しろとくまの動物病院ブログ

獣医となって四半世紀。
動物診療を通して見えてきた世相を語る。

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ヒーラー

2012-10-31 10:01:28 | 日記
 臨床獣医というのは、病んだ動物を間近に診ることである。
 全ての五感を駆使し、動物の身体内で起こっていることを推測する。
 過去から現在そして未来に至るまでのストーリーを、辻褄が合う順位に
 並べて検討する。
 状況証拠や物的証拠をなるべく多く入手し、確定診断を導き出す。
 慢心や傲りの心が芽生えない限り、経験値がものを言う。
 30年ほど前は検査機器がほとんどなかった。
 昭和初期の医者とさほど変わらないレベルであったろう。
 すべては臨床獣医の五感と知識と勘に頼る以外になかった。

 ところがこの十数年の間に、検査機器が目覚ましく充実してきた。
 検査機器の充実とともに、臨床獣医達の感覚と感性が鈍ってきた。
 実際の動物を診ることよりも、検査のデータにしがみつくようになる。
 自分の見立てた診断の裏付け調査や、可能性のある病気を篩いにかける
 除外診断のための検査であれば問題ない。
 それは検査を使いこなしていると言える。
 リードをつけたワンちゃんが、飼い主の傍らについて歩くといった感じだ。
 獣医が検査に振り回される様は、ワンちゃんにリードをぐいぐい引かれて、
 今にも引きずられてしまいそうな状況に似ている。

 研修医時代に起こした痛い経験がある。四半世紀前の時代だ。
 若いご婦人が連れて来られたヨークシャーテリアの幼犬だった。
 右の眼の上にワイシャツのボタンほどの大きさの脱毛があった。痒みがある。 
 その当時ウッド灯という検査機器があった。
 暗がりで患部にその光を充てると、カビであれば光るのだ。しかしカビだけ
 が光るわけではない。診断精度は50%といったところか。
 皮膚の様はカビ、所謂真菌症の様ではあるが、その当時それを断定する
 ことが出来るほどの経験はなかった。
 ウッド灯検査でも光っているのかそうでないのか、よくわからない。
 動物の皮膚疾患に塗る薬があった。いろんな薬剤が混合された合剤だ。
 痒みも止まる。
 結局はそれを処方して様子を見てもらうことにした。

 一週間ほどして、そのヨークシャーテリアが再診に来られた。
 
「先生。うちの赤ちゃんのほっぺとひざのところに、赤い湿疹ができて、昨日
 皮膚科に行って調べてもらったら、カビだって言われたんですよ。
 犬か猫を家の中で飼ってないかって聞かれたので、犬がいますって答えたら、
 その犬から移されたんだって言われました。もしかしてこないだ診てもらった
 目の上の湿疹がそうなんですか。」

 瞬間にこの世から消えてなくなりたくなるほどのショックを感じた。
 あかちゃんが痒みで泣きやまないシーンが頭の中を占拠した。
 あの時、自分が真菌症であると診断し、それに見合った薬を処方すれば、
 あかちゃんに移ることもなかったかもしれない。いやなかったはずだ。

「すみません。おそらくそうだと思います。はっきりそうだと言える確証が
 なくて、様子をみてしまいました。本当に申し訳ありませんでした。」
 
 声は完全にうわずっている。顔も引きつっている。
 裁判をするまでもない。完璧に有罪である。

「そうですか。そうだったんですね。わかりました。皮膚科の先生から早く
 犬も治療をしてもらいなさいって言われたのでお願いします。
 治療すれば大丈夫って言われたから・・・・・・・。」

 若い先生だから大丈夫なのかな~と心配しつつ、やはり大丈夫じゃなかった
 んだ~と、期待ははしていなかったけどやはり大きな失望を感じている思い
 が大きな波として伝わっていた。
 なによりあかちゃんを辛い眼に合わせてしまったことの罪悪感が、また更に
 大きな波として僕を襲っている。
 完全に溺死である。

 この事件から、それまで以上に臨床経験に貪欲になった。言うまでもなく
 皮膚疾患に関しては、常に五感が研ぎ澄ませれた。

 残念なことに、その当時は自分が見立てたことが、正解なのか不正解なのか
 を確認できる検査や教科書や教えてくれる先生が存在しなかった。
 動物の反応や結果によって推測するしかない。経験値の積み重ねが、確信を
 深めていく唯一の手段であった。
 そんな研修を4年間勤めた後、米国に渡った。
 そこには、夢がゴロゴロ転がっていた。
 
 日本では解答を得られない問題に挑んでいたわけだが、米国には解答が存在
 したのだ。
 自分の見立てや推測を検証する術が、そこにはあった。
 検査、教科書、解答を知っている先生が存在した。
 おもしろくてならなかった。かなり興奮した。
 長年取り組んできた問題の答えがあるのだから、こんなに楽しい
 ことはない。
 その時代はファックスもまだなかった時代である。海外とのやりとりは
 手紙か電報しかない。米国の動物医療の状況など、日本の地方都市にいて
 わかるはずもなかった。

 それまで培った診断感覚を様々な方法でチェックし、微妙な修正を行う
 ことができた。おかげで診断精度は格段と上がった。
 
 我々や医学の世界では経験則でものを言ってはならない。エビデンスが全て
 である。とよく言われる。
 僕はそうは思わない。
 経験値の質の問題だと思う。
 上質な経験値をエビデンスで綿密に検証すればいいのだ。
 失敗は敗北や挫折を意味する。
 だから、プライドが高い医者は、自分の犯した失敗を素直に認めない。
 常に正当化する用意がある。
 そういった医者はいつまで経っても経験値が上がらない。
 そういった医者にエビデンスを語られてもどうかと思う。
 
 エビデンスにも落とし穴がある。
 過去に正しいとされていたエビデンスも、今となっては大きな間違いである
 ことがあるからだ。
 しかもブラックボックスが至る所に潜んでいる。
 つまり解らないことが多く存在する。
 いや解らないことの方が実は多いのである。
 もちろん解らないことを真摯に受け止め、生命の神秘に挑み続けている
 医者や研究者も多く存在している。
 
 感覚、感性を養い、最先端のエビデンスを広い範囲で学び続けることが
 最も正しい在り方ではないだろうか。
 
 分子生物学という学問がある。
 個々の細胞の中で展開されている、壮大なドラマを解き明かす学問である。
 現代の医学は分子生物学なしでは語れない。
 細胞内でのドラマを、様々な情報を駆使して推論し検証する。
 ドラマのストーリーを組み立てていく。
 これはまさにアートである。
 このアートによって解明されたエビデンスは、非常に上質なエビデンスであると
 言える。
 このようなエビデンスを駆使し、経験値に基づいた感覚、感性を発動させることが
 臨床の現場では非常に重要である。
 
 上質な経験値と最先端のエビデンスの他に、臨床家にとって不可欠な要素
 がもうひとつある。
 感情のコントロールだ。
 患者に対して、良い感情も悪い感情も在りすぎると、冷静な解析、推理、判断、決断が
 困難になる。
 動物や飼い主に感情移入し過ぎると、その動物が重篤な状況に陥ったとき、冷静では
 いられなくなる。
 生きるか死ぬかの手術ともなると、まともにメスを握ることすらできなくなるであろう。
 逆に良くない感情で満たされると、様々なバイアスがかかってしまい
 重要なことを見過ごしてしまいがちになる。
 だから、いずれにしても感情はある程度抑えなくてはならない。
 しかし、臨床家はアートを奏でるだけの仕事ではない。そうであるとすれば
 感情は必要ない。
 臨床家の最も大事な仕事は癒しを与えること、つまりヒーラーであることである。
 ヒーラーになるためには、思いやりや心配りが必須となる。
 優さしい感情が必要なのである。
 
 
 感覚感性を磨き、経験値を積み上げ、最先端のエビデンスを駆使し、感情を
 セーブしながらアートを奏でつつ、感情を全開にしヒーラーとしての役目を
 果たす。 
 この矛盾をうまく克服し、動物の病気と飼い主のメンタルを同時にケアー
 することが、臨床獣医のミッションなのである。

 人間力を強く問われる職業のひとつであることは間違いない。

 とはいうものの、臨床獣医も生の人間である。これだけのことを日常の診療
 で、さらさらとやってのけられる獣医がどれほど存在するであろうか。
 おそらく意識することですらできていない獣医の方が少なくない気がする。
 獣医大学でこういった教育が皆無であることを、ひとつの言い訳としておく。
 
