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村上原基の「出来た・出来ます体験」を紹介します。どうしても出来なかったことが何かのきっかけや工夫で出来た体験を広めたい

例えば英会話等出来なかったことが結果的に出来たという事例を紹介し、出来ないで悩み続け、具体的な話を聞きたい方に講師紹介

出来た・出来ます骨子Nо.56「自分の生き生きした生き方を阻害しているものを取り除く」

2016-06-23 08:20:22 | 不可能を可能に
出来た・出来ます骨子掲載開始   ⇒指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
   京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町ファミール伏見
   滋賀支所: 滋賀県高島市安曇川町田中(竹の里)     
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談や出来ない相談にお越し下さい⇒滋賀支所又は京都事務所へ
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安曇川長尾のログハウス売り出し中

テーマ
自分の生き生きした生き方を阻害しているものを取り除く

概要
1.過去はどうだったか       やはり私も若い時は嫌なものは避けていた
1)面倒臭いこと、つらいこと、難しいこと、ややこしいこと
2)寂しいこと、仲間外れのこと、孤独なこと、恥ずかしいこと
3)恐ろしいこと、怖いこと、気持ち悪いこと、不便なこと
4)知らないこと、分からないこと、出来ないこと、責任あること
以上を含めいろいろな障害があるか、障害と感じることで諦めてしまう躊躇してしまう

2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵)       障害変じて宝となる
障害物はなければいいかというと、そうは言い切れない、障害物によって鍛えられれて行く
でも自分の人生を阻害するものに違いない、早いうちに克服すべきなのだろう
障害物だから障害物を乗り越えないと成長はない
でも結果的に障害しないように自分自身の努力や工夫で克服することが望ましい
乗り越えるべきもの、乗り越えるとなにがしかの有益なものが得られる

3.どうしたのか、何をしたのか       大阪・京都に行って以降、更に障害物も増えた
逃げないということ、真っ向からがっぷり四つに組み止めて対処することだ
もし逃げてしまえば、それを乗り越えた上で得られるものを得らえない
障害がなく、簡単に得られたものは、結果的に大したものが得られず、不幸の元になることも多い
だから、とにかく逃げずにがっぷり四つで取っ組み合うのだ(虎穴にいらずんば孤児を得ず)
さして頭の良くない家系に誕生⇒東工大⇒松下電器⇒大阪⇒京都⇒E工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒コンサルタント自営⇒滋賀県安曇川⇒山暮らし⇒麓の町の田中へ(終の棲家)
東京から関西へ、大企業から小企業更に自営へ、都会から山に、いろいろな障害も発生
ずーっと東京で大企業一本で生きてきたら、あまり障害物もなく平凡な人生だったのか?

4.どうなったのか       あれこれ障害物を乗り越えてつらい思いもしたがそれで良かった
人生、あれもこれも障害だらけで一向にうまくいかないと嘆く人が多い
私もどちらかというと上手く行っているように見えるが、自分自身は多くの障害に悩まされてきた
東工大から松下電器そして京都に住み今は山で悠々自適と他人も羨まれるのかもしれないが
現実にはとにかく次々に障害物にぶちあたってきた人生という思いでしかない
でも今過去を振り返り、総括すれば、結構障害物を一つづつ懸命に乗り越えて来たようだ
しかし当時は必死で自分を冷静に見守る余裕もなく、もがき、あがいて来たのだが
障害物だから簡単に乗り越えられるものでもなく、高みを求めれば障害物も高くなったのだろう

5.一体なにが原因で出来なかったのか       嫌なもの、苦手を作ってしまうのは損だ
1)現代の都会人はとにかく嫌なもの、不便なもの、つまらんものは避ける
2)現代の都会人にとっては、障害は乗り越えるものではなく、避ける、逃げるもの
3)低い障害物ばかり乗り越えていると、高い障害が乗り越えられなくなる
4)私は無能で馬鹿だから障害物を乗り越えてきたんだろうと思うが普通の人は難しいのでは
5)障害物があるとむしろぶつかって行く愚かなタイプだったが、普通の人はそんなことしない

6.何が良かったのか       最初から諦めない、やりたくないではなく、挑戦する
良い人生を送って来たという人は障害が少なかったのではなく、多かった人なのだ
障害が多かったなどと自慢出来ないが、無能で馬鹿だったからやたらに障害に悩まされた
下手な乗り越え方をして来たが、障害を避けず、めげずに、真っ正直に取っ組み合ってきた
人間のレベルによるが、自分のレベルに応じて障害物を乗り越えるよう努力をしてきた
人間の性格や能力や資質や環境によるので、必しも障害物をかく乗り越えよというものはない
まあ自分なりに逃げずに、避けずに真面目に障害物にぶち当たり乗り越えて行けばよい
そんなに気負うことも、がっかりすることも、悩むこともなく障害物を乗り越えることだ

7.提言       私も何回も失敗し、くじけ、負けそうになったが、何とか乗り越えて来た
面倒臭い・つまらん・わからん・出来ん・やりたくない・・・禁句ですよ
むしろ面倒臭い・つまらん・わからん・出来ん・怖い・・ことにも挑むこと
格好良いことしたい、楽して幸福を得よう、都会の便利さに囲まれていたい・・・それでいいのか?
自分自身の努力で何とかするのではなく、国家社会に依存して生きて行けばよいのか?

