出来た・出来ます骨子掲載開始 ⇒指導や講演を依頼出来ます 村上原基
京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町ファミール伏見
滋賀支所: 滋賀県高島市安曇川町田中(竹の里)
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談や出来ない相談にお越し下さい⇒滋賀支所又は京都事務所へ
骨子について指導や講演を依頼したい場合⇒依頼ホームページへ
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安曇川長尾のログハウス売り出し中
テーマ
不安と恥ずかしさ、私もひどかった、でも年齢とともに無くなった
不安や恥が少ない若者のほうがむしろ危険なのだ
概要
1.過去はどうだったか 若い時は不安が一杯、いつもどこでも、何事も恥ずかしい
おぎゃーと生まれて全く知らない世界におっぽり出されるから、若い時は恥ずかしくて当然
若さ=恥と言っても過言ではないが、恥が自分を抑制し、自分を励ますのだ
恥は物事を考える原点になる、恥を感じるのは人間に付与されている素晴らしい能力だ
若いときに恥じることは大事なことだが、あまり気にし過ぎて悩み過ぎないほうがよい
恥は若者の勲章みたいなものだから、恥じることを恥じることはない、恥じてよい
2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵) 若さ=恥ずかしい+不安
私の恥ずかしさから脱出した時期は、やっと50歳以降からだ、必しも早いのが良いとは思わない
第一期50歳 恥から脱出し始め、今まで恥の塊だったが、やっと出口に立った
第二期60歳 恥が客観的に見えて来て恥ずかしいことがそうでもなくなって来る
第三期70歳 恥を感じなくなったり、コントロール出来るようになった
私の経験でも一挙に恥が無くなるのではない、段階を踏んで解消していく
3.どうしたのか、何をしたのか 恥にまともに向き合ってきただけ、どうすることも出来なかった
特に何も出来なかった、不安と恥との闘い、若き村上の悩みであった
不安と恥というのは、なくそうとしてもなくなるものではない
恥とか苦とか老いとか死は避けられないもので、避けるより上手に向き合うものだ
恥から逃げる方法なんてのはない、恥ない人を羨むのは間違い、恥じることは必要なのだ
恥から脱出するには、①自信を持つ②慣らす③人生を深める④成長する⑤客観的になる
50歳でやっと恥から脱出開始完了したのは70歳、私にとってはそれで良かったように思う
むしろ楽しめるのであれば、一生恥を感じていたほうが良いのかもしれない
4.どうなったのか 顔のつらが厚くなったとか厚かましくなったというのはむしろマイナス
55歳まで3社転職し東京大阪京都といろいろな体験をしてきたがずーっと恥ずかしかった
50~70歳までは多少の差はあれ、恥ずかしかった思いは止まらずずーっと続いてきた
しかし50歳頃から徐々に恥は克服され70歳ではかなり克服されたように思う
若い時にさんざ恥で苦しみ、悩んできたから、70歳では本当に楽になった
無用な力みや恰好づけがなくなり誰とも楽しく気楽に付き合えるようになった
曇っていた空が俄かに晴れ渡るような感じ、恥ずかしかった自分がそうではなくなって来る
それまでは晴れもあれば曇りもあり、台風もあれば大雪もあったが、それで良かった
5.一体なにが原因で出来なかったのか 原因が分かれば恥ずかしさが治るものではない
恥は物事を考える原点になる、恥を感じるのは人間に付与されて需要な能力なのだ
若い時は、不安や恥があって当たり前、不安や恥があって良いと思うべし
恥をかかない方法を一生懸命考えるより、むしろ大いに恥をかくべし、大汗をかくようなものだ
不安や恥をかく、恥ずかしがる⇒いろいろ考える・工夫する・努力する⇒成長する
本当に成長してから不安や恥が減るのは望ましい、まあ60歳70歳以降だろうか
6.何が良かったのか 恥ずかしいのは、時が来ないと直らない、自然に任す
若い時から50歳くらいまで大いに恥をかいて良かったと今は思っている
人間は恥ずかしい者で生まれるから、最初は、当然恥ずかしい者なのだ
大いに不安で恥じて、努力工夫して成長し不安や恥を卒業する、恥は人間の計測器なのだ
恥を長くかいてきたが、もし早く終わっていたら、残りの人生の深みが減っていただろう
恥ずかしい人間であれば恥ずかしいのが当たり前、恥ずかしいから恥ずかしいのだ
恥ずかしい人なのに、一向に恥かしくない人がいるが、そういう人は鼻つまみ者だ
今思えば50歳までは確かに恥ずかしい自分であったし、今は自信も出来恥ずかしくなくなった
7.提言 恥と恥ずかしがるは異なる、やたらに恥ずかしがらず、堂々と恥じればよい
恥ずかしいというのは若いときには嫌なものだが、恥ずかしいのだ自分だけではない
恥ずかしくて当り前、恥ずかしいことを避けない、むしろ積極的に恥じるべきだ