 そこで活躍してもらいたいのが、看護士である。動物看護士も、過大な感情
 移入は控えなければならないが、獣医よりはブレーキを踏む必要はない。
 適度にアクセルを踏んで、ヒーラーとして活躍してもれえれば、獣医と
 して助かることこの上ない。
 開業してから今日まで、数多くの新卒獣医を雇用してきた。
 エビデンスのことは後頭野に幾分メモリーされているが、経験値もなく 
 アートを奏でることもままならないルーキーには、必ず看護士の仕事を
 1年間行ってもらっている。獣医として何もできないなりに、癒しを与える
 職業として何かを感じてくれたらという思いからだ。

 アートを奏でるヒーラー。これがひとつの目標である。
 ただし最終形ではない。





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商い

2012-10-30 09:56:04 | 日記
「今月の累計はどう?ちょっと調べてくれない。」
 経理の○○さんに聞いてみた。

「¥○○○です。去年より少し増えていますね。」

 売り上げが、少し増えていることは、とても有り難いことだが、問題はいくら残っている
 かである。残っていることはあまりない。
 
 当たり前のことではあるが、動物病院の仕事はいかに人的ミスの可能性を
 低くするかが非常に重要である。人的ミスは動物の命に直結しているからだ。
 ミスを怖れなくてはならない職種なのだ。
 この当たり前をあまり意識していない病院が、少なくないような気がする。
 人的ミスを少なくするためには、ダブルチェック、トリプルチェックがかなり有効である。
 何から何までコンピューターで制御できないため、人が直接行うことになる。
 人は必ずミスを犯す。
 ミスを犯さない人間はこの世に存在しない。
 人がミスをする可能性が100回に1回とする。ひとりの人間で業務を行えば、
 100回に1回ミスが発生する。ひとりの人間の業務をもうひとりがチェック
 すると、10000回に1回の可能性となる。さらにもうひとりがチェックする
 と1000000回に1回となる。かなり0に近づく。
 現実にはこの通りにはいかないだろうが、やるに越したことはない。
 
 動物病院は春先から夏にかけて忙しくなる。冬期の2倍の忙しさだ。
 理由は、予防の季節であることと、暖かくなると細菌が活動を始めるので、皮膚病、
 下痢、嘔吐、外耳炎などの病気が増えてくるからである。
 人的ミスを最小限にする努力をするとなると、当然この忙しい時期に対応
 できる人数を確保しなければならない。
 必然、秋から冬にかけては、ひとが余ることになる。だから赤字になる。
 赤字になる原因はむろんそれだけではない。
 頂く料金に反映されないケアーが、随所にあるということだ。

 最上級の動物医療を提供できることが、我々の幸せであることは間違いない。
 しかし、それもこれもある程度の財力がなければ果たせないのだ。

 経営力がいかに大事か身に染みて感じる。

 経営、すなわち商いのそもそもの意味は均すという意味である。
 つまり、デコボコを均等にするということだ。
 
 お米を作る人の所にはお米がたくさんある。野菜を作る人の所には野菜が
 たくさんある。漁師の所には魚がたくさんある。それらを均等に分ける
 ことによって、それぞれの食卓にごはんと野菜と魚が乗せられる訳だ。
 
 均等に分ける、すなわち商いがなければ、お米しか食べられない、野菜
 しか食べられない、魚しか食べられない食卓になってしまうということだ。
 商いは間違いなく生活を豊かにしてくれる。
 
 お米をなるべく少なく渡して野菜や魚をたくさん得る技法では決してない。
 ところが、今の資本主義経済の基本はイス取りゲームや陣取りゲームと
 なんら変わらない。能率的に、効率的に、同業者よりも収益をあげることが
 最大の論点となっている。
 勝ち組と負け組といった構図になってしまうのだ。
 確かに競争力は、発展や進歩に大きく貢献することは間違いないのだが、
 その競争力もイス取りゲームや陣取りゲーム以外のモチュベーションに
 ならないだろうか。
 例えば、おいしいお米を作ってくれるから、我々も栄養いっぱいの野菜を
 つくろうだとか、魚もいろんな種類を獲ってこようだとか、そういった
 モチュベーションならば、かなり前向きで友好的で好意的である。
 幸せの連鎖だ。
 
 これからの世の中は経営学、経済学が非常に重要だ。
 現在の資本主義経済の構造やメカニズムから、効率的に能率的に均す
 商いのシステムにシフトするためのスペシャリストが必要なのだ。
 
 現代まで世界中を支配してきた資本主義経済の中核である株式市場は、
 むろん人間が創りだしたシステムである。
 ではいったい誰が、いつ、どういった目的で創りだしたのか。
 おそらくそのひとたちは、あらゆる情報を管理し操作できるポジションに
 いたことで、富と権力を手に入れるべくこの仕組みを創ったのであろう。
 ほんの一握りの人達が手にしているほとんどのお米、野菜、魚を、万遍なく
 分配するためのスペシャリストが増えると、もっと多くの人達が幸せで
 豊かな生活をおくれるはずだ。 
 
 とある獣医師たちの会話である。
「なんで、うちらの縄張りで夜間診療の動物病院なんかやるんだよ。
 他のところでやりゃいいじゃないか。」

「この地域は夜間診療を行っている動物病院がありません。この地域の買い主
 様にもきっと喜んでいただけるはずですし、昼間診療されている獣医の
 先生も助かるのではないでしょうか。夜間の救急しか診療いたしません
 から皆さんの経営に影響はないはずです。」

「そんなことはない。大いに影響するさ。例えば足が痛いって夜間診察に
 きたらレントゲン撮るだろうが。あんたが夜にそんなことしなければ、
 次の日の昼間にうちに来て、うちがレントゲンを撮れるんだよ。その分の
 収益を夜間に盗られるってことじゃないか。」

 均すという概念がないために、こういった発言になってしまう。
 どの業界であっても資本主義経済のなかにあっては、こういった発言の
 ほうが多数派になってしまうのだろう。
 現在の経営学や経済学のリーダーたちが、均しの商いを志にしてくれる
 ことを切望する今日この頃である。
 


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F1

2012-10-27 11:11:37 | 日記
 農作物は土から栄養と吸い取っている。だから栄養のある農作物を食べると
 人は元気になる。所謂自然の恵みだ。
 では土はどうやって栄養を蓄えるのであろうか。
 それはそこに根を張った植物が、役割を終えて枯れて土にいる微生物に
 よって分解され土に帰ることで再び土が肥沃になる。
 すなわち、農作物の収穫を終えた畑は、しばらく休ませる時間が必要であるということだ。
 しかし、現在の農業はそんなことをしていては生産性が落ちてしまい、収益が減少
 することで生活が立ちゆかなくなる。
 栄養のない土に科学肥料を撒き、その栄養で農作物を育てているのだ。
 つまりインスタント食品で育てられた野菜たちである。
 当然ひ弱だ。農作物を守るために、除草剤や殺虫剤が必要になる。
 
 雑草といわれるが、自然発生する植物には大切な役割がある。
 栄養がなくなってしまった土に、必要な栄養を供給するためにどこからともなく
 やってくるのだ。
 そしてその身を滅して土に帰り栄養となる。
 微生物との連携プレーによって成立している。
 
 雑草から、散布した化学肥料の栄養を取られまいと、除草剤を使って枯らす。
 農家の方々も生活していくためには、致し方ない。
 
 現在の政策とマスコミに、マインドコントロールされた消費者たちの制約があるのだ。
 形が整っていて、虫に食われていない商品で、しかもコンスタントに収穫
 できるやり方でなければ採算が合わないのである。
 
 野菜はヘルシーだと言われているが、本当はどうなのかわからない。
 それでも食べなければならない現在のこの状況を、はたしてどれくらいの
 大人が認識しているのか。
 もちろん子ども達にそんなことはわからない。
 大人が与えてくれる食べ物を、何の疑いもなく食べるだけのことだ。

 F1品種をご存じだろうか。
 バイオテクノロジーを駆使して創りだした種のことである。
 寒さに強い、害虫に強い、日持ちする、見栄えがよい野菜を収穫するためだ。
 かなり都合のよい種といえる。
 遺伝子組み換えとさほど変わらないようにも思える。
 F1品種は一代限りで終わりだ。
 継代できないようになっている。
 つまり、野菜をつくる度に毎回種を購入しなければならないということなのだ。

 しかもそれらの品種はどんな性質のものも設計できる。
 たとえば、農薬を使用しないと育たない品種や、化学調味料で味付けしない 
 と味がしない品種であるとか、設計次第でどんな種でもできるのだ。