長尾の売り出し中のログハウスの前の広い美しい林が安く売りに出された、一緒に買えばすごく良いのでは

出来た・出来ます骨子Nо.55「他人の一言を真剣に聴き、受け止め、きちんと反応する」

2016-06-21 13:05:24 | 不可能を可能に
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テーマ
他人の一言を真剣に聴き、受け止め、きちんと反応する

概要
1.過去はどうだったか       人は、とにかく他人の忠告や意見を聴いていない
他人に言われることは褒め言葉は喜ぶのだが、諫め言葉はカチンと来る
カチンと来ても受け入れたり、自分なりに検討をするのなら良いがそんなことはしない
ひたすら気分が悪く、相手を罵倒したくなるので、要するに相手の忠告に屈服したくない
会話においても、ついつい相手にきつく言ってしまい、険悪な状況になることもある
仲の良い友人同士によくありがちなことは、つい相手に良かれと忠告し大喧嘩してしてしまう

2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵)       
68歳くらいからでしょうか?遅まきながら、僅かながら受け入れようとする姿勢が出始めた
その後も積極的に受け入れたかというと、長年の癖でとにかく言われると一言文句を言う
そういうことが3回ほどあったが、忠告を受けて1~2週間の間、忠告を嫌々ながらやってみた
すると、やっていくうちに、何となく相手の言う意味が理解出来てきたのだ
相手への敵対を考えずに、ひたすら忠告そのものに心を向けて行った、開いて行った

3.どうしたのか、何をしたのか       親兄弟や友人の言ったことは真剣に聴け
或る時に友人が田中の家の居間を見て「雑然としているな」と言われた
私は、「いや今日は君たちの布団も敷かねばならず、荷物も置いてあるから」と答えた
友人は納得しなかったようだが、その日は、私はその言い訳の答えで納得してしまった
でも帰ってから何日も友人の「雑然としているな」が気にかかった
一体雑然としているとは何なのか?それを考えているうちに答えはどんどん変わって行った
そして重い腰を上げ、面倒くさいのとの闘いを開始、部屋を一からやり直した
友人が素直に言った一言には重みがある、それを掘り下げ自分のものにすべきだ

4.どうなったのか       他人の話を聴いていると思っていたが、そうでもなかった
いままで一体友人なり先輩と何を話していたんだ?何を聴いていたんだ?
「村上さんは他人の話を聴いていない」と言われた、人の話を聴いていると思っていただけだった
他人の話を聴く、他人の意見を受け入れる、他人の行いを真似る・・・・だね
ところが他人の話を聴いてない、他人の意見を受け入れない、他人の行いを真似ない・・・・だ
72歳でやっと他人の話を真剣に聴くということを遅まきながら理解したのだ
酒飲んで、他人と話して楽しい、でもそれは、真剣に相手の話を聴く楽しみだとやっと悟った
酒飲むのが、美人がいるから、自分の自慢話が出来るから、大笑いだから楽しいのではない

5.一体なにが原因で出来なかったのか       会話は楽しいのは、役立つから
1)日本人は会話の内容より相手と心を開きあい、仲良しになることが主たる目的
2)会話での主たる目的は相手の話を真剣に聴くことではない
3)むしろ相手に何か忠告されると気分を害する日本人が多い
4)相手への忠告や意見を聴いて怒る、否、実態は聴かずに怒っているのだ
5)人間が小さい、狭い、浅いのだ、だから相手の話を聴いていないのだ

6.何が良かったのか       相手の忠告を聴いて、結果的に10回くらい良かったことあり
72歳でやっと他人の話を真剣に聴くということを遅まきながら理解したこと
聴くことの大事さを知らずに、会話は面白く可笑しければよいなんて考えはとんでもない
会話下手が会話上手になったが、聴き下手だと言われ、そう言われてやっと猛反省した
人生1/3は他人の話を聴いていたが、実はまともに聴いていなかった、猛反省だ
真の会話上達とは、いかに真剣に聴くか、いかに受け入れるか、いかに活かすかだったのだ
関西人は面白い事言うのが得意だが、つまらんことでも真剣に聴くことが大事なのだ
最近はテレビの影響なのか、喋りまくり一向に相手の話を聴かない人が増えている

7.提言        会話とは話すことより聴くことにこそ重大な意味や価値がある
とにかく他人の話をしっかり聴くことだが、それには自分を相当磨いておかないと駄目だ
他人の話をうわべだけとか、一部だけとか、自分に気分の良いことだけで聴くのでは駄目
会話下手がどうのこうの、下手なら聞き役に回れなんてのは全く持って間違っている
聴き役こそが会話の神髄なのである、聴く+反省する+取り入れる+改革するのだ

田中の庭は土地が肥沃、太陽も一日あたり、朝晩の寒暖差、獣害もなく毎日野菜を食べられる

出来た・出来ます骨子Nо.54「都会は人が多い、人の目を気にする都会から山の中で暮らす」

2016-06-16 09:00:01 | 不可能を可能に
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テーマ 都会は人が多い、人の目を気にする都会から山の中で暮らす
日本人はこの際に人目について考え直す
     人目を気にするのは必しも良いことばかりとは限らない、作用あれば反作用あり

概要
1.過去はどうだったか       人目の多い都会は、一目を気にしないことが無理
年齢にかかわらず、特に日本人は、他人の目というものが気にかかる
化粧するのも、着飾るのも自分のためより他人の目を気にするからに過ぎない
だから都会のように人の多い場所は一日中気を遣うので大いに疲れる
多くの人の目を気にするから不安や悩みがつきない、その上日本はおもてなしの国だ
おもてなしに慣れている国は珍しいが他人の目を気にして暮らしてきた歴史があったのだろう

2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵)       
55歳で山に暮すようになると、ここは全くの逆で、人目が全然ないのだ、あれー
都会人の私には、当初は寂しいものだった、人沢山から人無しへの暮らしの急展開だ
人間は大きな環境変化が役立つのだ、人目断捨離で人生観さえ変わってくる
なにしろ、山中が良いのが、人目を一々気にしなくてよいことだ、心の安らぎだ
時々都会に出てくると、都会に足を踏み入れた瞬間から、やたら多くの人目が気になるのだ

3.どうしたのか、何をしたのか       山暮らしで人目を強制的に遮断したこと
とりあえず山では人目がないので、一目を気にする症候群からは解放されかけている
同様に都会ではやたらに人目を気にし過ぎていることの異常さを認識した
以上が出発点になり、山では山なりに都会は都会なりに人目をどう意識するか考え直した
マラソンなどスポーツ競技で応援があると頑張るというが、これなどは良い面かもしれない
しかしオリンピックなど過熱したスポーツ競技熱を観ると、そうも言ってられない気持ちだ
メダルを取る選手はほんの一握り、銅メダルでは認められないなんて可笑しな現象も
スポーツ選手も有名人も典型的に人の目を気にすることが商売であるが、人目に苦しむ
人目を気にするのを止め、自分自身で考え、行動し、良し悪しを評価することだ

