「ハイリスク、ハイリターンの原則」について書いた拙文をもう一つご覧に入れましょう。「お金とつきあう7つの原則」(KKベストセラーズ)の第6章の原稿の一部です。「ハイリスク、ハイリターンの原則」の説明に加えて、投資と投機とギャンブルの区別についても説明しています。後半も読んで考えてみて下さい。
●Q1:たとえば、株式投資はギャンブルでしょうか?どの点がギャンブルと似ていて、どの点がギャンブルと異なるか、考えてみて下さい。
尚、「投資」と「投機」をリスク・不確実性の経済的背景の違いで区別しようと考える、私の定義の仕方は、残念ながら、一般的に通用しているものではありませんが、考え方として重要であり、且つ便利だと思っています。
定義に対する賛否はともかく、内容は正確に理解して欲しいと思います。
●Q2:では、外国為替のリスクは「投資のリスク」でしょうか、あるいは「投機のリスク」でしょうか?理由と共に考えてみて下さい。
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★ ハイリスク・ハイリターンの真実
さて、投資で敢えてリスクを取るのは、より大きなリターンを求めるからだ、というところまで辿り着いた。次の問題は、より大きなリスクを取ると、本当に、より大きなリターンが得られるのか、ということだ。
より大きなリスクに対してより大きなリターン(収益)が得られるという原則は「ハイリスク、ハイリターンの原則」(あるいは法則)と呼ばれているが、この原則は例外なく実現する物理の法則のようなものではなく、論理的にはこのようなことが起こりやすいはずだし、経験的にもそうなることが多いという傾向をのべたものに過ぎない。
大まかな考え方は次のようなものだ。
「ある金額を投資すると将来ある利益が得られる権利が得られると仮定しよう。この利益が確実なものである場合と、期待値は同じだが変動する不確実なものである場合とでは、人はこの権利にどのような値段を付けるだろうか。後者に関しては、たぶん、リスクを負担するのに見合う追加的なリターンを求めるだろうから、前者よりも低い価格(つまり投資額に対する将来のリターンはそれだけ大きくなる)を形成することになるだろう。つまり、将来の期待値が同じでも、リスクのあるものの方が期待されるリターンが高くなるはずだ」
この理屈はどの程度リアルに感じられるだろうか。よりリスクが大きいのに、リターンが大きくならないケースとして考えられるのは、(1)将来の収益の期待値を間違えて価格を形成したケース、(2)出た結果が事後的に期待値よりも大幅に悪い場合、(3)人間が誤って価格を付けたケースの三つだ。
株式でいうと、それぞれが厳密に分離できるものではないが、将来の利益が分からなかった場合、過去に予想した利益と違う結果が出た場合、会社の人気不人気などによって価格形成が歪んだ場合などには、高すぎる価格で投資したか、不運な事象が起こったかで、投資の結果が悪かった場合にほぼ対応する。何れも、なにがしかは人間の能力的な制約に起因する現象だ。
はっきり言って、人間の予測能力は、「将来の利益の期待値をほぼ正しく見通す」といったレベルにはほど遠い。多くの人間が取引に参加して情報と解釈を価格に反映させて、一人の投資家が考えるよりも正しい価格が形成される傾向はあるが、それにも限界がある。「ハイリスク、ハイリターンの原則」は少なくとも絶対的なものではない。
しかし、他方で、ある程度は将来が見通せるわけでもあり、この場合、そのような前提から取引される価格で投資に参加するならば、傾向として「より大きなリスクに対して、より大きなリターン」が得られるだろう。
つまり、判断は簡単ではないが、リスクを伴うある投資対象に対して、世間が集団的に過剰な期待を抱いて価格を形成しているのでなければ、その対象については「ハイリスク、ハイリターンの原則」が実現しやすいということだ。
現実に目を転じると、何と言っても、過去20年くらいを見た場合、日本株への投資において、ハイリスクハイリターンの原則は成立していない。これは、投資家が、将来の日本経済・日本企業に関する見通しを誤っていた面もあるし、かつて株式のリスクを軽視した誤った高価格で株式を評価してしまったことの二つの要因によるものだと考えていいと思うが、投資家は間違えることがあるという教訓だ。ただし、誤りの渦中にあっても、個々の投資家が自信を持って価格形成が誤っていると自信を持って正しく認識できるケースは少ない。自分自身も判断を誤る可能性のある投資家の一人だと自覚しておくことも重要だ(もちろん、著者自身もそう思っている)。
