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Musica Poetica

音楽や本について語ります。

虚美のシューベルト ~ リヒテルが弾くピアノソナタ第19,21番

2012-02-17 | ディスク

好きか嫌いかと問われれば,「嫌い」とは言えないけれど,かといって「好きです」と明言できるほどには好きでないモノってありませんか?

 

僕にとっては,シューベルトの作品がそうなんです。先日,アルペジオーネ・ソナタのディスクを紹介しましたけど,この曲だって大好きかって訊かれると「う~ん……」っと唸らざるを得ないわけです。かといって,駄作だとは全然思っていないし,いい曲だと思っているんですけどね。

 

そんなわけで,シューベルトのピアノソナタにも同じような感覚を持っているんですよ。だから,ふつうだったら,

「シューベルトを聴こうかな…(ディスクを探す),でもまぁ,ピアノソナタならベートーヴェンを聴くかなっ(シューベルト涙目)」

って展開になることが多いのです。

 

ですけど,スヴィヤストラフ・リヒテルが演奏するシューベルトは,僕のいつもの微妙な気持ちを吹き飛ばすぐらいに,ひたすらに美しいのです。シューベルトの曲ではないみたいに。まるでベートーヴェンの後期のソナタのように。

 

その美しさを「偽りの美しさ」と呼ぶのはシューベルトに失礼な気もしますが,リヒテルによってシューベルトは自身を越えた高みに達しているのではないでしょうか。

 

Sviatoslav Richter(pf), <<Sviatoslav Richter plays Schubert (Piano Sonatas D958, D960)>>, alto


エレクトロニカ好きのためのクラシック ~ ラヴェル《ステファヌ・マラルメの3つの詩》

2012-02-14 | ディスク

 

モーリス・ラヴェルの楽曲で一番好きな曲は何かって訊かれたら,

―《ステファヌ・マラルメの3つの詩》です!

って,力強く答えます。

 

声楽付き室内楽とでもいうのでしょうか,以下の編成で演奏される曲です。

「独唱,ピッコロ,フルート,クラリネット,バス・クラリネット,ピアノ ,ヴァイオリン(×2),ヴィオラ,チェロ」

 

ところで,クラシック音楽における“歌モノ”,つまり声楽曲ってことですが,何だか評判が悪いようです。「評判が悪い」という表現は適切でないのかもしれませんが,兎にも角にも人気がない。クラシック愛好家の中にも,マーラーやベートーヴェンの声楽付き交響曲を除いて“歌モノ”は聴かないよ,という人も結構います。勿体ないなぁって僕は思いますけどね。

 

さて,このラヴェルの楽曲ですが,たしか次のような経緯で作曲されたはずです。

 

シェーンベルクの《月に憑かれたピエロ》を聴いたストラヴィンスキーは,ピアノ伴奏歌曲として作曲していた《日本の3つの抒情詩》を室内楽伴奏に変更した上で,我らがモーリスに言います。

「ねぇねぇ,モーリス。《月に憑かれたピエロ》って知ってる? これ凄くいいよ~。」(←想像)

へぇーっと思ったラヴェルは《月に~》の楽譜を手に入れて読み,それなら僕も書いてみるか,と思って《ステファヌ・マラルメの3つの詩》を作曲するわけです。と,まぁ,シェーンベルク・ストラヴィンスキー・ラヴェルと有名どころが繋がってるわけですが,こういうのも何だか面白いですよね。

 

それで楽曲ですが,何この音の響きの美しさ!...という言葉を思わず口にせずにはいられないほどの「美しさ」を湛えています。ラヴェルの楽曲は「古典的均衡のとれた…」などと解説されることが多く,確かにその通りなのですが,その「均衡」が実に危ういバランスで保たれているんですね。彼は基本的に美学的な嗜好を持った作曲家だと思うのですが,「美」の追求が「狂気」へと転がり落ちかねない点まで達していて,その稜線上でギリギリのバランスをとって歩んでいる感覚を常に感じます。

 

そんなラヴェルの危うさがよく表れているの曲の一つがこの《ステファヌ・マラルメの3つの詩》ではないでしょうか。僕としては,音響系とかエレクトロニカなどを好むリスナーに聴いてもらいたいなぁと思っています。この美しくも危険な音の響きに身を委ねてみるのも一興ですよ。

