dancing soleil

ひまわりは踊っている

1993年2月13日「シンデレラと女ざかり」

2008-04-04 10:37:00 | 日記
1993年二月一三日 土曜日(晴れ)
「シンデレラと女ざかり」

 『シンデレラ』は私が生まれた年、四九年制作。幼稚園に入るまえだったか、入ってからだったか、姉といっしょに渋川銀映でみた。
 母は、ディズニーの映画だけは、大人の付き添いなしに行くことを許してくれたのだ。

 そのとき印象に残ったのは、シャボン玉にシンデレラが映るシーン。
 二度目は娘が三、四歳のころ飯田橋駅前の映画館でみた。
 なぜガラスの靴だけは十二時になっても消えないのか、という誰もが思う疑問は二度目にみても解決されないで謎として残った。

 今回三度目に見て、疑問に思ったこと。シンデレラは洗濯物を両手に抱えて足でドアを開け閉めするのだが、日本初公開当時、だれもこのお行儀に文句をつけなかったのだろうかということ。

 王子様の未来のお妃が、たとえ洗濯物を抱えていたとはいえ、足でドアを開け閉めしては「良家の子女のしつけに悪影響を及ぼしかねない」なんてこと言い出しそうなオバサマ族がいたんじゃないか、という気がするのだが。寡聞にして知らず。

 私は冷蔵庫から物を取り出すとき、両手に食品を持って手がふさがっていれば、足とかお尻で閉めるけど、もしかしたら幼稚園の時見たシンデレラに影響されていたのかもしれない、なんてね。

 風邪ひき家の中引きこもりの娘息子にビデオをみせておいて、ひたすら丸谷才一の『女ざかり』を読む。四百三十ページの本で、洗濯、朝食作り茶碗洗い、布団干しをすませて読み始め、途中スーパーに買い物に行き、布団取り込み、夕食は揚げだし豆腐、焼き魚(一塩鮭)、ブロッコリー・サラダ、味噌汁は大根とわかめ。で、夜十時に読み終わった。

 丸谷才一の「げん学趣味しったかぶりエッセイ」は好きでとても面白く読むし、日本語についての本も文章論も、対談集もだいたい全部読んでいる。初期の小説はほとんど読んでいるが『裏声で歌え君が代』から読んでいない。

 『女ざかり』は、そのうち図書館で借りて読もうかと思っていたら、夫が買ったというので、先に借りて読んだのだ。
 夫は推理小説以外ではノンフクションばかりで、ふつうの小説はほとんど読まない。ノンフィクションの分野はふたりが同じ本を買ってしまうことはよくあったが、小説で夫と同じ本を読もうとしたのは珍しい。

 たぶん、夫は新聞社が舞台になっていることに興味を持ったのだろう。夫が奈良新聞社を退職したいきさつはよく知らないが、新聞記者という職業自体が嫌いになってやめたのではないらしい。地方の小さな新聞の無給海外通信員になって暮すというのが、夫の老後のプランのひとつであるのだから。私は「贈与論」を丸谷がどう料理しているのか興味があった。

 小説作りのしかけや読ませ方にかけては、抜群の腕をふるう丸谷の書き下ろしなのだから、笑ったりオベンキョウしたりしながら面白く読んだ。しかるに、結末について、予測がはずれて不満!な点が二つ。

 筒井康隆の『朝のガスパール』なんか、朝刊の連載を読みながら、次はこう展開するという予測が全部的中して、さすがは読者の意見をパソコン通信で取り入れてストーリーを作ると作者が宣言しただけあって、パソコン持ってない読者にも思い通りに筋が運ぶなあと納得した。

 最後は、小説の登場人物のレベルと小説中のRPGのレベルと作者のレベルが全部めちゃくちゃハチャメチャになって、混沌カオスのもつ煮込みカタストロフミートローフというラストシーンもバッチリ予想通りだったけど、筒井にしてはハチャメチャ度が不足なのは朝日新聞に遠慮したのかしらなんて思ったのだが。

 『女ざかり』では、道化的な「文が書けない論説委員」が登場するので、トリックスター的に最後は新聞社をハチャメチャにひっくり返してくれるのかしらと予測すると、突然記事が書けるようになって、念願の社会部長に転出してしまうし、贈与論のしめくくりとして首相と元女優の柳あえかと、新聞社の社長とがポトラッチをはじめて、もうめちゃくちゃに贈りあい与えあい、すべてをぶっこわすまで贈与しあうかと予測すると、それもない。

 最後の方で、首相官邸の暗い廊下を、精神に異常をきたしている首相夫人に導かれるまま、ヒロインの論説委員女史が官邸奥深く入っていく場面がある。「きたぞきたぞ」と読者は思う。人間と神の中間に位置するミコに従って、暗く細長い道を通って明るい部屋へ導かれるといえば、次は主人公の精神的宇宙における死と再生だ!と予測する。

 案の定、官邸の庭を見て、南弓子は宇宙的宗教的気分を満喫する。しかし、彼女にあらわれた「再生」とは新聞社を退職することでしかなかった。私は何を望んでいたのか。主人公南弓子は、女から見るとあまりにも男社会に都合のいい、適度なフェミニスト、男の領域をおかさない程度の適度な知性、そして男を満足させる美貌、熟れた女性の魅力と経済力をもった、まったく男にとって、愛人に持つには一番都合のいい女なのだ。

 私が願った弓子の再生とは、男性社会に大反撃を開始する一大転換であったのだ。しかし、彼女は交情後五十分たつとフッサールの話を始める二流(としか私には思えない)哲学教授の都合のいい愛人のまま小説は終ってしまうのだ。

