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村上原基の「出来た・出来ます体験」を紹介します。どうしても出来なかったことが何かのきっかけや工夫で出来た体験を広めたい

例えば英会話等出来なかったことが結果的に出来たという事例を紹介し、出来ないで悩み続け、具体的な話を聞きたい方に講師紹介

出来た・出来ます骨子Nо.46「不安と恥ずかしさ、私もひどかった、でも年齢とともに無くなった」

2016-05-28 07:19:59 | 不可能を可能に
出来た・出来ます骨子掲載開始   ⇒指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
   京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町ファミール伏見
   滋賀支所: 滋賀県高島市安曇川町田中(竹の里)     
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
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テーマ
不安と恥ずかしさ、私もひどかった、でも年齢とともに無くなった
    不安や恥が少ない若者のほうがむしろ危険なのだ

概要
1.過去はどうだったか       若い時は不安が一杯、いつもどこでも、何事も恥ずかしい
おぎゃーと生まれて全く知らない世界におっぽり出されるから、若い時は恥ずかしくて当然
若さ=恥と言っても過言ではないが、恥が自分を抑制し、自分を励ますのだ
恥は物事を考える原点になる、恥を感じるのは人間に付与されている素晴らしい能力だ
若いときに恥じることは大事なことだが、あまり気にし過ぎて悩み過ぎないほうがよい
恥は若者の勲章みたいなものだから、恥じることを恥じることはない、恥じてよい

2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵) 若さ=恥ずかしい+不安
私の恥ずかしさから脱出した時期は、やっと50歳以降からだ、必しも早いのが良いとは思わない
第一期50歳    恥から脱出し始め、今まで恥の塊だったが、やっと出口に立った
第二期60歳    恥が客観的に見えて来て恥ずかしいことがそうでもなくなって来る
第三期70歳    恥を感じなくなったり、コントロール出来るようになった
私の経験でも一挙に恥が無くなるのではない、段階を踏んで解消していく

3.どうしたのか、何をしたのか       恥にまともに向き合ってきただけ、どうすることも出来なかった
特に何も出来なかった、不安と恥との闘い、若き村上の悩みであった
不安と恥というのは、なくそうとしてもなくなるものではない
恥とか苦とか老いとか死は避けられないもので、避けるより上手に向き合うものだ
恥から逃げる方法なんてのはない、恥ない人を羨むのは間違い、恥じることは必要なのだ
恥から脱出するには、①自信を持つ②慣らす③人生を深める④成長する⑤客観的になる
50歳でやっと恥から脱出開始完了したのは70歳、私にとってはそれで良かったように思う
むしろ楽しめるのであれば、一生恥を感じていたほうが良いのかもしれない

4.どうなったのか       顔のつらが厚くなったとか厚かましくなったというのはむしろマイナス
55歳まで3社転職し東京大阪京都といろいろな体験をしてきたがずーっと恥ずかしかった
50~70歳までは多少の差はあれ、恥ずかしかった思いは止まらずずーっと続いてきた
しかし50歳頃から徐々に恥は克服され70歳ではかなり克服されたように思う
若い時にさんざ恥で苦しみ、悩んできたから、70歳では本当に楽になった
無用な力みや恰好づけがなくなり誰とも楽しく気楽に付き合えるようになった
曇っていた空が俄かに晴れ渡るような感じ、恥ずかしかった自分がそうではなくなって来る
それまでは晴れもあれば曇りもあり、台風もあれば大雪もあったが、それで良かった

5.一体なにが原因で出来なかったのか       原因が分かれば恥ずかしさが治るものではない
恥は物事を考える原点になる、恥を感じるのは人間に付与されて需要な能力なのだ
若い時は、不安や恥があって当たり前、不安や恥があって良いと思うべし
恥をかかない方法を一生懸命考えるより、むしろ大いに恥をかくべし、大汗をかくようなものだ
不安や恥をかく、恥ずかしがる⇒いろいろ考える・工夫する・努力する⇒成長する
本当に成長してから不安や恥が減るのは望ましい、まあ60歳70歳以降だろうか

6.何が良かったのか       恥ずかしいのは、時が来ないと直らない、自然に任す
若い時から50歳くらいまで大いに恥をかいて良かったと今は思っている
人間は恥ずかしい者で生まれるから、最初は、当然恥ずかしい者なのだ
大いに不安で恥じて、努力工夫して成長し不安や恥を卒業する、恥は人間の計測器なのだ
恥を長くかいてきたが、もし早く終わっていたら、残りの人生の深みが減っていただろう
恥ずかしい人間であれば恥ずかしいのが当たり前、恥ずかしいから恥ずかしいのだ
恥ずかしい人なのに、一向に恥かしくない人がいるが、そういう人は鼻つまみ者だ
今思えば50歳までは確かに恥ずかしい自分であったし、今は自信も出来恥ずかしくなくなった

7.提言       恥と恥ずかしがるは異なる、やたらに恥ずかしがらず、堂々と恥じればよい
恥ずかしいというのは若いときには嫌なものだが、恥ずかしいのだ自分だけではない
恥ずかしくて当り前、恥ずかしいことを避けない、むしろ積極的に恥じるべきだ
相当にレベルの高い司会者でもあがる、素晴らしい司会者だからこそあがるのだ
60~70歳で恥ずかしがるのが少なくなるのは重い荷物を下ろした如く嬉しいものだ
     日本人は恥が強いというが、それこそ日本人としての大事な根本だと信じている

売り出し中の山の中の長尾のログハウス、今は町と山の二重生活、いいもんです


出来た・出来ます骨子Nо.45「貧乏人ほど、安全資産の金白金などの貴金属を長期でコツコツ貯めていく」

2016-05-26 07:11:16 | 不可能を可能に
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テーマ
貧乏人ほど、安全資産の金白金などの貴金属を長期でコツコツ貯めていく
     「円札は紙切れだ」という認識を正しく持つことから資産運用が始まる

