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夕占日記(ゆううらにっき)

夕方、辻に立って往来の人の話を聞き、それによって吉凶・禍福をうらなう

その女の数を増やしてゆく

2008-09-23 | Weblog
 ある人間が単なる瞬間の寄せ集めのなかにしか存在しないというのは、
 たしかに大きな弱点なのかもしれない。

 だが同時に、大きな力でもある。
 ある瞬間の記憶というのは、そのあとに起こったことを何も知らされていないからである。

 記憶が記録したこの瞬間はまだ続いているし、まだ生きている。
 その瞬間に姿をあらわした人間もともに生きているのだ。

 こうした細分化は死んだ女をよみがえらせるだけではなくて、
 その女の数を増やしてゆく。


---プルースト「消え去ったアルベルチーヌ」高遠弘美訳、より改変

猫の黒い毛並み

2008-09-11 | Weblog
猫はそこにいて、眠っていた。
コーヒーを注文して、ゆっくりと砂糖を掻きまわし、すすった。

猫の黒い毛並みを撫でながら、
この接触も幻想であり、
人間は時間のなかに、連続のなかに生きているが、
魔性の動物は現在に、瞬間の永遠性のなかに生きているのだから、
彼らはいわばガラスでへだてられているのだ、と考えた。

---ボルヘス「南部」鼓直訳より、改変

知名率六七%

2008-08-16 | Weblog
広告キャンペーンの期間でめざす知名率は六七%といわれている。ほぼ三人に二人がそのブランドを知ってくれる状態になると、残りの一人は自然に知るようになる。三ヶ月間で六七%の知名率にするには、テレビでは五〇〇GRP(延べ接触率)、新聞では全一〇段を毎週一本か、全ページ広告を十日に一本位のインターバルで出さなければならない。

---「広告の心理」有斐閣新書(1983)

青鬼

2008-08-07 | Weblog
「秋になったら、旅行しよう」
「ええ」
「どこへ行く?」
「どこへでも」
「たよりない返事だな」
「知らないのですもの。びっくりするところへつれて行ってね」
 彼は頷く。そして又コクリコクリやりだす。
 私は谷川で青鬼の虎の皮のフンドシを洗っている。私はフンドシを干すのを忘れて、谷川のふちで眠ってしまう。青鬼が私をゆさぶる。私は目をさましてニッコリする。カッコウだのホトトギスだの山鳩がないている。私はそんなものより青鬼の胴間声が好きだ。私はニッコリして彼に腕をさしだすだろう。すべてが、なんて退屈だろう。然し、なぜ、こんなに、なつかしいのだろう。

---「青鬼の褌を洗う女」 坂口安吾

エルの物語

2008-07-07 | Weblog
 そのむかし、エルは戦争で最期をとげた。一〇日ののち、数々の屍体が埋葬のため収容されたとき、他の屍体はすでに腐敗していたが、エルの屍体だけは腐らずにあった。そこで彼は家まで運んで連れ帰られ、死んでから一二日目に生きかえった。そして生きかえってから、彼はあの世で見てきたさまざまの事柄を語ったのである。

---プラトン 「国家」 藤沢令夫訳

行く川の流れ

2008-06-12 | Weblog
方丈記
鴨長明(1212)
尾上八郎解題、山崎麓校訂
『土佐日記・蜻蛉日記・和泉式部日記・紫式部日記・更級日記・
東關紀行・十六夜日記・清少納言枕草子・方丈記・徒然草』
(〈校註日本文學大系〉3 國民圖書株式會社 1925.7.23)
〔 〕底本注 / (* )入力者注
○ 仮名遣い・句読点を適宜改め、段落に分けて章題を任意に付した。
○ 以下のタグを参照のために加えている。ルビは IE5 で表示できる。
語句よみ
<year value="西暦">年号</year><name ref="通行表記">人名</name><work title="通行表記">作品名</work>
 序  安元の大火  治承の辻風  福原遷都  養和の飢饉  元暦の大地震  大原野の住家  方丈の宿り  日野山の生活  閑居の思い  跋
[TOP]