 哲学教授豊崎の妻が弓子の存在を知っていて、お互いに納得づくでひとりの男を共有しているのなら文句はない。イスラム社会では、四人の妻が納得して夫を共有しているのだから、お好きにおやりなさいというところ。

 しかし、小説の中では妻は、弓子という愛人が夫と毎週会っていることに気づいていないことになっている。そんなマヌケな妻がいるだろうかとは思うが、いたとして、そのようなアンフェアは気分が悪い。

 私の思い通りに、男社会をひっくり返す方向で終らないことに文句をつけたら、夫は「もともと丸谷才一はフェミニストではないのだし、この本はフェミニズムのために書かれたのじゃないのだから、文句を言っても仕方がない」という。そりゃそうだけど。

 子育てを終えた男女は、結婚制度から自由になるべきだと、現在私は考えている。子育て中は、一人で育てられる人は一人で育てればいいし、二人で育てたいカップルはふたりで育てる間、いっしょに暮せばいい。

 これまでのライフサイクルでは、子育てを終えたら人生は終りであった。二十歳から生みはじめ、四十歳までに二年おきに十人の子を生んで育てて、末子の成人をみるか見ないかで一生を終える、というのが女性の人生であった。今や、末子の成人後三十年の時間があるのだ。これは人類が史上初めて体験する人生時間である。

 豊崎も弓子も、もう子育てを終えているのだから、好きなように人生をすごせばいいのだけれど、豊崎の妻だけなんも知らんのじゃマヌケの人生であって、弓子は他者の人生をマヌケにしていいという権利を持たない。そして妻に知らせないまま、都合のいい愛人と週に一回会う哲学教授には「テメエ、イイカゲンにしておけよ」

 弓子ほどの女が、そのようなズルイ男をぶったぎらないで「『贈物の哲学』のほうがいい」なんてハシャいでいる終り方じゃ、フッサールについて論じあいながらメイクラブしたごとき欲求不満が残ってしまうではないか。

 人間がすべての差別をうけず、基本的人権を守られ、基本的な人間的生活を享受して生きるために。私の結論。

 1、天皇制度の政治的な利用に反対。

 2、結婚制度解体。人は一人で暮すのも、男と女、男と男、女と女、どのような組み合わせでいっしょに暮すのも自由。戸籍制度廃止。個人カードにすること(プライバシーの完全保護を計ることが前提)

 3、保育園の充実(ひとり親でも子育てが可能な体制)4、老後の生活の完全保証(病気介護を含めて)

 無理な結論。

1993年2月11日「荷風と機関車」

2008-04-04 10:36:00 | 日記
1993年二月一一日 木曜日(晴れ)
「荷風と機関車」

 近藤の『吉原』は明治末年を描いているが、ついでに紀田順一郎の『東京の下層社会』の中の吉原と玉の井の章を再読した。大正から敗戦までの色街といえば永井荷風の世界。そういえば、去年テレビやビデオでなく、劇場で見た唯一の映画は『 墨東綺潭』一本だった。

 映画は新藤兼人八十すぎての作品と思うと、なかなかよい出来と思った。ただし、荷風と女のシーンが機関車の連結とモンタージュされていたのには笑いたくなってこまってしまった。いかにも昔風のイメージモンタージュで、時代を出そうとしたのかしらと思うけど、いくら線路際の安普請の家での交情とはいえ、荷風が女に重なったシーンの次が機関車の連結ではあんまりではないか。

 津川雅彦好きじゃないが、ここは男・津川にきちっと本番撮らせるべきだったと思う。たとえ映倫ボカシが入ろうと、機関車連結よりましだもんね。墨田ユキの全裸シーンにはボカシが入ったが、『美しきいさかい女』で映倫の方向が変わって、そのうちボカシなしでも上映出来るようになるかもしれないんだから、本番シーンも撮るだけは撮っておけばいいのだ。

 老人になってカツドンを食べるシーンの演技はアザトイという感じがしたが、津川もなかなかうまかったし、墨田ユキの裸は鑑賞に耐えたし、いい映画と思いました。


1993年2月10日「今は幻、吉原のものがたり」

2008-04-03 18:24:00 | 日記
1993年二月十日 水曜日(晴れ)
「今は幻、吉原のものがたり」

 きちんと調べが行き届き、インタビューも適切に入っていて、面白く読めた。
 あえて不満をいえば、文学者たちの吉原登楼に対し、視点が文学者寄りで、志賀直哉や里見たちに点が甘いように思う。

 明治の元勲たち、桂小五郎、伊藤博文、大隈重信等の妻たちが多く芸妓遊女の出身であったことは歴史上有名で知っていたが、文学者では坪内逍遥の妻もそうであるとははじめて知った。

 この時代において、自分自身の意志をはっきり持ち、必要な技能を身につけていた女性といえば、深窓の令嬢よりむしろ遊里出身者のほうが魅力的な女性だったのかもしれない。

 また、近藤は『社会が、遊女をかほど蔑むようになったのは、明治になって、キリスト教思想が浸透してからであって、江戸期にはこれほどの蔑視は受けていなかったのではないか』というのだが、どうだろうか。

 中世までの、役者芸人、流れの僧侶や修経者、社寺と表裏の関係なっている遊女は「聖にして賎」、貴賎表裏一体の存在であったという印象を持っているが、遊閣に囲い込まれたあとの、江戸期の遊女の社会的地位や庶民からみた感情はどうだったのだろうか。

 遊女との間に擬似恋愛を体験しようとした文学者たちについて、近藤は『遊女を対等な人間として偶していた』というのだが、どうも私は白樺派に点が辛くなる。