goo blog サービス終了のお知らせ 

村上原基の「出来た・出来ます体験」を紹介します。どうしても出来なかったことが何かのきっかけや工夫で出来た体験を広めたい

例えば英会話等出来なかったことが結果的に出来たという事例を紹介し、出来ないで悩み続け、具体的な話を聞きたい方に講師紹介

出来た・出来ます骨子Nо.66「結果を追う人でなく原因を深く追う人になれ、真剣かつ真面目に懲りよ」

2016-08-15 07:23:25 | 不可能を可能に
出来た・出来ます骨子Nо.66「結果を追う人でなく原因を深く追う人になれ、真剣かつ真面目に懲りよ」
出来た・出来ます骨子掲載開始   ⇒指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
   京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町ファミール伏見
   滋賀支所: 滋賀県高島市安曇川町田中(竹の里)     
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談や出来ない相談にお越し下さい⇒滋賀支所又は京都事務所へ
骨子について指導や講演を依頼したい場合⇒依頼ホームページへ

blogの冒頭頁へ

安曇川田舎暮らし案内ボランティア
安曇川の暮らしをご案内します車でお越し下さい
同乗させて戴き私の家を中心に紹介します。  9時~12時までに安曇川駅にて解散
JR安曇川駅集合9時、村上同乗
田舎町田中の家⇒長尾山の家⇒安曇川駅周辺
ご希望で朽木、新旭、高島を時間が許す限り回ります
メイル


安曇川長尾のログハウス売り出し中

テーマ
結果を追う人でなく原因を深く追う人になれ、真剣かつ真面目に懲りよ

概要
1.過去はどうだったか       二度も三度もいやもっと同じ過ちを繰り返してきたが直らない
品質管理でよく言われることは、不良が出たらその原因を的確につかめということ
ところが現実は、結果は分かりやすいが原因は追究が難しく、面倒臭いので多くの人はやらない
そこで何回も同じ悪い結果をやり続けてしまうことが多い
・二度同じ過ちを繰り返すな:原因追究型 / ・二度あることは三度ある:結果追究型
私は、元来セッカチな性格のせいか、よく同じ過ちを犯すし、私以外の多くの人も同様らしい

2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵)       
5~6年前にのこぎりで指先を深く切り、神経も切り、縫う怪我をし、いまだに指が上手く動かない
その時の原因分析は、鋸を使う場合物の固定は鋸から離した安全な位置をしっかり持てだった
しかし最近、購入した剪定ばさみで枝を切っていて、ふと人差し指の先端を切ってしまった
二度刃物による指切断(数針縫う怪我)同じ過ちをしてしまった、その原因は
1)のこぎりだけでなく刃物全体として原因分析し対策を考えなかったこと
そうして改めて原因分析すると
1)慣れによる注意不足  2)歳のせいで注意が抜ける時が増えている  3)作業方法ルール化

3.どうしたのか、何をしたのか       違う切断具で、手を縫う怪我をまたまたやってしまった
そこで対策であるが    高齢者の自動車運転に通じるし、更に、何にでも通じそうである)
1)作業開始時に都度十分な安全な作業方法を確認する(「これでよし!」みたいに確認する)
2)ゆっくり確認をする、一回でなく二回三回確認する
3)作業の安全性を都度きちんと確認する(曖昧な状況で見切り発車しない)
4)特に危険な刃物作業はやめる、やるのならばあわてないで超ゆっくりやる
高齢者として刃物以外に何にでも通じるので、”災い変じて福となす”になったわけである

4.どうなったのか       「またやってしまった」ということが多くないか、増えていないか?
大きな指の怪我2回目、またまた、やってしまた、しまった、 己のお粗末さにがっかりした
自分に愛想がつきたというか、今後3度目の可能性や危機感を感じた
自分なりに一度で懲りたように思っていたが、しっかりと懲りていなかったことを反省
一度目のときにある程度怪我が直ってくると、”喉元過ぎれば熱さ忘れる”になってしまっていた
一度目に二度目に起きる恐怖や不安をもっと強く・深く感じるべきであったと反省
”慣れた頃に事故が起きる”というが本当だという実感を味わった

5.一体なにが原因で出来なかったのか       人間として当たり前の原因だったのだが・・・
大怪我一回目では懲りなかったこと、かなり大きな怪我でも一度では、時間が経てば忘れてしまう
一回目の原因分析が部分的であったこと、原因を3つ以上は出すべきだった
人間は懲りないと改めない、ということだから、早く懲りるべきだが、小さな懲りでは駄目だった
特に”歳をとること自身が原因になってしまう”という現実と真摯に向き合うこと
歳をとったら呆けてくるので、とにかく深く分析したり、インターネットなどで、しっかり調べること

6.何が良かったのか       高齢になったことをしっかり認識し厳格に予防を織り込むこと
いい加減な反省や原因追究はむしろ大怪我の元になることを知った
二度も大きな手の怪我をしたことにショックだったし、刃物作業を辞めなくてはと思ったこと
一度では人間は懲りてないということを自覚した、そういう人間のいい加減な本性自体も自覚
原因分析の範囲を広めに考えるべきだと分かったこと
原因が多岐にわたっている、複数原因であると考えて追究することの重要性を理解した
冷静に、深く原因を追究することの大切さを理解した

7.提言       自分を含め、いい加減な人間ども、でも付き合っていかなくてはならない
人間は一度懲りないと改めない   しかし   ほんの僅かな人だ、神様クラスの人だ
実際は二度懲りないと改めない   しかし    それでもまだかなりの人は心底懲りてない
実際は三度懲りないと改めない   しかし    永遠に懲りない人も案外多い
二度あることは三度ある、三度までは注意深く分析し、真面目に対策すべきである
三度までは罪を犯しても許す、人は最低でも三度やらんと懲りないということだ

田中の小庭のトマト、長尾から帰ったらこんなにできてました


左人差し指先端を剪定はさみでばっさり、ダメ元で縫い合わせましたが?


追記H28.9.5  その後:怪我の22日後
縫いつけた指先の部分は、結果的につきませんでしたので、はさみでちょん切りました
でもすぐに盛り上がって来ました



出来た・出来ます骨子Nо.65「耐震向上と省エネ性能向上のために真剣にこつこつ着実にやる」

2016-08-07 07:29:48 | 不可能を可能に
出来た・出来ます骨子掲載開始   ⇒指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
   京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町ファミール伏見
   滋賀支所: 滋賀県高島市安曇川町田中(竹の里)     
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談や出来ない相談にお越し下さい⇒滋賀支所又は京都事務所へ
骨子について指導や講演を依頼したい場合⇒依頼ホームページへ

blogの冒頭頁へ

安曇川長尾のログハウス売り出し中

テーマ
耐震向上と省エネ性能向上のために真剣にこつこつ着実にやる
     出来ることはせっせと早くやっておく。やろうとしない、けちる人が多い
     良いことはすぐにでもやっておく、後悔せず、事前にやっておく
     最近の大地震では「想定外」というのが流行っているが、最低・最悪の感想だ
     最近の日本の家は省エネや耐震性に配慮が足りない

概要
1.過去はどうだったか       沢山の瀬戸物の重い瓦の屋根が耐地震性を弱める
日本では耐震や省エネの知恵を働かせ、柔軟な考え方で紙と土と木の家に住んでいた
しかし家の間取りや構造や暮らし方が変わり日本的な暮らしの知恵も失われつつある
温暖化と高齢化と大地震増加に対して個人の対策は遅れ遅れになっている
熊本地震でも新たな問題が明確になってきたが、それを教訓に対策する人は少ない
地球温暖化や都市の酷暑により、今後、40°以上の暑さが進行するというが対策しない

