goo blog サービス終了のお知らせ 

「言葉の修理承ります。」 Tittle : Terayama Shuji / Word : FukadaryoU

言葉はいつもあなたのなかに在り/世界をうつくしいと想えたなら/すべてあなたのなかにある/あなたのうつくしさです

明けの明星

2025-02-16 22:54:10 | 日記
人生なんて一瞬だと思うのは、正月にこんな感じの日記を書こうと考えていたのに何だかんだで2月であるからだ。今年のはじまりは例年とは違い、また365日かとは思わず、365日に復活したわ、強くてニューゲームだわ、とか思っていたのに何の経験値を積むでもなく、お宝を探しに行くわけでもなく、ただただ焦りがじわじわと締め付けてくる感じ、普段通りだな。毎年の目標は風邪をひかないとか無茶なものであって、去年とか体調も何もかもめちゃめちゃだったけど、振り返ってみればまぁそりゃそうだわなと思わないこともなく、さて今年の目標は黙座であります。もう右往左往するのはやめよう、少しずつでも執着を手離そう。
例えば子どもの頃、主に二十歳ぐらいまでの頃、当時持っていた執着のあれこれっていうのは教育の成果であるとか、固定観念とかこうでなくてはならないっていう無意識からきているのが大半で、この道を行くならこう、あの道をいくならこう、それが本当に自分を苦しめていたと気がつくのは数年後のことである。たぶんそこから離れて到達できている人間なんて多々いる、ほんとにすばらしい、やっと色々見つかった気がするよ、成長速度なんて人それぞれ、まだまだ足りないが。でもどうしても手離せなかったのは人間関係なんよね。変わりつつも変わらない自分が、それは恐らく悪いことではないんだろうけど、それが苦の原因であるならば、もう少しなんとかせねばなるまい。
当たり前に人はそれぞれのフィールドで生きる、それはわかっている、責める気はないさ、時が来たんだ、俺だって。変わらないものはない、それは真理だ、いまあるものがずっと同じように見えたとしても、それは同じように構築した新しい心だ。だから感謝するんだよ、特別なんだ、長くいまもそこに、隣に在ってくれつづけるものには。離れていくことを引き留めはしない、遠く離れいつかそのまま失いそれに涙をすることだって嘘だとは言わない、未来は過去を否定なんかしない。繰り返すが例外はない、俺も少なからず変わっていく、ただ、昨日会ったかのように、何もなかったかのように、在ることができるのだけが俺の才能だ。それだけは覚えてくれていたら、うれしい。どこか一方的になってしまった明け方、希望を持たせた言葉を置いて黙す。そう在りたい。

覚醒はあの煙のせい

2024-11-08 15:08:19 | 日記
誕生月なんてあっさり過ぎ去る、いいこともわるいことも、特別感などなければ何事もなくただ過ぎ去る日ではあるけれど、それでは少しだけ寂しかったりして、この日は親や周囲に感謝する日だということもどこかでちらほら、しかしながらわたしはその日は自分のためにそっと噛み締めたいものである、できれば受け身だけでありたい、それくらいのご褒美はあってもよかろう、クズみたいな現在地だとしても、今日の自分を信じて精一杯生きてきたんだもの。

今年一年はきつかった、肉体的にも精神的にも、色々と追い詰められていたというか、常にプレッシャー的なものがあるからかもしれないが、どうしたもんかというほどに、っていうか死ぬよね、わりと早く死ぬよね、っていうぐらいはなんともなんとも、暦的なことではまだあと2か月ほど、半分ぐらいは寝ていた気がしますよ、睡眠的に。ところで煙草をやめなくてはならない、もう昔のように毎日吸ってはいない、最長で抜けたのは2週間、そのときあったのは別に吸わなくてもイライラしたりもなく全然普通なんだけど、けっこうずっと吸いたい、5分気をそらせば落ち着くらしい、確かにね、でもそのあとすぐ吸いたいんだがこれいつまで続くの罰なの罪なの、最初から吸わなきゃよかったんだってもっともです、けどね時代もあったのよ、そんな時代もあったのよ、星々とラッキーと共に生きた。悪くはなかったよ、たぶんいまもそれが幸福だとは思っている。目を細めて。

いまの生活は若いころに想像していた未来ではなかったが、それでも若いころの気持ちの延長線上にあるものである意味で成功であるとは言える、正直ここまで貫いたことを褒めてほしいぐらい、早々に捨ててしまった財力や名誉などのわかりやすい欲望の18K。思うよ、時々は、やっぱり。答えの出やすい競争や努力、そういったものがうらやましくなる日も。けどそれがいいものかどうか、いまと比べてどうかなんてわからないからな、手に入れたものはなぜか色褪せてしまう、違う、セピア色は憧れの昨日。明日は雪景色にカラフル。