概要
1.過去はどうだったか       金、白金に関する基礎的な知識も売り買いの知識もなかった
貯金と株式とММFくらいのものだったが、資産運用で儲けようと頑張っていた
株式はデイトレが良いとか長期投資が良いとか言われているが、どーやっても損した
資産運用は大事かつ必要と思って続けてきたが現実は損することも多い
何故か原因が分からないまま資産運用で大きな損失を生じるようになった
そして、まだ素人の私だったが、私の資産運用に根本的な間違があることに気づき始めた

2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵)       儲ける⇒維持する=手堅い運用
円が万一暴落した場合、円はどうなるのか考えたら、やはり心配だ
円暴落時に資産を損なわず、時によって値上がり益も得られる可能性があるものを探した
資産運用が儲けることに片寄っており安全運用の視点が欠けていたことに気づいた
そこで円暴落の場合も考慮しながら資産を安全重視で運用する方法を考え始めた

3.どうしたのか、何をしたのか        2010年やる人が少なかった金、白金の現物購入開始
2010年金を買おうとあちこち店を探し始めた、ところが当時意外に見つからなかった
やっと辿り着いたのがインターネットで田中貴金属の貴金属購入売却サイトだった
当時は一般の人が金の現物などを買うという意識が日本では、ほとんどなかった
田中貴金属の手数料は高いが、預かりがしっかりしていること、売り買いが簡単が決め手
そして2010年3月購入開始即時買いで当初まず金と白金(プラチナ)を500万円くらい購入
その後も毎月定額を積み立てしていった、当初は毎月数万円で徐々に減らしていった
当時今から6年前だが金がグラム3400円くらいだったがその後5000円くらいまで上がった

4.どうなったのか       安全資産であり文字通り安全だが期待しなかったが値上がり益が出た
阿部ノミックスで5000円くらいまで上昇後、2015年をピークに価格は低迷していた
金・白金は安定資産であるがやはり、世界の経済情勢で若干上げ下げはある
買った金・白金は、売らない方針であったが、2015年あまりに高騰したので一時売却した
金の特徴は   中国やインドは金投資が昔から誰でも盛ん、金の宝飾品を持っている
1)絶対量が少ない    2)紙切れになることはない   3)宝飾品+工業+投資
3)円暴落に対しても強い   4)安全資産だが値上がりも期待できる
5)株価が上がると一般的に逆に金価格が下がる   6)金と白金は逆に動く場合がある

5.一体なにが原因で出来なかったのか       知らない、やり方わからない、怪し気という認識
1)金の現物を扱う業者が少なかったため、どうやって買うかわかりにくかった  
2)金の現物を買うという感覚がなかった   3)金や白金などは商品取引で怖いという認識
4)円の預金が当り前で資産運用の知識も経験もないのに、金・白金も全くわからない
5)金の保管が危険で嫌だった、私自身も金をどう保管するかが一番不安で苦心した
6)最初は金白金がどんなものかわからず、基礎知識吸収から始まった、やはり勉強が必要だ

6.何が良かったのか       お金は紙切れになる、安全資産+円安等による値上がり益
1)資産運用の基本は、運用益を沢山あげるより、損をしないで安全に運用すること
2)資産運用で失敗するのは儲けようと危険を冒したり、もっともっととあせる事
3)借金してまで投資を膨らます、現物でなく先物投資をして大損するが現物でこつこつ貯めた
4)金白金は紙くずにならないということが絶対安心である
5)中国やインドでは子供に金や白金の宝飾品を買い与えるが真似して私もやってみた
6)資源は、ドル安や円安になると上がるので安全資産以外の利益が得られる場合がある

7.提言       今や資産運用は金持ちだけのものではないし、預金や債券や信託だけではない
1)資産運用は金持ちのすることではない、知らないからやらないではない
2)資産運用に対する罪悪感を捨て、こつこつ金・白金などをためておくことが貧乏人にはよい
3)金白金を長期投資して少しづつ貯めるのが最も堅実、円や貨幣は暴落の危険あり
4)金白金は値上がりしても売らずにひたすらためていく、金白金の宝飾品もよい
5)グローバルな時代にはお金は、円預金だけでは危ない、金白金にも30%くらい充てる

73歳、相変わらず貧乏、現在は安曇川の町に近い田中竹の里の庭付き平屋でゆったり

出来た・出来ます骨子Nо.44「間食をしないで15年、凄く良い面が沢山あった」

2016-05-25 08:04:05 | 不可能を可能に
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間食をしないで15年、凄く良い面が沢山あった
    簡単に出来ることが出来ない⇒こういうことを克服しないと駄目駄目:間食、禁煙、節酒等

概要
1.過去はどうだったか       意外に間食しない人はいない、少なくとも私の周辺にはいない
戦後物のない時代には贅沢なお菓子や甘いものもなく間食も少なかった
高度成長期以来、贅沢な菓子や飲み物や食べ物があふれ間食も当然になった
十時と三時の休憩だけでなくのべつ間食する人が増えた、それとともに虫歯などが増加
高齢化に伴い、歯槽膿漏や歯が抜けてしまう本数が増え、入れ歯の人も増加
高齢化などで歯磨きがいい加減な上、口呼吸や口の乾燥で口内の虫歯菌などが増加

2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵)
「高齢化で歯は大事だ」という警告や親の入れ歯の苦労を知っていた
55歳頃、歯槽膿漏や歯に自信がなくなってきた、高齢に伴い歯が心配になった
歯磨きがいい加減であることを歯医者で言われ、真面目にやらんといかんと危機感を持った
そして15年前、一日4回の歯磨きや間食の禁止などが始まった

