悠々自適

日常の雑感をそれとなく

68 省エネ

2017-02-26 23:45:44 | 雑談
子供の頃、家の暖房は練炭火鉢とコタツぐらいしかありませんでした。
そのうえ家には気密性がなかったので部屋の暖房は無いに等しいもの
でした。着る物は粗末なもので今の保温衣に比べると雲泥の差があり
ました。

そんな生活だったので、冬になると手足にはアカギレとシモヤケが出来
ました。しかし現在の生活は子供の頃に比べると格段によくなり、ほと
んどの家の部屋は暖房がされています。

数年前、ガス会社から「ガスが連続使用となっていますが、ガス器具の
切り忘れはないですか」との確認電話がありました。その事があってか
らは、時々ガスストーブを切って換気をするようにしました。

そんな我が家でしたが、家内が孫の世話で不在になり、一人暮らしになり
ました。居間とパソコンのある部屋をうろうろして、外出をする事も多い
ので全部屋を暖房するのは効率が悪いと思い、子供の頃の生活に戻って
部屋暖房無しの省エネにする事にしてみました。

その時、思い出した小話がありました。お婆さんが医者に言いました。
「先生、指で胸を触ると痛いんです。お腹を触っても痛いんです。
“体の何処を触っても痛いんです”。どうしたのでしょう」。診察をした
先生が言いました。「お婆ちゃん、指が骨折していますよ」。この小話と
同じように、部屋ではなく体を暖房すれば、“どの部屋に行っても暖かい
んですよ”となります。

衣料店に行くと、保温下着、保温衣類、保温ソックス、保温スリッパが
沢山ありました。色々買い揃えましたが1万円でお釣りがありました。
多くが中国製でしたが値段の安さにビックリしました。今まで使っていな
かったカシミアのベスト、セーター、マフラーも使用して、購入品を重ね
着して身に付けるとポカポカとして暖房無しでも寒さを感じなくなり
ました。

ただ、この防寒対策には一つ欠点があります。暖房がされている部屋では
暑くなってしまうので、長時間居れない事です。従って図書館に行く時は
暖房衣類を脱いで行く様にしています。

67 言葉の時代変化

2017-02-18 19:25:55 | 雑談
会津の鶴ヶ城を訪れた友人が「荒城の月」の詩は仙台出身
の土井晩翠が鶴ヶ城を思い浮かべて作詞をしたと教えてく
れました。今まで荒城の月の詩は大分の竹田城で作られた
ものだと思っていました。しかしこれは勘違いで、竹田城が
ベースになったのは滝廉太郎の曲の方でした。荒城の月には
栄枯盛衰が詠われており、白虎隊の悲劇を生んだ会津若松
鶴ヶ城ならイメージが合います。

私は荒城の月の四番が好きです。“天上影は 変わらねど 栄枯
は移る 世の姿“。 不変と変化を詠ったこの一節は心を打つ
ものがあります。

高校で古文を習うまで、ここにある影の意味を誤解していま
した。文語で影とは光の事であると習った時はビックリしま
した。

辞書で調べたら次の様な解説がありました。「影は、元々は
日・月・星・灯火などの光を表す言葉。そこから、光が反射
して、水や鏡の面などに映る物の形や色などを表し、光が
遮られることで見える物の姿や形、黒い部分などを表すよう
になった」。この事を知らないと「星影のワルツ」と言う歌が
ありますが、星でどうして影が出来るのだろうと思ってしまい
ます。「星影のワルツ」とは「星の光のワルツ」の意味だと
理解している人は少なだろうとい思います。

「青丹よし 奈良の都は 咲く花の “にほふ”がごとく 今盛り
なり」。この歌の“にほふ”は嗅覚の“匂う”という意味では
無く、“様々な色が鮮やかに照り映えて見える”という視覚の
意味であると古文で習った時もビックリしました。この事を
知ってないと、新婦の“匂い立つような美しさ”を“香水が立
ちこめている美しさ“と勘違いをしてしまいます。