この道の経過

2024-08-08 16:16:32 | 日記
紆余曲折を経て、または種々の縁ありて仏道にいるわけですが、そういえば30過ぎぐらいまで縁という漢字は緑だと思っていた。なんで各色あるなかで縁は緑なんだろうと、かといって調べるわけでもなく生きてきたわけですが、でも緑のしなやかさとかあたたかさ、強さやさしさ、そういったありがたさがあって、六道を離れたところに生命の緑はあって、崇められ恐れられ尊ばれ、神様とかそういったものであり、だから縁は緑で不思議なかったんかなといまになって考えてみるが、単に想像のものなので正しさとかはまったくないので悪しからず。

思いっきり身体が壊れているわけではなかったが、下手すれば余命宣告されてもおかしくないぐらいの状況があった。それを聞いた瞬間の真っ白というか込み上げる緊張感というか、まじでかってパニックはあったものの、結果を聞く前にものの数分で落ち着いた自分を感じて、それなりに成長したもんだな、身につけたものは間違っちゃいなかった確信があったわけですが。穏やかな生活、静かな日々、それは環境とか何だとかでどうにかなる代物ではなく、自らがどう生きるかっていうところでしかないわけです。どうしたって波風は立つ、水面は揺れる。それらがあった時にどう対処していくか、当然に大きなショックは受けていい、そこからの立ち直りの時間をどう短縮していくか、そこが大事な点ではなかろうかと思うところであります。

とはいうものの、あらゆる執着を離し、自分すらも執着から離すことができたなら、それこそいうところの悟りであって仏であろう。可能か不可能かはどうなんでしょうね、人類でひとりはその地点に行ったらしいけど、その後はどうかな、いるっていう希望のほうが好きだ。そうであるとしても、大切な他者は離さないでおきたいと思います。そのほうがより人間らしい、仏にという話からはちょっとおかしいか、でも人間としてそのほうがかわいらしい、好きなんでしょうね、けっきょくは。そこを切り離して仏にはならない、少なくともわたしは、どうかお赦しください。

ルックバック

2024-07-22 07:30:10 | 日記
とりあえず言いたいのは転売っていうのをはじめてどうかと思ったわ。抽選方式のというか思い出的でない物は致し方ないとしても、記念に買いたいものってあるじゃんね、パンフレット買いたかったよ、売り切れだったよ、致し方ないだって納得しているわけではないよ致し方ないだよ、そういう節度とか思い遣りとかあるよね、商売の基本だよね、便利になったようで多様なものが捻くれたというか、なんでこんな世の中になってしまったんだ、明るみに出た、表面に浮き出た、そうは思いたくないところではある。科学の発達に対して人間の精神は停滞している、子どもの頃にそんな言葉を読んだ、まだこれからであると思いたい。

才能があったとして、その才能をどう使うかって才能があって、引っ張るか支えるか、その両方がどこかに必要になったりして、成功というものが目の前にあったとしても、それが本当に手に入れたいものかどうか、実はもっと大切なものがいくらでもあるのではないか、浮かれて走ったあの道と、いまも大事にされた気恥ずかしさ、同時にその手も。どう転んでも互いが互いに、もう折れることなく。どんなパラレルでも。羨ましいな単純に、綺麗な隅でなんて青春。

高校生活がなかったから、漫画や映画でそんなに煌びやかなのかなとか思ってた。中学と変わらないとして、それだったらやっぱり光のあたらない場所はあるし、大学生活もゼミやサークルを無視してクラスもなかったからかそんなに鮮やかではなかった。大人になって成功を、金や名声や権力や、日々が贅沢なことばかりがいいようにクローズアップされて、それは子供の世界にも影響あって、スクールカースト、目立つやつが一軍でそれが偉いみたいなマウントがあったりなかったり、でも何かそんなんて違うよな。それぞれにそれぞれの居場所があって、それぞれに楽しくて、それでいいんだって、大人も子供も。光なんてどっからどうあてるかでしかないよ。自分以外の価値観なんかどうだっていい笑顔があった。幸福なひだまり。

京都

2024-06-27 16:23:49 | 日記
あの日。雨。来なかった連絡に、どうするのかと催促する気はまったく起きず、新幹線の時間を遅らせる。何にも考えてなかったが新幹線が豪雨で止まる。正直体調は思わしくなかった。5時間かけて京都に着く。晴れて少し蒸すくらいだった。橙色の空に水蒸気が昇っていくようだった。故郷だとは言えない、ほっとしたのは青春の空気か。ここにいることが大切で、夜を待とう。幸いに喫煙所はある。夜と煙と南座の光。と、わたし。それだけ。それが詩。

すべてが予定通りにいっていたら中々に苦しい日程になっていた気がする。そう思えば、来なかった連絡も恵ではないのかぐらいにできる。そういった流れがあって、導きがあって、無理やりにでも何かを掴むことは可能だろうが、時には身を任せてみるのもまたひとつ。できることならなるべく何であれいい方向に捉えていきたいものではある。きっと忘れてしまうくらいに気兼ねない仲なのだろう。それでいい。怒ってもいないし終わりでもない、そう思えるくらいには。たぶんいまじゃなかった、そういうことさ。