人生なんて一瞬だと思うのは、正月にこんな感じの日記を書こうと考えていたのに何だかんだで2月であるからだ。今年のはじまりは例年とは違い、また365日かとは思わず、365日に復活したわ、強くてニューゲームだわ、とか思っていたのに何の経験値を積むでもなく、お宝を探しに行くわけでもなく、ただただ焦りがじわじわと締め付けてくる感じ、普段通りだな。毎年の目標は風邪をひかないとか無茶なものであって、去年とか体調も何もかもめちゃめちゃだったけど、振り返ってみればまぁそりゃそうだわなと思わないこともなく、さて今年の目標は黙座であります。もう右往左往するのはやめよう、少しずつでも執着を手離そう。
例えば子どもの頃、主に二十歳ぐらいまでの頃、当時持っていた執着のあれこれっていうのは教育の成果であるとか、固定観念とかこうでなくてはならないっていう無意識からきているのが大半で、この道を行くならこう、あの道をいくならこう、それが本当に自分を苦しめていたと気がつくのは数年後のことである。たぶんそこから離れて到達できている人間なんて多々いる、ほんとにすばらしい、やっと色々見つかった気がするよ、成長速度なんて人それぞれ、まだまだ足りないが。でもどうしても手離せなかったのは人間関係なんよね。変わりつつも変わらない自分が、それは恐らく悪いことではないんだろうけど、それが苦の原因であるならば、もう少しなんとかせねばなるまい。
当たり前に人はそれぞれのフィールドで生きる、それはわかっている、責める気はないさ、時が来たんだ、俺だって。変わらないものはない、それは真理だ、いまあるものがずっと同じように見えたとしても、それは同じように構築した新しい心だ。だから感謝するんだよ、特別なんだ、長くいまもそこに、隣に在ってくれつづけるものには。離れていくことを引き留めはしない、遠く離れいつかそのまま失いそれに涙をすることだって嘘だとは言わない、未来は過去を否定なんかしない。繰り返すが例外はない、俺も少なからず変わっていく、ただ、昨日会ったかのように、何もなかったかのように、在ることができるのだけが俺の才能だ。それだけは覚えてくれていたら、うれしい。どこか一方的になってしまった明け方、希望を持たせた言葉を置いて黙す。そう在りたい。
例えば子どもの頃、主に二十歳ぐらいまでの頃、当時持っていた執着のあれこれっていうのは教育の成果であるとか、固定観念とかこうでなくてはならないっていう無意識からきているのが大半で、この道を行くならこう、あの道をいくならこう、それが本当に自分を苦しめていたと気がつくのは数年後のことである。たぶんそこから離れて到達できている人間なんて多々いる、ほんとにすばらしい、やっと色々見つかった気がするよ、成長速度なんて人それぞれ、まだまだ足りないが。でもどうしても手離せなかったのは人間関係なんよね。変わりつつも変わらない自分が、それは恐らく悪いことではないんだろうけど、それが苦の原因であるならば、もう少しなんとかせねばなるまい。
当たり前に人はそれぞれのフィールドで生きる、それはわかっている、責める気はないさ、時が来たんだ、俺だって。変わらないものはない、それは真理だ、いまあるものがずっと同じように見えたとしても、それは同じように構築した新しい心だ。だから感謝するんだよ、特別なんだ、長くいまもそこに、隣に在ってくれつづけるものには。離れていくことを引き留めはしない、遠く離れいつかそのまま失いそれに涙をすることだって嘘だとは言わない、未来は過去を否定なんかしない。繰り返すが例外はない、俺も少なからず変わっていく、ただ、昨日会ったかのように、何もなかったかのように、在ることができるのだけが俺の才能だ。それだけは覚えてくれていたら、うれしい。どこか一方的になってしまった明け方、希望を持たせた言葉を置いて黙す。そう在りたい。