どこをどうミスタッチしているのか判らないが、入力中の記事をよくすっ飛ばしてしまう。あっと思った
時にはもう遅い。頭の中に残っている間はいいが、大抵書いて満足してしまうのでそれっきり忘れてし
まう。今回消えたデータはちょっと長かったので吐きそうだ・・・
気を取り直して読んだメモ。
箱男/安部 公房 単行本
1973年3月30日発行 1973年5月15日 3刷
カバー 本文 安部 公房
デザイン 扉絵 安部 真知 191p
株式会社 新潮社
35年近く前の、発行当時の本。写真は安部公房本人、デザインは夫人。紙は経年劣化を感じさせる
手触り。フォントはところどころつぶれたり歪んだりしている部分があった。それが粗悪に感ぜられると
いうのではなく、なんとなく当時の雰囲気に浸れるような気分。
箱男、それはダンボール箱を被って路上生活を送る者たち。ホームレス、という一言で片付けられる
べきではない者たち。箱の裡に、びっしりと綴られたメモ、そしてぼろぼろの手帳に書き留められた物語、
それを垣間見ることになる。
正直、昼休みに弁当を広げながら読むにはいろいろと香り高い内容だったのだが、抑圧された男の
息遣い、箱に開けた覗き窓から見あげた脚へのフェティシズム、纏わりつく視線の描写に引き込まれ、
さらに箱男を挑発する女と医師のくだりには息をのんだ。
箱男は結局誰だったのか、メモを残したのは誰だったのか。終盤は眩暈がしそうな展開。
もう少しこの人の作品を読んでみたいと思った。
予言者のラクダの鈴 ―砂漠に生きるソマリ人の魂―/マーガレット・ロレンス
兼平尚子・佐々木淳子/訳
原題/THE PROPHET’S CAMEL BELL/Margaret Laurence, 1963
表紙 原画/堅山 真規 デザイン/島村 海彦
2000年10月10日 第1刷発行
YMS創流社(有限会社ヤマダメディカルシェアリング創流社)
正直を言うと、漫画家の佐々木淳子をぐぐっていて引っかかった本。彼女とは全く関係の無い著作で
ある。ちょうど砂漠に関する資料を探していた時期だったので手に取った。一気に読めた。20代半ばで
結婚した著者は、夫の仕事の関係で共にアフリカへ渡り1949年から7年間を過ごしている。その2年
間、24~5歳の頃の記録。
ソマリアは、インド洋に突き出たアフリカの角と呼ばれる小国。イスラーム信仰を土台とする人々の暮
らす砂漠の地。そこへ、カナダ人である彼女が野営経験も無いまま乗り込んでゆき、さまざまな人々と
関わってゆく。カナダも英仏の植民地時代を経て来ていることもあり、アフリカの歴史を生粋のイギリス
人とはまた違った感覚で著者は捉えている。
ソマリアは、英国領ソマリランドとイタリア信託領ソマリアが独立、合併して生まれた。エチオピアとの
間に大紛争がおき、そこに米ソが介入、といった歴史を持つ。
アフリカの国々は今、欧米から熱い視線を浴びているが、まだまだ紛争の絶えない地域。証券会社
の金融商品としてアフリカ債が日本でも熱いようだが、実際この本を読むまで私はソマリアという国が
あることすら満足に知らなかった。
以前、開発途上の国の留学生を支援するコーディネーターの仕事をしていたことがあったのだが、そ
の時に出会ったのはエリトリアの博士だった。高齢だったが矍鑠としていて、痩せてはいるががっしりし
た印象の体躯と鋭い眼をしていた。彼は独立戦争の頃戦士だったと誇らしげに話し、まだ身体には銃
弾が残っているのだとも語っていた。エチオピアから独立した彼の国のことも、私は名前ぐらいしか知ら
なかった。エリトリアとエトルリア、どっちがどっちだったっけと失礼ながら思ったほどだ。
ソマリアはエチオピアともひと悶着あった国なので、隣接しているエリトリアともひょっとしたら何かあっ
たのかもしれない。思わぬところで繋がっている。この仕事のお陰で、私はおおよそ縁のなかった国に、
少し親しくなれた友人の顔を思い出すことが出来る。内紛が起きたと報じられるたびに彼は彼女は元
気だろうかと今でも思う。英語の便りを頻繁に交わすことが出来たらもっと深く知ることが出来るのだが。