行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく止とゞまる事なし。世の中にある人と住家すみかと、またかくの如し。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~Taiju/hojoki.htm

乞食姿のマリア

2008-06-12 | Weblog
 私はその幻影に、警察や検察、不法滞在のネパール人から東電内部の人間関係の禍々しさまで、円山町の夜の闇のなかにあぶりだし、そして、堕落に赴くすさまじい引力で、彼らすべてをひれ伏させてしまう乞食姿のマリアとなった渡辺泰子の姿をみたと思った。

---「東電OL殺人事件」 佐野眞一

イエスのそもそもの描写

2008-06-12 | Weblog
 この人の性格と形は人間なり。普通の外見、大人、皮膚あさぐろく、背低く三キュービット(約一五三センチ)ほど、せむしで、顔長く、鼻長く、両の眉くっつきたり。それ故、同人を見ると恐がる人もいたり。髪の毛まばらで、これをナイリタス人にならい真ん中から分けていたり。あご髭ほとんどなし。

 これがイエスのそもそもの描写である。


---コリン・ウィルソン「世界残酷物語・上」関口篤訳

重力磁場を生成

2008-05-27 | Weblog
回る超伝導体の近くの異なる場所にに置かれた小さな加速センサー(それらは効果が
顕著に見えるように加速させなければならない)は超伝導体の外側に重力磁気現象に
よって作り出されたように見える加速場を記録しました。
「この実験は1831年のファラデーの電磁誘導の実験に似たものです。
それは超伝導ジャイロスコープが強力な重力磁場をを生成することができることを
実証し、したがって磁気コイルの重力版に相当物するものです。
更なる確認によって、この結果は宇宙や他のハイテク領域の応用など新しい技術的
な領域の基礎になるだろう」
de Matosは言います。
しかし、地球の重力場による加速のちょうど100の100万番目、
測定された場は驚く事にアインシュタインの一般相対論の予言より1000京倍大きかった。
当初は、研究者は自分の結果を信じられなかった。

http://newsplus.jp/~gedo/bbs/test/read.cgi/scienceplus/1103259977/
(原文:http://www.physorg.com/news12054.html

切れ切れの断片

2008-05-21 | Weblog
すなわち我々が利用しなければならない状況についての知識は、集中され、もしくは統合された形で存在することは決してないのであり、むしろすべての個々別々の個人が持っている不完全で、かつしばしば相互に矛盾する知識の切れ切れの断片としてのみ存在するという事実である。

---ハイエク 『個人主義と経済秩序』

九年の春頃から

2008-05-21 | Weblog
 『里見八犬伝』の創作に苦心している間に、馬琴の家庭には多くの事件が起こり、苦悩を一人深めた。文政六年に妻のひゃくと息子の宗伯が病み、文政十年に馬琴自身が大病に罹った。天保四年の秋頃から右眼の視力が衰えたが、勝気の彼は相変わらず創作を続けていた。天保五年に馬琴が病み、六年に宗伯が病歿した。右眼は既に失明したので、左目を力に、この不幸中にあっても創作を続けたが、八年には聟の清右衛門が歿し、九年の春頃から左目も翳(かす)み、今まで十一行に記した原稿は五行あるいは四行の大字でも書けず、なさけなや十一年の十一月には、ただ昼夜を弁ずるのみとなった。万策尽きて、宗伯の未亡人、わずかに文字を知るに過ぎない嫁のみちに筆を執らせ、口授して創作を続けていると、十二年には妻のひゃくも歿した。かくの如くに雪虐風餐、具(つぶさ)に辛苦を嘗め、血みどろの努力により、天保十二年八月二十日に至って『里見八犬伝』を完成した。

---岩波文庫 「南総里見八犬伝(一)」 解説