一方、過剰な期待を持たずに、ある程度以上に正しく将来を見通して資産の価格が形成される場合、ハイリスクな資産への投資はハイリターンである可能性が高いわけだから、これを利用しないのはもったいない。さらにいえば、過小評価されて価格付け(プライシング)された資産に投資できれば、将来その過小評価が訂正される際に発生する追加的な収益も含めてリターンを獲得することが出来る。
「ハイリスク、ハイリターンの原則」は、「絶対に」と頭に付けて信じていいような法則ではないが、無視するには勿体ない有り難い傾向だと考えておこう。
★ 投資と投機とギャンブルと
ところで、リスクを取ってお金を投じても、先ほどのような意味でリスクに見合ったリターンが期待できる対象と、そうでない対象がある。
前者は、株式・債券・不動産など、投資家側から見ると一定の時間お金を渡して「資本」として生産に参加するようなものへの投資だ。この場合、順調であれば、投資家は広義の生産活動から得られた利益に配分にあずかることができる。これに対して、商品先物や外国為替、それに競馬やカジノでやっているようなギャンブルは参加者同士がお互いの見通しのちがいに賭けているだけで、基本的には取引にかかる手数料を除外すると「ゼロサム・ゲーム」の構造になっていて、リスクを取ったからといって、そのリスクを補償するような追加的なリターンが得られるわけではない。
何らかのリスクを取って資本を提供するのが「投資」、ゼロサム・ゲーム的なリスクに賭ける行為を「投機」と呼ぶのが、著者の考える投資と投機のちがいだ。リスクの大きさや心掛けではなく、リスクの経済的性質に着目する。
投資と投機をこのように区別しておくと、資産形成に有利なのは「投資」だということが分かる。投資の場合、生産活動が順調であれば、時間の経過と共に収益が増えることが期待できる。
たとえば、競馬は連勝式の馬券の場合JRAの控除率は25%なので、馬券を買ったお金の75%しか戻ってこないが、株式投資の場合1年後には100投じたお金が、平均的にはたとえば105とか106とか、雄牛元本に国債金利プラスなにがしかの利回りを加えた額が手に入ると期待できる。
ギャンブルとの対比でいうと、たとえば株式投資は、期間経過後の回収率が100%を上回るギャンブルなのだと思えばいい。但し、ギャンブルであるから、不運な場合にはそれなりに大きな損失を被る可能性がある。
つまり、株式投資はギャンブルに参加するくらいの覚悟を持ちつつも、有利だと思うからやってみよう、という具合に参加すべきゲームだということなのだ。
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●Q1:たとえば、株式投資はギャンブルでしょうか?どの点がギャンブルと似ていて、どの点がギャンブルと異なるか、考えてみて下さい。
尚、「投資」と「投機」をリスク・不確実性の経済的背景の違いで区別しようと考える、私の定義の仕方は、残念ながら、一般的に通用しているものではありませんが、考え方として重要であり、且つ便利だと思っています。
定義に対する賛否はともかく、内容は正確に理解して欲しいと思います。
●Q2:では、外国為替のリスクは「投資のリスク」でしょうか、あるいは「投機のリスク」でしょうか?理由と共に考えてみて下さい。
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★ ハイリスク・ハイリターンの真実
さて、投資で敢えてリスクを取るのは、より大きなリターンを求めるからだ、というところまで辿り着いた。次の問題は、より大きなリスクを取ると、本当に、より大きなリターンが得られるのか、ということだ。
より大きなリスクに対してより大きなリターン(収益)が得られるという原則は「ハイリスク、ハイリターンの原則」(あるいは法則)と呼ばれているが、この原則は例外なく実現する物理の法則のようなものではなく、論理的にはこのようなことが起こりやすいはずだし、経験的にもそうなることが多いという傾向をのべたものに過ぎない。
大まかな考え方は次のようなものだ。
「ある金額を投資すると将来ある利益が得られる権利が得られると仮定しよう。この利益が確実なものである場合と、期待値は同じだが変動する不確実なものである場合とでは、人はこの権利にどのような値段を付けるだろうか。後者に関しては、たぶん、リスクを負担するのに見合う追加的なリターンを求めるだろうから、前者よりも低い価格(つまり投資額に対する将来のリターンはそれだけ大きくなる)を形成することになるだろう。つまり、将来の期待値が同じでも、リスクのあるものの方が期待されるリターンが高くなるはずだ」
この理屈はどの程度リアルに感じられるだろうか。よりリスクが大きいのに、リターンが大きくならないケースとして考えられるのは、(1)将来の収益の期待値を間違えて価格を形成したケース、(2)出た結果が事後的に期待値よりも大幅に悪い場合、(3)人間が誤って価格を付けたケースの三つだ。