2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵)    きっかけがあるのにやらない  
きっかけは、すでに沢山あるのだが、問題は個人が「出来る対策をやろうとしない」こと
熊本の大地震の分析結果はいろいろ参考になっている、屋根瓦や低い耐震基準の問題だ
省エネも世界各地特に都会で、とんでもない酷暑が到来し、危機的になりつつある
山や田舎に長年住んでいると都会の糞暑さやあまりのひどさにはびっくりしている
巨大地震や酷暑について、都会を離れ山奥に移住するなどの対策を今すぐにすべきだ
この二大問題には今まさに、お金を使わないといけない、都会人口集中も解決が必要

3.どうしたのか、何をしたのか       真面目にこつこつ大胆にやること
    陽を遮る・熱を伝えない・熱を逃がす、電気クーラーはやめておく

55歳で安曇川長尾の山にログハウスを購入し暮らしたのも私なりに耐震・省エネ対策だった
住まいの分散・木を植える・涼しい環境・省エネ性の徹底追及・地震に強いログハウス・・・
とにかく都会の夏の猛暑や地震時の混乱は私は、すでに限界を遥かに超えていると思っている
多くの人々が、よくぞ平然と都会に暮していると不思議でならない
昨年から更に安曇川の田舎町の田中に平家を購入も地震対策の一つだ、今回その屋根を改築した
そこに昨年まず可能なことから、自分なりに省エネや耐震化の素人大工をしてきた
今回瓦の重い屋根をガルバリューム鋼板の屋根に吹きかえ更に屋根に断熱剤を追加工事する

4.どうなったのか       熊本地震の調査分析結果を参考に、出来ることからこつこつと
●長尾の山は省エネもばっちり耐震性もばっちり
    自然に恵まれ、何の心配もない、快適で安全な最高の山

●新居田中での地震対策     上を軽く、強い構造、堅固な土台、就寝時の安全
1)長尾のログハウス購入、いざという場合の避難先(二か所住まい保有論)
2)敢えて一階平屋を探してやっと手に入れた(平屋耐震強度高論)
3)寝室に自作の木製のアーチ型シェルター設置(寝室安全確保論)
4)屋根の瓦を全てはがしガルバリュームに葺き替え(重屋根耐震強度削減論)

●新居田中での省エネ対策     遮断・風通し・断熱・空気層・草木
田中は滋賀県湖西の琵琶湖畔で山裾、田圃も木々もあり、都会に比べると夜は涼しい風も入る
1)庭に自作で屋根をかけ、トマトやキューりやゴーヤを生やし日差し和らげる(遮光)
2)南庭先に二重のベランダを作成し風や寒さを遮断、日光を取り入れる(空気層)
3)屋根の葺き替え、垂木を新たに設置し断熱材と空気層を作り断熱性能向上(断熱)
4)夜も網戸にし風通しをかなりよくしている、防犯にも十分配慮、工夫した(通風)

5.一体なにが原因で出来なかったのか     出来ることをやらないから大きな後悔になる
都会ではマンションなので耐震化も最近の猛暑も手の施しようもない
町の一軒家で、屋根も立派な瓦で美しく、金の余裕もなくやる気が起きなかった
重い瓦屋根が耐震上問題ありとの熊本地震の結果から同時に省エネ工事を決断した
日本の家に屋根瓦はつきものだった、重い屋根瓦は耐震性を極度に落とすことが証明された

6.何が良かったのか       地震が来る前にやるべきことをやっておく
京都伏見のマンションは耐震や省エネについて限界に近付いており、もうやることもない
しかし新居の田中は一戸建てなので耐震や省エネについて自分で創意工夫ができる
耐震や省エネに関して屋根も抜本的に見直す時期に来ているのに間に合った
やっと自分自身の家として耐震や省エネが出来るようになった

7.提言       国の耐震基準はぎりぎりで低い、余裕度150~200%まで強度を上げる感じに
前提条件:都会に住んでいる人は田舎や山に引っ越すこと、都会での酷暑や大地震は命取り
出来るだけ草木の多い場所や山の上(高い場所)に移り住むこと
屋根瓦はガルバリューム鋼板で軽くし、屋根には断熱材と空気層を作る工事を
屋根や壁や床下からの熱は影響が大きい、それらに適切に断熱材や空気層を設置する

安曇川田中の新居の屋根は全面重い瓦でしたが軽いガルバリューム鋼板に≪平成28年8月6日完成≫
修繕前の瓦屋根、ずっしり重い陶製の瓦屋根、付近の家は黒い屋根が多い、
やや強い地震にかなり弱いことが分かっている


完成の姿:明るい緑のシンプルな斬新かつ機能的な屋根が田舎に出現した


改善前のずっしり重い瓦の家

まず陶器製の重い瓦をはがしにかかります、平屋ですがすごい重さで作業は結構大変

全部陶製瓦をはがし終わりトラックに投げ捨てる、トラック満載二台分相当の重量物

省エネ用に垂木を40㎝ほどの間隔で設置し、分厚い断熱材を入れる

構造用合板でふたをし、上にシート状の下地のカバーを貼り大工作業完了

いよいよ屋根屋さんの出番、ガルバリューム鋼板を設置していく、色は黒から薄緑に変えた
4日目にガルバリューム鋼板の省エネ・耐震性アップのスマート屋根が完成した





出来た・出来ます骨子Nо.64「文句言わない、喧嘩しない、争わない、簡単なようで難しい」

2016-08-05 10:34:54 | 不可能を可能に
出来た・出来ます骨子掲載開始   ⇒指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
   京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町ファミール伏見
   滋賀支所: 滋賀県高島市安曇川町田中(竹の里)     
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談や出来ない相談にお越し下さい⇒滋賀支所又は京都事務所へ
骨子について指導や講演を依頼したい場合⇒依頼ホームページへ

blogの冒頭頁へ

安曇川長尾のログハウス売り出し中

テーマ
文句言わない、喧嘩しない、争わない、簡単なようで難しい
    そういう人は下品、そういうことがなくせた人は、やっと大人と言える
    どんな人も自分が一番だと信じている
    真に謙虚な人など私はかつて見たことがない
    成人式とは、お粗末な人間として、悔い改めの入り口に立っただけ


概要
1.過去はどうだったか     紛争は何の役にもたたない、増加するクレーマー
世界中に紛争があり、戦争がある、難民も増加、一体何の意味があるのか?
中国は海に勝手に陸地を作り、国際法廷で違反とされても一向に反省しない
元軍国主義日本を批判する一方共産党は対国民にも対外にも強圧的な態度、世界一の軍国だ
怪しげな国とか集団が、あちこちで勝手にテロや軍事攻撃を仕掛ける
社会のあちこちで言い争い、喧嘩、傷害事件、殺傷事件が起きている

2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵)       「争わない」と決め、守る
なぜ人間同士の争いが起きるのか?よくよく考えると不思議だ、なぜ平和に出来ないのか?
しかしよくよく自分のことを考えると、案外文句言う、不満を言う、批判する、他人のせいにしていた
何故自分自身で問題を解決、処理に他人のせいにし、あげく喧嘩したり事件にまで発展するのか
自分だけだったら文句も批判も喧嘩も事件もない、問題は他人がいるからだ
しかし他人が自分の領域に侵入し、利権を侵害するとなるとやはり喧嘩しかないのだろう

