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大好き!

美しい自然とともに

楽しく歩こう

2012-04-15 20:17:41 | 日記
この間買ったスマホに音楽を入れて毎日聞いている。

天気がいいと電車に乗らずに歩くようにしている。
その時イヤホンで聴きながら歩くととっても楽しく歩ける。

この時は自分だけの歌なのだ。車でも家でも誰か一緒なら自分だけではない。

誰かいるとついカッコを付けたくなってしまいこんな歌ではなんて思ってしまうことがある。
でも、イヤホンで聞いているのは、途中で誰かにあっても隣に人がいても聞こえない。完全に自分だけの世界なのである。

それで好きな歌を片っ端から聞いている。
ユーチューブからとって聞いているので大概の歌はあるのだ。

昨日は「イルカ」の日だった。
「なごり雪」は久しぶりに聞いても素晴らしかった。

そのまえは尾崎豊で「15の夜」に心が騒ぎ、まだ僕はこれからやるぞと沸き立った。
藤山一郎の日は、♪花咲花散る・・・と足取りも軽かった。

毎日違う人の歌を入れている。カーペンターズ、ビートルズ、ユーミン、島倉千代子に春日八郎だ。
さっきもキャンディーズを入れた。

「東京だよおっかさん」を口ずさんだり、春一番は~♪と歌ったりしながら明日も楽しく歩こう。



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極楽寺駅の桜

2012-04-12 22:06:37 | 日記


今年は寒かったからか桜がようやく咲きそろった。

「歩いて帰る」で紹介した極楽寺駅の桜の木。
満開まではあと一歩か。

老い朽ちて一時は今の三分の一程になったのだが
手入れをして、木を立て支えているのだが立派に咲き誇っている。

まだしばらくは観ることができそうだ。


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桜の咲いた日曜日

2012-04-08 15:51:45 | 日記
良い天気の日曜日だ。
昼ごはんは筍ご飯、外は春まっさかり。

食事が終わってから妻と二人で鎌倉駅まで散歩に行くことにした。
家の中に閉じこもっているよりも外に出たほうが暖かい。

空気は日差しの割には冷たいが、歩くにはちょうど良い。
歩いているだけで気持ちが弾んでくる。

道路は鎌倉に向かってびっちりと渋滞していたが、歩いている僕たちには関係ないことだ。
こんな気持ちの良い日はウォークマンで音楽など聞かない方がかえっていいようだ。

ようやく咲きそろってきた桜の花に自然と鼻歌が出る。
歩いている人たちの笑顔にそよ風が心地よく舞っていくと、周りの景色にリズムを感じるのだ。

途中でY夫妻と一緒になる。彼は高校時代の同級生なのだ。
彼らは極楽寺へ行くそうである。

歩きながら話が弾みあっという間に八幡宮のそばについてしまった。
そこで彼らと別れ、妻と段葛を歩くと「鎌倉祭り」で神輿や山車が出ていた。

観光客の溢れる中でしばし見物をした。
考えてみると、二人とも「鎌倉祭り」を見るのは初めてだった。

小町通りの「陽(ひ)」でお茶を一服。
抹茶と小豆寒天それに桜茶と梅干入りの白湯をいただく。

たっぷりの小豆寒天にお腹がいっぱいになった。
お昼に食べすぎた筍ご飯が歩いてこなれるかと思っていたが、かえってお腹が苦しくなってしまった。

身も心も開放的になった一日だった。


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タブレット

2012-04-01 10:35:08 | 日記
タブレットを使い始めた。
ドコモからタダで貰ったのだ。
仕様料とか電話料とかはワイハイだけで使うので無料。



使い始めるとなかなか面白い。
座っても寝っ転がってもできる。トイレの中でも大丈夫だ。

昨日も布団の中でユーチューブを見ていた。
これは快適だった。ノートパソコンのようにがさばらない。

音声はイヤホンでも聞ける。夜中でも大丈夫だ。
ただ、難点があった。

横向きに寝ながら見ていた時少し見づらいのでタブレットを回して向きを変えたら、
画面もグルンと回転して、常に同じ向きになってしまうのだ。

どのように使ったら良いのか。
今はいじくり回して面白いのだが。

大人のおもちゃだ。



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スマホ

2012-03-24 16:11:05 | 日記
携帯電話を先日取り替えた。
電気屋さんへ言ったら、今流行りのスマートホンが安く売っていたので思わず取り替えてしまった。