 そしてそれらの種を統括している企業、国が存在する。
 その企業、国に抗うことは食べる物が限られてしまうことを意味する。
 そういった事実を日本人のどれくらいが知っているのであろう。
 テレビで大々的に公表すれば、あっという間に日本人の認識が変わるはずだ。
 好感度が高くて人気のあるタレントが、わかりやすく解説するような番組を
 何度も放送してくれたら、農家の方々も作り甲斐がある野菜を、思う存分
 作れる世の中になるだろう。
 
 誰と誰がくっついただの、別れただのといったニュースは子ども達の未来に
 何の意味もない。
 ジャーナリズムは大きな権力である。
 その権力者たちが、未来を想い、崇高な領域で活躍してくれることが、我が国のみならず、
 世界を良化に導くことになるであろう。

 イルカやクジラたちの祖先は、かつて陸上で生活していた。
 陸上での生活になんらかの問題が生じて、海に戻っていった。
 ある意味人間よりも進化していると言える。
 
 地球に生息する動物のほとんどは集団を形成する。
 集団を形成する動物達のすべては、集団内もしくは集団同志での争いごとが必ず発生する。
 
 しかしイルカやクジラだけは当てはまらない。
 
 つまり集団で生活する動物で唯一争いごとがない生き物なのだ。
 
 ひとの進化発展は争いごとのなかから膨らんでいった。
 想像することによって、身体の外に物を創造していった。
 
 イルカ、クジラたちはそうではなく、彼らの身体そのものを進化発展させて
 いったのだ。
 例えば、人は地球の裏側にいる人と、器械を通して交信することができる。
 イルカやクジラは、何もなくても交信できるのだ。
 
 気配りや気遣い、心配りなどはイルカやクジラが備えている能力の一部分
 ではないだろうか。
 相手の気配や雰囲気を察知して、思いやる行動をとることで、争いごとを回避することができる。

 そういったセンサーが徐々に敏感になり地球の裏にいる仲間と交信できる
 ようになったとも考えられる。
 
 日本人はそもそも気配りや気遣いなどのセンサーは敏感であったはずだ。
 本来、土の持っている栄養とエネルギーを吸収した野菜を食べれば、
 日本人が鈍くなってしまっている感覚、感性を取り戻せるであろう。

 


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親父 2

2012-10-26 10:13:49 | 日記
 その後親父はその担当医も驚くほど少しずつではあるが、状態が良くなって行った。
 彼が告げたリミットを越えてしまった。かなり越えた。
 その間、世界中の骨髄異形成症候群に関する文献をあさった。
 何か手だてがないか調べに調べた。
 米国の友人たちにも協力してもらった。 あった。
 日本では認可されていないが、欧米では数年前から使われている分子標的薬が
 あった。日本人に使用したとされるデータはなかった。

 その薬を、自分が個人で輸入して親父に使うことを担当医にお願いした。
 担当医は、上司と相談して条件付で承諾した。
 
 「治験になります。」
 
 データをすべて取って、人体実験あつかいになるということである。
 それでもいいからとお願いした。

 親父の病気についてのインフォームド・コンセントをうけたとき、これが
 エビデンスですといっていろいろな資料をみせられた。
 生存率曲線があった。
 どれをとっても6ヶ月以上の生存はなかった。最初の1ヶ月でほとんどが死亡。
 わずかに残った数字も半年以内でゼロになる。
 父親の場合具合が悪くなってエリートに診断をつけてもらうまで、すでに
 数ヶ月が経過していた。
 エビデンスが確かであれば、今日か、明日か、もって今週、来月はない状態で
 あったわけだ。
 
 親父の足湯をしてから1年と4ヶ月後。
 親父は、あの世へと旅だった。
 1年4ヶ月の間、数回退院をし、自宅で気ままに過ごすことも出来た。
 元気な時とまったく変わらない状態だった。
 本人はすっかり完治したと思いこむほどである。
 その間、たくさん会話した。
 酒を酌み交わした。
 その時間をものすごく大事にした。
 
 神様から頂いた1年と4ヶ月。
 楽しかった。

 父親が旅立ってから半年後、その分子標的薬は日本で認可が降りた。
 
 ある年配のご夫婦がかわいらしいマルチーズの男の子を診察に連れてきた。
 まだ1歳に満たない幼犬である。

「先生、この子噛みつくんです。威嚇したり攻撃したりするんですよ。
 もともと生まれつきなのかしら。これって治ります?」
 
 よくある相談である。
 
 診察台の上で、僕に向かって不安げな顔をしている。
 そっとなでてあげてからやさしく抱き抱えた。僕の胸の中で落ち着いている。
 穏やかなトーンの声で、いい子いい子とあやしてやると、僕の顔をペロペロ
 なめてくる。
 心を開いて安心し始めたようだ。
 
「あら~。うそみたい。こんなそぶりうちでは絶対しないのに。なんで
 こんなにいい子なんでしょ。」

 その子を抱きかかえたまま、問診を始めた。

「ご家族はお父さん、お母さんの他にどなたかいらっしゃいますか?」

「娘がいます。もう成人して仕事もしておりますけど。」

「この子はご家族3人のなかでどなたのことを1番ひどく攻撃しますか?」

「主人ですね。娘には少しだけ。わたしにはほとんどありません。」

「この子はご覧の通りとてもいい子です。生まれつきの噛みつき犬では
 ありません。」

「だったらいったい何がいけないんでしょうか。私たちの飼い方ですか。」

「この状況からするとこの子はアルファーシンドロームという状態になって
 います。」

「あるはーシンドローム?なんですかそれは。」

「犬科の動物は群れで生活しますので、秩序が必要です。彼らは完全な縦社会
 を構成することによって群れを維持します。群れのリーダーがいてその次に
 ナンバーツー、ナンバースリーといったように、すべて完璧な順列が決めら
 るのです。そのリーダーのことをアルファーといいます。」

「え~。じゃ~この子はリーダーなんですか?」

「そうなりつつあります。」

「どうしてそんなことになるんですか。」

「自然界では常に自らのちからでリーダーの座を勝ち取ります。
 時にはケンカをし、優劣を決めて行くのです。
 もちろん勝ち目がないと思えば、無用なケンカをせず、従う約束をし順位を
 あけ渡します。
 この子は男の子でしかも大人になる時期ですので、自分が家族、つまり群れ
 のなかでどの順位に位置しているのかを確認しているところです。」

「どうやって確認しているんですか。」

「いろいろ要求をしているとおもいます。抱っこしてとか、食事をしている
 そばに来てちょうだいちょうだいとか、この扉空けて空けてとか。
 そしてその要求に応えてしまうと、その人はこの子の下になってしまいます。
 マウンティングといって抱きついてきて腰を振る行為がありますが、これを
 受け入れることも順位を明け渡すことになります。」

「いや~おとうさん。全部やってるわ。」

「順位が下になってしまうと、上位に対して絶対服従することがわんちゃんの
 世界での掟なので、少しでもそれにそぐわない行為をするとおしかり、
 つまり攻撃を受けることになります。」

「おとうさん!やっぱりおとうさんがいけないんじゃない!
 おとうさんがこの子をこんな風にしてしまったのよ。どうすんの!」

 鬼の首を取ったばかりの勢いでご主人を責め立て始めた。
 しばらくお小言が続き、いたたまれなくなってしまったご主人は診察室
 から出て行ってしまった。

「先生からもきつく言ってやって下さい。お願いします。」

「おとうさんがどうしてこの子のいいなりになってしまうのか
 おわかりですか。」

「えっ・・・・。どういうことです?」

 きつねにつままれたような顔になっている。

「おとうさんはおそらくご家庭の中で居場所がないのだとおもいます。」

 完全に狼狽し言葉も出ないご婦人に向かって。

「おかあさんは非常に頭がよくていらっしゃいます。なにをするにしても
 きちんとしっかりおできになる。完璧です。
 ですからおかあさんの言葉は完全に正論です。正しいのです。
 でも正論は諸刃の剣でもあります。
 正しいからこそ、反論できません。
 反論できないから追い詰められます。
 おかあさんの言葉は、時に切れ味するどい剣にもなるのです。
 剣で切られたおとうさんはどんどん追い詰められ、行き場を失います。
 行き場を失ったおとうさんはこの子に安らぎや癒しを求めて、依存して
 しまいます。
 依存した相手から嫌われないように、何でもいうことをきいてしまう
 ようになります。いいなりになるのです。
 楽しくなるのもならないのも、全てはおかあさん次第だとおもいます。
 おかあさんが、北風さんになるか、太陽さんであるか。
 ○○さんのご家族のアルファーはおかあさんですよね。」
 
