さて、前項で
「私の中には全然ええと思わん音楽は存在しない」
などと書きましたが、
これについては補足が必要でしょう。
「全然ええと思わん音楽」
→つまりその音楽を完全否定
という意味です。
これは「全くいいところがない人間」と
同じ意味だと解釈できるので
そういう意味で存在しないと考えます。
どんな音楽であっても
いいところは必ずあります。
だから「全然よくない」という表現を当てられるものはないんです。
どんな音楽にも必ず作り手が存在するし、
そこには作り手の思いが必ず存在します。
おそらくその音楽を好きな人も存在するでしょう。
好き嫌いは誰にでもあるでしょう。
「おれは好きちゃうねん」は言うことあると思います。
ですが、
自分の知人などについて第三者に
「あいつ全然いい人間と思わん」
といわれたらどうでしょう。
その人が実際どれだけ評判悪かったとしても
その人のいいところを自分は知っていたとしたら
ニコニコ笑って聞けるやろか。
少なくとも作り手、演じ手である音楽家としては
理解の及んでない人に
「全然ええと思わん」といわれることはこれと同じです。
なぜなら作り手、演じ手なら、どんな音楽であっても
いいところのひとつやふたつは必ず見て取れるから、
「全然いいところがない」には明確に反論できるからです。
んで、これは私個人の場合ですが、
私が「好きじゃない」で片付ける音楽というのは、
「もうこの手のはこれまで散々聴いてきたから今はもういい」
というのがほとんどの場合。
逆に言えば、
「今まで散々聴いてきたものじゃないもの」
に出くわした場合は、大概のものに興味を示します。
そういうものを「全然いいと思わん」
で片付けることはないと断言できる。
素人さんがやっちゃうのはこれの逆で、
「今まで聴いてきたものじゃないもの」
↓
「よーわからん」
↓
「興味ない、全然いいと思わない」
というパターンね。
これが「コミュニケーション」では
サイアクの態度になってしまうってことです。
人間同士におきかえてみたらよくわかると思います。
コミュニケートの上手な人は誰とでも仲良くなれるように、
音楽の技術や理解がすすむほどに
良いと思わない音楽、嫌いな音楽などなくなっていくものですよ。
「あれは良くない、イケてない、音楽はかくあるべき」
的な話をドヤ顔でいいたがる人ほど実際は素人です。
音楽の理解が本当に高い人は
何が対象でものっけから否定はまずしないものです。
作り手、演じ手であれば「音楽はかくあるべき」という主張は
自らの作品・演奏を以て主張するので、言葉で声高にいちいち主張しないものです。
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