3.どうしたのか、何をしたのか       食後せっかっく歯を磨いても間食したら効果なし
間食を止めるというのは、かなり効果的であった、この方式は欲を強く抑制出来た
食事する ⇒ 歯磨いたら ⇒ 一切の間食を禁止  というルールを厳格に守り出した
ルールを決めて始めると意外にきちんと守られたのだ   間食しないと唾液で歯が再生する
「食事し歯磨いたら間食しない」というのが習慣や癖になった、間食に罪悪感を抱くように
良いことも続けないのでは何の意味もないが、私の場合は厳格に15年続いている
間食をしないことを守るために強い意志を持つ     食後歯磨き+食間は唾液で洗浄
但し歯磨く前であればゆっくりお菓子やコーヒーを飲むが、終わったら絶対に間食はしない

4.どうなったのか       不思議に続いているが食事終ったら歯磨く習慣が役立っている
1)間食しないルールが15年続いている     2)歯は健康なまま維持出来ている
3)「私が他家にお邪魔して間食しないことを告げると」一様にびっくりされる
  しかし、本来はびっくりするようなことではなく、当然やるべきことなのだ
4)ルールは作っても完全に守り続けているものは少ないが、間食禁止は守られている
5)「歯磨いたら食べない」という考えを「○○したらやらない」と何にでも応用している
○○したらという条件を付けることで、その後は出来ないというやり方は守りやすい
例えば  ・家では禁煙   ・寝床に入ったら考えない  ・夕食後寝るまで飲食しない

5.一体なにが原因で出来なかったのか       何だかんだと理由や言い訳をして守らない
それでも食後の歯磨きをしない人夜寝る前の歯磨きもいい加減な人が多い
また食後歯を磨いても間食や間飲をしてしまい口内が汚れたままにしている
ついつい、今日はいいじゃないか、時々はいいじゃないか、何か理由をつけて守らない
間食が好きでとか、疲れたから間食とか、間食しながら駄弁るとか間食する理由をつける
間食くらいで歯は悪くはならないと勝手な言い訳をしてしまう(全く妥当性がない)

6.何が良かったのか       間食しないと、その間唾液が有効に働き歯が丈夫になる
間食は虫歯や歯槽膿漏対策として始めたのだが、その他いろいろな効果があった
1)虫歯や歯の病気が減ったし、未だに奥歯を除く28本の歯が健在である
2)胃や腸の具合も良好     3)歯の中が常に清潔であり、口臭がなくなる
4)一日4回磨くのに、更に間食すると更に回数が増え、しかも口内清潔が維持が難しくなる
5)高齢化とともに就寝時に口が渇き、虫歯になりやすいが、口内が清潔なので防げている
6)高齢化とともに口内環境は急速に悪化するが55歳くらと早くから間食を止めて良かった
7)高齢で歯を守るには①一日4度磨き②間食しない③鼻炎を直し口呼吸を防ぐ④節酒・禁煙

7.提言       間食は非常に無駄で悪習慣・悪癖であると強く認識する
1)たかが間食されど間食、食事し、歯磨き、そして間食をしないを守り通す、トライせよ
2)胃や腸に四六時中食べ物や飲み物が滞留していることは良くない、胃腸も休ませる
3)間食後も歯磨きをきちんとするか、間食を止めるかだが、間食を止めるほうが続く
4)歯磨き限らずにだらだらと一日中無用なことをする悪い癖を改めるのは良いことだ

お蔭さま、73歳なんとか歯はぎりぎり良好

出来た・出来ます骨子Nо.43「身体各部を隈なく動かす習慣をつけ、運動は食事同様偏りはいけない」

2016-05-23 07:50:29 | 不可能を可能に
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身体各部を隈なく動かす習慣をつける、運動は食事と同じ、偏りはいけない

概要
1.過去はどうだったか       何となく動かしていたり、一部を酷使していたが、合理性を
若い頃は身体を動かしていたが動くから勝手に動かしていただけ、合理性に欠けていた
若い時はむしろ動かし過ぎて身体を悪くしている、その症状が歳とって現れる
歳とると身体を動かしたくても思うように動かないし、動かさなくなり、諦めが始まる
若い時の身体と明らかに違ってくる、若い時に出来たことが出来なくなる
「もう歳だから身体があちこち痛くてうまく動かない」と動かさないことを正当化する

2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵)  老け込む自分を猛反省
私も山で作業し過ぎたのと高齢化で腰痛やあちこちが機能しなくなってきた
ところが原因は使いすぎと加齢だけではないことを見落としている
見落としているのは、身体の使いすぎどころではなく、使っていないことが原因
身体を一か所動かし過ぎてもいけないが実は圧倒的に、動かさない身体の場所が多い
いや、むしろ動かさないで身体が動かず、不自由になっていうことのほうが多いの

3.どうしたのか、何をしたのか       基本的運動:ラジオ体操+ストレッチ+家事+歩行
山ですごく同じ野良作業をしたために腰痛がひどくなったと勘違いしていた
そうではない腰だけ無理し過ぎて、反対に、使わない部位が多かったということなのだ
例えば、使い過ぎ部位と使ってない部位があると、使い過ぎ部位のせいにしてしまう
使っていない部位を動かすと、頑張っていた使い過ぎ部位の負担が軽減するのだ
物事は分散・分担、バランスが大事だ、腰痛だと腰痛だけに関心が行ってしまう
腰痛だったら普段使わない筋肉を使う運動をむしろどんどんすべきなのだ

4.どうなったのか       歳取ったら、身体を動かさないではなく、使わない部位を積極的に動かす
ラジオ体操を真剣にしている、ややもすると歳だからといい加減なラジオ体操をしてしまう
そうではなく、普段使わない筋肉を使う意識でラジオ体操をすることだ
また一日中身体を動かす、例えば、雑草とり、サイクリング、ストレッチ、体操、家事・・・・
普段使わない筋肉を意識する、腰痛だからと腰を庇わない、関係ない場所も動かす
歳のせいや腰痛のせいにせず、普段使わない身体の部分を動かす運動や作業をする
家事+仕事+基本的な体操+動かさない部位の運動+筋肉強化運動を続けている

