dancing soleil

ひまわりは踊っている

1993年2月10日「今は幻、吉原のものがたり」

2008-04-03 18:24:00 | 日記
1993年二月十日 水曜日(晴れ)
「今は幻、吉原のものがたり」

 きちんと調べが行き届き、インタビューも適切に入っていて、面白く読めた。
 あえて不満をいえば、文学者たちの吉原登楼に対し、視点が文学者寄りで、志賀直哉や里見たちに点が甘いように思う。

 明治の元勲たち、桂小五郎、伊藤博文、大隈重信等の妻たちが多く芸妓遊女の出身であったことは歴史上有名で知っていたが、文学者では坪内逍遥の妻もそうであるとははじめて知った。

 この時代において、自分自身の意志をはっきり持ち、必要な技能を身につけていた女性といえば、深窓の令嬢よりむしろ遊里出身者のほうが魅力的な女性だったのかもしれない。

 また、近藤は『社会が、遊女をかほど蔑むようになったのは、明治になって、キリスト教思想が浸透してからであって、江戸期にはこれほどの蔑視は受けていなかったのではないか』というのだが、どうだろうか。

 中世までの、役者芸人、流れの僧侶や修経者、社寺と表裏の関係なっている遊女は「聖にして賎」、貴賎表裏一体の存在であったという印象を持っているが、遊閣に囲い込まれたあとの、江戸期の遊女の社会的地位や庶民からみた感情はどうだったのだろうか。

 遊女との間に擬似恋愛を体験しようとした文学者たちについて、近藤は『遊女を対等な人間として偶していた』というのだが、どうも私は白樺派に点が辛くなる。

1993年2月6日「違いのわかる利休の宇宙」

2008-04-03 18:21:00 | 日記
1993年二月六日 土曜日(晴れ、春一番)
「違いのわかる利休の宇宙」

 帰るまで、去年ビデオにとっておいた山崎正和の『獅子を飼う』を見た。板東八十助はコーヒーのCMの印象が強くて、ムリしてフケて秀吉をやっている感じ。

 八十助はインスタント・コーヒーの違いがわかる男なのだろうが、権力者の気まぐれとおおどかさ、他者への細心の気づかいと非情というような、微妙な心理を行きつもどりつするあたりの違いが、私には伝わらなかった。

 平幹二郎の利休は病的な感じで、これまた、秀吉へ向かうアンビバレンツの心理が私には伝わらず、一面的な感じがした。たぶん二人とも名演なんだろうけど、私にはあわなかった。

 野上弥生子の『秀吉と利休』、井上靖の『本覚坊遺文』、山崎の『獅子を飼う』。芸術家と権力者の対峙と破局。三つともすばらしい作品とは思うが、利休像について、私は別の説を持つ。

 世俗の権力を得たが、土着の家臣団をもたず、精神的な紐帯、氏神を等しくするような血の団結、生死を司る長としての権威をもたない秀吉にとって、利休の美学と茶室の構造が、己の精神的、宗教的権威づけのために必要な道具だった。

 私の解釈では、大規模な茶会、たとえば北野の大茶会は祝祭空間である。また茶室は子宮であり、死へ赴く武将は子宮で死と再生の儀式を受ける。茶室での一椀は、死出の杯であり、再生の命の水である。

 また、一椀の茶を共に飲むことは、神事の後のなおらいと同じく、神=権力者との一体化を演出する。利休は美の鑑定者であるが、同時に生と死を司る祭司である。

 関白職を秀次に譲ったのちは、むしろ秀吉自身が世俗の権威者秀次のための宗教的権威となるはずであり、利休はじゃまな存在になった、というのが私の考え。家康の場合は、家臣団の力も大きいし、この継承がうまくいった。秀吉は実子の誕生が遅すぎてこの継承がうまくいかなかったのだ。

 秀吉は死して豊国大明神になり、家康は日光大権現になったが、生きているうちに己を宗教的権威に高めてしまう術は家康の方がうまかった。

 権力は必ず聖と俗の両面の権威を必要とするが、一人が両方を兼ねようとすると歴史にひずみがあらわれる。信長はひずみがあらわれる前に殺され、秀吉は失敗した。聖俗両権具有が実現した、歴史上最大のひずみは、明治から昭和の歴史にみるごとし。

 利休は己が祭司として利用されていることを知りながら、己の美の世界の完成のためには、その立場を利用した。一方で秀吉をその人間的な魅力において認めながら、己が祭る神としては軽蔑しているのである。そのあつれきと均衡が破れたとき、利休賜死が実現する。と、私は思うのだけれど。いい考えね。