 やってしまった。もうこの方は来院されなくなるかもしれない、とおもい  
 ながら親父の姿が浮んでいた。
 あの世の親父が言わせてくれたのであろう。

 数ヶ月後のある日、このご夫婦がわんちゃんを連れて来院された。
 お二人とも晴れやかな表情をされていた。

「先生、この子の攻撃性がすっかりなくなってしまって、うそみたいに
 いい子になりました。先生のご指導のとおりに暖かい太陽さんをやって
 みたんです。そしたらなんだか私が楽しくて楽しくて。ほんとうに
 ありがとうございました。」

 とても嬉しそうに話してくれた。
 ご指導といわれては少し照れてしまう。親父に感謝。
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親父 1

2012-10-25 19:51:22 | 日記
 3年前、親父がガンになった。骨髄異型性症候群という骨髄のガンだ。
 このガンは様々なタイプがあり、親父のタイプは悪性度が最も高い。
 医者からは、あとわずかの余命であると告げられた。
 
 癌の宣告をうける半年ほど前から、体調不良を訴えていた。
 様々な病院を受診したが、この診断が確定するまでにこれほどまでの
 時間を要してしまったのは、患者側としては、運が悪かったと捉える
 しかない。専門医制度が進みすぎて、自分の専門以外の医学的知識が
 皆無に等しい現在の医療制度の弊害であることは間違いないが、反して
 専門医制度により救われた命の数も星の数ほどあるのであるから。

 自分が動物病院を開院して16年が経っていた。
 それまで親のことも顧みず、仕事に邁進した。
 仕事も落ち着いてきたところで、そろそろ親孝行のまねごとでも始めて
 みようかなと思っていた矢先のことだった。
 強烈に焦った。“親孝行、したいときに親は無し”この諺が頭を何回もよぎる。
 親父がこの世で元気にしていることが当たり前のことだと
 何の疑いもなく信じ切っていた。実際病気ひとつせず元気だった。
 
 動物の事とはいえ、がんのことはかなり詳しく日々勉強していた。
 もちろん骨髄異形成症候群のことも、何から何まで知っていた。
 親父の入院している病室に行ってみると、まさに親父は死の淵にいた。
 病気で死の淵にいる動物を、今まで嫌と言うほど診てきた。
 そして看取った。
 まったく同じだった。親父との今生の別れが、すぐそこに来ている。

 親父は、わずかに意識がある。呼びかけに反応できる。
 頭の中をフル回転させて何がしてやれるのか考えた。
 すべての力をふりそそいで、何かしてやりたかった。
 いやさせてもらいたかった。
 
 自分がその時に出来ること言えば、お湯を注いだ洗面器をベッドに運び込み、
 親父の足をその中に浸すことくらいだった。足湯だ。
 こんな事過去にやったこともない。なぜこれを思いついたのかも全く
 わからなかった。
 浸した足をゆっくりマッサージした。垢が落ちてお湯が濁った。
 お湯を入れ替えた。またやさしくマッサージした。
 間に合わないことは百も承知で、しかし少しでも親孝行らしいことができればと
 思った。
 両方の足をゆっくりと時間をかけてやった。なるべく長い時間をかけた
 かった。ずっとこのままがいいと思った。
 
 朦朧とした意識の中で、親父は確かに「気持ちいい。」と言った。
 
 自分の動物病院で使用している理学療法器が2種類ある。
 どちらも物理の力を利用したものだ。
 効果は当院の臨床で実証している。
 
 当然親父の病室に持ち込んだ。少しでも楽にしてやりたかったからだ。
 家族として出来うる限りをやりつくしたい。
 自然な感情である。


 推定年齢30半ばの親父の担当医に呼び出された。
「○○さん。病室にあるあの器械はいったいなんですか」

 正直に応えた。

「あれは、うちの動物病院で使っている理学療法器です。」
 
 すると担当医が、

「院内での医療行為は認められません。止めていただきます。」

「えっ!」
 
 正直驚いた。親父の死の宣告をしておいて、しかももう太刀打ちできないと
 敗北宣言まで出して、匙を投げた本人から言われた。

「私には、おとうさんの治療に関して責任があるのです。ですから
 勝手な医療行為は認められません。」
 
 怒りが込み上げた。責任とはいったい何に対する責任なのだろう。
 “親父の命を背負うことはできない。”とつい先刻宣言したばかりではないか。
 少しでも少しでも・・・・・・。
 くやしかった。切なかった。やりきれなかった。 
 
 次の瞬間咄嗟に思いついた。

「理学療法器といってもどこにでもあるマッサージ器ですよ。
 医療行為とよべるものではありません。誰でも手に入れることができます
 から。」
 
 嘘をついた。まったく後ろめたい気持ちはなかった。

 すると、担当医は

「マッサージ器ならばよろしいです。あまり目立たないように使って下さい。
 他の患者さんもいらっしゃいますから。」

 彼は所謂エリートと呼ばれている人間である。エリートであり聖職者であるはずだ。

 その時はっとした。
 自分はどうだろう。どうだっただろう。

 自分は、病気になった動物をかかえた家族に向かって、どんな言葉どんな表情
 どんな雰囲気を発していたのか。
 
 この世で起こる全てのことはプラスマイナスゼロである。
 これが宇宙の原理原則である。
 つまり良い事も悪いことも自分が行った分が、その分だけ必ず返ってくる。
 
 おそらく自分自身で気づいていないだけで、ご家族の方々には、相当悲しい
 おもいをさせてしまっていたのであろう。
 空恐ろしい気持ちで一杯になった。

 このエリートも、まさかこんなにも悲しい想いをさせてしまっていることなど、
 微塵も感じていないはずだ。 
 彼にしてみれば、マニュアルに沿った業務を遂行したに過ぎないのだから。
 
 つづく
コメント

玄米

2012-10-24 09:56:56 | 日記
「食べる食材に陰性と陽性があることをご存じですか?」

「何です。それは。」

「食べると身体が冷える食材と暖まる食材があるということです。たとえば
 夏野菜やトロピカルフルーツなんかは身体を冷やす食材で、冬野菜や寒い
 地方でとれる食材は陽性食材です。なんとなくイメージできますか?」

「なんとなくはわかりますけど・・・・。」

「何が言いたいかというと、現代病のほとんどは身体が冷えているときに
 発症するということです。身体が冷えると代謝が落ちます。エネルギーの
 産生も落ちます。免疫力も落ちます。気持ちも落ちます。つまり風邪、
 メタボ、冷え性、花粉症、アトピー、がん、うつ病、引きこもり、
 イライラ病、更年期障害、不定愁訴などになるわけです。」

「え~っ。本当ですか~。」

「陰性食材が悪いというわけではありませんよ。用はバランスが大事なの
 ですが、最近皆さんが召し上がっている食事のほとんどが、陰性食材
 ということです。例えば白米白パンは陰性です。レタス、キュウリ、
 トマト、バナナ、スイカ、砂糖、香辛料、お酒なども陰性で、添加物などの
 化学物質は特に強い陰性です。ですからかなり気をつけて陰性食材を
 とらないようにしないと、陰陽のバランスがとれないのです。」

「わたし、ほとんど毎食陰性食材です。どうしよう。確かに冷え性だし
 風邪も引きやすいし、花粉症だし。いつもイライラしてるわね。」

「夏野菜は元来、夏の暑い時期に外で汗をたくさんかきながら働く人たちが
 身体を冷やし水分を補うためのものです。
 冷房の効いた部屋で身体を冷やし、冷たい物を飲み、汗もかかずにいて、
 その上身体を冷やし水分を補う物を食べたらどうなります。」

「考えただけでも身体が寒くなってきました。なんだかゾクゾクします。」

「ですよね。夏風邪ひきますし、病気になりますよね。夏こそ現代人には
 陽性食材が必要だと思います。」

「その陽性食材はなにがあるんですか?」

「ニンジン、カブ、レンコン、かぼちゃ、タマネギ、ショウガ、ねぎ、にら
 しそ、ヨモギ、里芋、自然薯、自然海塩、味噌、醤油、卵、魚、海藻など
 です。玄米は陽性ではありませんが、陰性でもありません。しかも豊富な
 栄養素と強いエネルギーを持っているので主食は玄米をお勧めします。」

「強いエネルギーって・・・?」

「生命エネルギーとでもいいましょうか、科学的な話ではないのですが
 間違いないことではあります。玄米を精米したものが白米ですよね。
 ですから元は同じ物です。糠という服を着たら玄米で脱いだら白米、
 着てる人は同じということです。ここまでよろしいですか。」
 