4.どうなったのか       人の多い社会に住む人の大きな副作用をどう断捨離する
山の広い周辺を雑草刈や清掃や間伐をしているが義務感や他人のためという意識は全くない
おもてなしもやり過ぎはしない、過剰なおもてなしは押し付けになり、鬱陶しくなることさえある
いろいろ他人の目を気にすることの良い点悪い点を考えてみた
 ・一体他人の目とは何なのか、すごく気にする人とそうでもない人の差別はないのか?
 ・他人が見ていない、評価してくるないことは、一生懸命やらないようなことはないか?
 ・他人は自分が考えているほどみていないのだが、過剰に想像して思い込んでいないか?
かくして山暮しのおかげで他人の目をさほど気にしなくなり、卑屈や過度な気遣いもしなくなった

5.一体なにが原因で出来なかったのか       おもてなしの行き過ぎは危険かもしれない
欧米文化に対して日本文化は他人の目をかなり気にする文化の国だ
特に都会は人ばかり、日本人でなくても気にする影響を受けるのが当然だ
最近はテレビはネットのせいで更に見えない他人の目まで気にするようになっている
会話や付き合いが減り、コミュニケーションがとられていないので互いに疑心暗鬼になる
他人の言葉でなく目を気にするのは危険、誰とも気軽な会話が少ないことが原因だ

6.何が良かったのか       人目を気にし過ぎて行動がぎこちなくなる自分に気づいた
山の中でやることは雑草刈や清掃や間伐くらいで大して社会貢献でもなくお金にもならないが
人気のない山で暮らすには家の周辺の環境を整備する+自分の家や庭の管理しかない
今思うとそれが良かった、もし山でも都会と同じことをやっていたら何も得られなかった
一度心を空っぽにして他人のためと言う意識もなく暮らしたことが非常に良かったのだろう
人目がない+黙々と作業する+無駄なこと考えない+自然の恵み=自立した人間
自分の意志でやっているのでなく、他人の目を気にして思うように動けない
他人の目を気にするのは奥ゆかしく、他人に優しい行為だが、自分をくるしめては意味ない

7.提言       人目を気にしない精神力・平常心を養うことが大事
人目を自分がどの程度気にしているか、それが効果的なのか、意味ないことか検証すること
過剰に他人の目を気にしないように注意しないと、かえって悩みや苦しみの元になる
過剰に気くばりが相手に重荷になる場合もある、兄弟のように親密な付き合いの上での気遣いを
他人のためにやってやるという恩着せがましい考え方を根底からなくす、捨てる

田中の家の庭は波板で日よけ雨よけしていますが、夏日中は相当暑いので、
更に波板の下に断熱材を追加しています





出来た・出来ます骨子Nо.53「自然ぽいのと自然そのもとは全く違う、勘違いしないこと」

2016-06-15 18:29:27 | 不可能を可能に
出来た・出来ます骨子Nо.53「自然ぽいのと自然そのもとは全く違う、勘違いしないこと」
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テーマ
自然ぽいのと自然そのもとは全く違う、勘違いしないこと
  都会には自然ぽいものが多く、都会人は、それを自然と勘違いしてしまう
    都会の人は嘘誤魔化しで暮らしていくのに慣れてしまう、芸術なんてものは嘘誤魔化しに過ぎない

概要
1.過去はどうだったか      都会の見世物やまがい物で、自然に触れたと思い込んでいた
東京⇒大阪⇒京都と都会暮らしを続けて来た私は都会に自然を求めていた
そして都会の自然を自然と思って好んで都会のそういう場所に出かけたものだ
京都は都会だが、自然らしき場所が多いのが特徴だ、住んだ当初はびっくりし、嬉しかった
京都は都会だが、歴史もあり、技能・技術もあり、自然もあり、最高の町と信じて来た
29歳で京都に住むようになって約15年京都中を隅から隅まで観光しまくった

2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵)       
或る日突然55歳で安曇川長尾の山のログハウスを見せられ購入した
自然真っ只中の山に入り込んだのだが、当初は戸惑うばかり
自然が好きだという認識を当初はやや疑った、「何とも不便かつ暮らし方も分からない」
自然まがいを自然と思い込んでいた、しかも本物に近い自然まがいを喜んでいるのだ
安曇川長尾の山中に18年暮らし続けたが、やっとかなり本物の自然と出会えたというわけだ
私が普通の別荘族と違うのは、山に長く継続的に暮らしたことだ、山の住人になったことだ

3.どうしたのか、何をしたのか      都会の便利な暮らしが自然観まで安っぽく変えてしまう
大都会東京 ⇒ 自然も豊な小都会京都 ⇒ 自然そのものの安曇川山中 ⇒ 田舎の町へ
都会暮らしでも、どこかに自然を求めているが、自然そのものを持ち込むことは出来ない
都会と自然の両立は無理だ、そこで都会に人工的な自然を造るとか模造品を作り始める
庭・公園・植木・借景・家の中にも生け花や自然素材使用・・・あくまで自然ではない
多くの都会人は自然に憧れているが、いざ本物の自然と向き合うとなると逃げ腰になる
多くのログハウスの所有者がほとんど利用していないのは、これを物語っている

4.どうなったのか       身をもって、やってみて、知ることにトライすること 田舎にログハウス買っても別荘族、観光族、飲食族、喧騒族が多い
都会に、どんな自然らしきものを作ったところで、それは自然のまがい物でしかない
都会の有識者が田舎暮らしや山暮らしをもっともらしく語っているのを聴くが、怪しげだ
安曇川の山中で暮らしても所謂別荘族のように月に一回程度しか来ない人はまがい者
京都は自然が残っているとか自然を取り入れているなどと言うが自然への冒とくでしかない
自然のまがい物で満足している人の家に伺って私は、絶対に素晴らしいなどとは言わない
※例:舛添東京都知事などてっきり本物にみえて当選したが、都民も国民も皆まんまと騙された
中途半端、偽物、誤魔化し、詐欺で本来のものを得たように錯覚しているだけだ

