1993年二月十日 水曜日(晴れ)
「今は幻、吉原のものがたり」
きちんと調べが行き届き、インタビューも適切に入っていて、面白く読めた。
あえて不満をいえば、文学者たちの吉原登楼に対し、視点が文学者寄りで、志賀直哉や里見たちに点が甘いように思う。
明治の元勲たち、桂小五郎、伊藤博文、大隈重信等の妻たちが多く芸妓遊女の出身であったことは歴史上有名で知っていたが、文学者では坪内逍遥の妻もそうであるとははじめて知った。
この時代において、自分自身の意志をはっきり持ち、必要な技能を身につけていた女性といえば、深窓の令嬢よりむしろ遊里出身者のほうが魅力的な女性だったのかもしれない。
また、近藤は『社会が、遊女をかほど蔑むようになったのは、明治になって、キリスト教思想が浸透してからであって、江戸期にはこれほどの蔑視は受けていなかったのではないか』というのだが、どうだろうか。
中世までの、役者芸人、流れの僧侶や修経者、社寺と表裏の関係なっている遊女は「聖にして賎」、貴賎表裏一体の存在であったという印象を持っているが、遊閣に囲い込まれたあとの、江戸期の遊女の社会的地位や庶民からみた感情はどうだったのだろうか。
遊女との間に擬似恋愛を体験しようとした文学者たちについて、近藤は『遊女を対等な人間として偶していた』というのだが、どうも私は白樺派に点が辛くなる。
「今は幻、吉原のものがたり」
きちんと調べが行き届き、インタビューも適切に入っていて、面白く読めた。
あえて不満をいえば、文学者たちの吉原登楼に対し、視点が文学者寄りで、志賀直哉や里見たちに点が甘いように思う。
明治の元勲たち、桂小五郎、伊藤博文、大隈重信等の妻たちが多く芸妓遊女の出身であったことは歴史上有名で知っていたが、文学者では坪内逍遥の妻もそうであるとははじめて知った。
この時代において、自分自身の意志をはっきり持ち、必要な技能を身につけていた女性といえば、深窓の令嬢よりむしろ遊里出身者のほうが魅力的な女性だったのかもしれない。
また、近藤は『社会が、遊女をかほど蔑むようになったのは、明治になって、キリスト教思想が浸透してからであって、江戸期にはこれほどの蔑視は受けていなかったのではないか』というのだが、どうだろうか。
中世までの、役者芸人、流れの僧侶や修経者、社寺と表裏の関係なっている遊女は「聖にして賎」、貴賎表裏一体の存在であったという印象を持っているが、遊閣に囲い込まれたあとの、江戸期の遊女の社会的地位や庶民からみた感情はどうだったのだろうか。
遊女との間に擬似恋愛を体験しようとした文学者たちについて、近藤は『遊女を対等な人間として偶していた』というのだが、どうも私は白樺派に点が辛くなる。