5.一体なにが原因で出来なかったのか       全体を万遍なく動かそうとしていない
1)歳のせいにする    2)腰痛だから出来ないとする   3)諦める
4)身体のあらゆる部分を動かすことの大事さを認識していない
5)仕事が忙しいとか、別に何ともないからなどと身体を動かさない暮らしを当然としてしまう
6)無理して何か一つの運動に片寄ってしまいごく普通の体操などを軽んじる
高齢者でよく見られるのが、腰痛を我慢し、テニスとか卓球ばかりをやって止めようとしない
7)歩くのが良いなどと一日一万歩を腰痛を押して糞真面目に頑張っている

6.何が良かったのか       高齢者にふさわしいプログラムを独自に考案し実行している
一時はすごい腰痛で、いよいよ私も歳かなどと医者や整体に通ったが結果的に無駄と分かった
整体も駄目だと分かってもう駄目かと諦めかけたが、やり方が悪いと思い直した
まず始めたのがサイクリングだ、最初はかなり無理だったが、足腰に筋肉がついた
それから従来の雑草取りや山や空き地の清掃や家事は従来通り続けた
椅子に座りっぱなしは従来どおり気を付けて時々外で動くようにしている
最近ラジオ体操を朝晩二回やっている、だんだん強さを上がって調子は良いので続けている
なにしろ姿勢が悪い場合は矯正する体操やストレッチ動かさない箇所は努めて動かしている

7.提言       是非全体的見直しを:運動も食事同様にバランスよく何でもやることだ
1)現在の運動や家事や作業や歩行の量や質を見直し、バランスよくきちんとやるようにした
2)その上で身体を万遍なく動かしているか強さや量は良いか確認する
3)基本的に歩行・ストレッチ・逆ぞり・ラジオ体操2回・動かさない部位の体操が必要
4)年齢的に腰痛等の場合でも腰痛を直す運動や動かしていない部位の体操を取り入れる

サイクリングは定常的に買い物などで乗ってます


最近安曇川周辺の近くの山登りも始めました

出来た・出来ます骨子Nо.42「嘘誤魔化しの都会暮らしからの脱出」

2016-05-19 08:29:37 | 不可能を可能に
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嘘誤魔化しの都会暮らしからの脱出

概要
1.過去はどうだったか       今思えば昔、江戸時代や戦後の都会はまだ良かった
東京・大阪・京都と都会を次々に暮らしてきた、便利で豊?「住めば都」だったのだ
しかし戦後の東京はまだ、自動車もなく、ゆったり田舎みたいな都会であった
都会には進歩や発展がどんどん形を現して行き、とんでもなく変わってしまった
都会は高度成長の象徴であった、よくよく見れば、狭い、汚い、煩い、暑い、危険になった
そして、都会はどんどん嘘誤魔化しの町になっていたのだ

2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵)
しかし55歳で妻を亡くし、安曇川の山の中に暮らし始めて大きく変わり始めた
当初は山に少しだけ、そのうち徐々に山に暮す期間が長くなって行った
そして18年後はほとんど山や田舎で暮らすようになった、山暮らしを知り都会には戻れない
都会に出てくると、その異常さに驚き、恐れや怖さを感じ、不快感を催すまでになった

3.どうしたのか、何をしたのか       都会暮らしにきっぱりサヨナラを告げたのだ
京都から安曇川の長尾の山のなか別荘地でも稀なひっそりした自然豊な場所で暮らした
山もかなり便利にはなったが、都会との差は大きい、店が近くにないので町まで出かける
虫が大量侵入、大木がいきなり倒れる、水が止まる、手を切って医者までバイクで走る
そういう自然で不便な暮らしを続けると、創意工夫や、どんな事態にも対応する能力がついた
都会は人口が多いからいろいろなサービスが簡単に得られる、しかしマイナス面も多い
都会では得ているものも多いが、それ以上に失っているものが多すぎる、それに気づいてない
都会の暮らし方と田舎や山奥の暮らし方は大きく違う、私は55年間の都会暮らしを捨てた

4.どうなったのか       見回せば都会は全てが嘘誤魔化し、自然なものが少ない
1)人もほとんど住まない山の自然の環境の中で自分自身が丸洗いされた
都会はほとんどが嘘誤魔化し、山はほとんど嘘誤魔化しがない
都会の嘘誤魔化しを一部洗い出してみると
・勝ち負け  ・すぐに怒る   ・争い  ・他人のせいにする  ・家が狭い  ・隣と挨拶しない
・自動車いらないのにやたらに多い   ・美しく飾る   ・見栄はる   ・面倒は避ける
・頑固   ・家事や汗水たらして作業しない   ・木草花がない   ・エアコンかける   
・やたらに出かける   ・庭がないので室内でテレビやゲーム   ・流行を追う

5.一体なにが原因で出来なかったのか       都会に暮していること自体が原因である
・都会に人が集中する     ・家の価格が高い    ・近所の人との付き合いを鬱陶しがる
・舗装しコンクリートで覆う、土や自然素材がない    ・働く、会社勤めが前提で都会に住む
・都会に家を持つだけで精一杯、山に家まで持てない  ・わざわざ山に住む必要を感じない
・日頃ストレスだらけ疲れ切っている   ・人が多い、人の目を気にし過ぎる
・何かあると業者や役所や会社に依存する  ・自分で考え決断し、実行しない癖がついた

6.何が良かったのか       山で都会の嘘誤魔化しを洗い流し、自然の生き方に戻る
山では都会のように便利ではなく、他人に頼ることも出来ずに自分で何とかしなくてはならない
 ・水が出ない ⇒  なんとか水を確保する
 ・虫が大量に部屋に流入 ⇒ いろい工夫して虫を捕獲する、虫も嫌いでなくなる
 ・大木が倒れそうになる ⇒ 皆の協力を得ながら木を切り倒す
 ・雑草が生え放題 ⇒ 日常作業として雑草を刈る、野菜や果樹を植え恵みを受ける
どんな事態が来ても狼狽えないで、まず自分でどうしようと考え、創意工夫して実行出来るようになる
不便がさほど苦でなくなる   山は綺麗で静かで涼しい  近所付き合いも昔のように深い