5.一体なにが原因で出来なかったのか       面倒なものはやらないというライフスタイル
1)都会暮らしが圧倒的に多くなり、田舎の自然の暮らしを拒否する人がほとんどになった
2)人は、都会に近い田舎、都会らしい田舎、都会を持ち込んだ田舎、人の多い田舎が好き
3)本物を得るのが面倒なので、一見自然に見える景色を部屋や庭に取入れる
4)ネットやテレビのバーチャルな装置が進歩し、それらを見て、自然の暮らしを知ったと誤解
5)結婚しない、子供産まない、子供虐待する、汗かかない、掃除・家事しない・・・・・

6.何が良かったのか       自然を嫌わず・厭わず、進んで無垢の自然に入り込め
1)安曇川の山で18年ひっそり暮して自然というものが分かった(正しくは分かりかけた)
2)大企業、小企業、ベンチャー企業、自営を通じて他の人より企業経営を知った
3)東京⇒大阪⇒京都⇒滋賀山中に引っ越しして暮らして文化や人の物の考え方を知った
例えば自然についても、言葉にはするものの、よくよく考えると自然で暮らしたことがない
まあ”知ったような嘘つき”が現代人の多くの人の有様である、もの知らぬ頭でっかちな人だ
昨年安曇川の山から町の田中に住まいを移したが、田中でさえも自然がなくなりつつある
ましてや京都は、かなり嘘誤魔化しの自然で満たされている、むしろ東京大阪のほうが正直だ

7.提言       本物らしきもの=まがい物を信じてしまう危険で、意外にたちが悪い
例えば日本人がアメリカ的な暮らしをしても本物のアメリカ人の暮らしにはならない
自然を得ようとすれば、自然の中に入り込みひっそり10年以上暮らすことで実現する
「自然にいらずんば自然を得ず」真似物、まがい物で満たそうとしても絶対に無理
何事もまがい物で満足して、本物を知ろうとしない嘘誤魔化しの人は、悩み・苦しむ一生になる

田中の前庭の野菜、
チマサンチュ、トマト、キューり、ゴーヤ、ピーマン、ミント、バジル、ローリエ、など毎朝採取

都会で食べている野菜も、実はまがい物ですよ、どこのどんなものか???




出来た・出来ます骨子Nо.52「見知らぬ人に勇気をもって声をかけるというか気軽にかける」

2016-06-11 07:57:46 | 不可能を可能に
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テーマ
見知らぬ人に勇気をもって声をかけるというか気軽にかける

概要
1.過去はどうだったか       シャイな日本人の一人であり、一番苦手なこと
凄いシャイであり、見知らぬ人に声をかけるなんてとんでもないことだった
日本人や私の大の苦手はパーティー、自分より立派な人に何を話したらよいかわからない
気おくれしてしまう、相手が話しかけにこたえてくれなかったらどうしようと心配する
さほどのことはない普通の人でも、相手との共通の話題が思いつかない
見知らぬ人と話し合って楽しくなるわけがないので最初から、そんなことはしなかった

2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵)
段々歳をとって経験や知識もつみ、そこそこ自信ができてくると話しかける余裕も出来て来た
自分なりに会話を研究し会話が上達したことも見知らぬ人に話しかけるきっかけになった
話しかけてみると、案外相手は応じてくれるのでだんだん心配せずに声掛けするようになった
そして逆に最近私が見知らぬ他人から声をかけてくれるようになった、ある意味驚きだ
自分が変わったのだろうか、他人から気さくに声かけてくれるようになったかもしれない

3.どうしたのか、何をしたのか       まあ誰とも会話する姿勢が最も大事ですがね
最近気軽に他人に声かけるようになり、他人からも声かけられるようになった理由を考えると
1)自分がいつも構えずに、防御もしていない
2)どちらかというと笑顔、しかめっ面はしない、リッラクス、気軽に、重苦しいのは駄目
3)声かけられ易い雰囲気を出す、声かけてもいいよみたいな?
4)数人で話している場所に何となく会話によって入り込む
5)町中や買い物などでも付近の人に気軽に手助けしてあげる
6)顔や頭や衣服を身ぎれいに、清潔感もある

4.どうなったのか       見知らぬ人でもとりあえず何か一声かけることで始まる
当然楽しくなります、皆が友達になるのだから
1)自分自身も雲が晴れたように大きく開けてくる、人生が変わる
2)限られた友人はかえってつらいものです、その友人だけに縛られてしまうからです
3)世界は皆友人の方がどんなにか良いか
4)今まで長年小ぽけなことに拘っていたことが拭い去られ、すっきりする

5.一体なにが原因で出来なかったのか      どんな人とも話す付き合うこと
つまらん拘りでしょうか?捨てましょうよ、急ぎませんが少しでも頑張りましょう
1)他人に声かけない・かけてはいけないという習慣、癖、ついつい声掛けない
2)しんどいから他人に気軽に声かける努力を続けない
3)話題がない、自分がいろいろなことをやってない、経験知識が狭い
4)他人が経験したいないことを沢山経験していない、すなわち自分自身が狭いあまり面白くない
5)自分が楽しい暮らしをしてきていない、今も楽しくない、楽しくしようとしていない
6)人を外観や癖などで安易にえり好みし過ぎる

6.何が良かったのか       総合的に人間として成長すると見知らぬ人でも気にならなくなる
1)私には幅広い経験がある、これが他人と付き合う素晴らしい資源となっている
2)56歳頃から、会話について積極的になったことがやっと活きて来た
3)そして当時誰とも会話しようという方針を掲げて努力を続けて来たことも実を結びつつある
4)何をおいてもまずは笑顔、笑顔の訓練を是非お勧めします、たかが笑顔されど笑顔
5)当然ですが新しい友人が出来たりしますが、皆友人と思うようになって来たらもっと良い
6)どこに行っても友達がいると思えるように自分になりたいを目指している
7)いろいろな人と話ができることは当たり前のことだが、やっとのことで当たり前になった

