投機のリスク」でしょうか?理由と共に考えてみて下さい。

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★ ハイリスク・ハイリターンの真実

 さて、投資で敢えてリスクを取るのは、より大きなリターンを求めるからだ、というところまで辿り着いた。次の問題は、より大きなリスクを取ると、本当に、より大きなリターンが得られるのか、ということだ。
 より大きなリスクに対してより大きなリターン(収益)が得られるという原則は「ハイリスク、ハイリターンの原則」(あるいは法則)と呼ばれているが、この原則は例外なく実現する物理の法則のようなものではなく、論理的にはこのようなことが起こりやすいはずだし、経験的にもそうなることが多いという傾向をのべたものに過ぎない。
 大まかな考え方は次のようなものだ。

「ある金額を投資すると将来ある利益が得られる権利が得られると仮定しよう。この利益が確実なものである場合と、期待値は同じだが変動する不確実なものである場合とでは、人はこの権利にどのような値段を付けるだろうか。後者に関しては、たぶん、リスクを負担するのに見合う追加的なリターンを求めるだろうから、前者よりも低い価格(つまり投資額に対する将来のリターンはそれだけ大きくなる)を形成することになるだろう。つまり、将来の期待値が同じでも、リスクのあるものの方が期待されるリターンが高くなるはずだ」

 この理屈はどの程度リアルに感じられるだろうか。よりリスクが大きいのに、リターンが大きくならないケースとして考えられるのは、(1)将来の収益の期待値を間違えて価格を形成したケース、(2)出た結果が事後的に期待値よりも大幅に悪い場合、(3)人間が誤って価格を付けたケースの三つだ。
 株式でいうと、それぞれが厳密に分離できるものではないが、将来の利益が分からなかった場合、過去に予想した利益と違う結果が出た場合、会社の人気不人気などによって価格形成が歪んだ場合などには、高すぎる価格で投資したか、不運な事象が起こったかで、投資の結果が悪かった場合にほぼ対応する。何れも、なにがしかは人間の能力的な制約に起因する現象だ。
 はっきり言って、人間の予測能力は、「将来の利益の期待値をほぼ正しく見通す」といったレベルにはほど遠い。多くの人間が取引に参加して情報と解釈を価格に反映させて、一人の投資家が考えるよりも正しい価格が形成される傾向はあるが、それにも限界がある。「ハイリスク、ハイリターンの原則」は少なくとも絶対的なものではない。
 しかし、他方で、ある程度は将来が見通せるわけでもあり、この場合、そのような前提から取引される価格で投資に参加するならば、傾向として「より大きなリスクに対して、より大きなリターン」が得られるだろう。
 つまり、判断は簡単ではないが、リスクを伴うある投資対象に対して、世間が集団的に過剰な期待を抱いて価格を形成しているのでなければ、その対象については「ハイリスク、ハイリターンの原則」が実現しやすいということだ。
 現実に目を転じると、何と言っても、過去20年くらいを見た場合、日本株への投資において、ハイリスクハイリターンの原則は成立していない。これは、投資家が、将来の日本経済・日本企業に関する見通しを誤っていた面もあるし、かつて株式のリスクを軽視した誤った高価格で株式を評価してしまったことの二つの要因によるものだと考えていいと思うが、投資家は間違えることがあるという教訓だ。ただし、誤りの渦中にあっても、個々の投資家が自信を持って価格形成が誤っていると自信を持って正しく認識できるケースは少ない。自分自身も判断を誤る可能性のある投資家の一人だと自覚しておくことも重要だ(もちろん、著者自身もそう思っている)。
 一方、過剰な期待を持たずに、ある程度以上に正しく将来を見通して資産の価格が形成される場合、ハイリスクな資産への投資はハイリターンである可能性が高いわけだから、これを利用しないのはもったいない。さらにいえば、過小評価されて価格付け(プライシング)された資産に投資できれば、将来その過小評価が訂正される際に発生する追加的な収益も含めてリターンを獲得することが出来る。
 「ハイリスク、ハイリターンの原則」は、「絶対に」と頭に付けて信じていいような法則ではないが、無視するには勿体ない有り難い傾向だと考えておこう。

