出来た・出来ます骨子掲載開始 ⇒指導や講演を依頼出来ます 村上原基
京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町ファミール伏見
滋賀支所: 滋賀県高島市安曇川町田中(竹の里)
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談や出来ない相談にお越し下さい⇒滋賀支所又は京都事務所へ
骨子について指導や講演を依頼したい場合⇒依頼ホームページへ
blogの冒頭頁へ
安曇川長尾のログハウス売り出し中
テーマ
自分の生き生きした生き方を阻害しているものを取り除く
概要
1.過去はどうだったか やはり私も若い時は嫌なものは避けていた
1)面倒臭いこと、つらいこと、難しいこと、ややこしいこと
2)寂しいこと、仲間外れのこと、孤独なこと、恥ずかしいこと
3)恐ろしいこと、怖いこと、気持ち悪いこと、不便なこと
4)知らないこと、分からないこと、出来ないこと、責任あること
以上を含めいろいろな障害があるか、障害と感じることで諦めてしまう躊躇してしまう
2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵) 障害変じて宝となる
障害物はなければいいかというと、そうは言い切れない、障害物によって鍛えられれて行く
でも自分の人生を阻害するものに違いない、早いうちに克服すべきなのだろう
障害物だから障害物を乗り越えないと成長はない
でも結果的に障害しないように自分自身の努力や工夫で克服することが望ましい
乗り越えるべきもの、乗り越えるとなにがしかの有益なものが得られる
3.どうしたのか、何をしたのか 大阪・京都に行って以降、更に障害物も増えた
逃げないということ、真っ向からがっぷり四つに組み止めて対処することだ
もし逃げてしまえば、それを乗り越えた上で得られるものを得らえない
障害がなく、簡単に得られたものは、結果的に大したものが得られず、不幸の元になることも多い
だから、とにかく逃げずにがっぷり四つで取っ組み合うのだ(虎穴にいらずんば孤児を得ず)
さして頭の良くない家系に誕生⇒東工大⇒松下電器⇒大阪⇒京都⇒E工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒コンサルタント自営⇒滋賀県安曇川⇒山暮らし⇒麓の町の田中へ(終の棲家)
東京から関西へ、大企業から小企業更に自営へ、都会から山に、いろいろな障害も発生
ずーっと東京で大企業一本で生きてきたら、あまり障害物もなく平凡な人生だったのか?
4.どうなったのか あれこれ障害物を乗り越えてつらい思いもしたがそれで良かった
人生、あれもこれも障害だらけで一向にうまくいかないと嘆く人が多い
私もどちらかというと上手く行っているように見えるが、自分自身は多くの障害に悩まされてきた
東工大から松下電器そして京都に住み今は山で悠々自適と他人も羨まれるのかもしれないが
現実にはとにかく次々に障害物にぶちあたってきた人生という思いでしかない
でも今過去を振り返り、総括すれば、結構障害物を一つづつ懸命に乗り越えて来たようだ
しかし当時は必死で自分を冷静に見守る余裕もなく、もがき、あがいて来たのだが
障害物だから簡単に乗り越えられるものでもなく、高みを求めれば障害物も高くなったのだろう
5.一体なにが原因で出来なかったのか 嫌なもの、苦手を作ってしまうのは損だ
1)現代の都会人はとにかく嫌なもの、不便なもの、つまらんものは避ける
2)現代の都会人にとっては、障害は乗り越えるものではなく、避ける、逃げるもの
3)低い障害物ばかり乗り越えていると、高い障害が乗り越えられなくなる
4)私は無能で馬鹿だから障害物を乗り越えてきたんだろうと思うが普通の人は難しいのでは
5)障害物があるとむしろぶつかって行く愚かなタイプだったが、普通の人はそんなことしない
6.何が良かったのか 最初から諦めない、やりたくないではなく、挑戦する
良い人生を送って来たという人は障害が少なかったのではなく、多かった人なのだ
障害が多かったなどと自慢出来ないが、無能で馬鹿だったからやたらに障害に悩まされた
下手な乗り越え方をして来たが、障害を避けず、めげずに、真っ正直に取っ組み合ってきた
人間のレベルによるが、自分のレベルに応じて障害物を乗り越えるよう努力をしてきた
人間の性格や能力や資質や環境によるので、必しも障害物をかく乗り越えよというものはない
まあ自分なりに逃げずに、避けずに真面目に障害物にぶち当たり乗り越えて行けばよい
そんなに気負うことも、がっかりすることも、悩むこともなく障害物を乗り越えることだ
7.提言 私も何回も失敗し、くじけ、負けそうになったが、何とか乗り越えて来た
面倒臭い・つまらん・わからん・出来ん・やりたくない・・・禁句ですよ
むしろ面倒臭い・つまらん・わからん・出来ん・怖い・・ことにも挑むこと
格好良いことしたい、楽して幸福を得よう、都会の便利さに囲まれていたい・・・それでいいのか?