3.どうしたのか、何をしたのか       争う理由は相手となる人間がいるからだ
他人と争わないことは案外難しいのだが生き方を変え、努力すれば可能だと思う
60歳くらいから、とにかく争わないようになった、それまでは、とにかく文句や喧嘩腰だった
それまではどこでも何か少しでも気に食わないことがあれば大きな声で文句を言っていた
他人に対しては、批判的な態度や傾向が強かったが、 怒らないこと=大人度のバロメーター
55歳で山暮らしをしコンサルタントを自営し生き方が変化してから、批判的な態度が一変した
歳をとるにつれ他人に対して絶対に喧嘩しない争わない、文句言わないに変化していった
子供にも怒ったり、文句を言わなくなり、むしろ褒めるようになった、兄姉とも絶対に喧嘩しない

4.どうなったのか       「他人に厳しく、自分に優しい」は、まだ子供の証拠
他人に文句をつけ、争い、喧嘩し、傷害事件に発展することは結果的に何もえるものはない
むしろ失うものが多い、文句を言えば相手は気分が悪い、そうなると素直に聴く耳をもたない
それどころか相手も仕返しを考えるから、終わりのないテロや傷害事件に発展することになる
兄弟関係や親子関係や上司部下関係や夫婦関係では何も得られないどころか破局につながる
結果的に争いは法廷で裁くことにし当事者同士が直接的に対決することは絶対にしてはならない
欧米やほとんどの海外では争い、勝ことが正しいとされているようだが、幸いに日本ではそうではない
相手を単に罵倒するだけの争いなんてのは人間として最低の品格のない人のすることなのだ

5.一体なにが原因で出来なかったのか       若さ・愚かさ・未熟さ・弱さによるものだ
欲張る、ついつい頭に来てしまう、これは若気の至りというように駄目人間のやることなのだ
頭に来ない修養というのは、なかなか出来ないが修養を続けることが必要
中国や韓国は日本に近いからどうしても、争いが起きるが、日本は大人にならんといけない
麻薬同様、まず人から離れて暮らすことだと思う、人が近くにいると必ず怒り・喧嘩が起きる
子供の頃子供の友達が沢山いて毎日遊んでいたが毎日喧嘩していたの思い出す

6.何が良かったのか       怒らなくなったことが本当に嬉しい、やっと大人になれたようだ
世の中の人間は本来、闘争的であり、自分が平和的でないと、闘争に突入してしまう
動物も人間もオギャーと生まれた時から本能的に自分を守るように出来ている
必死になって自分を守るものなのであり、北朝鮮や中国やかつての軍国国家の日本です
なんの根拠もない海域に勝手に島を作り自分のものと主張する中国、自己防衛の姿に過ぎない
文句言う、喧嘩する、争う、殺し合う、とは自分の弱さの表現に過ぎないのです
弱いものほど、強がりを示すものです、人の真の姿とは現実とは真逆なものなのです
しっかりした人間であれば、文句は言わない、喧嘩しない、争わず、平和的に解決する

7.提言       自分のせいでなく他人のせいにし、争う人間に碌な人間はいない
他人のせいにすることが紛争をもたらす、かつて京都の会社でも、嫌な不愉快な経験をした
経営者や上司、親、先生は、自分の人格を修養によって磨きあげた上で、指導しないといけない
人の多い組織や町に暮すと、どうしても不平不満や争いが起き、それが当然になってしまう
そんな悪癖が沢山ついて悩む人は、山の中でひっそり長い期間暮らすとよい

平和な安曇川田中の家の前の庭から私が整備している空き地を眺める

出来た・出来ます骨子Nо.63「ひいきチームの勝ち負けがどうでもよく、プレー自体を楽しむようになった」

2016-07-30 07:34:52 | 不可能を可能に
出来た・出来ます骨子掲載開始   ⇒指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
   京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町ファミール伏見
   滋賀支所: 滋賀県高島市安曇川町田中(竹の里)     
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談や出来ない相談にお越し下さい⇒滋賀支所又は京都事務所へ
骨子について指導や講演を依頼したい場合⇒依頼ホームページへ

blogの冒頭頁へ

安曇川長尾のログハウス売り出し中

テーマ
ひいきチームの勝ち負けがどうでもよく、プレー自体を楽しむようになった
     どうでもいいことにむきになる愚かさから早く卒業すべし
     勝ち負け・ひいき・他人・良し悪しより大事なのは自分自身のこと、本質のこと

概要
1.過去はどうだったか       周囲の人の影響で、ひいきを応援する癖を植付けられてきた
1)野球を観ていて、ひいきのチームやひいきの選手の結果に必死に一喜一憂していた
2)ドラマを観ていて、引き込まれてしまい、主人公になったつもりで、一喜一憂していた
3)家族や兄弟や子供や友人の幸不幸に一喜一憂していた
選手やチームやドラマの主人公がどうなろうと関係ないし、何の益害もないのに心配する
すなわち自分自身でないのに、単にひいきだというだけで飲み込まれてしまう自分だった

2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵)       のめり込みも怖い
勝ち負けや成功失敗などをいちいち気にすることが愚かしく思ってきた
ドラマの架空の人物や他人の心配をする自分をあたかも自分のように考えるお粗末な癖
他人のことなんか心配している暇はないのだ、もっと自分自身の心配をせよ
でも世の中にはひいきの野球チームの応援に必死になり全精力をかける人が多い
そういうことをやているうちに、自分のことが疎かになり、くだらんことに埋没していく

3.どうしたのか、何をしたのか       山で都会のくだらんことから離れていった
テレビや新聞雑誌を観て、他人のことにファンと称して関心を持ち、麻薬のようにのめり込む
そういう雑音のような情報から一度すっぱり遮断してしまうことが大事なのだ
そういう雑音、ごみ、どうでもいいことを、まず、きれいさっぱり捨て去ることが大事だ
どうでもいいドラマの主人公の不幸を嘆き、心配することから離脱しないといけない
山の暮らしが長くなるにつれ、ひいきのチームや選手などが愚かしく感じるようになってきた
タイガースやタイガースの選手が勝った負けたが一体何だって言うのか?どうでもいいことだ
人生も総体的に本質的を追い求めるより、やれ遊び、やれ趣味、やれ彼女・・・となりがちだ

4.どうなったのか       人間はいかに本質以外のことを必死に追い求めているのか
ひいきのチームの勝ち負けがどうでもよくなった、プレー自体を楽しめるようになった
ドラマの主人公が不幸になろうと関係なく、冷静・平静にドラマを楽しめるようになった
自分が一喜一憂するのは自分自身についてだけで、他人のことはアドバイスする程度に
他人のことなど自分でどうなるわけでもない、応援したから勝てるというわけでもない
自分のことでも過剰に心配したり悲観することも同様に減らして行った
すなわちバーチャルなものを勝手に作り出し無用な心配や悲観をしないことにした
バーチャルなものを応援したり悲しんだりしない、競技スポーツは出来るだけ見ない

5.一体なにが原因で出来なかったのか       タイガースファンのように意味なく盲目の愛に陥る
1)意外なことだが、人間はひいきの選手や主人公やチームを真剣に応援してしまう癖がある
その癖はあまりに強くて、ひいきの選手やチームや主人公は自分以上のものとなってしまう
2)プレーを楽しんていない、ドラマを観ていない、選手やチームや主人公のことだけ観ている
3)本質より抹消なこと、どうでもいいことに注意が集中し、本質を観ない
本質よりもどうでもいいことに神経を集中する愚かさ、プロ野球で必死に応援する人は暇な人