★ 投資と投機とギャンブルと

 ところで、リスクを取ってお金を投じても、先ほどのような意味でリスクに見合ったリターンが期待できる対象と、そうでない対象がある。
 前者は、株式・債券・不動産など、投資家側から見ると一定の時間お金を渡して「資本」として生産に参加するようなものへの投資だ。この場合、順調であれば、投資家は広義の生産活動から得られた利益に配分にあずかることができる。これに対して、商品先物や外国為替、それに競馬やカジノでやっているようなギャンブルは参加者同士がお互いの見通しのちがいに賭けているだけで、基本的には取引にかかる手数料を除外すると「ゼロサム・ゲーム」の構造になっていて、リスクを取ったからといって、そのリスクを補償するような追加的なリターンが得られるわけではない。
 何らかのリスクを取って資本を提供するのが「投資」、ゼロサム・ゲーム的なリスクに賭ける行為を「投機」と呼ぶのが、著者の考える投資と投機のちがいだ。リスクの大きさや心掛けではなく、リスクの経済的性質に着目する。
 投資と投機をこのように区別しておくと、資産形成に有利なのは「投資」だということが分かる。投資の場合、生産活動が順調であれば、時間の経過と共に収益が増えることが期待できる。
 たとえば、競馬は連勝式の馬券の場合JRAの控除率は25%なので、馬券を買ったお金の75%しか戻ってこないが、株式投資の場合1年後には100投じたお金が、平均的にはたとえば105とか106とか、雄牛元本に国債金利プラスなにがしかの利回りを加えた額が手に入ると期待できる。
 ギャンブルとの対比でいうと、たとえば株式投資は、期間経過後の回収率が100%を上回るギャンブルなのだと思えばいい。但し、ギャンブルであるから、不運な場合にはそれなりに大きな損失を被る可能性がある。
 つまり、株式投資はギャンブルに参加するくらいの覚悟を持ちつつも、有利だと思うからやってみよう、という具合に参加すべきゲームだということなのだ。
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【7月1日】 ハイリスク、ハイリターンの原則について

2010-06-30 23:40:11 | 講義資料
 今回は、外国為替を中心に、これまでご説明てしなかった概念で、投資を考える上では必要なものについて補足したいと思います。
 外国為替については、6月25日分としてアップしたスライドもご参照下さい。

 以下の文章は、私(山崎元)が、かなり前にFP協会のホームページに書いた原稿(現在、非公開)で、いわゆる「ハイリスク、ハイリターンの原則」についてFP(ファイナンシャル・プランナー)向けに説明したものです。
 
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Q:「ハイリスク、ハイリターンの原則(又は法則)」について顧客にどう説明したらよいでしょうか?

A: 「ハイリスク、ハイリターンの原則」とはリスクの高い投資対象はリターンも高いという傾向を指す考え方です。この考え方自体は、一定の前提の下で論理的に成り立つ内容です。しかし、前提条件によっては、現実に当てはまったり当てはまらなかったりするものであることについては注意が必要です。投資を考える上では重要な考え方ですが、「長期的には絶対に達成される法則だ」と過信しないように説明する必要があるでしょう。

<説明>

● 論理的には一応正しい話である

 「ハイリスク、ハイリターンの原則」とはリスクの高い投資対象はリターンも高いという傾向を指す考え方です。投資に関する基本的な説明の中にも時々出てくることがあり、広く普及した考え方の一つといえるでしょうが、人によって理解がまちまちなことが多く、必ずしも正確に理解されているわけでは無さそうです。
 同様の言い回しで、例えば「ミドルリスク、ミドルリターンのファンド」のような表現も時々使われます。こうした表現の意味と妥当性を正しく把握しておくためにも先ず「ハイリスク、ハイリターンの原則」について正しく理解しておくことが重要です。