7.提言       都会は麻薬のように「より強い麻薬や量が増えていくだけのこと」なのだ
・まず都会の暮らし方・生き方を深く疑うことだ、よく考えてみると、こんな異常なものはない
・次に人の少ない山で自然を味わいながら、不便も甘んじてこなし、10年以上自然に暮らす
・人生や生き方や暮らし方を変えていく、そして出来れば都会から田舎に移り住む
・麻薬依存のように都会の暮らしに依存し、抜け出せなくなっている、それに気づくべきだ



土間もある、そこには大工道具が、昔や田舎では当たり前の状況だった

出来た・出来ます骨子Nо.41「友人をえり好みしない、誰とも付き合う、友人も偏食は良くない」

2016-05-17 19:51:21 | 不可能を可能に
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テーマ
友人をえり好みしない、誰とも付き合う、友人も偏食は良くない

概要
1.過去はどうだったか
私は若い時から55歳まで友人がいなかった、孤独な時代が続いた
特に嫌いな人は苦手で更にまるで付き合えなかった、えり好みひどかった
女性も苦手だった、彼女もほとんどいなかったし、妻他界後も彼女はできなかった
人は基本的に誰も同じなのだが自分の心の中に苦手と気楽に分類してしまう
年齢・性別・能力・専門分野・趣味・やさしさ、取っつき易さ・・・などで苦手を作ってしまう

2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵)
友人のえり好みは55歳くらいまで続いたから、何故か急に変わったのだ
不思議と云えば不思議、65歳くらいからは明らかにえり好みは全くなくなっていた
むしろ、あえて誰とも付き合おうとする自分がいたし、その変化を確信した
55歳で山暮らしを始め、コンサルタントを自営、人生勉強会立上げたが関係あるのか?

3.どうしたのか、何をしたのか       過去の人付き合いの観念が変わった
花だって根が強くなって、しっかり根づき、時節が来るまでは花も実もならない
私の場合も長年いろいろなことをやって、かつ人生を深く追及してきた結果だった
60歳くらいか会話に目覚めた、会話下手がかえって深く会話を究めていたようだ
そして少しづつ人と会話することが急速に楽しくなって、付き合う範囲も広がって行った
更に人生勉強の一環か、人間との付き合いはどうあるべきか考えて行った
そうすると人をえり好みすることの愚かさ意味のなさに気づいた、なんとも恥ずかしいことだ
何故長いこと意味のない観念に縛られてきたのか、そして過去の観念を打ち破るきっかけに

4.どうなったのか 会話しないと決めている人が多いが、会話すると人は変わる
現代人は人を物扱いしている、人を物扱いせず、同じ人としてゆったり向き合い始めた
相手が格別に話したくないという場合は無理することはないが、誰とも進んで話すようになった
人付き合いに結果を求めすぎない、相手の受け止め方を気にしない、でも相手を思いやる
世の中に嫌われ者という人がおり、私も付き合わなかったが、それをやめた
嫌われ者の人の傾向は会話に相手が嫌がる癖があることだが、会話を通じて治って行く
現代人は会話をしないが、私は隣人とも話す、挨拶は必ずする、苦手な人とも話す
会話は人を大きく変える、会話をするようにすることで自分は不思議に大きく変わっていく

5.一体なにが原因で出来なかったのか       会話、付き合いを功利的に考えていませんか?
人は自分も相手もえり好みするもので、好きな人とだけ付き合うのが当たり前なのだ
人間は好きな人間を探して付き合う、しかし人間とは利害が対立するもので
自分にとって面白いことしてくれる、やさしい、利益をくれる、おだててくれる相手を好む
しかしそんな都合の良い相手はいない、いても常時そうだとは限らない
私のようにひ弱で神経質な人間はえり好みがすごくきついのだ

6.何が良かったのか       「この人とは付き合わない、この人とは付き合う」から脱却
まず55歳から山にひっそり暮らしたことが全てについて変わった原因だった
人から離れ、まず都会に溢れる人から遠ざかり、自分を見直す、人を見直す、人生も見直した
昔から急にある年齢で隠遁する人が多かったが、隠遁は人間を大きく変えることを知った
人付き合いが下手だから人付き合いを一生懸命するより、人付き合いを止めることが良かった
都会の嘘誤魔化しを一度洗い流したことで若い頃からの悩みが一挙に解決したのだ
寂しい、つまらない、だから人と付き合いたい、だがしかし、えり好みをするという矛盾
嫌われ者の人でもあえて平然と付き合うことが更に付き合いの素晴らしさを体感した

7.提言       過去を全て洗い流すと大きく変われる原点に戻れる
出来るかどうか知らないが、私のように人里離れた場所に隠遁することをお勧めする
人はつまらん、意味のないことに捕らわれて抜け出せないのだが、ある歳で、何とかすべきだ
人との付き合いを自分のため、功利的に考えがちだが、そうではない、楽しいお遊びなのだ
ゆったり人と付き合う、争うのでなく、見栄張らない、楽しさを交換しあう、優雅ささえある

山のログハウスは贅沢あったり美しいより質素で自然がいい

出来た・出来ます骨子Nо.40「73歳にして惑わず、やっと善悪や物事の判断等に惑わなくなった」

2016-05-15 08:05:24 | 不可能を可能に
出来た・出来ます骨子掲載開始   ⇒指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
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「73歳にして惑わず」長かったがやっと善悪や物事の判断等に惑わなくなった