「わかります。わかります。もとは同じひとです。」

「その同じひとをそれぞれお水に浸してあげます。裸のお米さんと服を着た
 お米さんをですよ。そしたらその後どうなると思います。」

「どうなるって?どうなるんですか?」

「裸のお米さん、すなわち白米はどろどろに溶けて腐ってしまうんです。方や
 服を着たすなわち玄米は芽が出てまたたくさんのお米になるんですよ。」

「はっは~。これは完全に玄米の勝ちですね。」

「おわかりいただけましたか。糠という字は米に健康の康、白米を逆さに

 書くと粕になるでしょ。ちなみに日本人が脚気になるようになったのは、
 玄米を精米して白米を食べ始めたからです。昔の話ですが、南極観測隊の
 食事を白米から玄米に変えたのは有名な話です。最近は玄米を食べなくても
 他の食材で栄養をまかなっているので脚気にはなりませんが、言い換える
 と玄米だけでもかなりの栄養素を摂取できるということです。」

「なんだか玄米がすごい食べ物のように思えてきました。」

「世界のトップアスリートやハリウッドスターの多くの人が、ブラウンライス
 といって玄米を主食にしているようです。日本でもプロ野球の選手たちには
 かなり広まっているようですね。これもちなみにですが僕は玄米食に変え
 てから72kgあった体重が今は60kgになっちゃいました。」

「へ~っ!あたしもっと早く先生に会っておけばよかったわ。もっと早くこの
 話聞きたかった。そしたらこんなことにはならなかったのに~。」

「まだ遅くはないですよ。これから始めればよろしいだけです。過去と他人は
 変えられません。未来と自分は変えられますからね。」

 そんなにメタボでもないご婦人は結構こういった話に興味を示す。
 メタボになりかけの男性もだ。


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ナチュラルハイ

2012-10-23 11:07:38 | 日記
 除夜の鐘がなっていた。その年の大晦日は昨夜からエンドレスで働き通しだ。
 最後に睡眠をとったのは、いつだったであろう。
 食事は昨日の夕食に出前してもらっていたカツ丼を、ようやく今日の
 昼過ぎころに食べた。
 開院してからというもの365日24時間を掲げていれば、当然盆も正月も
 なくなってしまう。その期間はどこの動物病院もよほどの物好きでない
 限り休診になる。しかも家族がみんな家にいるため動物の小さな異変にも
 気づく。必然的に当院は夜も昼も夜中までもが、大忙しとなるのである。

 年の瀬の除夜の鐘がなるころ、待合室には多くの人達で溢れ、野戦病院の
 様相を呈している。全ての症例ではないが、今この瞬間に診療を受けた
 ことによって命が救われた症例も少なくはない。
 
 夜間や休日診療を行っていない地域の動物たちは・・・・。
 
 きりがないから考えないようにしていた。  
 動物は邪念がない。よって全てのことを良しとする。つまり、片目になって
 しまっても、片足になってしまっても、癌になってしまっても、交通事故に
 あってしまっても、どんな状況になったとしても、悲観したり、悔し
 がったり、悲しがったりなどというネガティブな感情は起こらず、常にその
 状況のなかで最高の状態でいようとする。
 夜間診療病院があってもなくても動物たちは全てのことを許し受け入れる。
 
 自分は自分が出来うる限りのことをやる以外にないのである。
 そんなジレンマを感じながら、その年も暮れようとしている。

 何年紅白を見ていないであろう。何年年越し蕎麦を食べていないであろう。
 そんなことを気にする余裕すらない野戦病院だった。
 
 このような日常を10年間続けた。幸せでもあり辛くもあった月日である。
 嵐のようなエネルギーの渦に巻き込まれるスタッフは大変だった。
 年々人数は増えて行くのであるが、長続きすることはない。
 いままで体感したことのないことが、矢継ぎ早に押し寄せてくる恐怖を
 感じていたのであろう。野戦病院では心身ともに疲弊する。

 年が明けて1月1日、元旦。年越しはほとんど寝ることができなかった。
 ひとまず寝よう。たくさんの雑用を放置したまま長椅子に横になる。
 一瞬で意識が飛ぶ。電話のベルかICUのアラームが鳴らない限り、意識が
 戻ることはない。
 電話は命と直結しているので、どれほど昏睡していても鳴ると飛び起きる。
 仕事をしているときと同じモードに瞬時戻って受け答えをすることができた。
 意識の向け方で、人間はどうにでもなれることを実感した。

 毎年、元旦の午前中は静かである。年越しで夜更かしをしているので、
 寝ているか、ゆっくりお雑煮を食べながらお屠蘇を飲んでいるか、初詣に
 出かけているか、とにかく動物に眼が向けられていないことが多い。
 夕方から夜にかけて再びラッシュとなる。
 
 初詣から帰ってみると様子がおかしかったり、おせち料理を口にしてお腹を
 壊したり、親戚が集まって子ども達と遊んでいたら、びっこになったりと
 理由は様々だが、お正月ならではといったところか。しかもどこにも診療を
 している病院がないために、電話は鳴りやまない。
 
 午前のうちに少しでも身体を休めておかなければ・・・・。

 睡眠不足とハードワークが体積すると、食欲が猛烈にあがる。喉も渇く。
 身体中にストレスホルモンが駆けめぐっている証拠である。
 身体が要求するままに食べると、ものすごい勢いで肥満になる。
 
「あら、先生、また太ったんじゃない。幸せ太り? そんなに働いて稼ぎ過ぎ
 なんじゃないの? 笑いが止まらないでしょ。」
 
 口の悪い中年女性の飼い主さんが、来る度にこう言ってくる。
 
「ストレス太りに決まってるでしょ。ナチュラルハイで笑いが止まらない
 ことは時々ありますけど・・・・。」

 院内で自分の血液を検査すると、血糖値、コレステロール、中性脂肪は
 あれよあれよと言う間に上昇していく。
 
 エコーで肝臓をみると、ぎらついている。脂肪肝である。
 ついには不整脈まで出始め、時々胸が締め付けられる痛みを感じる。
 不整脈の薬を服みながら仕事をした。心筋梗塞の薬は常に身に付けていた。
 過労死はこうやって起こるのかと実感した。しかし、僕が死なずに済んだ
 のは、この仕事が好きで、動物が好きで、幸せを感じていたからに他なら
 ない。これを強制されていたり、精神的に追い込まれたりしていたら、
 僕は今頃この世にはいないだろう。

 
 このような経緯でみごとにメタボになってしまった僕の身体が、その後
 たくさんのことを僕自身に教えてくれることとなる。
 
 久しぶりに獣医学会で大学の知り合いと出会っても、すぐに僕であることに
 気づいてくれない。
 僕自身はそれほど自覚症状がないのだが、やはり相当な変身ぶりのようだ。
 そんな体型のまま、かなりの月日を過ごすことになる。
 時間が経てば当然、僕の潜在意識は太っている状態をノーマルであると
 認識してしまう。潜在意識の素晴らしい能力のひとつに、現状を維持して
 くれるという能力がある。ほんのちょっと抗ったくらいでは、あっという
 間に元の状態に戻ってしまうという現象だ。肥満に対して中途半端に抗うと、     
 潜在意識に勢いが付いて更に肥満が増す事になる。リバウンドである。

 当時の僕の潜在意識は僕がドラえもんであると確信していた。
 
 
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完全燃焼

2012-10-19 12:28:11 | 日記
 日本にいるワンちゃんとネコちゃんで、完全燃焼の生涯を全うできる確立は
 どれくらいなのであろう。年間約30万頭のワンちゃんネコちゃんが保健所で
 処分されている。処分されないまでも、大勢の子犬や子猫たちが人に保護
 されることなく交通事故や伝染病で亡くなってしまっている。
 運良く人と暮らせることになっても、様々な病気によって寿命を全うでき
 ない方が明らかに多い。

「ロンちゃんどうぞ~。」

 通常○○さんどうぞ~となるところだが、ロンちゃんに限ってはそうでは
 ない。ロンちゃんを呼ぶと待合室から診察室まで自分でスタスタ歩いて
 やってきて、しかも診察台の上にまで乗ってくれる。そしてお座りをして
 静かに診察を待つのである。
 ロンちゃんは9歳でラブラトールレトリバーの男の子である。
 性格はどちらかというとおっとりで優しい。
 今日もいつもの胃チューブの消毒に来ている。
 
 ロンちゃんは、巨大食道症の患者である。巨大食道症とは、食道の筋肉が
 弛んでしまって、食べた物を胃に送り込めなくなる疾患である。
 通常の食道は、筋肉が動くことによって食べた物を胃の方向に移動させて
 いる。蠕動という。胃も腸も同じ事を行っている。
 逆立ちをして水を飲んでも水は胃に送り込まれるのである。
 