相当にレベルの高い司会者でもあがる、素晴らしい司会者だからこそあがるのだ
60~70歳で恥ずかしがるのが少なくなるのは重い荷物を下ろした如く嬉しいものだ
日本人は恥が強いというが、それこそ日本人としての大事な根本だと信じている
売り出し中の山の中の長尾のログハウス、今は町と山の二重生活、いいもんです
京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町ファミール伏見
滋賀支所: 滋賀県高島市安曇川町田中(竹の里)
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おぎゃーと生まれて全く知らない世界におっぽり出されるから、若い時は恥ずかしくて当然
若さ=恥と言っても過言ではないが、恥が自分を抑制し、自分を励ますのだ
恥は物事を考える原点になる、恥を感じるのは人間に付与されている素晴らしい能力だ
若いときに恥じることは大事なことだが、あまり気にし過ぎて悩み過ぎないほうがよい
恥は若者の勲章みたいなものだから、恥じることを恥じることはない、恥じてよい
2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵) 若さ=恥ずかしい+不安
私の恥ずかしさから脱出した時期は、やっと50歳以降からだ、必しも早いのが良いとは思わない
第一期50歳 恥から脱出し始め、今まで恥の塊だったが、やっと出口に立った
第二期60歳 恥が客観的に見えて来て恥ずかしいことがそうでもなくなって来る
第三期70歳 恥を感じなくなったり、コントロール出来るようになった
私の経験でも一挙に恥が無くなるのではない、段階を踏んで解消していく
3.どうしたのか、何をしたのか 恥にまともに向き合ってきただけ、どうすることも出来なかった
特に何も出来なかった、不安と恥との闘い、若き村上の悩みであった
不安と恥というのは、なくそうとしてもなくなるものではない
恥とか苦とか老いとか死は避けられないもので、避けるより上手に向き合うものだ
恥から逃げる方法なんてのはない、恥ない人を羨むのは間違い、恥じることは必要なのだ
恥から脱出するには、①自信を持つ②慣らす③人生を深める④成長する⑤客観的になる
50歳でやっと恥から脱出開始完了したのは70歳、私にとってはそれで良かったように思う
むしろ楽しめるのであれば、一生恥を感じていたほうが良いのかもしれない
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50~70歳までは多少の差はあれ、恥ずかしかった思いは止まらずずーっと続いてきた
しかし50歳頃から徐々に恥は克服され70歳ではかなり克服されたように思う
若い時にさんざ恥で苦しみ、悩んできたから、70歳では本当に楽になった
無用な力みや恰好づけがなくなり誰とも楽しく気楽に付き合えるようになった
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それまでは晴れもあれば曇りもあり、台風もあれば大雪もあったが、それで良かった
5.一体なにが原因で出来なかったのか 原因が分かれば恥ずかしさが治るものではない
恥は物事を考える原点になる、恥を感じるのは人間に付与されて需要な能力なのだ
若い時は、不安や恥があって当たり前、不安や恥があって良いと思うべし
恥をかかない方法を一生懸命考えるより、むしろ大いに恥をかくべし、大汗をかくようなものだ
不安や恥をかく、恥ずかしがる⇒いろいろ考える・工夫する・努力する⇒成長する
本当に成長してから不安や恥が減るのは望ましい、まあ60歳70歳以降だろうか
6.何が良かったのか 恥ずかしいのは、時が来ないと直らない、自然に任す
若い時から50歳くらいまで大いに恥をかいて良かったと今は思っている
人間は恥ずかしい者で生まれるから、最初は、当然恥ずかしい者なのだ
大いに不安で恥じて、努力工夫して成長し不安や恥を卒業する、恥は人間の計測器なのだ
恥を長くかいてきたが、もし早く終わっていたら、残りの人生の深みが減っていただろう
恥ずかしい人間であれば恥ずかしいのが当たり前、恥ずかしいから恥ずかしいのだ
恥ずかしい人なのに、一向に恥かしくない人がいるが、そういう人は鼻つまみ者だ
今思えば50歳までは確かに恥ずかしい自分であったし、今は自信も出来恥ずかしくなくなった
7.提言 恥と恥ずかしがるは異なる、やたらに恥ずかしがらず、堂々と恥じればよい
恥ずかしいというのは若いときには嫌なものだが、恥ずかしいのだ自分だけではない
恥ずかしくて当り前、恥ずかしいことを避けない、むしろ積極的に恥じるべきだ
相当にレベルの高い司会者でもあがる、素晴らしい司会者だからこそあがるのだ
60~70歳で恥ずかしがるのが少なくなるのは重い荷物を下ろした如く嬉しいものだ
日本人は恥が強いというが、それこそ日本人としての大事な根本だと信じている
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