6.何が良かったのか       偏見、好きなものを溺愛する癖をまず、すっぱり捨て去る
55歳で山の暮らしを始め、都会の娯楽や競技スポーツや文化と縁を少しづつ切って行った
まず都会的なことや、競技、芸術や演劇や音楽などそういうものから冷静にならないといけない
山の暮らしはそういう都会的なもから縁を切るよい場所だった、観光なども全くしなくなった
段々スポーツ競技での熱狂的な応援はなくなって行った、競技を本当に楽しめるようになった
ドラマの主人公がどうなるか心配して観なくなり、どんな場面も冷静に鑑賞できるようになった
彼女なんかもそうだが顔や一部を観て全体や彼女の本質を観たように勘違いしてしまう
本質を観る、本質だけを冷静、客観的観て、どうでもいいことに神経をすり減らさぬことだ

7.提言       より本質だけを観るようにする、本質以外でかっかして喧嘩なんかするなよ
    やたらに応援しない ⇒必死な応援を止める
1)ひいきのチームや選手が勝つことに拘らない   2)犬や猫を溺愛するのもそこそこに
2)ドラマで主人公をひいきして観ないこと   3)食べ物も美味しさだけで貪り喰わない
4)人を地位や顔かたちや金持ちや着ているものなど枝葉末節で判断しない
5)ドラマや競技を選手や主人公などに拘て観るのでなく、全体をしっかり味わって観ることだ
新居安曇川田中の小さな庭の野菜、キューり、トマト、ピーマン、ゴーヤも沢山なった

長年、長尾の山で野菜をやって上手く行かなかったが、田中ではすごい結果だ
野菜作りも些細なことにあれこれ拘るより、本質を見抜けば、そんなにあれこれしなくてもちゃんと育つ

出来た・出来ます骨子Nо.62「およそ縁のなかった女の会合、新たな社会に飛び込んでしまった」

2016-07-28 07:34:56 | 不可能を可能に
出来た・出来ます骨子掲載開始   ⇒指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
   京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町ファミール伏見
   滋賀支所: 滋賀県高島市安曇川町田中(竹の里)     
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談や出来ない相談にお越し下さい⇒滋賀支所又は京都事務所へ
骨子について指導や講演を依頼したい場合⇒依頼ホームページへ

blogの冒頭頁へ

安曇川長尾のログハウス売り出し中

テーマ
およそ縁のなかった女の会合、新たな社会に飛び込んでしまった
      安曇川で健康推進委員になってみると参加者はほとんど女性だった、そこに入り込んだ
      一つの社会に長年暮らすと、狭い人になってしまう、進んでいろいろな社会に飛び込もう

概要
1.過去はどうだったか       昔はある社会の人が別の社会に入り込むことは、ありえなかった
人は昨日の続きは明日、明日の続きは明後日という風に単純に日が変わるだけだ
今日と明日の社会が異なるなんてことは滅多にない
暮らしたり働く場の社会が異なることは一生のうちに何回あるか、しかもそんなに変わらない
人が変わるには、自分自身で変わるか、変わった社会に飛び込むこと
変わった社会に飛び込むのは容易くなく、しんどい、面倒くさい、だから、やらない人がほとんど

2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵)       
社会を変える、私の場合           1)戦後の貧しい時代から高度成長から豊な日本
2)東京から大阪、大阪から京都、大阪から滋賀、都会から山の中に
3)大企業から零細企業、零細企業からベンチャー企業、ベンチャー企業から自営へ     大企業から零細企業へなんてことは、日本の一流大学を出た人ややらなかっただろう
4)管理技術から製造から技術から生産管理から環境管理からコンサルタント
5)大都会から商業都市から古都から山奥から田舎町へ

3.どうしたのか、何をしたのか       異文化社会に入り込む習慣
事例1:都会から山奥から田舎町へ
都会は嘘誤魔化しの社会山奥は自然の世界、そしてその中間、田舎町へ
田舎町は中間的ではなかった、自然や畑や土はあるが、山奥の自然はない、人もややいる
事例2:男社会から女社会へ
昔は男社会だった、しかしインターネット時代になると女性社会に変化し始める
安曇川田中で健康推進委員になった、会合では、大半は女性で男は4名だけとか、こりゃ何じや
滋賀の女はパワフルで元気だ、女は明るい、女は行動する、そういう中で少ない男としてうごめく

4.どうなったのか       私は人よりタブーみたいな社会に入り込んできたが、でも、まだまだだ
違う世界に入る入り方は普通の人の場合
・旅行によって   ・別荘を持って   ・登山や海水浴や釣りで   ・町に繰り出して
・本を読んで   ・映画やテレビを観て   ・一日体験みたいなもので    ・友人を得て
・異文化を真似た道具を使って     スポーツすることで    ・サークルに入って
結果的に異文化に入り込んだようで、実は、さほど入れていない
私の場合は、異文化不感症なのか、ずーんずーん入り、長い間入ってしまって来た
その結果、幅や奥行きが広くなったような気がする、自信も持てたような気がする

5.一体なにが原因で出来なかったのか       入れない、入ってはいけないと決めつけ
よく世界を歩いてとか自転車で一周とかする人がいるが、見た目ほど大して役立たない
自転車で世界を走ることにこだわらず、もっといろいろな社会をより深く体験をすべきだ
海外放浪の人は意外にも日本各地で永年暮らしたことはなく、日本のことを知らなかったりする
ある一定の期間その社会にとどまり続けないと意味がない、世界一周は上面見学になり易い
私のように数年、関西に住む、京都の会社に勤める、山奥で暮らす、田舎町に移り住むがよい

6.何が良かったのか       男一人で、女の多い会合に参加したことがありますか
田舎町で健康委員になって驚くことにほとんど女の人、その中にまみれていろいろなことをする
会社時代は、こんな経験は全くなかった、73歳と歳とったからいいが若い時は苦痛だったろう
女の人は案外堂々としている、そしてさっさと行動する、男の場合はそうはいかないように思う
女の人は考え方が固まっている、だからいちいち迷わない、悪く言うと融通がきかない
女の人も私ごとき男に関心もないし、格別扱いもしてくれない、普段通りてきぱき行動している
そういう女性達の行動を観ているとすごく参考になる、大袈裟にいうと女の生態が観察できる
まあ、このようにふとした出来事だったが、こんな不可思議な体験をしているというわけである

7.提言       およそ一生しないような社会に飛び込む機会があったら進んで飛び込め
女性ばかりの中に男一人入って行動するなんてことはまずない、男は女と真に交わってない
東京人の私が京都に30年住み、京都の会社に一人就職したように、女の会合に入り込んだ
まだまだ自分が何らかの理由で入り込まない虎穴があるのだ、そういう穴に進んで入ってみよう
必ずや、旅行や読書などより、今までにない大きな驚きや発見があるはず

