日本散策記

色んなところ行きたいね。

熊野神社衣笠分社

2012年06月28日 | 神社
全国的に有名な神社では本社から神霊を分けて祀る分社というものもあります。
有名なところでは出雲大社の分社等は良く見かけるのではないでしょうか?
今回は熊野神社の分社の紹介です。

コンクリートでできた熊野神社衣笠分社

内削ぎの千木

本殿

内から



熊野神社 衣笠分社 京都府京都市
祭神: 伊弉冉尊、伊弉諾尊、天照大神、速玉男尊、事解男尊

京都にある熊野神社衣笠分社です。コンクリート打放しの近代的で珍しい社殿ですね。
こちらの神社で御朱印を頂く時になぜこのような形になったのかを聞きそびれました…。
由緒略書を頂いたのですが京都熊野神社のものだったので、きっと「京都熊野神社の分社」ということになるかと思います。
こちらは西大路七福社の一つにもなっています。

社殿についてある窓には雲の模様がありました。


さいの木神社

2012年06月20日 | 神社
神社の中には菅原道真や明治天皇など、実在の人物を祀るところが多くあります。
その由来は様々ですが、歴史上有名な人物の他にも江戸時代に一揆や直訴など行って死罪になった人物などを義民として地域の人達が神として祭るという形式の神社も少なくありません。


JR新大阪駅の近く、ビルに囲まれた一角に小さな神社があります。

当地の義民を祀った「さいの木神社」

正面の冠木門

神殿

祭神の役行者像

境内にある御神木

さいの木神社 大阪府大阪市
祭神: 行者神変大菩薩、西尾六右衛門(山口村庄屋)、澤田久左衛門(大道村庄屋)、一柳太郎兵衛(新家村庄屋)

大阪にあるさいの木神社です。江戸幕府4代将軍徳川家綱の時代、西成郡(現在の大阪市の西半分周辺の地域)では低地の為にたびたび淀川の氾濫による被害に苦しんでいました。
そういった現状を見かねてこの神社の祭神となっている3人の庄屋が幕府に治水工事を直訴しました。その結果、治水工事の許可は降りたのですが、その費用は全て土地の百姓が負うという当時不作に悩んでいた農民にはとても受け入れられない内容でした。
これに対して補助を幕府に求めましたが、受け入れられず治水工事も無かったことになってしまいました。
延宝六年(1678年)、3人の庄屋は幕府の許可無しに治水工事を始め、土地の農民達の手助けもあって、ついに4月8日に「中島大水道」の掘削を完成させました。
その後、許可無しに工事を行った責任を取って3人の庄屋は自決しました。そうした経緯で農民の神として祭られたそうです。

社名の「さいの木」とは「細目木」で3人の庄屋が自決した場所の名前らしいです。
祭神の行者神変大菩薩は修験道の開祖「役行者」が光格天皇から賜った諡号のことです。
祭神が行者神変大菩薩、3人の庄屋は「合祀」とあるので、元々ここには役行者を祀る祠があり、そこに義民として3人の庄屋を合祀したのだと思います。
小さな社ですが社内のレリーフには「昭和五十四年度新大阪駅周辺区画整理に伴い移転再建する移転対策委員」の名簿などがある為に何度か移転したものだと思います。
現在は地元の「西町開運講」が管理されているとの事です。

狛犬・獅子も居ましたが、神殿の鈴はお寺の鐘のような形になっていました。
また社に併存する形で日光地蔵、首無地蔵、辻地蔵、子授地蔵なども祀られています。