自分自身の努力で何とかするのではなく、国家社会に依存して生きて行けばよいのか?
長尾の売り出し中のログハウスの前の広い美しい林が安く売りに出された、一緒に買えばすごく良いのでは
京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町ファミール伏見
滋賀支所: 滋賀県高島市安曇川町田中(竹の里)
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談や出来ない相談にお越し下さい⇒滋賀支所又は京都事務所へ
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概要
1.過去はどうだったか やはり私も若い時は嫌なものは避けていた
1)面倒臭いこと、つらいこと、難しいこと、ややこしいこと
2)寂しいこと、仲間外れのこと、孤独なこと、恥ずかしいこと
3)恐ろしいこと、怖いこと、気持ち悪いこと、不便なこと
4)知らないこと、分からないこと、出来ないこと、責任あること
以上を含めいろいろな障害があるか、障害と感じることで諦めてしまう躊躇してしまう
2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵) 障害変じて宝となる
障害物はなければいいかというと、そうは言い切れない、障害物によって鍛えられれて行く
でも自分の人生を阻害するものに違いない、早いうちに克服すべきなのだろう
障害物だから障害物を乗り越えないと成長はない
でも結果的に障害しないように自分自身の努力や工夫で克服することが望ましい
乗り越えるべきもの、乗り越えるとなにがしかの有益なものが得られる
3.どうしたのか、何をしたのか 大阪・京都に行って以降、更に障害物も増えた
逃げないということ、真っ向からがっぷり四つに組み止めて対処することだ
もし逃げてしまえば、それを乗り越えた上で得られるものを得らえない
障害がなく、簡単に得られたものは、結果的に大したものが得られず、不幸の元になることも多い
だから、とにかく逃げずにがっぷり四つで取っ組み合うのだ(虎穴にいらずんば孤児を得ず)
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ずーっと東京で大企業一本で生きてきたら、あまり障害物もなく平凡な人生だったのか?
4.どうなったのか あれこれ障害物を乗り越えてつらい思いもしたがそれで良かった
人生、あれもこれも障害だらけで一向にうまくいかないと嘆く人が多い
私もどちらかというと上手く行っているように見えるが、自分自身は多くの障害に悩まされてきた
東工大から松下電器そして京都に住み今は山で悠々自適と他人も羨まれるのかもしれないが
現実にはとにかく次々に障害物にぶちあたってきた人生という思いでしかない
でも今過去を振り返り、総括すれば、結構障害物を一つづつ懸命に乗り越えて来たようだ
しかし当時は必死で自分を冷静に見守る余裕もなく、もがき、あがいて来たのだが
障害物だから簡単に乗り越えられるものでもなく、高みを求めれば障害物も高くなったのだろう
5.一体なにが原因で出来なかったのか 嫌なもの、苦手を作ってしまうのは損だ
1)現代の都会人はとにかく嫌なもの、不便なもの、つまらんものは避ける
2)現代の都会人にとっては、障害は乗り越えるものではなく、避ける、逃げるもの
3)低い障害物ばかり乗り越えていると、高い障害が乗り越えられなくなる
4)私は無能で馬鹿だから障害物を乗り越えてきたんだろうと思うが普通の人は難しいのでは
5)障害物があるとむしろぶつかって行く愚かなタイプだったが、普通の人はそんなことしない
6.何が良かったのか 最初から諦めない、やりたくないではなく、挑戦する
良い人生を送って来たという人は障害が少なかったのではなく、多かった人なのだ
障害が多かったなどと自慢出来ないが、無能で馬鹿だったからやたらに障害に悩まされた
下手な乗り越え方をして来たが、障害を避けず、めげずに、真っ正直に取っ組み合ってきた
人間のレベルによるが、自分のレベルに応じて障害物を乗り越えるよう努力をしてきた
人間の性格や能力や資質や環境によるので、必しも障害物をかく乗り越えよというものはない
まあ自分なりに逃げずに、避けずに真面目に障害物にぶち当たり乗り越えて行けばよい
そんなに気負うことも、がっかりすることも、悩むこともなく障害物を乗り越えることだ
7.提言 私も何回も失敗し、くじけ、負けそうになったが、何とか乗り越えて来た
面倒臭い・つまらん・わからん・出来ん・やりたくない・・・禁句ですよ
むしろ面倒臭い・つまらん・わからん・出来ん・怖い・・ことにも挑むこと
格好良いことしたい、楽して幸福を得よう、都会の便利さに囲まれていたい・・・それでいいのか?
自分自身の努力で何とかするのではなく、国家社会に依存して生きて行けばよいのか?
長尾の売り出し中のログハウスの前の広い美しい林が安く売りに出された、一緒に買えばすごく良いのでは