概要
1.過去はどうだったか       惑うのは若き人の象徴だが、いい歳して惑っているのは笑止
若き時は,誰でもそうかもしれないが、コンプレックスと自信のなさとひ弱で悩む日々だった
社会に出てもその癖は治るどころか益々ひどくなって行った、悩みの根本は惑いなのだ
迷わず物事をテキパキ見極めて判断していくなんて、そんなにすぐには全くできなかった
60歳になっても惑わず、的確な判断を下すなんて、全く出来る目途も立たなかった
惑わず我が道を行くなんてのは偉い禅僧だけが出来るほど遠いことだと諦めていた

2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵)
しかし東京⇒大阪⇒京都⇒滋賀の山の中で暮らすうちに、やっと心境は変化してきた
しかもМ電器⇒E工業⇒R社⇒Tコンサルタント⇒自営と転職も心境変化に役立った
悟りからは程遠いが、しかしそれ以前に比べて惑いが減り、判断が的確になって来た
会社も、仕事も、住まいも、暮らしも友人も変わって結果的に相乗効果があった
過去を捨てたとか断捨離出来たと迄は言わないが、過去を整理整頓清掃したような感じだ

3.どうしたのか、何をしたのか       やはり時間がかかる、簡単にすぐに出来るものではない
惑うとは若い人、未熟な人の特権であり、大人になっても的確な判断が出来ない人は子供
大人とは惑わずに的確な判断を下せる人、でも60歳70歳でもふらふらしている人が多い
私の場合、あれこれ変わることを自ら決断し、いろいろやり続けてきたことだ
それらの多くの経験を更にフルイにかけ、断捨離して、削ぎ落としてきたことだ
都会で嘘・誤魔化しにまみれ、嘘・誤魔化しのなかで藻掻きに藻掻いて、溺れなかった
山の中で静かに自然と18年向き合えたこと、都会の嘘・誤魔化しを捨て去ったことも良かった
基本原点に返ろうと暮らし方を変え、嘘・誤魔化しの中で藻掻き惑うことがなくなった

4.どうなったのか       基本・原点・ゼロ・無・和・自然などが自分に戻ってきた
1)何事も基本原点に立ち帰って考えるから、嘘誤魔化しを前提に考えるから惑うのだ
2)善し悪しや大小や損得や清濁など物事を二元対立で捕らえなくなった
3)つまらん些細な利害・欲得に囚われて考えたり、判断しなくなった
4)ある意味、難しく考えなくて済むようになった、若い時は、つまらんことを考え過ぎていた
5)柔軟さが出てきたというか、固定感念とか頑固さとか自分が自分がもなくなったのだろう
6)いつも笑顔で誰とも気さくに話をする習慣が更に心に余裕を持たせている
7)誰かが見ている、誰かの為にやっている、褒めて欲しいという意識は完全に遠のいた

5.一体なにが原因で出来なかったのか       簡単に言えば「どうでもいい」ということだろう
1)常に嘘・誤魔化しの上で考えるのが当たり前になっている
2)善し悪しや大小や損得などに囚われる
3)よい格好したい、自分だけよければいい、他人のためにしてやるという認識が邪魔する
4)基本、原点に帰れないから、嘘誤魔化しや間違った立場で物事を考えてしまう
5)考えすぎ、考えなくてもいいことを考えるから、迷う、悩む、苦しむ

6.何が良かったのか       ときどきの変化に逆らわずに、従ってきたこと
「四十にして惑わず」というが、現代の私は70歳でやっと惑わないようになった
現代ではますます嘘・誤魔化しの中から出られず、そのまま不惑を知らずに老いてしまう
55歳で会社勤めを辞め、経営コンサルタントになり、山で暮らしたことは幸運だった
金持ちでもなく、頭が良かったわけでもなく、顔かたちは並、虚弱で良かった
持ち過ぎ、考え過ぎ、偉くなり過ぎ、欲張り過ぎにならなかったことも、かえって良かった
会社員を辞め55歳から18年間山の中で暮らすことになったことも、何とも不思議だ
ある年齢に達したら基本原点に戻るために、身の回りを断捨離することは確かに必要だ

7.提言       40歳とは言わないが、70歳では不惑を目指して努力して欲しい
1)出来るだけ若いときから真面目に真剣に人生と取り組むこと
2)あれこれ体験し、あちこち住み、あれこれ仕事し、あれこれ付き合い、あれこれ失敗し・・・・
3)60歳になったら断捨離、整理整頓清掃清潔躾、基本原点自然を取り戻す
4)嘘・誤魔化しから離れること、糞まみれの自分を続けていてはならない

昨年72歳で山を下り町の田中に平屋の中古を買って住んでいます。ここで最後を迎えます

出来た・出来ます骨子Nо.39「物書きが全く駄目な私が50歳くらいから、読み書き話すが仕事になった」

2016-05-14 06:50:31 | 不可能を可能に
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台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
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物書きが全く駄目な私が50歳くらいから、読み書き話すが仕事になった

概要
1.過去はどうだったか       たとえ若い時に才能がなくても諦めない、続けること
小~高校まで国語は最悪の成績、読み書きは全然駄目な私だった
その後大学もほぼ同じで、本もほとんど読まなかったし物を書くなんてのは最悪
会社に入って最初の仕事が幸か不幸か管理技術部、物書きと人前で話す仕事だった
物書いて上司に持って行くと真っ赤に直された、そしてまだ本もほとんど読まなかった
会社での物書きとの葛藤の毎日だったが、すぐに読み書きに自信が出来てきたわけでもない

2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵)
まあ最初のМ社で物書きや人前で話す仕事を10年やったことは良かった
先輩に辛抱強く文章を直して指導してもらったことが良かった、貴重な経験だった
京都に家を買い毎日М電器へ通う電車で、急激に本を猛烈に読むようになった
そしてその後も会社を2回転職したが、やはり物書きの仕事はついて廻った
更に55歳でコンサルタントを自営した頃から本格的に物書きや講演者に結実して行った

