
普段あまり近しくはない親戚に不幸があって、お通夜に行ってきました。しばらく喪服を着ていなかったので、ナフタリン臭かったです。
玄関に入ると妻が塩を掛けてくれました。ズボンの裾は折り返されているので、塩が入ったのではと払ったりして。
葬儀に行ってきた時のこの塩や、相撲で力士が土俵にまくあの塩を見ると、民俗学で言われている、みそぎの塩を思い浮かばます。
民俗学の権威といえば、「日本の昔話」や有名な「遠野物語」を著した柳田国男で、先生の著作「日本の祭り」にもくわしく、みそぎや、お祓いに関して書いているのですが、今野円輔(本来の円は、旧字です)さんの「現代の迷信」という本の中のみそぎや、塩に関する著迩は面白いです。
なぜ、塩で清めるのか?それは、海水の代用だ、と言われています。今も海の近くの村などでは、元旦に海水を一番水として厳かに汲む神事をしているのをテレビで見たりしますが、これが本当のようです。
昔は何か物忌みがあると、海に入ってみそぎをして、穢れを取っていたそうです。今もお祭りなどで、みこしを持ったまま海に入っていくお祭りは多いですよね。
海のあるとこの人はいいですが、海から離れている人たちは、同じ水つながりで川や、滝でみそぎをしました。
今も神社に行くと手水鉢がありますよね。それに大きな神社などの近くには「精進川」というのがあるのではないでしょうか。これもおまいりに行く前にその川に入って身を清めた名残だといわれています。滝にうたれるのも同じ事のようです。
ですがいつも都合よく川や、水があるとは限りません。そこで、海水の元である塩を使うようになったといわれています。
人間は(生き物全てのようですが)海から来たと言われています。海・水に対する本能的なというか、敬虔な態度は古来から日本人に受け継がれてきてるんですね。これは仏教や天照大神や、いわんやキリスト教などが入ってくるはるか昔からの風習のようです。
民俗学は読むとけっこう面白いことが多くて、どんどん引き込まれます。11月9日まで読書週間があります。読んでみてはいかがでしょか。