当時、いや今も私は己の不勉強を呪わしく思うほど英語が拙く、もし語学に長けていたらもっと彼等と
話が出来たのにと歯痒く思ったものだったが、この本を読むうちに彼等が語った自国の内情がぼんや
りと思い浮かんできた。lack of~、lack of~、が幾度と無く繰り返されるレポートだったのが印象に残っ
ている。それでも、日本まで来られる彼等はその中でもかなり裕福な階層には違いなかったのだけれど。
そして、著者も言葉の壁に悩んでいる。しかし、それはジェリコの壁の如く、永遠に立ち塞がるもので
はない。そして、遮り隔てるのは言葉だけとは限らない。
きっかけはどうあれ、辿り着いた本で思い出すこと感じること、いろいろ。繋がる先の海は広く深い。
観たよメモ・映画 『私家版』
1996年 フランス 84分
DVD視聴 日本語字幕版
出演/テレンス・スタンプ、ダニエル・メズギッシュ、マリア・デ・メデイルシュ、ジャン=クロード・ドレフュス
監督・脚本/ベルナール・ラップ
以前、深夜放送で見たのを非常に鮮烈に覚えていた。出来ればもう一度観たいと思っていたのだが、
如何せん地味な作品で、やや短く、日本で言うならば映画というよりもサスペンスドラマという規模の作
品かもしれない。たまたまDVDで見つけたので購入。レンタルでもなかなかお目にかかれないので諦
めて買った。
冒頭のテロップで目ざとくジャン=クロードだけを読み取った父が 「ヴァン・ダムか?」と食いついてき
た。残念。我が家は木曜洋画劇場がダイスキだ。
以前に見たときには、本を造り上げるシーンがもっと何カットもあったように思ったのだが(そのせいで
もう一度見たいものだと思ったのだ)、今回DVDで観た限りではそれらが無かった・少なかったように思
う。編集版?見間違い?記憶違い?もういっぺん観るか。
編集者のエドワード卿(テレンス・スタンプ)と作家ニコラ(ダニエル・メズギッシュ)は30年来の友人。
ある日ニコラが自信たっぷりに、興奮しつつ持ち込んだ原稿を読んでエドワードは驚愕する。誰もがベ
ストセラーを予感したその私小説は、嘗て若かりし頃のエドワードの恋人が自殺した真相を明らかにす
るものだった。愛する人を奪ったのは自分の友人だった。眼には眼を、本には本を。エドワードは、彼に
しか出来ない方法で復讐を決意する。密やかに進行する完全犯罪。
テレンス・スタンプがどうしようもなく男前に見えて仕方が無かった。渋専なのか私は。設定では50歳
ということだったがどう観ても60代↑だ。その彼に、若くして死んだ恋人の妹の娘が、恋人そっくりの若
く美しい姿のまま慕い擦り寄ってくる。愛を取るか復讐を取るか。またこの子が美人なのだ。計画が進
み手応えを感じると同時に、彼女へと心は傾いてゆくが。
エドワードとニコラ二人が一つの傘に入って歩くシーンがあって、そこで父が 「あの傘むちゃくちゃ
でかいぞ」。絶望先生じゃないけど、本編と関係の無いところで些細なことが気になる。テレンス・スタンプ
はかなりの長身なのだが、欧米人の男二人が余裕で納まるぐらいの傘って日本では売ってないんじゃないか。
正直、ニコラに同情が募るのだがそれをきれいさっぱり拭い去ってくれる一言に私のなけなしの良心
は救われる。でも、きっと(杉下)右京さんならきっぱりと 「それでもあなたは間違っている」と言い切る
のだろうな、とつい想像してしまう。後味の悪い復讐、そして復讐されたことにも気付かない者。そこが怖い。
意外と覚えていない部分が多く、実に実に楽しめた。記憶と違っていないのは、派手な作品ではない
という事。そして秀逸のラスト。やっぱり好きだ。
Amazonの「おすすめがあります」インフォがしきりと勧めてくれるので、原作本も読んでみようかなぁと
傾きかける今日この頃。
それにしても、近頃何故か本に関わるストーリーに縁がある。R.O.D.に端を発し、この 『私家版』、そ
して今読んでいる本にも、書物に焦がれるあまり部屋を改造して自ら図書館を作り、そこに納まる教授
の話だ。アレな妄想だけれど、この「私家版」も読子は見抜くんだろうか、とか思ってしまった。やっぱり、