3.どうしたのか、何をしたのか       物書きや話すことから逃げない
1)М電器で10年管理技術部、物書きと人前で話す仕事だった、そんな経験はなかなか出来ない
2)その後もE工業もR社も物書き的と人前で話す仕事も多かった
3)コンサルタントになって一挙に完全に物書きと人前で話す仕事になった
4)インターネットを始め、ホームページをいち早く自分で作成し事業もすぐ軌道に乗った
5)人生ホームページを開始、blogも開始①人生②山暮らし③出来た出来ます
最近は毎日書いているし、新たなテーマでも短時間で集中的に原稿が作成できるように進化完成段階へ

4.どうなったのか       いろいろ体験するとともに確実に着実に物書きを鍛錬していく
25~35歳 : 初心者の時代修行時代   失敗し直され、まあ必死で物書きと人前で話
35~45歳 : 熟成時代・経験時代   物書きより社会経験を広め深めた
45~55歳 : 先生時代、進化時代   コンサルタントとして書く・話す・講演する
55~65歳 : 自然人時代、blog書時代   ゆったり山で暮らし人生を深めながら物書き完成へ
65歳~   : 本格定着時代   終の棲家で文字通り悠々自適、物書きと会話と農作業を楽しむ
現在は物書きも自由自在、それほど苦しまずに原稿がすいすい書けるようになった
一番苦手だったことだった物書きと人前で話すことを50年やってきて良かった

5.一体なにが原因で出来なかったのか       人生はとにかく読み・書き・話す・動くが基本
1)物を書かない、毎日書く習慣がない
2)悩まない、自分で物を考えない、創意工夫しない、人生を深く追求しない
3)本を読まない、講演を聴かない、深く聴かない、聴いたものを活かそうとしない
4)物書きの仕事をしたことがない、先輩の文章添削指導を受けたことがない
5)自由奔放に生きてこなかった、異文化体験もなかった、あれこれやって来なかった

6.何が良かったのか       「読み書き話す」人生そのものが豊に深くなって来る
1)物を書く、話すことが物事をより深く考えるのに役立っている
2)人とのコミュニケーションが自由自在に楽しく出来るようになった
3)人生が豊に、より深く、広く、味わい深くなってきた
4)物事が自分自身で考え、評価し、自分で的確に意思決定することが出来るようになった
5)読み・書き・話すが人間の頭を活性化し、いきいき考え、いきいき暮らせる根源だ
6)書き物の出来ない人は多い、本を沢山読もうと、会話好きだろうと人生が薄っぺらい
7)物書きによってインターネットの時代には自分の考えを世に問えるし仕事にもなり得る

7.提言       なにしろ考え・やって・失敗し・・・・それらを書くことだ
1)自分独自の考えを持つこと、考える習慣を持つこと
2)自由奔放に自分の意志で暮らすこと、73際、迷うこと少なく、日々をゆったり暮らしている
3)あちこち引っ越しすること、仕事や会社もいろいろ変わって異文化を体験することになる
4)本を沢山読むこと、講演も沢山聴くこと、更に自分で独自の思考や体験をどんどん積み上げる

18年ひっそり暮らした山のログハウスの書斎です、自然に囲まれ、静かに物書き、恵まれているでしょ
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出来た・出来ます骨子Nо.38「孤独な若い時期、身寄り無し京都、妻が他界、今さわやか独居老人」

2016-05-13 08:48:41 | 不可能を可能に
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孤独な若い時期、身寄りのない京都、妻にも他界されたが、今やさわやか独居老人

概要
1.過去はどうだったか       54歳まで、とことん孤独だった
小~高校まで人付き合いが下手とコンプレックスで孤独で友人はごく少なかった
大阪のМ電器でも社内で格別に親しい友人はできなかった
30歳くらいまでほとんど一人で行動していたように思う
京都のR社でもさほど親しい友人や先輩も出来なかった、ひたすら自分自身との会話だった
55歳コンサルタントを自営するまでずーっと孤独のまま生きてきた
山に18年暮らしてきたが、今は麓の田中の家で独居老人になったが、楽しい

2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵)
ある意味私の人生は孤独な人生そしてつらい孤独から徐々に楽しい孤独になって行った
幼少期は戦後の貧しい時代であり、自分の身体や顔や健康や頭の悪さのコンプレックス
子供の時から孤独、そのまま55歳まで孤独と向き合ってきたが、現在は悪い面だけではない

3.どうしたのか、何をしたのか       目立たない、うわさも評価もされない、それで良かった
1)孤独だからいつも友人も大体一人だけ、それもそれなりに良かった面もあり
2)孤独はややつらい面はあるが、つらさは人間に強さを育むのだと思う
3)自分で考える、自分で行動する、自分で悩み、自分で解決する癖がついた
4)若い時の孤独はつらい、しかしそれを50年余り続けてきたことで今の自分がある
5)世の中に孤独でない人と私のような孤独な人がいる、今思えばそれが私の個性だった
6)何も悩むことなどなかったのだが、若き私めの悩みは無駄ではなかった
7)55歳で山の中にひっそり暮らし始め18年後麓の田中に平屋を購入し楽しい独居老人になる

4.どうなったのか       孤独であることに負けるのではなく、むしろ打ち勝つ
自分で考える癖、自分で解決する癖、自分で踏ん張る力
一人で決断する癖、一人で行動する癖、一人自由に行動する癖
他人に依存しない癖、他人のせいにしない癖、他人を真似ない癖
他人を真似ない癖、独自に生きる癖
人知れず、人の役にたつことを喜ぶ癖、人にこれ見よがしにしない癖
自分の考えでやりたいこと、自分が良いと思ったことをやる癖
波風立てず、他人に迷惑かけず、仲良く円満にしようとする癖

5.一体なにが原因で出来なかったのか       人は孤独で良い、あえて悪い原因は考えない
孤独に原因も糞もない、孤独は良いも悪いもない、そのまま受け入れればよいのだ
悩むのであれば孤独で悩むなんてのが人生では一番よいのかもしれない
孤独も大いに楽しむべし、格別悩む必要はなかったのだ
友人知人家族にも縛られず、土地にも会社にも縛られない
孤独という独房はたまた山奥に自分を閉じ込めて、より深く自分や人を知る