ポイントがあったし、もともと携帯には「パケほうだい」をつけてあったし、
現金は出ないのでいいかと、気楽に取り替えてしまった。

ところが今までの携帯とは全くちがって、電話を使えるようにするのに四苦八苦。
メールは設定は間違ってないはずなのにどうもうまくいかない。

タッチパネルを押してもなかなかうまくいかない。
出来たり出来なかったりするのだ。

力を入れてグリグリ押したらうまくいった時があった。
「こんなに押さなければいけないなんて不良品ではないか」

ドコモショップに行ってお姉さんに聞くと、なぜかお姉さんがパネルを触るとうまくいくのだ。

「僕の指には油っけがなくなってきているからかな?」
「そんなことはないですよ」

どうもそっと触るのがいいようだ。

携帯の端っこがいつもグリーンやブルーにピカピカ光っていた。
こんなに光っていると電気がすぐになくなりそうだ。第一、目障りだ。夜中は特にそうだ。

最後にドコモのお姉さんが、
「これは電話やメールの着信を知らせてくれているのですよ」と、パネルをそうさすると電気が消えたのだった。

なんとか最低限仕事に困らないくらいに使えるようになった。
楽しく使うのはまだまだである。



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息子の結婚

2012-03-19 20:55:46 | 日記
一昨日、息子が結婚した。
なんだか落ち着かなくてブログを各気持ちになれなかった。

同じ会社に勤める人である。
学生時代に偶然同じところでアルバイトをしていたらしい。

結婚式のことも新居のこともすべて自分たちでして、親は招待されたようなものである。
世話をやくこともないし、お金の心配をすることもなかった。

もっとも、お金のことを言われてもこまってしまったのだが。
昨年結婚した娘もそうだった。

ついこのあいだ、僕たちも式を挙げたようなきがするのだが、もう36年も経っている。
早いものだ。

これでまた、二人だけになってしまった。
これからいろいろなことがあるのだろうが順調に行くことを祈るのみだ。




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稲村ヶ崎

2012-03-06 22:17:10 | 日記
 稲村ヶ崎から見る富士山が一番きれいだと思っている。
江ノ島向こう、西浜から見るより、なぜか大きく見える。そして、きれいだ。
七里ガ浜につながっている海は由比ガ浜のように遠浅ではない。
海に入ると急に深くなっている。家族での海水浴には向かない海である。

「稲村ジェーン」なんて映画ができるのもわかるような気がする。
僕はサーフィンなどやらないのだが、岩場があり下の地形も大きな波ができるのに適しているのだろう。
「稲村クラシック」なんていう大会もあるそうだ。

 ここの砂浜の砂は黒い部分が多い。真っ白な砂浜でなく、真っ黒な砂なのだ。
砂鉄がたくさん含まれているからだ。磁石を持ってくると、黒い砂の大半が砂鉄であることがわかる。
昔はこの砂を、“たたら製鉄”で、ふいごを使って空気を送りながら、刀や、槍を作ったのかもしれない。
そういえば、刀鍛冶で有名な正宗も鎌倉にある。昔から鎌倉で刀を打っていたらしい。
 
 稲村ヶ崎の公園には「真白き富士の根」で有名な、明治の頃にあった、逗子開成のボート転覆事故を悼む遭難碑が建っている。
12名の当時開成中学の子どもたちが乗ったヨットが遭難したそうだ。
兄が小学生の弟を正面から抱き、弟は兄の首にしっかりとしがみついた形で発見されたそうだ。
当時の鎌倉高女(現鎌倉女学院)の三角錫子教諭が作詞されたのが「七里ガ浜哀歌(真白き富士の根)である。