7.提言       一朝一夕に誰にも話しかけられるようになるというわけにはいかない
見知らぬ人に気軽に話しかけて、しかも楽しいとなれば最高だ、話題は無限にしておく
見知らぬ人に声かける習慣が身につくと相手は「お待ちしていました」という感じに変化する
そうすればもっと日本や日本人は楽しく豊な国に更に成長するはずだ
学校教育や企業教育で他人に気軽に声かける教育や運動を展開して欲しい

破竹の時期、川べりの竹林で採取して山の男どもと焼いて腹いっぱい食べてしまいました

出来た・出来ます骨子Nо.51「一日一掃除とか、一日一改善とか、一日一会話とか、一日一善行」

2016-06-10 16:24:21 | 不可能を可能に
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テーマ
一日一掃除とか、一日一改善とか、一日一会話とか、一日一善行

概要
1.過去はどうだったか       現代人は怠惰に、老人は無力化し掃除はされなくなって行く
例えば家の掃除をしない若者は多い、またごみを捨てず、貯め込む老人も多い⇒現代病化
毎日少しでもきちんきちんと掃除したり、ごみを捨てていればそんなにひどくはならない
やらないで貯め込む、問題を先送りすることが問題を解決出来ないくらい大きくしてしまう
私も元来掃除は苦手なほうだが年取ると更に億劫になって片づけがきちんと出来ていない
身体がしんどい、やる気が起きない、面倒くさい、老化により部屋は汚くなるのである

2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵)       シンプルに単純に
今日は掃除しようと思っても、いつの間にか日が暮れてしまう
そうこうしている内に、よくわからないが、現代人は忙しいらしく一月がアッという間に過ぎていく
そして何か月に一度の掃除になっていくのだ、これは危険だ、ごみ屋敷になってしまう
老化⇒自分で掃除や家事をしなくなる、それを何とか解決しなくてはと危機感を持った
そして一日一掃除を思い立った、この考え方は高齢化で億劫になるあらゆることに役立つ

3.どうしたのか、何をしたのか       どうしたら掃除をするか難しく考えても結果は出ない
掃き掃除・拭き掃除・片づけ・しつこい汚れとり、ほこりとりと掃除と言えど、やることは多岐にわたる
そして掃除の場所も居間・水回り・廊下・玄関・庭・倉庫・玄関~道路と変えていく
1日1か所でも何日もかかるが、だったらなおの事、1日づつでもしっかりやらないと
どこでもよい、とにかく1か所だけでも掃除する、毎日どこか掃除することがポイント
そういう風に考え方を変えると1日一掃除どころか二掃除も三掃除もしてしまう日もある
何がよかったかというと、毎日やる習慣がつくということ:目出度し、目出度し
毎日やる習慣が定着すると、どこが出来ていて、どこが出来ていないかが見えてくる

4.どうなったのか      単純に 今日一日どこを掃除したかを日々問い正していく
「掃除をしろ」と子供にも言うのだが掃除を始めた試しはない、むしろどんどん汚くなっていく
子供たちを観察すると、数か月から一年、数年も掃除をしないことが現実に起きている
心の中は、掃除自身の効果を認めない、面倒なことはしない、しなくても何も起こらないと思い込む
一方、私も歳をとったせいか私でさえも、最近はそれと同じ怠惰なことを考えてしまう
昔戦後の家では掃除は朝晩やっていたし、年二回大がかりな大掃除までやっていた
”毎日やる”の原点に戻ることである、掃除の目的も効果も何もそんな講釈は関係ない
毎日掃除をしていない日があると、どこでもいいから探して掃除する、それでとりあえずOK

5.一体なにが原因で出来なかったのか      原因は沢山あるが、原因の否定から始める
1)昔ほど家が汚れないから(でも現実は、長く掃除しないから非常に汚く不衛生なのだ)
2)便利な時代になり掃除をする習慣もなくなった(昔は身体を動かすのが当たり前だったが)
3)少子高齢化や独居家族の増加などで掃除をする人や体力気力が減っているから
4)ひどいごみ屋敷など、とんでもないひどい怠惰なレベルの人や家が増えている
5)面倒なことを極度に嫌がる、億劫がる人が増えているから(面倒=やらないである)

6.何が良かったのか       屁理屈jこかずに何がしかの掃除を毎日する習慣がついた
1)面倒とか億劫とかそういう意識を払しょくすることが大事だ
2)心の底に定着した面倒とか億劫という考え方を、やり方次第で克服出来た
3)とやかく言う前に、一日一掃除という簡単明快なルールを決めて、素直にやったこと
面倒とか億劫とか考えないのだ、何も考えずに淡々毎日とやる
4)何だかんだと考えずに、ごく自然にひたすら決めたとおりにやる癖は有効だ
面倒臭い、億劫という意識は便利に慣れ切った若者や気力体力が衰えた老人の落とし穴
人間は「あーだから」「こーだから」と理由をあげてやろうとしない、だったら屁理由を切り捨てる

7.提言       「何故やらんといかんのだ?」という考え方を捨てるとごく普通に出来る
1)面倒や億劫なことを出来ない人には、是非”一日一掃除励行”みたいなことをお勧めする
2)”面倒だから億劫だからやらない”は危険な現代病だ、斬新な方法で何とか打開が必要
3)理由をつけず、淡々と毎日続けることは、現代人に対応した素晴らしい方法論なのだ
4)”南無阿弥陀仏”や”念仏”は、理屈を考えずに、ひたすら毎日や唱えるのと似ている

ハンモックというものを田中の庭に設置してみました、どうなんでしょうか?体験してみます

出来た・出来ます骨子Nо.50「笑い下手な人が多くなったが、70歳過ぎて私はやっと笑い上手になった」

2016-06-06 08:35:53 | 不可能を可能に
出来た・出来ます骨子掲載開始   ⇒指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
   京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町ファミール伏見
   滋賀支所: 滋賀県高島市安曇川町田中(竹の里)     
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談や出来ない相談にお越し下さい⇒滋賀支所又は京都事務所へ
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テーマ
笑い下手な人が多くなったが、70歳過ぎて私はやっと笑い上手になった