相撲の行司は軍配を指して「“こなた”OO山」と言って力士
の名を呼びますが、子供の頃は変な言い方をするなと思って
いました。しかし“こなた”とは“ここ”と言う意味なので、
ここにいる人を“こなた”と言い、前にいる人を“おまえ
(御前)”と言うのは極めて自然な表現になっています。とこ
ろがいつの頃からか、前にいる人を“あなた”と呼ぶようになり
ました。“あなた”とは「山の“あなた”の空遠く・・・」の詩
にもある様に“かなた”と同類語で、遠くにあるものとの意味に
なります。

ここに居る人の事は“こなた”と言うのが正しいのに、いつの間に
か遠くに居る人の事を言う“あなた”と言う言葉が使われる様になり
ました。その理由は何だったのでしょう。言葉の変化に興味がわいて
きます。

66 出された物への対応

2017-02-13 00:06:11 | 思い出
広島に勤務していた時、マツダのT専務が、ボトルをキープされて
いる店に二次会で招待をしてくれました。通産省から来られていて
上司であったN常務と一緒にT専務の横に座ると、美人のママが
バランタインの“30年物”のボトルを出してきて「どうされます
か?」とゲストの我々に聞きました。

私は初めて目にする30年モノのバランタインを見て、すごいなあと
思いながら、「水割りでお願いします」と、いつもの様に言おうとしま
した。その時、Nさんは「こんないいモノは“ストレート”でお願い
します」と言われました。私はハッとさせられ、「私も同じでお願いし
ます」と言いました。

この事があったので、家内が夕食の時「味が薄かったらお醤油をかけ
てね」と言った時、「滅相もございません。こんないいお味なのに!」
と言う事が出来ました。

“何故にらむ ソースをかけた だけなのに”との川柳がありました。
料理を作った奥さんは誇りと自信を持って料理を出しているはずです。
ところがそれに無関心であり、無頓着である亭主がこの句の面白さに
なっていると思います。

Nさんのお陰で、この川柳の様にならなくなりましたが、そのNさんが
先月78歳で亡くなられました。Nさんに感謝をしながらご冥福をお祈り
しました。

65 批判は塩味

2017-02-05 21:50:08 | 思うこと
昨日TVを観ていたら、蓮舫民進党代表が稲田防衛大臣に国会質問を
していました。稲田さんが10年前に書いた雑誌の内容を蓮舫さんは
問いただして舌鋒鋭く批判しました。コメンテーターはこう言いました。
「昔の事でイジメのような質問をするのではなく、民進党代表なら、
今のもっと大きな問題について質問をして欲しい」。

人間が生きていくうえで必要な大事な物が二つあると思っています。
それは、活動エネルギーとなる“糖分”と、新陳代謝を円滑にさせる
“塩分”です。この大事なものを取り込んだ時に、神様はご褒美として、
舌がその“美味しさ”を感じるようにしてくれています。

私は意見を言う人に、二つのタイプの人がいると思っています。①新た
らしい価値を生み出す提案をするタイプの人と、②否定だけの批判をす
るタイプの人です。①タイプの人は常に前向きで、価値を生み出す事を
促進して皆に尽くそうと“分け与える“ 事を考えるので、その周囲の
人はいつまでも幸せになります。ところが②タイプの人は否定をして人
の悪口を言い、自己本位で価値を生み出さないので“他から奪う事”
を考えます。そして周囲にいる人はそのおこぼれに与りますが、価値を
増やしての分け前ではないので幸せは長続きしません。

①タイプの人は糖分の様な人、②タイプの人は塩分の様な人なのだと思
います。どちらも美味しさを感じさせてくれますが、②はほんの少量あ
ればいい物であり、大政党の党首として国会質問で塩分だけを振り撒い
て自分の存在感を出そうとしている蓮舫さんを見ていて、彼女は心が
貧しい人である事がよく分かりました。

米国ではトランプ大統領が出現して、アメリカ国益第一と言ってはいる
ものの、トータルとしては国益が減少してしまう②タイプの政治を彼は
展開しようとしています。短期間ではトランプ流弁舌の塩味が効いて、
多くの国民がトランプ政治は美味しいと言って喜ぶだろうと思います。
しかし、彼がやろうとしている貿易制限と言う、価値を生む国際分業の
縮少で、トータルのアメリカ国益は減少してしまいます。従って、早晩
トランプ政治は否定され、アメリカらしい①の政治に復帰するのだろう
と思います。