晩年のブラームスは創作意欲が衰えていたのですが,名クラリネット奏者のミュールフェルトと出会うことで意欲を取り戻し,クラリネット五重奏曲や同三重奏曲やソナタを作曲します。ちなみに晩年のモーツァルトも名クラリネット奏者シュタトラーと出会い,クラリネット五重奏曲とクラリネット協奏曲(どちらも名曲!)を作曲するのです。
僕は19世紀末当時の演奏会がどのように行われていたのか浅学なため知らないのですが,弦楽四重奏団とクラリネット奏者で演奏会を開くとしたら,ブラームスとモーツァルトをカップリングで演奏するような気がするのですが,どうなのでしょう? それとも室内楽は演奏会という形式ではあまり演奏されなかったのでしょうか?
さて,それはさておきこの世にディスクが現れて以来,ブラームスとモーツァルトのクラリネット五重奏曲はかなりの頻度でカップリングされて1枚のディスクになっているのです。今回紹介しているアルフレート・プリンツ独奏ウィーン室内合奏団によるディスクも同様です。
その結果,リスナーは否応なくモーツァルトとブラームスを聴き比べることになるのですが,う~ん,大変申し上げ難いのですけど,やっぱりモーツァルトの方がいいなぁって感じるわけですよ。
いや,ブラームスのクラリネット五重奏曲も名曲であるとは思います。第1楽章の冒頭から聴き手の心を掴むような美旋律,曲全体に漂うブラームス特有の甘い憂愁。名曲ですよ,この曲は。でも,僕はモーツァルトの方を高く評価してしまうのです。
あまり権威に頼るのもどうかと思いますが,吉田秀和はブラームスのクラリネット五重奏曲について,次のように語っています。
「ブラームスの曲の,あの晩秋の憂愁と諦念の趣きは実に感動的で,作者一代の傑作の一つであるばかりでなく,十九世紀後半の室内楽の白眉に数えられるのにふさわしい。けれども,そのあとで,モーツァルトの五重奏曲を想うと,『神のようなモーツァルト』という言葉が,つい,口許まで出かかってしまう。」(吉田秀和『私の好きな曲』)
ブラームスの悲劇。
でも,ブラームスはそんな風に評価されることは分かっていて,この曲を書いたんでしょうね。そんな彼のことが好きですよ,僕は。