概要
1.過去はどうだったか       本物の笑いにはなかなか到達できない
人付き合いの上手い人で私も好きな人は、笑いがごく普通で笑顔が良い人
そして何の苦もなく笑える人が羨ましく、若い時は一時、練習したこともある
とってつけたような笑いは日常すんなり出てこない、やはり人間性が関係するのだろう
元々会話下手、付き合い下手、その上笑いが下手、若い時55歳まで最悪だった
顔がこわばる、怖い、暗い、元気ない、楽しくない、取っつきにくい人と受け取られてしまう

2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵)       
会話の上手い人は笑いが上手いかというと必しもそうではない、会話と笑いがあれば敵なし
55歳で山奥に暮し始め、精神的な成長や、会話上達がきっかけ
若い頃から笑いが上手くなりたいと思っていたが、65歳頃から笑いが飛躍的に上達して来た
付き合い⇒会話⇒余裕⇒笑い、人付き合いに余裕が出来て来たせいで笑いも上手くなって来た
最初はへらへら笑ってばかりいる自分が「これでいいのか?」と思うほどだったが

3.どうしたのか、何をしたのか      ひたすら笑うこと、そして笑いの腕(顔)を磨くこと 
会話を積極的にするようになり、その結果笑いが伴ってきた
笑う、ひたすらタイムリーに笑うことが当たり前になってきた
笑いが与える効果は抜群である、相手の話題に正直に笑いで反応すると相手も気分が良い
「なるほど、凄い、勉強になります、さすが・・・」返事の仕方も大事だが、笑いは重要な潤滑油
他人の笑いを観察というか鑑賞して、好きな笑いを真似ることも増えてきた
そのうち、笑いに変化を持たせてきた、いつも同じ笑いでなく、内容に応じて使い分ける
笑うというのが相手にとってすごく癒しや安心になるのが実感できる

4.どうなったのか        会話だけに依存するとしんどいが笑いを活用すると楽になる
会話が誰ともスムースに進むのはかなり大きな効果だ、若い人は特に初対面時は無表情だ
会話嫌いな人とも笑いを多くすることでスムースに会話が進むようになる
もっとも、笑いにばかり頼るのはよくないので安易な笑いに注意もし始めた
笑いも受け答えも相手に良い印象を与え、スムースに会話のキャッチボールが運ぶように
笑いが上手い人を観察し良い点を学びとる
笑いを上手く使えるようになって会話も数倍上達し、会話で楽しい日々となっている

5.一体なにが原因で出来なかったのか       知り合い・友人には普通に出来るのだが?
1)笑いが苦手、しかめ面や能面のように無表情が当たり前
2)日本人は誰とも積極的に会話しようとする姿勢に欠ける、そこで笑い下手が定着する
3)知り合いと異なり、初対面の人の場合、顔の表情が固い、笑いがないのが普通
4)とにかく若い時はうまく笑う余裕すらないし、そういう勉強や訓練もしようとしない
5)特に若い人は笑顔も会話も努力して上手くなろうとする意識が乏しい

笑いを習得すると人生は一層、楽しくなります、いつも笑顔で

出来た・出来ます骨子Nо.49「世の中には意外と間違っていることが堂々と横行している」

2016-06-03 08:40:53 | 不可能を可能に
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テーマ
世の中には意外と間違っていることが堂々と横行している
    自分で考えないで自分で決める習慣を持たないと、巧妙なだましに引っかかり、詐欺に遭う
    人間は嘘誤魔化しの中に生き続けているから気づかずに一生、嘘誤魔化しをつき続けるようになる

概要
1.過去はどうだったか       間違っていることでも、正しいと教えられている
こうすべきだと教え込まれたり、習慣でやってきたことがとんでもない間違いであることが多い
誰がどのように実証したかも明らかでないのに、何十年続けてきたから、正しいのだと言う
世の中は大きく変化している、ひょっとすると古い考えや通念がまだ横行している
最近テレビなどで推奨することでも信用できないものが多い、どう実証したのか疑わしい
全ての人に当てはまる方法や物があるわけがないのに、誰にも、何にでも通用するように言う

2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵)       無限にある、全てが怪しいが
1)高度医療で高齢者を長生きさせる ⇒ 本当ですか? 
2)都会暮らしは良い ⇒本当ですか?
3)地震災害が多い日本では災害予防が世界一進んでいる ⇒ 本当ですか?
4)絆は大事です ⇒ 本当ですか? 5)大借金して更に国債発行する ⇒ 本当ですか?
6)貧乏人のために消費税アップはしない、 10%へアップは延期か ⇒ 本当ですか?
一例に過ぎませんが、こんな怪しげな疑問は無限にあります、正直、全て怪しい

3.どうしたのか、何をしたのか       社会通念も固定観念も全ておかしいと疑うことから始まる
すなわち人や社会で言われていることは、よくよく考えてみると、ほとんど全く信憑性がない
よくあるのが、A案あり、その逆のB案あり、それぞれ自分のほうが正しいと主張するのだ
多くのサンプルで実証したデーターがないものも非常に多い、すなわち肝心な裏付けがない
こうすべきだというのも人によって違う、人それぞれの単なる好みであることも多い
一般的に良いと信じられていることが、よくよく考えてみるとむしろ悪い場合も多い
本来良さそうなものも、人や条件や状況によっては悪い場合も多い
良い悪いが定かでないのに、一方的な押し付で「こーせい」みたいなものも多いが危険である

4.どうなったのか       疑い、否定し、自分なりに考えて、自分の理念を定める
最近、安易に物事を信じないようになり、自分が納得しないものは信じないようになってきた
たまたま、それがあたかも正しいように言われている可能性もあると疑う癖を持つようになった
例えば自分の生き方を180度変えてみると、今まで正しかったことが全て嘘であることがある
凄い権威のある人が、あたかも真実そうに言ったことでもそのまま受け入れてはいけない
薬や工業製品はまだ信用出来るほうだが、それさえかなり裏切られているのだ
昔から、禅宗の偉い僧侶の言うことは信じているが、但し僧侶だからと信じてはいけない

