日本散策記

色んなところ行きたいね。

素麺神社

2013年03月04日 | 神社
「素麺やっぱり揖保の糸~♪」のフレーズでおなじみの揖保乃糸。
一企業の商標ではなく、播州地域にある素麺の生産者たちの兵庫県手延素麺協同組合の商標登録です。
兵庫県たつの市には、そんな揖保乃糸の資料館『そうめんの里』があり、近くに素麺神社があります。


そうめんの里。手延べそうめん関係の資料館です

素麺神社

社殿は新しいです

改修記念の額。

素麺神社(大神神社) 兵庫県たつの市
祭神: 大物主大神

明治32年に奈良県の大神神社から勧請されてきました。
「三輪素麺」で有名な大神神社から製麺工場のある地に勧請されていてまさに素麺神社です!
近年新しくなったらしく、私が訪れた時は社殿等が綺麗でした。昭和49年の東西合祀記念の碑というのがあったので、当時は何社かに分かれていたのかもしれません。
昔使われていたであろう『素麺神社』の額なども境内にあり、建立時の「明治三十二年五月」と彫られたものもあって、社殿は新しいものの歴史を感じさせるものがたくさんありました。

1899年から100年以上、素麺業界の発展を見守ってきた神社とも言えますね。

茨住吉神社

2012年08月22日 | 神社

茨住吉神社

珍しい二階建ての社殿

摂末社の市杵島姫神社。隣の樟が御神木でしたが戦災で被害を受けました。

玉光稲荷神社

茨住吉神社 大阪府大阪市
祭神: 底筒男命、中筒男命、表筒男命、息長足媛命
摂末社: 市杵島姫神社(別名・弁天社:市杵島姫神社、樟木の御霊)、玉照稲荷神社(稲荷大神)

京セラドームが見える場所にある茨住吉神社です。
この付近は寛永の時代に新田干拓が始まり、その時に新田・河川の守護神として祀られたのが始まりとされています。
しかし太平洋戦争中の1945年3月に空襲を受け、ほとんどが焼失、神輿庫一棟だけが残りました。
その後戦後になって改めて復興し、1965年に現在の社殿が完成したそうです。

珍しい鳥居だと思います。両脇に鳥居がある「三輪鳥居」にも似ていますがこちらの両脇は冠木門のようであり、柱も立方体です。

社殿も珍しいと思います。鉄筋コンクリート造の2階建てで、1階部分が社務所、2階部分が拝殿となっています。
調べて見ると、千葉県の千葉神社も似た形の社殿になっていました。「重層社殿」と言って、茨住吉神社と違うのは「上下に二つの拝殿」があることでしょうか?機会があれば千葉神社にも行ってみたいと思います。
戦後に復興した神社の建築も調べてみると系統があるのかもしれませんね。そういえば戦後に鉄筋コンクリート造として復興した新しい感じの建築は、神社よりはお寺の方が多い気がします。

櫻井神社

2012年08月13日 | 神社
阪神電車尼崎駅の近くに日本赤十字社に縁のある神社があります。


尼崎駅方面から。「がんばれJAPAN」など色々書いてある看板もありました。

櫻井神社

社殿

「博愛の精神 日本赤十字社発祥之地」記念碑

摂末社である尼崎瓢箪山稲荷神社

珍しい鳥居の契沖神社・多賀社・出雲社

博愛地蔵

櫻井神社 兵庫県尼崎市
祭神: 初代桜井信定公より十六代忠興公までの歴代城主
摂末社: 尼崎瓢箪山稲荷神社(ウカノミタマ、白藤大明神、常磐大明神)、多賀社(イザナギ、イザナミ)、契沖神社(契沖)、出雲社(オオクニヌシ)、博愛地蔵

尼崎に鎮座する櫻井神社です。江戸時代に尼崎を治めていた櫻井松平家の歴代当主・城主を祀っています。
なかでも三代目城主の松平忠吉は文学や芸能にすぐれていたそうです。
そして最後の城主である松平忠興は西南戦争に於いて敵味方区別無く負傷者を看護し、後に日本赤十字社となる博愛社の設立にも関わりました。
このことより、櫻井神社は「日本赤十字社 祖神を祀る」とされています。
境内にある博愛地蔵は明治22年、境内に博愛幼稚園ができた時に安置されたそうです。もちろんこの幼稚園と地蔵の「博愛」は忠興が創立した「博愛社」から取っています。

また境内には契沖神社があります。『万葉代匠記』で有名な契沖を祀っています。
契沖は仏典や漢籍などを多く読み、また日本の古典も数多く読みましたが、長い時間の中で間違った解釈や読み方が蔓延していました。
それに対して正しい解釈・仮名遣いなどを求める内に、黄門様こと徳川光圀からの依頼を受け、万葉集の注釈書、『万葉代匠記』を著します。この他にも数多くの注釈書などを著しますが、これがのちの国学に繋がっていきます。
近くには契沖誕生地の碑もありました。




ちなみに櫻井神社の神紋は「櫻井桜」という全国でも珍しい紋で、桜紋の中に菊紋を入れたような形をしています。
社殿の瓦にも桜の紋様が装飾されていました。

徳井神社

2012年07月18日 | 神社
神戸には「箒の宮」と呼ばれる神社があります。


JR六甲道駅を降りて東に向かうと見えてきます

「箒の宮」こと徳井神社

社殿

「箒の宮」の由来となった境内社の八幡神社

境内に鎮座する廣目稲荷神社

徳井神社 兵庫県神戸市
祭神: 第十五代應神天皇(品陀和気命)、境内社・八幡神社:神功皇后(息長帯比売命)、廣目稲荷神社:宇迦之御魂神

神戸にある徳井神社です。昭和36年に社名を変更するまでは「応神天皇神社」と呼ばれていました。
古来、徳井の地には八幡三社というのが祀られて居ましたが、応神天皇神社は上宮、そして八幡神社は中宮にあたります。
八幡神社が徳井神社境内に遷座したのは明治44年のことです。
さて、「箒の宮」という名称ですが、八幡神社に由来します。御祭神である神功皇后は三韓征討が終わり、凱旋の途次にこの徳井の地で祭典を斎行されたそうです。その神功皇后はお腹に子供(応神天皇)を孕んだ状態で三韓討伐に向かっており、その為安産や子授けの御神徳があるとされています。
徳井神社では安産祈願の方々に箒を授与して無事に出産できた時には新しい箒を作成して神社に奉納するという珍しい神事を行っており、この事から「箒の宮」の愛称の由来になっています。

徳井神社も神戸にある多くの神社と同じく、阪神・淡路大震災で被害を受けており、再建された八幡神社はコンクリートで出来ていて珍しい社殿になっていました。

熊野神社衣笠分社

2012年06月28日 | 神社
全国的に有名な神社では本社から神霊を分けて祀る分社というものもあります。
有名なところでは出雲大社の分社等は良く見かけるのではないでしょうか?
今回は熊野神社の分社の紹介です。

コンクリートでできた熊野神社衣笠分社

内削ぎの千木

本殿

内から



熊野神社 衣笠分社 京都府京都市
祭神: 伊弉冉尊、伊弉諾尊、天照大神、速玉男尊、事解男尊

京都にある熊野神社衣笠分社です。コンクリート打放しの近代的で珍しい社殿ですね。
こちらの神社で御朱印を頂く時になぜこのような形になったのかを聞きそびれました…。
由緒略書を頂いたのですが京都熊野神社のものだったので、きっと「京都熊野神社の分社」ということになるかと思います。
こちらは西大路七福社の一つにもなっています。

社殿についてある窓には雲の模様がありました。