6.何が良かったのか       孤独に苦しめられて以来55年少しづつ孤独から解き放たれた
孤独によって自分を深く知ればそれはプラスだ
孤独によって他人の目を気にせず、自由に行動できればそれはプラスだ
孤独によって独自な考えが出来ればそれはプラスだ
孤独によって何事にも安易に影響されなければそれはプラスだ
孤独によって嘘誤魔化しがなくなればそれはプラスだ
孤独によって他人に優しくなればそれはプラスだ
孤独によって創意工夫し優れた発想を自分で具体化出来ればそれはプラスだ
孤独によって何事も、何時も、苦にせず冷静に我慢することが出来ればそれはプラスだ

7.提言       都会では、孤独は悩みとなりがちだが、私にとって孤独はむしろ良薬・良法だった
1)孤独であることを悩みや苦にせず、気軽に、むしろ余裕を持って向き合って行くことだ
2)孤独によるマイナス面ばかりに捕らわれず、むしろプラス面に着目することだ
3)人は他人に依存せずに自立・自律し、自力で生きていくことが人には求められるのだ
4)いざとなると絆がどうのというが、絆も各自の自力がなければ何の価値もない

安曇川田中で田舎町の暮らしをゆったり楽しむ日々です

出来た・出来ます骨子Nо.37「空き地をどうする?地主にも近隣住民にも自分にも三方良し」

2016-05-12 06:57:32 | 不可能を可能に
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   滋賀支所: 滋賀県高島市安曇川町田中(竹の里)     
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空き地をどうするのか?地主にとっても近隣住民にとっても自分にも三方良し

概要
1.過去はどうだったか       限界集落・管理放棄空き地・空き家が増えている
都会には空き地はないが田舎には空き地が目立つ、昔買って家を建てずじまい、買い手もいない
ここ50年くらいで売りに出した物件が結局値上がりどころか値下がりしている
高齢化や景気減速で買う人がほとんどいない、ましてや家を建てる人はいない
現在も長尾の山の土地所有者も高齢化やすでに死去していて、ただ同然だ
安曇川の町の田中も89軒家があり、ほぼ同数の空き地がある、空き地は雑草だらけ

2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵)
安曇川長尾の山の中で空き地が多く、放置された空き地の手入れを始めた
空き地というより実質放棄地、無管理地なので放置しておくと環境はすこぶる悪化する
琵琶湖周辺は別荘地が多いが最近はどこも空き地に雑草が蔓延っている有様だ
空き家も多く、家を使わないのでシロアリの害が増えている、田中、竹の里も同様である
空き地は誰かが管理するかというと地主が依頼もしないし、意思表示もしないので荒れ果てる

3.どうしたのか、何をしたのか       誰かがやらないと急速に環境悪化する
 1)長尾の山の場合 私の判断で放棄地を継続的に手入れして行った
   様子を見て管理放棄が明確な場合は、勝手に手入れを始め、雑草取り、ごみ処理を実施
   結果的には好評であり、クレームもほとんどない、環境はかなり良好に維持されている
 2)田中竹の里の場合 まだ住み始めだが家の周囲の空き地だけ環境維持程度
   外観は宅地であるので、長尾のように広範囲には勝手な手入れはできそうもない
   家の前の空き地は情報としてある程度は手入れしてよさそうなので雑草刈などをしている

4.どうなったのか        ある程度住人がやってあげることが大事
 1)長尾の山の場合
  自分の家の前の大きな林は広いが5年かけて全部片づけその後も継続的に整備してきた
  私のブロックの空き地は当初放置され雑草だらけであったが雑草や枯れ木を伐採し整備
  その後も順次広い管理放棄の他人の土地を環境整備するとともに美観も整えて行った
  18年づーっと続けてきたので少しづつだが確実にきれいになって行った、クレームは出てない
 2)田中竹の里の場合
  とりあえず私の家の道路の20mくらいは雑草抜きや空き家の庭や玄関を整備
  家の前の大きな空き地は蔓延った不要なしつこい根っこを抜き取ったり、美観を整えている
  しかし山と違い人が住んでいるし宅地なのでクレームが出ない程度、清掃程度にした

5.一体なにが原因で出来なかったのか       法制化が必要になってくる
田舎特に山では管理放棄された土地が多い、買った人が他界、高齢化が原因
しかし持ち主もわからない他人の土地を勝手にイジルと訴えられる恐れがある
そうだからと言って、環境悪化するのは住人にとっては看過出来ない
機械力を利用し大規模に楽には整備できない、時間をかけて少しづつ恐る恐るやるしかない
私のようにやる気力体力がある人がほとんどいないので荒れたひどい環境になってしまう

6.何が良かったのか       環境維持が大事で、環境悪化したら手遅れになる
長尾の山の場合私が、自己責任で18年かけて少しづつ続けてきたこと
その結果環境が悪化せずにむしろ美化されて維持されていること
私の住むブロックは美観や環境が維持されているが(その他の場所はひどい状況だ)
こういう場合ほったらかしもいけないしやり過ぎもいけないが、結果的に文句は一切出なかった
山は自然環境が素晴らしいことが価値ですが、環境悪化させずに維持できたこと
私のブロックはさびれることなくその後も継続的に新しい人が入ってきたこと

7.提言        自分の家の周辺という感覚で日々やっておくことです
1)管理放棄した空き地を役所や住人がある程度整備できる法律が必要である
2)そうしないと日本中が環境や美観のひどい場所が増加し手がつけられなくなる
3)住人の可能であれば地主に確認し、ある程度日常管理をやってあげないとしかたない
4)役所も重機や農機具で管理放棄地やごみ屋敷は強制的に整備・清掃する法制化が必要

長尾の山のログハウスの前の荒れていた林は今や美しい紅葉の小道のある林に


空き地も有効活用しています