 ロンちゃんはその食道の蠕動ができなくなっていた。食べても食べ物を胃に
 送り込むことができず、食道内に溜まった食べ物を吐き戻すといった状態に
 なる。原因は様々で甲状腺ホルモンの異常や免疫疾患、胸腺の腫瘍などが
 あげられる。それぞれの検査を行って、いずれにも当てはまらなければ
 特発性、つまり原因不明となる。
 ロンちゃんの場合も特発性巨大食道症であった。
 
 治療は重たくて流れやすい形状にした食べ物を、2本あしで立たせた状態
 で食べさせることである。重力で食べ物を胃に送り込む作戦だ。
 ロンちゃんのような大きなワンちゃんであると、かなり大変な作業となる。
 しかも全てを胃に送り込むことは難しい。
 加えてこの疾患にはやっかいな合併症がある。誤嚥性肺炎だ。

 食道内に溜まった食べ物を吐き戻すときに、一部の食べ物を気管から肺に
 吸い込んでしまって起こる肺炎である。
 この疾患の患者のほとんどが、この肺炎で亡くなってしまう。
 1年以上生存する可能性はほとんどないとされている。
 
 しばらくの間、ロンちゃんも立たせて食べさせる作戦を実行していたのだが、
 やはりご家族の方々が疲弊してきた。致し方ない。
 
 今後のことを充分話し合った結果、胃にチューブを装着することに決めた。
 左のお腹から白い管が出ていて、そこから流動食を注射ポンプで流し込む
 のだ。口から食べることが出来ないとなると、直接胃に栄養を送り込む以外
 ないという結論を出した。胃のチューブは永久に装着できるものではないが、
 疲弊しきっているご家族に、少しでもゆとりができればという思いもあった。
 
 胃チューブを装着し、栄養を送り始めてからロンちゃんの状態もかなり
 良くなり、そのことでご家族のみなさんも元気を取り戻した。
 胃チューブが出ている左のお腹の部分を一週間に一回消毒に来てもらって
 いるのだ。今日も元気なロンちゃんは軽快な足取りで待合室を歩き、
 診察台に上がった後、得意げな顔をしている。

「ロンちゃん。今日も元気だね。いい感じだね。よしよし。いい子いい子。」
 ひとしきり誉めてあげてしっかりなでた後、

「何か変わったことはありませんか。」

「いえ、何もありません。お陰様で元気です。」

「そうですか。よかった。よかった。」

 毎回このようなやりとりができるくらい、順調で何事もない日々を重ねて
 いった。
 胃チューブを装着してから、すでに一年と二ヶ月が過ぎていた。
 そしていつものようにロンちゃんを診察室に招き入れてから、お母さんに尋ねた。

「何か変わったことはありませんか。」
 
「先生、最近茶色い液を吐くようになったんですけど。その液体がかなり
 臭うんです。」

「何か口から食べませんでしたか。お散歩の途中で口にしてしまったとか
 ありませんか。」

「おそらくそれはないと思います。」
 
 ないと言ってある場合がよくあるのだが、このお母さんがないと言ったら
 それはない。それくらいロンちゃんとしっかり向き合っているのだ。
 
「胃に注入している流動食がでてきていることは考えられますか。」
 
 しっかり向き合ってくれているからこそ、できる質問である。

「そんな感じではありません。入れている物とはちょっと違うと思います。」

 胃に入ったものを吐き出すことを、嘔吐という。食道内に溜まったものを
 吐き出すことを突出という。今回もどうやら突出のようだ。
 
 突出したものがかなり臭うとなると、それは腐敗していることを意味する。
 食道内に腐敗菌が存在し、炎症を起こしていることは間違いない。
 あとは異物などが停滞していないかどうかである。それらのことを一気に
 精査するために内視鏡検査を提案した。胃カメラで食道内を検査するのだ。
 ご家族の同意を得て実施した。異物はないが食道の炎症は予想の通りで
 あった。食道内に溜まっている粘液を採取し、細菌を培養する。最も効果が
 ある抗生剤を判別するためだ。食道内の洗浄と消毒を行い検査は終了した。
 
 消炎剤と細菌培養検査の結果に基づいた抗生剤を使用した。
 血液検査で肝臓や腎臓の機能などを調べているが、特に異常はない。
 通常の体力があれば、回復してくるはずである。
 検査の次の日に帰宅し、数日間は問題なく過ごしていた。
 それから程なくして、ロンちゃんが動けなくなってしまったと連絡が入った。
 すぐに連れてきていただくようにお願いし、ロンちゃんが来るのを待った。

 “どうか問題ありませんように。”
 
 意識はしっかりしているものの、全身に力が入らない状態であった。
 再度血液検査を行ったが異常はなかった。筋炎を示唆する所見もなかった。

 胃チューブより注入していた流動食も今朝から嘔吐をし始めたらしい。
 今までそんなことは一度たりともなかった。
 脱水症状があったので、静脈から点滴を開始した。一晩入院することに
 なった。そして次の日。ロンちゃんの症状は全く改善していなかった。
 脱水状態も変わらなかった。その時解った。
 
 ロンちゃんは枯れてきたのだ。病気などではない。ロウソクのロウを
 すべて使い切ったのだ。
 あとわずかに芯だけが残っていて、それももうすぐ消えてしまう。余計な事をする時間はない。
 いままで僕を含め周囲の人達を照らしてくれていた大きな灯火が、急速に
 消えようとしている。こんな所にいてはいけない。
 そのことをご家族に説明し、連れて帰ってもらうように促した。
 治療を諦めるとかそういったことではない。ロンちゃんが完結するところを
 ご家族で見守ってほしい。産まれてくるところを見守る事と同じなのだ。
 
 お迎えに来ていただいたとき、ロンちゃんは嬉しそうに、ご家族の元に
 スタスタと歩いていった。
 
 その日は特別な日であったらしく、いつもは集合できないロンちゃんの
 ご家族が全員ご自宅にいたので、ロンちゃんを中心にご家族写真を撮ったそうだ。
 その時もすこぶる機嫌がよかったらしい。いい写真が撮れたと喜んでおられた。
 写真を撮って数時間後、ご家族全員に見守られてロンちゃんは静かに息を引き取った。
 芯も燃え尽きたのだ。

 人間もそうであるが、生き物の多くは、ロウソクのロウがまだたくさん
 残っているのに灯火が消えてしまう。小さな灯火を長く続ける場合もある。
 ロンちゃんのように、ロウがなくなってしまうまで大きな灯火を灯し続ける
 生涯を送れる人や動物がいったいどれほどいるのだろう。

 僕はロンちゃんのことを生涯忘れることはない。なぜなら、ロンちゃんの
 ように最後の最後までロウを灯し続ける生涯を送るつもりだから。
 ロンちゃんありがとう。

 
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ガイド

2012-10-18 11:26:12 | 日記
 インドのラダックに行ったときのことである。
 標高が2800m以上の高山地方で、インドといってもそこに暮らす人たちの
 ほとんどがチベット民族である。従って、チベット仏教の聖地としても
 有名で、数多くの仏教寺院が存在し、多くの僧侶たちが修行に励んでいる。
 その寺院を巡る旅をしたのだ。
 ガイドはひとりの初老の僧侶だった。
 ダライラマが眼鏡をはずした感じの風貌で、大柄なとても頑強な体躯である。
 僧侶の位はかなり高いらしく、世界各国に招かれては説法を行っている。
 日本にも30年前、20年前、10年前と3回来日されたということだ。
 日本も含め世界中の聖職者たちが職業者に変化してきたことを、嘆いておられた。
 ちなみに来日期間中、富士山の頂上まで登ったときのことを訊ねると、
「あれは軽いハイキングだった。」と答えられたのが、印象的だった。
 チベット仏教の修行のひとつに山歩きというものがあるが、こちらの山々はヒマラヤ山脈である。
 標高4000mから6000mの山々を歩くというより疾走するのである。
 日本では比叡山を天狗のように疾走する荒行があるが、おそらく起源は同じなのだろう。
 元々このガイド僧侶はチベットにいた方なので、中国の迫害を受け、命からがらヒマラヤ越えで
 この地に逃れてきた屈強な精神と肉体の持ち主なのだ。
 そのガイド僧侶と4日間、寝食を共にした。
 寺院のことを説明するガイドとしての彼の話はそこそこに聞いていたが、
 僧侶としての考え方や気持ちの置き所を、張り付いて聞いた。
 多くのことが納得できたが、全く理解できないこともあった。
 チベット仏教の僧侶には最も基本的な4つの戒律がある。うそをつかない。
 殺生をしない。盗まない。異性と触れ合わない。 
 
