今回は、熊本県中部に位置する宇土半島の先端にある三角町周辺に釣りの下見に行ったついでに
国指定史跡「小田良古墳(おだらこふん)」に寄ってみた。
三角西港。世界遺産であるが釣り場としても知られている。 以前の散策記
小田良古墳は有明海と八代湾を南北に隔てた宇土半島の北岸の海岸近くの低い丘陵先端部に位置する古墳で、
墳丘は失われているが6世紀初めを前後する時期に築造された直径20m規模の円墳と推定される装飾古墳である。
発掘調査では、多量の玉類、銅製鈴、異形銅製品、刀子(とうす)、人骨などが出土している。
石障には、円文、靭(ゆき)・盾(たて)の彫刻が施されており、赤い顔料が塗られていた痕跡がある。
有明海に面している。覆屋で保護されている。
(現地解説板)
国指定史跡 小田良古墳 昭和54年10月23日 指定
宇土半島の北岸の代表的な古墳の一つで、六世紀前半の装飾古墳。 地元では「チンカンさん」と呼ばれる石積の下から、
昭和52年2月に装飾古墳が見つかり、昭和53年三角町教育委員会の調査で全容がわかった。
古墳の主体部は東西約3.5m南北約3.3mの方形に、砂岩の板石で石障を造り、西側に入口をもつ。
内側には左右に二区の屍床が設けられている。
装飾文は石障の四面に描かれている。奥障には中央部に二個の楯、その外側に靭を描き、
楯と靭の間には二本の沈線で固定された三個の円文が描かれている。他の三面はすべて二本の沈線で個定された円文で、
左側に四個、右側に三個、入口に二個描か れている。
出土品は左屍床から多量の玉類、銅製鈴、異形銅製品、刀子が、右屍床から刀子が出土している。
熊本県教育委員会(昭和63年3月 建)
現在は覆屋の下に埋め戻された石室の外側のみを見学することができる。
装飾古墳とは、石棺、石室のほか、横穴墓の内外面に、彫刻や線刻、彩色により文様や絵画などの装飾が施されたものを呼ぶ。
古墳は日本全国に20万基以上存在するが、装飾古墳は約700基のみで、そのうち約200基が熊本県内にある。日本一の数である。
【文化財データ】
名称:国指定史跡「小田良古墳」
所在地:熊本県宇城市三角町中村
時代区分:古墳時代中期~後期(5世紀~6世紀)
形態:円墳?
見学可能時間:無料常時開放
駐車場:なし(近隣に駐車スペースあり)
国指定史跡「小田良古墳(おだらこふん)」に寄ってみた。
三角西港。世界遺産であるが釣り場としても知られている。 以前の散策記
小田良古墳は有明海と八代湾を南北に隔てた宇土半島の北岸の海岸近くの低い丘陵先端部に位置する古墳で、
墳丘は失われているが6世紀初めを前後する時期に築造された直径20m規模の円墳と推定される装飾古墳である。
発掘調査では、多量の玉類、銅製鈴、異形銅製品、刀子(とうす)、人骨などが出土している。
石障には、円文、靭(ゆき)・盾(たて)の彫刻が施されており、赤い顔料が塗られていた痕跡がある。
有明海に面している。覆屋で保護されている。
(現地解説板)
国指定史跡 小田良古墳 昭和54年10月23日 指定
宇土半島の北岸の代表的な古墳の一つで、六世紀前半の装飾古墳。 地元では「チンカンさん」と呼ばれる石積の下から、
昭和52年2月に装飾古墳が見つかり、昭和53年三角町教育委員会の調査で全容がわかった。
古墳の主体部は東西約3.5m南北約3.3mの方形に、砂岩の板石で石障を造り、西側に入口をもつ。
内側には左右に二区の屍床が設けられている。
装飾文は石障の四面に描かれている。奥障には中央部に二個の楯、その外側に靭を描き、
楯と靭の間には二本の沈線で固定された三個の円文が描かれている。他の三面はすべて二本の沈線で個定された円文で、
左側に四個、右側に三個、入口に二個描か れている。
出土品は左屍床から多量の玉類、銅製鈴、異形銅製品、刀子が、右屍床から刀子が出土している。
熊本県教育委員会(昭和63年3月 建)
現在は覆屋の下に埋め戻された石室の外側のみを見学することができる。
装飾古墳とは、石棺、石室のほか、横穴墓の内外面に、彫刻や線刻、彩色により文様や絵画などの装飾が施されたものを呼ぶ。
古墳は日本全国に20万基以上存在するが、装飾古墳は約700基のみで、そのうち約200基が熊本県内にある。日本一の数である。
【文化財データ】
名称:国指定史跡「小田良古墳」
所在地:熊本県宇城市三角町中村
時代区分:古墳時代中期~後期(5世紀~6世紀)
形態:円墳?
見学可能時間:無料常時開放
駐車場:なし(近隣に駐車スペースあり)