株式でいうと、それぞれが厳密に分離できるものではないが、将来の利益が分からなかった場合、過去に予想した利益と違う結果が出た場合、会社の人気不人気などによって価格形成が歪んだ場合などには、高すぎる価格で投資したか、不運な事象が起こったかで、投資の結果が悪かった場合にほぼ対応する。何れも、なにがしかは人間の能力的な制約に起因する現象だ。
はっきり言って、人間の予測能力は、「将来の利益の期待値をほぼ正しく見通す」といったレベルにはほど遠い。多くの人間が取引に参加して情報と解釈を価格に反映させて、一人の投資家が考えるよりも正しい価格が形成される傾向はあるが、それにも限界がある。「ハイリスク、ハイリターンの原則」は少なくとも絶対的なものではない。
しかし、他方で、ある程度は将来が見通せるわけでもあり、この場合、そのような前提から取引される価格で投資に参加するならば、傾向として「より大きなリスクに対して、より大きなリターン」が得られるだろう。
つまり、判断は簡単ではないが、リスクを伴うある投資対象に対して、世間が集団的に過剰な期待を抱いて価格を形成しているのでなければ、その対象については「ハイリスク、ハイリターンの原則」が実現しやすいということだ。
現実に目を転じると、何と言っても、過去20年くらいを見た場合、日本株への投資において、ハイリスクハイリターンの原則は成立していない。これは、投資家が、将来の日本経済・日本企業に関する見通しを誤っていた面もあるし、かつて株式のリスクを軽視した誤った高価格で株式を評価してしまったことの二つの要因によるものだと考えていいと思うが、投資家は間違えることがあるという教訓だ。ただし、誤りの渦中にあっても、個々の投資家が自信を持って価格形成が誤っていると自信を持って正しく認識できるケースは少ない。自分自身も判断を誤る可能性のある投資家の一人だと自覚しておくことも重要だ(もちろん、著者自身もそう思っている)。
一方、過剰な期待を持たずに、ある程度以上に正しく将来を見通して資産の価格が形成される場合、ハイリスクな資産への投資はハイリターンである可能性が高いわけだから、これを利用しないのはもったいない。さらにいえば、過小評価されて価格付け(プライシング)された資産に投資できれば、将来その過小評価が訂正される際に発生する追加的な収益も含めてリターンを獲得することが出来る。
「ハイリスク、ハイリターンの原則」は、「絶対に」と頭に付けて信じていいような法則ではないが、無視するには勿体ない有り難い傾向だと考えておこう。
★ 投資と投機とギャンブルと
ところで、リスクを取ってお金を投じても、先ほどのような意味でリスクに見合ったリターンが期待できる対象と、そうでない対象がある。
前者は、株式・債券・不動産など、投資家側から見ると一定の時間お金を渡して「資本」として生産に参加するようなものへの投資だ。この場合、順調であれば、投資家は広義の生産活動から得られた利益に配分にあずかることができる。これに対して、商品先物や外国為替、それに競馬やカジノでやっているようなギャンブルは参加者同士がお互いの見通しのちがいに賭けているだけで、基本的には取引にかかる手数料を除外すると「ゼロサム・ゲーム」の構造になっていて、リスクを取ったからといって、そのリスクを補償するような追加的なリターンが得られるわけではない。
何らかのリスクを取って資本を提供するのが「投資」、ゼロサム・ゲーム的なリスクに賭ける行為を「投機」と呼ぶのが、著者の考える投資と投機のちがいだ。リスクの大きさや心掛けではなく、リスクの経済的性質に着目する。
投資と投機をこのように区別しておくと、資産形成に有利なのは「投資」だということが分かる。投資の場合、生産活動が順調であれば、時間の経過と共に収益が増えることが期待できる。
たとえば、競馬は連勝式の馬券の場合JRAの控除率は25%なので、馬券を買ったお金の75%しか戻ってこないが、株式投資の場合1年後には100投じたお金が、平均的にはたとえば105とか106とか、雄牛元本に国債金利プラスなにがしかの利回りを加えた額が手に入ると期待できる。
ギャンブルとの対比でいうと、たとえば株式投資は、期間経過後の回収率が100%を上回るギャンブルなのだと思えばいい。但し、ギャンブルであるから、不運な場合にはそれなりに大きな損失を被る可能性がある。
つまり、株式投資はギャンブルに参加するくらいの覚悟を持ちつつも、有利だと思うからやってみよう、という具合に参加すべきゲームだということなのだ。
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