高島市の女性パワーを浴びています

出来た・出来ます骨子Nо.61「老人ですが、草むしり・掃除・草木剪定などを運動としてこなしている」

2016-07-26 09:31:07 | 不可能を可能に
出来た・出来ます骨子掲載開始   ⇒指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
   京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町ファミール伏見
   滋賀支所: 滋賀県高島市安曇川町田中(竹の里)     
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談や出来ない相談にお越し下さい⇒滋賀支所又は京都事務所へ
骨子について指導や講演を依頼したい場合⇒依頼ホームページへ

blogの冒頭頁へ

安曇川長尾のログハウス売り出し中

テーマ
老人ですが、草むしり・掃除・草木剪定などを運動としてこなしている

概要
1.過去はどうだったか       都会っ子だったから、草むしりには縁がなかった
戦後間もなくを除き、高度成長期以降、都会では身体を使うことと言えば部屋の中に限られている
雑草も少なく他人の家の雑草を無断でとるわけにもいかない
都会で多いのは道路に散乱する吸い殻やごみだが、ゴミ拾いは惨めで、面白味がない
都会には日常的の戸外で作業する対象がない、だからお金払ってジムに通う、無駄だ
都会にも戸外で楽しい雑用が気軽に出来たら健康増進にも良いのではと思う

2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵)       
55歳で山暮らしをすると、山では戸外でやる作業が無限にある、無限ですよ
だから終わりがない、きりがない、いくらでも戸外の仕事があるので妙うな安心感もある
絶対に退屈することがない、問題は、その人が、そういう雑用を喜んで出来る人かどうかだ
田舎の地元の人は高齢でも戸外作業に慣れている、戸外で仕事をするのが日課なのだ
彼らは仕事だから、長年、腰が曲がり、腰痛や神経痛など職業病にも悩まされるのも事実だ

3.どうしたのか、何をしたのか       草むしりが腰痛を悪化させたが、腰痛を改善することに
私も当初若かったために、山の暮らしが楽しくてのめり込み、ひどい腰痛になっていった
66~69歳腰痛でやれ医者だ薬だ整体だとお金も時間も使うようになった
しかし腰痛は全く良くならなかったし、それどころか、元気なくなり、どんどん老人化して行った
ところが71歳から自転車・ストレッチ・小山登山・歩きなどをとりまぜ身体は回復していった
その中で腰痛の原因でもあった草むしりは続けている、私にとって草むしりは役立つ運動なのだ
最近の高齢者としての運動哲学、いろいろな運動をバランスよく少しづつとりまぜる
その中で草むしりは、健康的で、金もかからず、地域貢献にもなり三方良しの身近な運動なのだ

4.どうなったのか       草むしりが運動や戸外作業のあり方や老人の生き方を教えてくれた
数種類の運動をとりまぜるという改善は思い付きだったが、目覚ましい効果が出ている
空き地に雑草が汚らしく生え放題なのを、毎日図形をイメージして少しづつ抜いていく
恰好のカンバスの空き地を草むしりし、ちょっとした空き地ガーデニングとなり、マイ絵画になる
草むしりでも一回は長くても20分くらい、ときどき姿勢を変える、ストレッチも織り込む
腰痛にならないように注意はするがむしろ適度に足腰や腕に意識的に負荷をかけるようにした
最初は変人に思われがちだが、私がいないと草が茂ると、価値をやっと認めてくれる人も増えた
夏の暑い日に草むしり、心配して声かけてくれる人もいるが、自分なりにきちんと対策しているのだ

5.一体なにが原因で出来なかったのか       都会というお粗末な、愚かな場所
都会ではむしるべき草が周辺にない、もっと空き地や小庭を造り老人にボランティアさせるべき
老人ホームでも園内や周辺の林などで、庭いじりや雑草抜きの場所を確保すべきだ
日々の戸外作業をしない老人はどんどん老化していく、老人ホームは老人放置ではいけない
老人は腰痛や神経痛が起きると戸外作業をしなくなる、無理しなくなるが、大きな間違いである
痛い場所があるということはその周辺の筋肉や骨が弱っていることを訴えているのだ
老人の冷や水とも言うが、老人に怠け癖を教えてはいけない、一生働け・動け老人

6.何が良かったのか       都会を出る、一日中じっと座っていない、とにかくあれこれ動く
老人は戸外作業をしない、あまりに過剰な懇切丁寧な介護を提供するのは、むしろマイナスになる
元気な老人だけでもいいから老人が隊列を作って道を行進なんて姿をtとり戻すべきなのだ
80~90歳の老人でも意外に山登りをする人が多い、これは何を物語っているのか?考えよう
山には元気な老人がいるのに、老人ホームに行くと元気を置き忘れた老人で溢れている
栄養バランスと同様に、年齢に関係なく幾つかの作業や運動をバランスよく少しづつやろう
老いということをもっと真剣かつ深く理解しないといけない   老い=諦めることではない

7.提言       何事も少しづつ分散しバランスよく行動することが大事
老人に運動や戸外作業をやらせる経験ある元気な老人インストラクターを登録し指導させよう
少なくとも元気老人は今すぐに私のようなやり方で戸外作業や運動をやって欲しい
老人だから、歳だから、腰痛がひどいから・・・と諦めるのはまだ早い、諦める=高齢化なのだ
一日中老人ホームでじっとしている、一日中座っている、一日中喫茶店やパチンコ屋は最悪

老人3人で小雨の中安曇川岳山に登って来ました。石だらけのきつい山でした

出来た・出来ます骨子Nо.60「知らぬ間に自分にびっしり纏わりついた嘘誤魔化しからの脱出」

2016-07-19 06:50:49 | 不可能を可能に
出来た・出来ます骨子掲載開始   ⇒指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
   京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町ファミール伏見
   滋賀支所: 滋賀県高島市安曇川町田中(竹の里)     
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談や出来ない相談にお越し下さい⇒滋賀支所又は京都事務所へ
骨子について指導や講演を依頼したい場合⇒依頼ホームページへ

blogの冒頭頁へ

安曇川長尾のログハウス売り出し中


テーマ
知らぬ間に自分にびっしり纏わりついた嘘誤魔化しからの脱出
     何故こんなに争いがあるのか?
     何故、豊になったのに自殺やノイローゼが増えるの?
     何故いい加減な政治家や指導者が多いのか? 
     確かなことは、現代は、ますます嘘誤魔化しで動いて行くことだ
     嘘誤魔化しが更なる嘘誤魔化しを生んで行く
     正々堂々とした争いでなく、見苦しい・馬鹿げた・お粗末な、実りのない争いにハマっていく


概要
1.過去はどうだったか       都会に憧れ、欲にかられて、嘘誤魔化しにまみれて悩み、苦しみ
東京⇒大阪⇒京都と大都会を移るだけその中で、今思えば嘘誤魔化しとの闘いの日々であった
都会に憧れ、都会こそ人が楽しく生きがいをもって元気で暮らせる町と信じていた
多くの都会人は都会を最善の住処と信じてはいるものの、他方多くの不安不信を抱いている
都会を離れて一体どこに行くというのだ?都会以外に住みたいところなどないと思い込んでいる
いざ田舎暮らしをしようと田舎に行くが、人がいない寂しい・虫がいる・遊びも店もないのに驚愕

2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵)       傲慢な自分に気づけ
東京⇒大阪⇒京都から55歳で、偶然に滋賀県の安曇川の山中に別荘を買う
自然豊かな山中に18年住み続けて思ったことは、都会の人間の嘘誤魔化しだった
人のいない山で18年目で自分は嘘誤魔化しから脱出しようと試みてみた
何故かというと都会人には見えない都会の嘘誤魔化しがあまりに鮮明に見えてきたからなのだ
我慢出来ないほど、都会の嘘誤魔化しが見えて来た
    でもそのおかげで嘘誤魔化しを切り捨てられるようになった