いつも何かと何かは繋がっていて、それに導かれて私は生きているような気がする。
時にはもう遅い。頭の中に残っている間はいいが、大抵書いて満足してしまうのでそれっきり忘れてし
まう。今回消えたデータはちょっと長かったので吐きそうだ・・・
気を取り直して読んだメモ。
箱男/安部 公房 単行本
1973年3月30日発行 1973年5月15日 3刷
カバー 本文 安部 公房
デザイン 扉絵 安部 真知 191p
株式会社 新潮社
35年近く前の、発行当時の本。写真は安部公房本人、デザインは夫人。紙は経年劣化を感じさせる
手触り。フォントはところどころつぶれたり歪んだりしている部分があった。それが粗悪に感ぜられると
いうのではなく、なんとなく当時の雰囲気に浸れるような気分。
箱男、それはダンボール箱を被って路上生活を送る者たち。ホームレス、という一言で片付けられる
べきではない者たち。箱の裡に、びっしりと綴られたメモ、そしてぼろぼろの手帳に書き留められた物語、
それを垣間見ることになる。
正直、昼休みに弁当を広げながら読むにはいろいろと香り高い内容だったのだが、抑圧された男の
息遣い、箱に開けた覗き窓から見あげた脚へのフェティシズム、纏わりつく視線の描写に引き込まれ、
さらに箱男を挑発する女と医師のくだりには息をのんだ。
箱男は結局誰だったのか、メモを残したのは誰だったのか。終盤は眩暈がしそうな展開。
もう少しこの人の作品を読んでみたいと思った。
予言者のラクダの鈴 ―砂漠に生きるソマリ人の魂―/マーガレット・ロレンス
兼平尚子・佐々木淳子/訳
原題/THE PROPHET’S CAMEL BELL/Margaret Laurence, 1963
表紙 原画/堅山 真規 デザイン/島村 海彦
2000年10月10日 第1刷発行
YMS創流社(有限会社ヤマダメディカルシェアリング創流社)
正直を言うと、漫画家の佐々木淳子をぐぐっていて引っかかった本。彼女とは全く関係の無い著作で
ある。ちょうど砂漠に関する資料を探していた時期だったので手に取った。一気に読めた。20代半ばで
結婚した著者は、夫の仕事の関係で共にアフリカへ渡り1949年から7年間を過ごしている。その2年
間、24~5歳の頃の記録。
ソマリアは、インド洋に突き出たアフリカの角と呼ばれる小国。イスラーム信仰を土台とする人々の暮
らす砂漠の地。そこへ、カナダ人である彼女が野営経験も無いまま乗り込んでゆき、さまざまな人々と
関わってゆく。カナダも英仏の植民地時代を経て来ていることもあり、アフリカの歴史を生粋のイギリス
人とはまた違った感覚で著者は捉えている。
ソマリアは、英国領ソマリランドとイタリア信託領ソマリアが独立、合併して生まれた。エチオピアとの
間に大紛争がおき、そこに米ソが介入、といった歴史を持つ。
アフリカの国々は今、欧米から熱い視線を浴びているが、まだまだ紛争の絶えない地域。証券会社
の金融商品としてアフリカ債が日本でも熱いようだが、実際この本を読むまで私はソマリアという国が
あることすら満足に知らなかった。
以前、開発途上の国の留学生を支援するコーディネーターの仕事をしていたことがあったのだが、そ
の時に出会ったのはエリトリアの博士だった。高齢だったが矍鑠としていて、痩せてはいるががっしりし
た印象の体躯と鋭い眼をしていた。彼は独立戦争の頃戦士だったと誇らしげに話し、まだ身体には銃
弾が残っているのだとも語っていた。エチオピアから独立した彼の国のことも、私は名前ぐらいしか知ら
なかった。エリトリアとエトルリア、どっちがどっちだったっけと失礼ながら思ったほどだ。
ソマリアはエチオピアともひと悶着あった国なので、隣接しているエリトリアともひょっとしたら何かあっ
たのかもしれない。思わぬところで繋がっている。この仕事のお陰で、私はおおよそ縁のなかった国に、
少し親しくなれた友人の顔を思い出すことが出来る。内紛が起きたと報じられるたびに彼は彼女は元
気だろうかと今でも思う。英語の便りを頻繁に交わすことが出来たらもっと深く知ることが出来るのだが。
当時、いや今も私は己の不勉強を呪わしく思うほど英語が拙く、もし語学に長けていたらもっと彼等と