 ハイリスク、ハイリターンの原則を、論理的に納得することはそう難しくありません。例えば、資産Aが1年後に確実に105円の価値を持つときに、現在この資産が100円で売買されているとしましょう。これはリスク無しの資産に対して年率のリターンが5%ということです。
 ここで、1年後の価値が50%の確率で95円になり、残りの50%の確率で115円になるという条件の資産Bがあるとします。さて、資産Bは幾らなら買い手が付くでしょうか。投資の分析をする際には、人間はリスク回避的だという大前提がありますから、どの程度の差額になるかは分かりませんが、資産Bの一年後の期待値105円に対して100円よりも安い値段がつくはずです。たとえば98円だとすればこの場合の年率の期待リターンは、(105-98)÷98=0.0714・・・ですから、約7.14%ということになります。
 たとえば、ここで更に、50%ずつの確率で一年後に125円か、85円か、という資産Cがあれば、この資産の現在の取引価格は98円よりも安く、即ち期待リターンは7.14%よりも高い状態で価格が決まるでしょう。
つまり、リスクについて完全に知られた状態でリスク回避的な(つまり普通の)人同士が取引をすれば、よりリスクが大きいものに対してより期待リターンが高くなるような価格で取引が成立する、と考えられるということです。「ハイリスク、ハイリターンの原則」は、前提条件はあるわけですが、論理的には正しいと考えていいでしょう。
ただし、このような前提条件が満たされていて「ハイリスク、ハイリターンの原則」が正しく成立しているとしても、現実にハイリスクなものへの投資がハイリターンを達成するかどうかは分からないことに注意が必要です。つまり、例えばあるお客さんが運用する特定の10年間、20年間の間にマイナスのリターンになったとしても、その事例は「平均的にはリターンが高い(期待リターンが高い)が、ハイリスクだ(結果には上下に大きなブレがある)」という結論に当てはまる一つの状態がたまたま実現しただけと考えることができますから、「ハイリスク、ハイリターンの原則」とは何ら矛盾しません。

● しかし、前提条件が満たされているかは問題だ
 
さて、先ほどの例を振り返ると、そもそも「1年後に50%の確率で115円、残りの50%では95円」といった調子で将来起こる事象を正確な確率付きで事前に把握しているということが現実にあるのでしょうか。たとえば、ある株式の将来の株価なり、あるいはそのもとになる利益なりをこのような形で把握することは極めて難しいと言って良いでしょう。
たとえば、倒産する確率が高い会社Xと倒産確率が低い会社Yについて、Xに対する貸出金利の方がYに対するものよりも高くなるのは当然だろうということは、程度の差の付け方が難しいとしても言えそうな感じがしますが、株式などの場合に将来の利益の起こりうる確率的な分布を正しく推定することは極めて難しいように思えます。後者の場合、ハイリターンを期待することばかりが先行しながら、全く非現実的な株価を形成することも無いとは言えないでしょう。
 たとえば、いわゆるバブルの頃の株価が、先に述べたような意味で原則の結論と矛盾しないものなのか、それとも全く異なる前提条件を想定すべきものだったのかは、明確には断定できませんが、そもそも前提条件が満たされていなかった可能性が大きいように思えます。
「ハイリスク、ハイリターンの原則」というと説明によく出てくる例は米国や英国の株式市場と債券市場などですが、戦争やハイパーインフレで株式が紙切れ同然になった株式市場も他の国にはあります。「この原則は、事実によって証明されている」と言うのは無理です。結局、投資にあっては絶対といえることは少ないのであって、現実には「この資産はハイリスクだから、ハイリターンである確率が大きいかも知れない。前提条件はどうなっているか考えてみよう」という程度の態度で原則を過信することなく、しかしチャンスに対しては大いに前向きに検討するというのが正しいアプローチです。

 尚、論理的には前提条件が概ね正しく理解されている場合には、それなりの期待リターンで評価されるはずだということですから、「ローリスク、ハイリターン(又はミドルリターンも)」ということは取引相手が間違えない限りまず無い、「ミドルリスク、ハイリターン」といったことも大体はあり得ないのだ、と考えておいていいはずです。現実の判断が難しいのはハイリスクのケースです。

<顧客に説明するポイント>

 初心者には、リスクを取らないとリターンは増えないということを一緒に説明しなければならないケースが多いでしょうから、「ハイリスク、ハイリターンの原則」をあまり強く否定すると、投資でリスクを取ること自体を否定したい気分になる心配があると思われます。「絶対ではないのですよ」という注意は是非必要だと思いますが、ネガティブな側面だけを強調しない方がいいでしょう。
 一方、ある程度の知識がある中上級者は、過去に仕入れた知識や運用業者の提供する教育などで「ハイリスク、ハイリターンの原則」を強く信じている(又は、信じたがっている)傾向があるので、「理屈の上ではこういうことです・・・」という話と合わせて、理屈の前提条件自体がかなり怪しいことを伝えるべきではないかと思われます。

<参考文献>
特に「株式は必ずハイリターンだ」という意見に対する反論を的確に行った書籍として、
「根拠なき熱狂」(ロバート・A・シラー著、植草一秀監訳、ダイヤモンド社)をお勧めしたいと思います。より深く勉強されたい方の参考にもなる良い本です。
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