 もっと古くには鎌倉幕府滅亡の時、新田義貞がこの稲村ヶ崎から攻め込鎌倉幕府を滅亡に追い込んだ。
このことは別の機会に書こうと思っている。

 人により、年代により、稲村ヶ崎というと思い出すことが違う。そのくらい色々な事のあった所だ。





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極楽寺

2012-02-26 11:26:21 | 日記
極楽寺で僕の人生の大半を過ごしていたのだ。年数を勘定してみたらそうだった。こんなこと考えたこともなかったので、改めて思うと感慨深い、というよりはあっという間だという印象だ。
 
来た日のことはよく覚えている。それまでは長谷の駅の近くに住んでいたので極楽寺は隣だったのだが行ったことは無かった。極楽寺坂の向こうは、小学生の僕には別の世界だった。
 
江の電の旧500系(新500系ではない、丸いカーブが綺麗な車両。江の電のオリジナルの車両だったらしい)の電車に乗って極楽寺駅についた。あの車両は当時には珍しい両開きのドアだった。
 
ドアが両方に開くと真ん前に駅の看板が立っていた。そこに「極楽寺駅」と書いてあった。
僕はなんだかヤーな気分になったのを覚えている。他にも名前はあるだろう、よりによって「ごくらく」なんて。地獄よりは良いのだろうが。
 
駅の前は電車と平行に道が通っていた。舗装はしてなかった。
車の轍が残ってデコボコで、しばらく雨が降らなかったので、街中に砂埃が舞っているような気がした。
道の両脇に民家が立っているのだが、茅葺きの家がまだ残っていた。長谷では道路は舗装してあったし、茅葺きの家もなかった。どこか違うところへ来たような気がした。
 
とぼとぼと母と弟と歩いていると、母は元気だった。
「極楽なんだから、きっと良いところだよ」
と先頭を一人どんどん歩いていた。

僕は確か小学校の五年生だった。
これが僕のはじめての極楽寺だった。

 


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歩いて帰る Ⅴ

2012-02-13 22:52:40 | 日記
 妻は四年前に大腸がんを手術した。その後は大丈夫のようだ。最近は体も戻ったのだろうか、元気良く歩いている。僕は二年前に脳出血。随分良くなったのだがまだ、車の運転はできない。
六十歳も過ぎていよいよ人生の総仕上げという時に二人とも病気をするなんて。考えてもいなっかったことだ。
おかげで、自営の仕事はなかなか上手くいかなくて大変な思いをしている。悔やんでばかりいても仕方がない、前をむいて進まなければ。

 こんな事を考えながら歩いていたら、いつの間にか「分かれ道」についた。
信号を左へ折れていくと、鎌倉宮(大塔宮)がある。ここは護良親王を祭っていて、鶴ヶ丘八幡宮より位がうえの官幣大社だそうだ。その手前には荏原天神。頼朝は荏原天神を鬼門の守り神とし、社殿の造営をしたそうである。
 
 曲がらずに、まっすぐに進んでいくと、杉本観音の前に来た。鎌倉というところは、神社仏閣ばかりで一歩進むと神社仏閣がある。
ここは、杉本寺というのだが観音が祀ってあるので、通称杉本観音という。杉本寺というのだから本仏は「仏」なのだろう。観音というのは「神」なのだから位は仏よりも下なのになぜか観音というのだ。鎌倉幕府が出来るより以前からある、鎌倉最古の寺なのだそうだ。
分かったようなことを書いたが、これは以前、鎌倉に来た外人さんに、道を教えて上げた時、逆に教えてもらったことなのだ。