5.一体なにが原因で出来なかったのか       世の中怪しげで、時々世の中は大混乱に陥る
ヒットラーのように第二次戦争の日本のように、国家あげて間違った方向に引き込まれて行く
主体的に自分の暮らし方や生き方を自分で決めていないから、知らぬ間に誘導されている
特に都会に暮していると大企業で仕事をしていると、流行や通念や固定観念に誘導される
いつの時代にも、自分自身の独自の考え方や生き方をする勇気ある人は少ない
他人や社会や会社の言うことの真偽を自ら検証するのが面倒くさい、そんな能力もない
価値は自分自身で決めるのであって国家や社会や会社が決めたものを鵜のみにしてはならない

6.何が良かったのか       固定観念を何かの方法で断捨離すると新しい生き方が出てくる
1)自分の生き方が自分の意志や価値基準で決めて行動してきたこと
2)社会通念や固定観念を全て根底から疑う
3)流行や人真似の生き方をして来なかったこと
4)多数決やマスコミなんかも安易に信じない
5)従って孤独な生き方を甘んじて受け入れてきたこと
6)私の人生の特徴は健全なやや反社会的な傾向があったこと
7)何事も心の底から納得できない性格だから若い時には迷い、悩み、自信を失っていた

7.提言       つらくても、面倒でも自分で考える、自分で自分自身の理念を決める
1)自分の生き方や暮らし方は真剣に自分自身で考え、自分の重要な仕事と思っていない
2)もっと主体的に生きましょう、流行や他の真似で生きることを恥じる
3)自分はこういう考えでこう生きるという確固とした自分の人生理念を掲げるべきだ
4)自分の理念や信念がしっかりしていないと、流行や社会通念や固定観念に流されてしまう

努力して、安曇川田中で嘘誤魔化しされない、嘘誤魔化ししない暮らしをしています

出来た・出来ます骨子Nо.48「出来そうもない大きな仕事も時間をかけると出来ることを知った」

2016-05-31 07:36:01 | 不可能を可能に
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テーマ
出来そうもない大きな仕事も時間をかけると出来ることを知った
物事は一日にしてならず、百日・千日にしてなる

概要
1.過去はどうだったか        自分自身で格別大きなことをやった印象や記憶はない
国家や会社は大きなことをやって高度経済発展してきたが個人がやったことではない
しかし個人自身は大きなことをやってはいないのだ、小さな歯車に過ぎなかったのだ
個人は部分や小さなことをやって、大きなことは機械がやったのだ
国家や企業は大きくなり、個人は小さくなった、家も都会で庭もない狭い家に押し込まれている
稼ぎ出すのはロボットや自動機械や大型高性能機械で会って、人間の稼ぎは減っている

2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵)
55歳から山の中に住み、65歳以降時間の余裕が出来たのがきっかけだ
都会では55歳以前の都会暮らしでは、何しろ時間がない、急げ急げだった
せっかちで、あれこれやった流行ったが、今思えば小さなことばかり
時間をかけないと一人の人間がやることは小ぽけなことばかりだったのだ

3.どうしたのか、何をしたのか        山は暇、暇にまかして雑草取り清掃をやった
山は当初荒れていた、なぜかというと、人が住んでいなかったのだ、月に何回かしか来ない
私はその山に暮し始めたのだ、暮らしている人は数人しかいない
私は山の暮らしは初めてだ、何をどうやっていいかわからない、とりあえず山の掃除だ
ところが山は間伐していない木々や倒木や雑草やごみで汚くなっていた
気が遠くなるほどの面積であったが、しかし私はのこぎりと鍬でこつこつ掃除を始めた
そうするうちに急速に付近が奇麗になっていったのだ、そして今度はこの広い林にと取り組んだ
とても出来そうもない大掃除がなんとかなり手早く出来てしまったのだ

4.どうなったのか        周辺の空き地、林が私の暮らした18年で劇的にきれいになった
我が家の周辺の空き地や林や他人の家の庭までどんどん手入れしていった
山の家は都会と違い堺があってない、しかも住人はほとんど来ないから荒れ放題
雑草ぬいたり無用な木を切ってあげると、結果は好評で、そのためにエスカレートして行った
ある程度周辺が奇麗になってきて、もうやる所がなくなってきた、残りは厄介な所だけ
さすが私も残された厄介な所はやる気がしなかった、でももうやる場所がないのだ
そこでしぶしぶ、とても出来そうもない林というか空き地に無謀にも挑みかかって行った
ところがそこも結果的にはアッと言う間にできてしまったのだ、すごい荒れ地が奇麗な庭に

5.一体なにが原因で出来なかったのか        大きなことは出来ないと諦めていませんか?
皆さんあまりに私がどんどん出来そうもない場所をいとも簡単にきれいにしていくのでびっくり
あの村上さんのやっていることは到底真似出来ないと言うのである
まあ、正直私自身も終わってからあんなこと良く出来たなと思っているのであるから
しかし出来たことは間違いないことで、皆も「そうかやれば出来るのか」と思い直したようだ
こうして私は時間をかければ、かなり大きな不可能に思えることも出来るという自信がついた

6.何が良かったのか        大きなことも自分一人で出来ることを経験を通じて知ったこと
山の荒れ果てた素材を提供してくれたこと、それを私は素直に掃除してきた
昔岩をノミとかなずちで削り岩山に道をつけたり、岩に巨大な仏像を彫った人がいる
とても出来ないと思えるのだが、私の経験では、どんなことも時間かければ出来るのだ
周囲の人や子供に簡単なことでもやってくれというと「出来ない」と一括されるのだ
現代人は自分でこつこつ作業をして大きな量の仕事をやることを不可能と決めつける
例えば「前の大きな空き地にの沢山の雑草を全部手で刈り取れ」という課題をやってみる
毎日少しづつやってそれを出来るまで続ければ必ず出来ます。是非やってみて下さい