3.どうしたのか、何をしたのか       あまりの都会の嘘誤魔化しの事実を観てしまったこと
嘘誤魔化しが鮮明に見えて来たことで、迷いなく嘘誤魔化しを嫌悪し、嘘誤魔化しをつかなくなった
万一嘘誤魔化しをついても、それらははっきり嘘誤魔化しと見えているので翻弄されることはない
悪いことほど見える化をしないといけないのだ、見えればどうにか真っ当に対処できるのだ
山の中暮らし相手は人間でなく自然、人のせいには出来ない、一人で何でも責任を持ってやってきた
       ⇒横綱相撲をせないかんようになった、はたき込みや体をかわすなど誤魔化せなくなった
嘘誤魔化しのつきようがない、ところが都会に帰ると人々は当然のように平然と嘘誤魔化しをしている
今更ながらびっくりしたのだ、「そうか、人は沢山の嘘誤魔化しをついて、しかも堂々としている」
何しろ全てが嘘誤魔化しなのだ、「嘘誤魔化しではない」なんて例外は全く存在しないのだ

4.どうなったのか       全くの偶然に山の中にひっそり暮らし続けた(神のお告げみたいだ)
当初はあまりのギャップ、格差に驚愕し、どうしていいのかさえもわからず狼狽えるありさま
18年経って私も73歳にもなると、嘘誤魔化しがはっきり見え、どう処してすべきか理解出来てきた
それほど都会は嘘誤魔化しで汚染されている、まるでひどい中国の環境汚染同様だ
あたかも、外見だけはきれいに、かっちりしているように見えて、実態はおぞましい限りだ
都会は嘘誤魔化しで充満している、嘘誤魔化しでないものは拒否され、入り込む隙間すらない
山から都会に出て私はそういう思いを持ちながら、おどおどと山に速足で逃げ帰るだけだった
でもやっと、その状況がはっきり観えて来た、嘘誤魔化しなんか微塵も許容してはならないのだ
少しぐらいの嘘誤魔化しはしかたない、そんな思いが人間を知らぬ間に嘘誤魔化しに引きづり込む

5.一体なにが原因で出来なかったのか      都会に住んでいること自体が原因なのだ 
都会が嘘誤魔化しで満ちていることを自覚していない、その様を客観的に見えるようにしないといけない
それどころか都会こそ、嘘誤魔化しこそ、生きがいの元と思い違いしている
嘘誤魔化しがとことんまで行くと、過去の歴史物語るがように、悲劇に襲われることになる
悪魔は「つらいけど、我慢せい、頑張れ、お前が行くべきところなど都会以外にない」と言い続ける
文化も芸術もスポーツも皆嘘誤魔化し、都会で生活の糧を得ることは嘘誤魔化しに耐えること
    毎年生み出されているものは多くは嘘誤魔化しなのだ、文化とは嘘誤魔化しのゴミの山なのだ
    ひとまず、都会や人から離れ、出来るだけ自然な環境で普通の暮らしに根を生やすことだ

6.何が良かったのか      山に長く暮らし続けてみることだ、原点に戻ることだ
18年間の長い山の暮らしを通じて偶然に嘘誤魔化しのない生き方を取り戻せた
山は嘘誤魔化しの余地が全くない、田舎に都会を持ち込むな、都会や田舎の真逆な世界なのだ
嘘誤魔化しで充満した都会を知ったムクイ:人がいると争う、相手のせいにする、自分を正当化する
都会の何とも空虚で愚かな、悲しい生き方をする人々に出会い、つきあってしまったムクイ
現実を振り返ると、都会の人間は麻薬患者のようであり、そこから脱出することは不可能に見える
嘘誤魔化しを捨て去るのでなく嘘誤魔化しに依存していくようになってしまう悲しい都会の人間
まあなんと多くの嘘誤魔化しで充満し、日々嘘誤魔化しが増加していることか、私は毅然としている

7.提言       都会の汚れを落とし、都会の暮らしから隔絶すべきだ
私の体験では人のいない山に15年は暮らし続けることでしょうか
      何故争うか?⇒答え:他人のせいにするから
「嘘誤魔化しつくな」と他人に言う前に、自分が朝から晩まで嘘誤魔化しをしていることに気づけ
麻薬患者で言えば、牢獄か専用隔離室で嘘誤魔化しから遠ざかり15年暮らすことでしょうか
完全に治るまでそこを抜け出さない、中途半端で出てしまえばむしろ前より悪化してしまうだけだ
現代の都会に住む僧侶、先生、指導者は堕落しているが、彼らこそ率先して手本を示すべきだ
  ・一見して尤もらしいことに、多くの嘘誤魔化しがある
  ・嘘誤魔化しの中には嘘誤魔化ししかない
  ・嘘誤魔化しをつかないようにするには嘘誤魔化しのあり得ない世界に一人で赴くことだ
  ・嘘誤魔化しの世界において、嘘誤魔化しがあるのないのと論じることは何の意味もない
  ・嘘誤魔化しの世界にいて、嘘誤魔化しがないことを求めることも何ら意味がない
  ・都会の人間の論争を聴いていると、嘘誤魔化し同士の一騎打ちの感があり笑ってしまうのだ
  ・およそ肩書などというものも嘘誤魔化しを尤もらしく見せる一種の手品道具に過ぎない

  真実なんてものはない、あるとすれば、自然か不自然か、不自然は嘘誤魔化しだ
  人間は嘘誤魔化しをする、人間同士は駆け引きをする
  自然は、駆け引きも称賛も融通・・・などは一切ない
  嘘誤魔化しから離脱するには一人で暮らす、自然を相手に暮すことだ

  楽は、人は大いに喜ぶが、嘘誤魔化しであることが多い、逆に
  苦や苦難は嘘誤魔化しでない、真実なことが多い、すなわち
  苦や苦難に立ち向かうことは嘘誤魔化しから遠ざかる一つの道かもしれない


売り出し中の長尾の山荘をリフォームしています、今後更に快適で美しく変身予定です
安曇川長尾のログハウス売り出し中
土間の棚を撤去作業場を狭くし、椅子机の部分にサッシを取り付け庭に出入りできます










出来た・出来ます骨子Nо.59「日本人は会話をしていない、会話になってない、会話をしない国民」

2016-06-30 07:23:59 | 不可能を可能に
出来た・出来ます骨子掲載開始   ⇒指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
   京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町ファミール伏見
   滋賀支所: 滋賀県高島市安曇川町田中(竹の里)     
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談や出来ない相談にお越し下さい⇒滋賀支所又は京都事務所へ
骨子について指導や講演を依頼したい場合⇒依頼ホームページへ

blogの冒頭頁へ

安曇川長尾のログハウス売り出し中

テーマ
日本人は会話をしていない、会話になってない、会話をしない国民

概要
1.過去はどうだったか        会話は真剣にするものではなかった
日本人は会話をしていると思い込んでいるが、実はほとんど会話していない
会話していないことに関しては今も昔もさほど変わらない
というのは、      実は、真剣に真面目にされていないということだ
 会話とは口をパクパクして他人と話を交わすことではないのだ
 相手の話をよく聴き、深く考え、話を返し、互いの心の奥深く分かりあうことなのだ
      あたかも禅問答のようなものなのであるべきなのだ