夕暮れどきになると、ぐっと気温が下がってくる。せっせと歩こう。
雪の下、西御門、二階堂、と綺麗な名前の町名が続く。
鎌倉幕府の政所が八幡宮のすぐ隣にあったそうだ。その建物の西門を西御門と言ったらしい。それからその周辺の土地も西御門と呼んだようである。
もう少し行くと、浄妙寺、十二所という地名になってくる。鎌倉らしい歴史をかんじる
地名が続く。
 「十二所」とは十二件の村だったとか、熊野神社の十二社があったからだとかいわれている。
 
 さらに進むと朝比奈峠を越えて金沢へと道は続いている。この「朝比奈」とは和田義盛の三男の朝比奈三郎義秀からとったようだ。豪傑だった朝比奈三郎義秀が一夜でこの切通しを切り開いたという俗説から、朝比奈峠と呼んでいるそうだ。
 
 朝比奈峠の旧道には綺麗な清水が流れている。そこにある小さな滝には「三郎の滝」と命名されている。湧き出る清水で梶原景時がこの近くに屋敷のあった、上総介広常を謀反の疑いで、誅殺した時その刀を洗ったそうである。
 
 この時代は武家社会をつくり存続させるために、仲間どうしが殺し合いを続けた時代だった。広常は横柄な態度だったようだが謀反なんか起こしてはいなかったようだ。頼朝は謀反という口実で邪魔なものは殺したようだ。あんなに働いた、弟の義経をも葬ったのだ。鎌倉のためにあんなに働いた梶原景時でさえ鎌倉から追われ、頼朝死後には殺されている。頼朝や北条時政が邪魔者を殺し抜いて作った鎌倉幕府なのだ。

 現代の鎌倉で生活しているぼくたちもこの血を受け継いでいるのかもしれない。
 こんな事を考えながらのんびりと、歩いていたらもう我が家の直ぐそばまできてしまった。



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歩いて帰るⅣ

2012-02-08 18:41:19 | 日記

今年になってから、鎌倉駅から極楽寺まで毎日歩いている。僕の足で三十五分ぐらいだ。思ったほど苦にはならない。特に朝は寒いのだが気持ちが良い。体も元気だ。どんどん行ける気がする。

たまには妻と歩くのも良い。いつもとコースが少し違うと、いつもと違う思い出が湧き上がってくる。
妻は駅前で買い物をして帰ると言っているので、ここからは僕一人でのんびりと歩いて家に帰ろう。

小町通りをブラブラと歩きながら行こうかとしたが、まだ、だいぶ人が歩いている。最近は土日祭日だけでなく平日でも天気が良いと人がいっぱいいる。歩くのに苦労するほど人が多いこともあるのだ。昔はこんなことは無かった。夏はみんな海へ行ってしまうので、小町通りはガラガラだったのだが、今は夏でもいっぱいだ。

小町通りを諦めて八幡宮の段葛を歩くことにした。春になると満開の花で僕たちを楽しませてくれる桜の木も今は裸の状態だ。足元にあるツツジも咲いていない。それでも夕暮れの中を何組もの人たちが歩いている。

この段葛とは八幡宮に向かって道路の中央に一段高く道を作ってある。だんだんと幅を狭めて作ってあるらしい。遠近法で実際の長さより長く見えるのだそうだ。七百年以上も昔に色々なことを考えて作ったものだ。

段葛の両脇には昔から、レストラン、蕎麦屋さん、ケーキ屋さん、鎌倉彫屋さんと沢山のお店が並んでいる。八幡宮を通り過ぎて行ったところにも最近は色々とお店ができている。蕎麦屋さんや和菓子屋さんがある中にタイ料理のお店なんかもできた。

お腹も減ってきて、どんなものを作っているのかと、覗きながら歩いているともう、国大前に来た。国大といっても今は付属の小学校しかない。昔は横浜国大の教育学部がここにあった。汚い寮もあって学生の人たちが住んでいた。そんなことを思い出しながらブラブラとあるいている。妻は居ないのでのんびりとしたものなのである。



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