話が出来たのにと歯痒く思ったものだったが、この本を読むうちに彼等が語った自国の内情がぼんや
りと思い浮かんできた。lack of~、lack of~、が幾度と無く繰り返されるレポートだったのが印象に残っ
ている。それでも、日本まで来られる彼等はその中でもかなり裕福な階層には違いなかったのだけれど。
そして、著者も言葉の壁に悩んでいる。しかし、それはジェリコの壁の如く、永遠に立ち塞がるもので
はない。そして、遮り隔てるのは言葉だけとは限らない。
きっかけはどうあれ、辿り着いた本で思い出すこと感じること、いろいろ。繋がる先の海は広く深い。
観たよメモ・映画 『私家版』
1996年 フランス 84分
DVD視聴 日本語字幕版
出演/テレンス・スタンプ、ダニエル・メズギッシュ、マリア・デ・メデイルシュ、ジャン=クロード・ドレフュス
監督・脚本/ベルナール・ラップ
以前、深夜放送で見たのを非常に鮮烈に覚えていた。出来ればもう一度観たいと思っていたのだが、
如何せん地味な作品で、やや短く、日本で言うならば映画というよりもサスペンスドラマという規模の作
品かもしれない。たまたまDVDで見つけたので購入。レンタルでもなかなかお目にかかれないので諦
めて買った。
冒頭のテロップで目ざとくジャン=クロードだけを読み取った父が 「ヴァン・ダムか?」と食いついてき
た。残念。我が家は木曜洋画劇場がダイスキだ。
以前に見たときには、本を造り上げるシーンがもっと何カットもあったように思ったのだが(そのせいで
もう一度見たいものだと思ったのだ)、今回DVDで観た限りではそれらが無かった・少なかったように思
う。編集版?見間違い?記憶違い?もういっぺん観るか。
編集者のエドワード卿(テレンス・スタンプ)と作家ニコラ(ダニエル・メズギッシュ)は30年来の友人。
ある日ニコラが自信たっぷりに、興奮しつつ持ち込んだ原稿を読んでエドワードは驚愕する。誰もがベ
ストセラーを予感したその私小説は、嘗て若かりし頃のエドワードの恋人が自殺した真相を明らかにす
るものだった。愛する人を奪ったのは自分の友人だった。眼には眼を、本には本を。エドワードは、彼に
しか出来ない方法で復讐を決意する。密やかに進行する完全犯罪。
テレンス・スタンプがどうしようもなく男前に見えて仕方が無かった。渋専なのか私は。設定では50歳
ということだったがどう観ても60代↑だ。その彼に、若くして死んだ恋人の妹の娘が、恋人そっくりの若
く美しい姿のまま慕い擦り寄ってくる。愛を取るか復讐を取るか。またこの子が美人なのだ。計画が進
み手応えを感じると同時に、彼女へと心は傾いてゆくが。
エドワードとニコラ二人が一つの傘に入って歩くシーンがあって、そこで父が 「あの傘むちゃくちゃ
でかいぞ」。絶望先生じゃないけど、本編と関係の無いところで些細なことが気になる。テレンス・スタンプ
はかなりの長身なのだが、欧米人の男二人が余裕で納まるぐらいの傘って日本では売ってないんじゃないか。
正直、ニコラに同情が募るのだがそれをきれいさっぱり拭い去ってくれる一言に私のなけなしの良心
は救われる。でも、きっと(杉下)右京さんならきっぱりと 「それでもあなたは間違っている」と言い切る
のだろうな、とつい想像してしまう。後味の悪い復讐、そして復讐されたことにも気付かない者。そこが怖い。
意外と覚えていない部分が多く、実に実に楽しめた。記憶と違っていないのは、派手な作品ではない
という事。そして秀逸のラスト。やっぱり好きだ。
Amazonの「おすすめがあります」インフォがしきりと勧めてくれるので、原作本も読んでみようかなぁと
傾きかける今日この頃。
それにしても、近頃何故か本に関わるストーリーに縁がある。R.O.D.に端を発し、この 『私家版』、そ
して今読んでいる本にも、書物に焦がれるあまり部屋を改造して自ら図書館を作り、そこに納まる教授
の話だ。アレな妄想だけれど、この「私家版」も読子は見抜くんだろうか、とか思ってしまった。やっぱり、
いつも何かと何かは繋がっていて、それに導かれて私は生きているような気がする。