 

ところで,この曲を聴けるディスクですが,実はあまりありません。でも,3年ほど前にソニー・クラシカルから出たピエール・ブーレーズの5枚組再発アルバムの中に,ブーレーズ指揮のラヴェル声楽曲集が含まれており,そのディスクで聴くことができます。興味をもたれた方は是非聴いてみてください。

 

Jill Gomez(sop), Members of BBC Symphony Orchestra, Pierre Boulez(dir), <<Ravel: Trois poèmes de Stéphane Mallarmé>>, in <<PIERRE BOULEZ: ORIGINAL ALBUM CLASSICS>>, Sony Music


暗く甘美な世界へ ~ シューベルト《アルペジオーネ・ソナタ》

2012-02-12 | ディスク

基本的にロマン派は苦手としています。でも,なぜかシューベルトだけはたまに聴きたくなるんですよね。

 

なぜか?

 

自分でもよく分からないんですが,シューベルト特有の「破綻した世界」,いや違うな……,「破綻しつつある世界」みたいなものに魅力を感じるのかも。そんなこともあり,僕の好きなシューベルトは晩年に近い作品に集中してしまいます。例えば,ピアノソナタの第21番とかね。

 

ここで紹介する《アルペジオーネとピアノのためのソナタ》もそうですね。有名な《弦楽四重奏曲『死と乙女』》と同時期の作品です。ちなみにアルペジオーネは6弦のフラット付の弦楽器だそうですが,詳しいことは僕には分からないです。開発後すぐに廃れた楽器のため,現在は使われておらず,《アルペジオーネ・ソナタ》は今ではチェロで弾かれることが多くなっています。

 

さて,この作品,冒頭からハッと琴線に触れるような美しい旋律ではじまり,この美しい旋律を主題として曲は進みます。……が,その進み方が何というか,緩慢で取りとめなく進むような感じでしてね。ずっと聴いていると,「あぁ,ヒトとしてダメになっていきそうだなぁ」という憂愁に取りつかれていきます。僕の場合は。というか,「ヒトとしてダメになりそうな憂愁」って何でしょうかね? 自分で書いておきながら,疑問です。

 

まぁ,こんな作品ですが,結構名演が多くあります。有名なとこでは,ロストロポーヴィチ(vc)とブリテン(pf)による演奏でしょうか。

 

今回紹介するディスクは,パスキエ兄弟にローラン・ピドゥー,ジャン=クロード・ペネティエの演奏によるものです。このフランス人演奏家によるシューベルトもなかなかいいものですよ。

 

Régis Pasquier(vn), Bruno Pasquier(va), Roland Pidoux(vc) & Jean-Claude Pennetier(pf), <<Schubert: Arpeggione sonata, String trios>>, Harmonia Mundi


抽象的な,あまりにも抽象的な ~ 内田光子によるドビュッシー《12の練習曲集》

2012-02-06 | ディスク

ドビュッシーのピアノ曲集の中で一番好きなものが《12の練習曲集》です。ただ,ドビュッシー好きな人たちの中でも,このピアノ曲集を「好き」という人は少ないような気がします。多分,尖がっていてモノクロな感じがするからでしょうか。

 

ドビュッシーの「ドビュッシーらしさ」とは何かって考えると,ふつうは音の色彩感の豊かさを挙げることが多いと思いますし,《版画》や《映像第1・2集》などを聴くと,

おぉ,やっぱりドビュッシーってこうでなくちゃなぁ…,いいよなぁ…

って思います。とても豊饒なサウンドを示してくれる作曲家なんですよね,ドビュッシーって。でも,モノクロームなドビュッシーもいいのですよ,実は。

 