 そこで僧侶はこんな話をしてくれた。

「50年ほど前のことだ。
 そのころの僧たちの修行は今よりもっと厳しいものだった。
 来る日も来る日も修行に明け暮れていた。
 ある時白人の旅人が寺を見学したいとやってきた。
 むろん拒絶などしない。自由にしてもらった。
 そのことが呼び水となり、徐々に白人の見学者が増えていった。
 ある時、仏像がなくなった。
 教典がなくなった。
 掛け軸がなくなった。
 色々なものが無くなり始めたのだ。
 この世の不可思議だと誰もが思っていた。

 ある時、ひとりの僧侶があるものを見てしまった。
 見学していた白人が教典を自分の鞄に入れるところを見てしまったのだ。
 その僧侶は、白人が何をしているのか理解できなかった。
 無理もないことだ。我々は4つの戒律が子どもの頃から身に染みこんでいる。
 それ故、ものを盗む人間がこの世に存在することが理解できないのだ。
 そのような恐ろしいことをすると、その本人にどれくらいの災いが振り
 かかってくるか、よく知っているから、我々はそんなことはとても出来ない。
 ひとの愚かさ、恐ろしさを見せられた。
 そのことがあってから、寺の中にガードを置くようになった。盗みを防ぐ為ではない。
 罪を作らせないためだ。
 無知はいけない。罪を作るもしくは作らせることになる。
 沢山のことを知っておくことは、または知る努力をすることは尊いことなのだ。
 何も知らないことと、あどけないことは等しくはない。
 知らないことを知り、知ることの努力をしなさい。自分をそこに導き、
 多くを知れば、おのずと他人をも導くことが出来る。
 すなわち利他業なのだ。」

 わかっていたようなつもりになっていたことが、実はしっかりわかって
 いなかったことが、よくわかった。自分の底がいかに浅いかを知った。
 知ってよかった。本当によかった。

 日本に帰国してさほど日も経っていないころ、その教えられたことが、
 自分の身に降りかかった。
 自分はチベットの人達ほどピュアではないが、権力や名誉などというものに
 ほとんど興味も執着もない。
 その当時、ある組織の代表といった地位にいたのだが、後任できる人材がいれば
 いつでも退任するつもりでいた。
 自分がそうであるとしても、自分の周囲にいる人達がみんなそうであるとは限らない。
 権力に執着する人達が、自分の周囲に存在することに気づいていなかったのである。
 結局、自分は代表の座を自ら明け渡したのであるが、そこに至るまでの間、
 権力欲のある人達に、罪を犯させることになってしまった。
 
 もし、自分がそのことを早く知って、対処していれば、誰も傷つかず、
 彼らが罪を犯すことなく退任できたはずである。
 そのことをおそらくあの僧侶ガイドは感じ取って、示唆していたのであろう。
 それは事前にそうならないようにするためではなく、そうなった後に自分の
 無知が引き起こした事象であることを僕に認識させるためにだ。
 あのチベットのお坊さん、人生のガイドだったのだ。

 その次の年、ブータンに行った。ブータンは海外から観光客数を年間1万人
 と決めている。
 そしてブータン政府が認定しているガイドを必ず観光ツアーに同行させる。
 日本から、ドイツから、イタリアから、米国から、北欧から、世界各国から押し寄せてくる。
 従ってそれぞれの国の言葉を完全に操れるガイドが全て揃っている。
 日本語のガイドは3人いたので、日本人のツアーは同時に3組しかツアーが組めない。
 そうやって、海外から悪い影響が入ってこないように管理しているのである。
 国内旅行をするブータン人はほとんどいないので、ホテルは全て海外からの観光客のためにある。
 それらのホテルで働く人達は、所謂日本で言うところの公務員である。
 年齢層はかなり若い。
 
 ある日の夕方ホテルの周囲を散歩していたら、フロントの若い男性に出くわした。
 ブータン特有の石風呂を楽しみにしていたので、そのことについて訊ねてみた。
 僕は海外旅行に行くと必ず現地の人ともしくは人達と交流することにしている。
 時にはご自宅にまでお邪魔して、食事をともにし、杯を交わすこともある。
 言葉は大して重要ではない。
 笑顔は万国共通なのだ。酔っぱらいも然り。
 
 そこでいつものように話かけた。

「少しの間、お話してもいいですか。」
 
「ええ、もちろんかまいませんよ。」
 
 まずは石風呂についていろいろと聞いてみたのだが、そんな話題は話の
 きっかけに過ぎず、いつものごとくブータンの人達の考え方や心の置き所
 について談話をしたかったのだ。

「ブータンはとてもすばらしい国ですね。本当に好きになりました。」

「それはどうもありがとうございます。ブータンのどういったところが
 気に入っていただけたのですか。」

「まずは自然が周囲にいつもあるところです。僕は自然が好きですから。
 それから人々の人間性が非常にすばらしいです。システムやマニュアルが
 ほとんど必要ありません。個人個人の人間力のなせる技です。」

「日本は大変いい国と聞いていますがどうなのですか。」

「日本は残念なことに、システムやマニュアルに縛られた生活を送っています。
 個人の判断や決断で行動して大きな責任問題になると、再起動不能なほど
 のダメージをうけてしまうことがしばしばあります。
 そういった事例を数多くみてしまいますと、ほとんどの人が責任をとること
 に恐怖を感じるようになります。
 そのジレンマから抜け出すためには、ブータンのような国をお手本にすべきです。」

「それは少し違います。ブータンをお手本にするより大事なことがあります。
 昔の日本から学ぶことです。日本は今たくさんの進んだものがあります。
 昔何もなかった時代の日本は、何もない中でいろいろ工夫し、知恵を出し
 合い、助け合ってきたはずです。
 その時代のことを、もう一度日本のみなさんで思い返して下さい。
 進歩し便利なものを全部ではなく、少しだけ上手に利用してみたり、必要のないものは
 保管したりしておけば良いのではないでしょうか。
 昔の日本は世界がお手本にしたいと思うくらいの精神性があったと聞きます。
 いかがですか。」

 完敗である。

 彼はブータンでは普通の二十歳前後の若者である。特別なひとではない。
 
 ここにもガイドがいた。

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マインド・コントロール

2012-10-17 13:26:52 | 日記
「Oさん、明日のお休み何するの?」
 意味はないが何気なく聞いてみた。

「あしたは○○のライブに行きます。」
 今流行のアイドルグループである。完全にマインドをコントロールされて
 いる。
 コントロールされていることに全く気づいていない。
 日本人のほとんどがマズローの第4ステージを越えていない。
 これらの人達をマインド・コントロールすることは容易である。

 マインド・コントロールは、まず対象者の気持ちを心地よくしてあげる
 ことからはじまる。

「まあ~うれしい~。また来てくれたのね~。あいたかった~。かっこいい~。
 すてき~。たのもし~。だから好きなの~。さすが~。すご~い。」
 
 キャバクラの手口である。

「すごくきれいだね。素敵だよ。かわいいね。うれしいよ。やさしいね。
 たいへんだね。がんばってるね。すごいね。」
 
 ホストの手口である。

「お嬢さん、若いね~。素敵よ~。うれしいね~。がんばってるね~。」
 
 おなじみ司会者の手口である。
 
 キャバクラとホストの両方揃って出迎えてくれるのがオウムであった。
 芸能人でおなじみのS学会や、政治家でおなじみのT教会も同じだ。
 誉められて心地よくなって、脳内麻薬が少しでも出てしまったら、
 完全に虜である。 
 
 第4ステージを越えていないひとたちは、気持ちを向けてもらうことや
 誉められることを強く望んでいる。小さな子どもが「見て!見て!見て!」
 と自分に気を向けてもらうために強くアピールしたり、誉めてもらうために
 がんばったりすることと同じだ。ちなみに第2ステージを越えていない
 スラム街の子ども達にはこのようなアピールはない。
 
 中東の戦場に送り込まれている米国の兵士たちは、ゲームを使ってマインド
 を破壊されている。ゲームのソフトを開発するときに最も重要なことは、
 ゲームでいかに脳内麻薬を分泌させるかということだ。
 いつクリアできるかわからない状態で、ステージを少しずつ上げていき、
 最終ステージをクリアしたときの達成感。
 大きければ大きいほど脳内麻薬が大量分泌される。
 これを繰り返すとまさに薬物依存症となり、禁断症状があらわれる。
 現代のこどもたちが切れやすい原因のひとつであることは間違いない。
 ゲームに没頭している真っ最中に、電源を切ったらどうなるであろう。
 おそらく半狂乱にならんばかりのパニックと攻撃性が発動するであろう。
 