2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵)       
女の人が話好きだというが、はなはだ疑わしい、口パク的な一人話に過ぎないのだ
単に自分だけが話すのを会話と思っている、相手の心の奥深くを分かろうとしていない
しかし男の会話も褒められたものではない、会話そのものをしない男が多い、面倒なのだろう
会社の上司が部下に話しかけるなんてのも部下の心なんか全く無視してかかる
夫婦の会話、親子の会話なんてのは全然会話になっていないが本人達は会話と思っている
そういう過ちに気づいたのがごく最近のこと、会話上手のように思っていたが全く駄目
間違った会話、出鱈目な会話、嘘誤魔化しの会話を直してかなくてはならないと思い直した

3.どうしたのか、何をしたのか       会話の価値を高める基本を改めて考えてみる
1)まず、真剣に話題を選び出すこと、そして、まず相手の人の話をよく聴くこと
2)相手の話を深くかみしめる、相手の意志や意見を真剣に受け止め考えることだ
       ごはん、食事のようによく噛めるべきなのだ
3)自分は何をどう答えたら良いのか深く考え、安易に思い付きで返事を返すようなことはしない
4)いい加減な受け答えや間違ったことを言わない、また頑固に自分の意見に拘ることはしない
5)単に面白いことを言うだけではいけない、マイペースや人の悪口も駄目
6)会話は真剣にやることが基本だ、ただ単に面白おかしくだけではいけない
7)ましてや相手が不愉快になったり、役立たないことを多く会話しないこと

4.どうなったのか     何歳でも気付いて良かった、まだ遅くはない、価値ある会話を心がけよう
1)聴く-受け止める-投げ返す-議論する、自分の独りよがりでなく相手の意見に心を開く
2)相手が話たがっていることを中心に会話を進めるように努める
3)上辺の話ではなく、中身の濃い、深い会話をするようになる
4)面白おかしいことは大事だが、あくまで会話の味付けであって、それが目的ではない
5)自己満足な話をするのでなく、複数人数の会話を通じて研究・分析していく
6)ゆっくり互いに話す内容をじっくり聴き考えながら進める
7)世間話などはメインでないから、そういう話は必要に応じて時々織り込む程度

5.一体なにが原因で出来なかったのか       会話の価値を全く認識していない
1)会話とはどういうことかということがわかっていない
2)上下関係で上の者が偉から、自分勝手なめちゃくちゃな会話でよいという認識があった
3)はっきり会話せず、あいまいに話したり、分かって当然のような態度があった
4)会話は親しい者同士でするものという観念があった親しくない者同士は適当でいい
5)自分勝手、独りよがり、固定観念、頑固さ、負けるのが嫌いという性格などが会話にマイナス
6)会話を暇つぶしや酒飲みのついでや自分に心地よいことだけを話すことが多い

6.何が良かったのか       会話を根底から考え直し、より真剣な内容に高めること
1)会話の価値が数倍高まり、大きな価値が付与される、それは自分の人生観に役立つ
2)従来やっていた会話が一体何だったんだろうと後悔するはずだ
3)美味しいだけでなく栄養をよく考えた食事のように会話も面白だけでなく価値を高める
4)人はいろいろな問題や悩みを抱えているのに、それについて真剣に会話しない手はない
5)会話して何か感動するようなものを得ない場合は時間の浪費に過ぎない
6)会話は間を持たすためのものではない、会話とは真剣な修行の場のようなものだ

7.提言       何事においても時間つぶしや面白可笑しくというのは無駄なことだ
食事も栄養を考える、運動も筋肉や体力強化を考える、会話も価値を高めるようにするものだ
何事においても真剣に真面目にやることで、相手や自分を高めることを意識すべきだ
会話は人生勉強の大事な手段の一つなのだ、会話は暇つぶしでも面白可笑しいものでもない
出来れば相手を選ぶべきである、つまらん相手では会話の内容も深まらない

山:目下売り出し中540万円向いの林も安く売りに出ています
安曇川長尾のログハウス売り出し中
安曇川長尾の山、自然、森林で囲まれている、家も少ない、自然一杯、道路も歩く人や獣だけ


田舎町:目下私が一年中住んでいる
安曇川田中付近、周囲は田圃と川、空き地多く家は少ない、道路に自動車はいない


都会:元のコンサルタント事務所、家族が住んでいる
京都の自宅付近、すごくつまっています、道路も自動車で一杯

出来た・出来ます骨子Nо.58「自然とはどんな場所かを18年の山暮らしで知った」

2016-06-29 07:47:11 | 不可能を可能に
出来た・出来ます骨子掲載開始   ⇒指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
   京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町ファミール伏見
   滋賀支所: 滋賀県高島市安曇川町田中(竹の里)     
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談や出来ない相談にお越し下さい⇒滋賀支所又は京都事務所へ
骨子について指導や講演を依頼したい場合⇒依頼ホームページへ

blogの冒頭頁へ

安曇川長尾のログハウス売り出し中

テーマ
自然とはどんな場所かを18年の山暮らしで知った

概要
1.過去はどうだったか       お金も暇もない、山に暮すなんて考えたこともなかった
自然な環境に住みたいと漠然と考えていた、しかし今思うことは、全く自然の暮らしを知らなかった
自然な環境でも都会の利便性がある場所を描いていたようだが、不便な場所こそ自然であった
でも幸か不幸か私は、偶然に安曇川長尾の小山の別荘地のログハウスを衝動買いしてしまった
そこに18年住んだ結果、偶然にも、ここぞ自然な環境であったと思うのである
静か・夜は真っ暗、人はほとんどいない、周辺に林が点在する、虫蛇、獣が出没する

2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵)
55歳或る日偶然に安曇川に来た、新聞である不動産会社を訪ねて来たのだ
その人が言うには「山にたまたま良い物件があるから見に行きませんか?」と言う
あまり期待もしていなかったが「行きましょう」と物件を見に行った、そこでビビット来たのだ
すぐに購入した、なぜならば退職後で退職金があったからだ、・・・・それが自然暮らしとの遭遇だ

3.どうしたのか、何をしたのか       金儲けのために都会に出たが、貧相な家に暮している
1)55歳、偶然に買った山の家に暮らしを始めた、妻他界、コンサルタントをしながら一人で
2)別荘地だが家は少ない、小高い山の中人も少ない、近くに飲食店も店もない
3)5つの戸惑い、夜真っ暗・虫・人いない・やることない・山ゴミだらけ
4)山暮らしに馴染めず、山に3日くらいで、すぐに京都に帰っていた
5)なにしろ一人で山に暮すことを続けて行った、すぐに住めば都とはならなかったが
6)5年目で変化が現れ、8年目くらいから山の暮らしのほうが楽しくなり、山が長くなってきた
7)そして12年以上経つたころ、完全に山暮らしの方が身体にも心にも馴染んできた

4.どうなったのか       住めばそこの良さがわかってくるが、前の住処の問題も分かってくる
1)夜の暗闇も全く大丈夫、夜の不安も全くない、一人ぼっちの山の夜も何ともなくなった
2)虫や蛇もいろいろ工夫したり慣れのせいで、全く苦にも嫌いでもなくなった
3)山のいろいろな不便な暮らしもむしろ、自分を強くし逞しくしてくれた
4)山で当初は退屈だったが、今では山の暮らしは一日忙しく、京都のほうが退屈である
5)都会は情報が多い場所であったはずが、今やテレビやインターネットで山も情報とれる
6)山は都会に比べて広い土があり、山菜。果物、野菜がある、都会で出来ないことも出来る
7)人口密度が低いことが住み慣れてくると心地良いことになってくる
8)最近は京都から私のひっそりした静かで空気の上手い山に来て楽しむ友人も増えてきた
9)18年実際に暮してみて分かったことは、山や田舎は全てが都会より格段に優れていること