彼の後期の作品,例えば《前奏曲集第1・2巻》を聴くと,色彩感に富むサウンドからモノトーンなサウンドへ移行しつつあることが分かると思います。特に《前奏曲集第2巻》の音楽は線的な要素が強く出て,実験的な趣きすらします。この傾向は晩年の《3つのソナタ》でも聴きとることができますし,同様に晩年の作品である《12の練習曲集》でも明確に表されています。「豊饒感の音楽」から「線的で構造的な音楽」へと移行したドビュッシーは,第1次世界大戦後の音楽潮流の一つになる「新古典主義音楽」の先駆者の一人として捉えることができますし,もう一つの音楽潮流となる「無調~12音技法音楽」の先駆者としてみることもできるでしょう。新古典主義も12音技法も抽象性と形式性に立脚している点では同じような志向性を持っていると考えても,あながち間違いはないと思います。

 

さて,内田光子による《12の練習曲》の演奏は,ドビュッシーの「無調~12音技法」へ傾きを強く示してくれています。ただ,内田の徹底した解釈に基づく緻密な演奏を聴いていると,ドビュッシーではない誰か別の20世紀前半の前衛作曲家の作品を聴いている気分がしてきます。つまり,聴き手にとって,というか僕にとってですが,この内田のドビュッシーは,《12の練習曲集》以前のドビュッシーと決定的に断絶している感じがしてしまうのです。

 

僕には抽象的過ぎて,少し息苦しくなってしまいます。

 

しかし,有機体の香りのしない様な,そんな世界の美しさに触れたいときにはおすすめの演奏ですよ。

 

内田光子(pf)《ドビュッシー:12の練習曲》Decca


軽薄ですがなにか? ~ プーランクの協奏曲

2012-02-04 | ディスク

あ~,ブログ初めて,独墺系の音楽の話しかしてないな~って気づきました。

でも僕は「フランス音楽」が好きなんです!

 

しかし,そう公言するとふつうは

「ドビュッシーとかラヴェルが好きなんですか?」

と訊かれますね。まぁ,公言する機会なんてまず無いですけど。

 

なんで

「ラモーやクープランっていいですよねっ!」

って言ってくれないんでしょう? どうでもいい話ですけど。

 

さて,今回はクープランではなく「プーランク」です。20世紀のフランスの作曲家で,ドビュッシー,ラヴェル,サティのいわゆるフランス近代とカテゴライズされる作曲家に続く世代で,山師的芸術家兼プロモーターのジャン・コクトーによって「6人組」と名付けられた作曲家の一人です。しかし,コクトーって胡散臭いですね。ええっと,余談ですが。

 

プーランクは新古典主義的な作風の作曲家で,旋律美と簡素であるが近代的な和声感覚を持った作曲家です。物凄く褒めた言い方をすれば,20世紀版モーツァルトってところですかね。褒めすぎですか?

 

作品としては,歌曲やピアノ小品が有名でしょうか? ピアノ作品に関しては,村上春樹が『意味がなければスイングはない』で扱っていました。たしか,サティよりいいと思うけど,といったことが書いてあったと思いますが,ちょっと同感です。あとは,協奏曲や様々な楽器による室内楽を書いています。

 

今回はプーランクの協奏曲作品を収録したディスクを紹介します。

 

1.《2台のピアノと管弦楽のための協奏曲》

2.《フランス組曲》

3.《田園のコンセール》(※チェンバロ協奏曲だと思ってください)

の3曲を古楽器オケのアニマ・エテルナが演奏してます。当然指揮はインマゼール。

 

え~っ! 20世紀の曲でピリオドっすかぁ~って思うでしょ。思いますよね。でも,ピリオドとか関係なくいい演奏なんですよ。《2台のピアノと管弦楽のための協奏曲》は,プーランク自身とフェヴリエがピアノを弾き,オケがパリ音楽院管のモノラル録音があるのですが,その古き良きフランスのオケのような香りが漂っている演奏です。

 

ちなみにオケ以外の演奏者は

ヨス・ファン・インマゼール…1.の第2ピアノ,2.のチェンバロ

クレール・シュバリエ…1.の第1ピアノ

カテジナ・フロボコヴァー…3.のチェンバロ

となっています。

 

ところで,具体的な音楽の内容ですが,物凄くポップですよ。でも凄くカッコイイ!

「クラシック音楽=精神性の極み」

などと思っている人は,軽薄な音楽だと思うでしょうね。実のところ僕も軽薄だと思わないこともないです。

 

でも,軽薄でもいいものもありますよ。