 兵士たちの場合、シューティングゲームを戦場シュミレーションと称して
 繰り返し行う。
 人のDNAには人を殺す直前に躊躇するというプログラムがなされている。 
 しかしシューティングゲームで脳内麻薬による中毒状態になると、
 そのプログラムが破壊されてしまう。
 戦場に送り出され、街をパトロールするとき、目前を横切る何かがあると
 反射的に引き金を引いてしまうのだ。
 兵士の放った銃弾に斃れたひとは、戦闘員ではない若い母親と子どもであったり
 することもしばしばである。
 そういう事故をおこした兵士にも帰国をすると、奥さんや小さな子どもが
 いて、良心の呵責にたえきれずPTSDとなり自殺を遂げるのである。
 帰国後の自殺者は数千人にものぼる。
 子どもに麻薬(テレビゲーム)を与える親の気が知れない。
 その親たちがゲーム中毒といったところなのか。
 
 チンパンジーを使ったある実験がある。
 スイッチと扉があって、スイッチを押すと扉が開いて食べ物を手にする
 ことが出来る。
 スイッチを押すと必ず食べ物が出てくるようにしておくと、自ら扉を
 開けて食べ物を手に入れ食べ続ける。
 ある程度満足すると、次にそれがほしくなるまではスイッチを押さない。
 その間普通の穏やかなチンパンジーである。
 方やスイッチを押すと食べ物がある時とない時があるようにする。
 ほとんどなくてたまにあるというようにする。

 たまにしか出てこないので、スイッチをずっと押し続ける。
 そのうちお腹は満たされて空腹ではない状態になる。
 満腹状態になってもそのチンパンジーは、スイッチを押し続ける。
 徐々に押す力が増してくる。激しくたたくようになる。
 錯乱状態になってキーキー叫びながら叩き続けるのである。
 食べ物がほしいのではない。時々食べ物が出てくる時に分泌される脳内麻薬
 による依存症とその禁断症状だ。

 パチンコもゲームも全く同じ原理だ。中毒患者なのだ。パチンコは商品や景品を
 求めているのではない。
 大当たりをした瞬間に大量に放出される脳内麻薬中毒の禁断症状なのだ。
 ヘロインを求めてギラギラしたひとたちと同じである。
 ちなみに骨と歯が究めてもろい。


 脳内麻薬を利用したマインド・コントロールの更に上のステージがある。
 恐怖の感情を利用するのである。人の最高に強いモチベーションは
 楽しいことに向かっていくことではなく、恐怖からの回避である。
 はじめは脳内麻薬がでるくらい心地よい想いをさせる。
 その後、頃合いを見計らって、恐怖を見せるのだ。
 本人に体験させるのではなく、第3者を見せしめのようにして落とし込む。
 その落ち込んでいく様をつぶさに見せるのである。

 心地よい状態がプラス100とする。心地よさがなくなることは0になる
 ということだ。0になるだけでも嫌なことである。
 恐怖の状態に落とし込まれることはマイナス200,300、場合によっては
 マイナス500,1000となり、プラス100からすると大きな差となる。
 通常のひとにはとても耐えられない。
 このプラス100を維持させるため、少なくともマイナスなにがしにならない
 ようにするためには、この恐怖をみせつけたひとには絶対に抗えないことになる。
 自分だけはこうはなりたくないとなるからだ。
 子ども達のいじめのなかで、次に自分がいじめのターゲットになりたくない
 という恐怖感からいじめに参加してしまう心理にも似たところがあるかもしれない。

 自分には、いつもニコニコしながら心地よい状態を提供してくれるので
 あるから、無理矢理強制されている感覚はない。
 マインド・コントロールされて動かされている自覚はなく、自分の意志で動いていると
 信じて疑わない状態だ。
 大きな心地よさのなかに、自分はそんな目に遭わされたくないという小さな恐怖を
 すり込まされたら、言いなりになっていても自覚がない。
 
 身近なところにもマインド・コントロールの罠はいたるところにしかけ
 られている。
 たとえばいつもニコニコして心地よい状態を提供してくれる人から、Aさんのことを、
「あの人はあんな酷いことをした。こんな愚かなことをした。
 あなたのことをこんな風に言っていた。」などと聞かされると、Aさんのことを
 よく知らなくてもAさんの人物像がすり込まれてしまう。
 聞かされたことが、事実かどうかは関係ないのである。
 捏造されたことでさえ、マインド・コントロールされた人にとっては、真実になるからである。
 すり込まれた人は、自分の意志で「Aさんってこんな酷い人なんだよ。」
 と周囲のひとに話し始める。
 Aさんの周囲にいるひとを3人でもマインドコントロールできたら、完全にAさんを
 陥れることができるのだ。
 メディアのターゲットになってしまった政治家や芸能人などはたいへんだ。
 あっという間に支持率や好感度が落ちることになる。


 そして更にその先のマインド・コントロールがある。反社会組織のような
 集団が行うもので、最も悪質な動機により行われる。洗脳である。
 催眠術や、麻薬のような薬物を使用し、潜在意識の深い所にいろんな
 言葉、映像、記憶などを重しにつけて沈めておくのである。
 文字通り心のそこから支配されることになる。
 したがって洗脳を受けてしまったひとは、心理的にも精神的にもほぼ
 ロボットに近い状態になってしまうといった非常に危険なものだ。
 つまりそのひとの生き方そのものである信念をも都合のいいように
 入れ変えられてしまうのである。
 地下鉄サリン事件や、坂本弁護士事件などの実行犯は、自分の意志で実行
 したと堅く信じていた。
 操り人形のようにコントロールされていたとは夢にも思っていなかった。
 彼らはごくごく普通の善良な人達だった。
 ただ、悲しいことに第4ステージを越えていなかったのである。

 テレビでココアが身体にいいと言われるとスーパーマーケットから
 ココアがなくなる。バナナがなくなる。××がなくなる。
 こんな現象がおこるのは日本だけである。アル意味幸せな国だ。
 集団マインド・コントロールにもほどがある。

「先生、この子関節が悪いんですよね。テレビでよく見るグルコサミンとか
 コンドロイチンとかのサプリメントはどうですか。」

「コンドロイチンもグルコサミンもタンパク質です。服用すると、胃と腸で
 消化されアミノ酸になります。お肉や大豆を食べることと同じ事なのです。
 決してコンドロイチンやグルコサミンのかたちのまま、関節に届くことは
 ありません。髪の毛が薄いひとが、頑張って髪の毛を食べても毛髪が濃くは
 ならないのと同じです。ただ、人の場合はプラシーボ効果ということが
 あります。よれよれのひとがサプリをのんだらしゃきしゃき歩けるように
 なる映像を繰り返し繰り返しみていると、本当にそうなると信じて疑わなく
 なるのです。そうなったひとはそのサプリをのんで本当に調子が良く
 なります。でもこのワンちゃんにはプラシーボ効果はないでしょう。
 だからのませても意味がないのですよ。」

「へ~そうなんですね~。知らなかった~。」

 マインドをコントロールすることで、ひとの痛みを和らげたり、癒したり
 励ましたり、元気付けたり、苦しみを取り除くことができることがある。
 東南アジアの心霊治療などはその典型だ。
 手品でお腹の中から悪い物を取り出す映像をみせることで、すっかり信じ込んでしまい
 病気が治るやつだ。
 実際にそれで治ったり、不幸な状態から開放されるのだからそれはそれで
 悪くはないと思う。
 それで多額な報酬を得ようとしていなければ、わざわざそのペテンを暴く必要はないであろうし、
 暴くことの方が罪かもしれない。
 
 多くの人がマインド・コントロールの言葉は知っていても、身近なところで
 仕掛けられていること知らない。
 たとえ第4ステージを越えていないひとであったとしても、マインド・
 コントロールの知識があれば、陥れられることもないかもしれない。
 もっと世間に普及すれば、多くの不幸を未然に防ぐことができるのでは
 ないだろうか。

 テレビでおなじみのタレントさん。ドラマで主役を演じ、クイズ番組では
 難問に答えるなど大活躍である。
 当然視聴者は演じた役柄をそのタレント本人だと錯覚する。
 クイズに答えることで聡明だと思いこむ。
 刷り込みである。そして、そのタレントさんがコマーシャルでお奨めしてくれた
 ものは素晴らしい物だと信じ、喜んで購入する。
 視聴率をあげられるタレントさんがコマーシャルに多くでられるメカニズム
 はここにある。
 
 アイドルスターがステージに登場。
「きゃ~!」
 脳内麻薬、分泌開始。

「みんな~、げんき~。」

「きゃ~!」
 脳内麻薬、増量中

「みんなに会いたかったよ~。」

「きゃ~!
 脳内麻薬、増量中

「あいしてるよ~。」

「きゃ~!」
 脳内麻薬、許容量オーバー、失神~

 自分に向けての言葉だと会場の全員が信じて疑わない・・・・・。













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