5.一体なにが原因で出来なかったのか       都会は楽で便利で最高の場所と信じ切っている
1)都会以外に田舎に家を持つ余裕がない
2)田舎は不便で、暮らしにくいという誤った認識
3)田舎は暇、退屈という間違った認識
4)田舎は飲食店もスーパーも店もないので不便でという間違った認識
5)田舎には病院が近くにないなど、いざという時に困るので不安と感じている
6)都会と田舎を比べると断然都会が安全.快適.楽しいと信じ切っている

6.何が良かったのか       偶然に山の家と出会い、たまたま金もあり衝動買いしたことが幸いした
1)田舎はなかなか住めば都にならないが、長く住むと、都会の数倍良い住処である
2)田舎特に広大な自然豊な山の素晴らしい暮らしは都会の劣悪さに相対するものだ
3)地域再生、限界集落というより、むしろ地域や限界集落より都会は悲惨だ
4)山は空気がきれい、水もきれい、場所も断然広い、土がある、災害にも耐える
5)田舎特に山は平和だ、山に暮す人は皆心が安定している

7.提言       田舎や山の良さを時間をかけて実感しないと一生、分からない
1)都会で一生を終えるなんて人生を無駄に過ごしたことになります
2)都会で暮らすことで何か良いことがありますか?全てが嘘誤魔化し、無理無駄、劣悪環境
3)都会の人は一家に一軒古里を持とう、出来ればひっそりとした林のある山に
4)山や田舎の中古の家はかなり良質安価な物件が多いので、今すぐならばさほど高くない

家の前の空き地が報知され雑草が生え放題、私の経験が物を言う、独自のガーデニングが

毎日少しづつ雑草を抜き、空き地にある花を植え替えたり、花を配置していきます

出来た・出来ます骨子Nо.57「結果的に、不自然なことは上手くいかない、自然なことは上手く行く」

2016-06-28 14:19:14 | 不可能を可能に
出来た・出来ます骨子掲載開始   ⇒指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
   京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町ファミール伏見
   滋賀支所: 滋賀県高島市安曇川町田中(竹の里)     
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談や出来ない相談にお越し下さい⇒滋賀支所又は京都事務所へ
骨子について指導や講演を依頼したい場合⇒依頼ホームページへ

blogの冒頭頁へ

安曇川長尾のログハウス売り出し中

テーマ
結果的に、不自然なことは上手くいかない、自然なことは上手く行く
  暮らし方、生き方、決断が自然に叶ったものかが大事なこと、一見上手く行っても不自然なやり方は
  嘘誤魔化しのやり方であって、結果的に失敗・混乱・破たんの元である

概要
1.過去はどうだったか       過去は日本人は山の自然と密着して暮らしていたのだが
戦後の日本を振り返ると田舎・森・川・海みな豊で人も多く、人々は自然に暮らしていた
経済成長とともに田舎から都会に若者の大移動が続き、経済成長のためだけに駆り出された
田舎は都会以上に少子高齢化が続き、すでに破たん寸前の田舎も沢山出現している
山など自然の中に暮す都会人も増えているが、確実に都会の人間の自然観が喪失した
自然を嫌うのは不自然である、都会の若者や子供は、自然というものを経験せず知らない

2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵)       
東京⇒大阪⇒京都と気付けば都会を引っ越しして来た私がついに滋賀県の山中に引っ越し
全くの偶然で山の暮らしが始まる、しかも時々来るような別荘族でなく生活族になった
嘘誤魔化し、争いの都会から、山奥の完全な自然の世界に舞い戻ったのだ
山暮らし後都会に出てくると、逆転現象で都会の異常さがやたらに目について来た
私には異常な都会だが、都会に住む人には不自然さに気づかず、むしろ埋没している

3.どうしたのか、何をしたのか       私は自然を捨てた現代日本/自然観を取り戻した
都会は、自然を知らない嘘誤魔化しの人々で充満していることに私は気づいた
平和国家日本は、精神的には非常に過密・ストレス・葛藤社会だが、私は自然重視に傾倒した
田舎や自然を捨て、不自然な都会に大移動を続けて来たことを反省し私は都会から離脱した
都会における問題解決において、自然かどうかを深く考えて評価するように変わった
都会は人・物・金で埋めつくされる、自然の暮らしから遠ざかるが、私は自然に戻るようにした
日本は、どんどん殺伐とした争いの国家になって行く、そんな国家とやや距離を置くようにした
いろいろな矛盾が蔓延っていく、矛盾が矛盾を生み増殖していく、私はその流れを拒否した

4.どうなったのか       山に18年暮らして都会の異常さに完全に気付いた
都会の異常さを次に述べる
 都会で人・物・金を追い求め争う暮しをしていると人間はどんどん混乱・混沌の世界に迷い込む
 迷い、悩みを解決の正しい回答を見つけ出せなくなる、更なる嘘誤魔化しで解決する
 都会人は、基本的に自然という価値基準を忘れ、自然に生きることが不可能になっている
 都会人は真っ当な問題解決能力を完全に失っている、指導層や有識者までも巻き込まれる
 多くのリーダー、先生、政治家、有識者も驚くような破廉恥なことをやってしまうようになる
 怪しげなリーダーに惑わされ一般の社員、生徒、国民は正常にいられるわけが無くなっている
 ところが更にあーしたら、こーしたらと弄繰り回し更に嘘誤魔化しを深めていくだけなのだ

5.一体なにが原因で出来なかったのか       都会で暮らしで自然の生き方するのは、無理な話
自然な暮らし・生き方に戻るべきなのだ、人間は嘘誤魔化しの中でうまく暮らせるほど有能ではない
手っ取り早くは都会の嘘誤魔化しを捨てるしかない、現実には難しいのだがやるしかない
私のように高齢になり仕事も減り都会で暮らさず山の中に暮らせるようになれば治せる
便利だからと都会に暮し続ければ、どんな治療法や宗教をやっても基本的に治るはずがない
都会では頭を空にすることも、嘘誤魔化しをつかないことも、争わないことも無理なのだ

6.何が良かったのか       悪い環境を肯定せず自然を基本原理とする暮らしに戻る
長年都会に暮らし、55歳で山に移り住み、体験的に自然を知った私にとっては幸いであっただけ
都会では嘘誤魔化しや争いの生き方から逃れられないが、山の暮らしを通じて是正された
都会に暮すとノイローゼやうつ病になる人が多いのは当然だが、そのような鬱陶しさを回避
大気汚染や水質汚染や騒音で汚染された環境では病気や精神障害が増えるが、これも回避
嘘誤魔化しや争いが得意な人しか健全には生きられない都会から逃避
何かを決断する場合の考え方として自然であるかどうかを基準にするようになった
都会では嘘誤魔化しの基準で判断することが多くなりがちだったが、自然かどうかに変えた

7.提言       山に暮すことは可能であり、資源を利用でき、本質的には暮らし易い
山に暮して10年ほど経営コンサルタント仕事をしていた、インターネット・携帯・宅急便あり
山奥でも仕事は出来る時代だ、高齢化で農業後継者激減、地方再生政策、やり方はある
もうこれ以上都会に集中するやり方からそろそろ脱出・解放されてもいいのではないか
日本の山の資源を利用する手段はいくらでもある、若者よ、山に暮そう、自然への回帰

捨てようと思ったが一年置いておいたら、きれいなサボテンの花が咲いた