7.提言       大きなことを時間かけて自分でこつこつやってみよう⇒それはすごい自信になる
大きな目標・課題をやろうとしてもすぐには出来ないからと諦めずに時間をかけてやろうとする
一人で大きな畑をやっている人、大きなバラ園を一人でやっている人などがいる
「自分はあの人の真似は出来ない」と思ったらその人は自分自身で大したことは出来ない
世の中には物書きの人などすごく膨大な著書を書き残している人もいる、大いに真似るべきだ

田中の家に長尾や京都の荷物持ち込み、居間は物が沢山だったが、やっとすっきりさせた
やはり、すぐには出来ない、一年半で出来たということですかね

出来た・出来ます骨子Nо.47「面倒くさい・つらい・嫌い等と決めつけや固定観念を捨て去る」

2016-05-30 07:35:42 | 不可能を可能に
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テーマ
面倒くさい・つらい・嫌い等と決めつけや固定観念を捨て去る

   都会化が進んだ人が多くなった国の芸術も文化は急激に深みがなく、つまらなくなっていく
   日本文化は面倒くさいを肯定してきた文化だったのだが
癖のある嫌な人と付き合わないなんてのも現代人に多い、人をえり好みするのだ


概要
1.過去はどうだったか       人間は横着になり身体も頭も使わなくなり、やがて小ぽけになる
若者は又は都会の人間は簡単に受け入拒否や安易に避ける傾向がある
例えば  1)面倒くさいこと  2)つらいこと   3)嫌いなこと  4)つまらないこと
    5)怖いこと   6)難しいこと   7)新しいこと    8)益のないこと
だから都会の人は田舎暮らしや山暮らしなんかしないし、続かない、入り込まない
都会がいい、あまりしなくてもいろいろ便利なものが身近にあるから

2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵)       逃げずにまず挑戦する
きっかけは55歳からの山での暮らしを始めたことであることは今更言うまでもない
山の暮らしは  1)面倒くさい  2)つらい   3)虫や暗いのは嫌い  4)つまらない
    5)怖い   6)難しい   7)新しい    8)益のない?
まあ山の暮らしは都会に暮す現代人が嫌がる、拒否する暮らしなのだ
今や僧侶でも都会に住むのだ、都会でないと顧客が少なくお金が儲からないのだそうだ

3.どうしたのか、何をしたのか       長いこと惰性で続けた暮らしを大きく変えてみて続ける
私は55歳で、とにもかくにも都会人が嫌がる面倒臭い山の暮らしを始めたのだ
最初はやはり怖い・つまらない・何するかわからん・そして都会に帰りたかった
1000万円も出して買ったログハウス、私はひたすら京都から山に暮す日々であった
とりあえず山に暮し、山の暮らしに慣れることだ、この段階で普通の人は別荘族になってしまう
高価なログハウスがほとんど使われずにひっそりと山の中に寂しそうに佇んでいる
私のログハウスは幸運だった、私は、その後周辺の清掃活動という山の仕事を始めたのだ
そしてあちこち山を我が庭のようにして整備・清掃をして歩き回った結果、自然と巡り合い出した

4.どうなったのか       とにかく山に暮し続けた、掃除から始まり、自然との会話が始まった
整備・清掃を5年くらいやったら少なくとも家の周辺は見違えるように綺麗になった
そして徐々に付近の状況や自然の姿が分かってきた、自然君との出会い、付き合いである
さらに8年くらいから同じように山で暮らす友人が出来てきて、私の先生になった
いろいろ教えてもらった1)山菜 2)果実 3)大工 4)土木 5)暮らし方 6)野菜作り
そして家や庭の大工や土木が始まった、とにかく楽しかった、都会で出来ないことが出来た
今にして思えば無駄なこともやったが、とにかくどんどんやって、自然にのめり込んで行った
都会では出来ないものが出来ることを発見し、目覚めて行き、山暮らしのプロに成長した

5.一体なにが原因で出来なかったのか     やる気と継続だ、都会人は山暮らしなんかしない・出来ない
まあ最初の関所をクリヤー出来るかどうかだろうが、多くの都会人はほとんど続かない
山に暮すことだ週2日でもよい、暮らし続けることだ、何事も継続は力なりだ
別荘族は駄目、別荘ではない、住み家にしないといけない、長尾の山でも8割は別荘族だ
別荘族とは、ときどき山に行ってバーベキューして酒のみ大騒ぎする、そんな程度の連中だ
そんなもんならログハウスなんか買わずに、山に観光旅行したほうがコストパフォ-マンスがよい

6.何が良かったのか       例えば面倒臭いという固定観念を断捨離することだ
”面倒臭い⇒止めだ”ではいけない、面倒くさくても、とにかくやってみようでなくてはならない
面倒臭い事は避ける、拒否するのが現代人の常であるが、拒否の理由にはならない
一体何のために便利な社会にしてきたのか?面倒くさいことを否定するためじゃない
多分、昔の田舎暮らしの人は「面倒臭いからやらない」なんて考えもしなかったはずなのだ
私ら昭和世代と平成世代に大きな違いがあるとすれば、面倒臭いことをやらないことだ
便利さが身につくと不便を嫌い、面倒臭いことを避ける習性がついてしまう、それは危険だ
与えられた環境に安住し染まってしまうと、安易に”面倒臭い=悪”だと思い違いしてしまう

7.提言      固定観念で自分を駄目にする大きなものは例えば親元・故郷・都会・便利な暮らしだ
同じ環境に長いこと染まりっ放しになると、安易に決めつけ良い悪いを断定するようになる
同じ環境例えば都会に長いこと暮らした場合は、ある期間貧しい国や山奥に住んでみると良い
可愛い子には旅をさせよ:より過酷な違う環境に放り込めという意味で、都会から都会へではない
生まれ故郷の県・都会・最初に努めた会社・親兄弟・長くつきあった友人・日本を一度変えてみよ

田中の家の居間片づけました、やはり気持ちがいいですね