くらにっき

ひえとりな毎日 

自立

2013年03月23日 | 思う
○人に恐怖感を与えるもの、言動

この世はこんなに恐ろしい とか
このままだと、○○になっちゃうよ とか

○高圧的、支配的なもの

私の言うことを聞いていれば間違いない
ついてくれば、何も心配ない
なぜなら、私は正しいから

こういう姿勢を、私はいっさい信用しない。

これらは、「依存」させる方向。
依存から生まれたつながりは、必ず怒りとなって崩壊する。

生物は、みな自立しなければならない 
それは、生物の宿命だと思う。
自立は、怖い人にとっては、本当に怖い。

自由があってこそ、自立はできる。
不自由なほうが、心地よかったりもする。
自由だと、文句の言いようがないのだ。

自由とは愛で
自立することは、本当の愛だと私は思う。

自立しないと、進化がない。
進化は人類の義務だと思う。

自立があってこそ、本当の協力体制が生まれるのだと思う。
自立を促すことは、とても忍耐強いことですが
私はがんばってそうしようと思っている。

自分になりたい

2013年03月18日 | 思う
結局のところ、私は、私になりたい、戻りたい、あるべき姿になりたい。私のポジションに帰りたい。

よく、自分探しの旅に出る というような言葉を耳にします。
それについて、ばかにするような意見も耳にしますが
私はやっぱり、結局は人生、自分になるために生きるもんだと思っています。
能力を最大限に生かした結果に行きつく先が、戻る場所だと考えています。

現実は厳しいことがたくさんあります。
私のことで例えると、薬を飲むはめになり、飲み続け、気がついて、やめて、ひどい離脱症状を経験したりだとか
(これは本当に地獄のような試練だった)
大事な方がこの世を去ったりだとか
天変地異が起きたりだとか
こんな現象を体験させられる(自分が選んでいるという説もある)意味は、
さあ、こんな風に出してみましたが、それであなたはどうする?どう感じましょうか?
と、選択をつきつけられているような感覚が私にはあります。

またこれは、単純に、脳が変化をつけたいから、こんなに派手な事項を自らチョイスしているのかもしれない
なんたる皮肉 なんたる事かと愕然とします。 
これは、自分が選んでいることです。種をまいたから、結果があるのです。

こんなことを思いながら生活するのはけっこうしんどかったりします。
私はひとりで暮らしているので、考えで頭がいっぱいになると、うまく気分転換するのが難しかったりします。

ですが、仕事に忙殺されたり、現実問題(お金の心配や周囲の問題など)に心の大半を奪われるようになると、あっという間に何が根底にあったのか、わからなくなってきます。

あと、テレビや映画、ラジオや雑誌や流行歌なども、自分の意識のベクトルをずらされる感じがして、見続ける、聞き続けることに危険を感じるようになっています。


自分の身に起きる出来事は、周囲のせいにしがちです。
それはわりとラクな生き方です。
そういう姿勢で生きている人のほうが、圧倒的にパイが多いですから
自分ひとりが違う姿勢を貫くのは、なかなか難しい作業です。


難しいからやめてしまおうか と思ったりします。
そこでまた自分に
じゃあ、あんたどうするの?
それがあなたの本心なの?
と問うと、やはり答えはいつも同じになる。


今回、へんな時期にお休みをいただくことにしたのは、落ち着いて考える時間が欲しかったからなようです。
周りに人がまったくいなくて、仕事ももっとずっと少なかった1年前は、以上のようなことばかりをいつも考えていました。
身体を治したかった。身体を治すには、心をどっしりさせたかった。
心をどっしりさせるには、経済的な余裕も必要だったし、自分の中の無駄なものをそぎ落とす作業が必要でした。
そうするためにはどうしたらいいか? ばかりをずーっと考えていました。
それで、鎌倉に越すことを決めたのでした。
自分が持っている全財産が、引っ越しでかかる金額までになったときに、その全財産をかき集めて不動産やさんに契約しに行きました。
あれからまだ、7か月しか経っていないと思うと、時間の感覚というものへの信頼感がまるでなくなります。
7か月の間の変化の量がハンパじゃなかったために、気づいたらものすごく疲れていたようです。

もともとは、お休みをいただいて屋久島に行こうかと思っていましたが
経済的な理由もあり、忙しさで、漢字のごとく、心を亡くしかけていたので、遠出はやめました。
もっぱら家で、食べたい食材で料理をしたり、掃除をしたりして養生しています。
観たかったビデオを借りてきたりとか、(鎌倉駅近くにはレンタルビデオ屋がなく、自転車で30分くらいかけて借りに行ってます)
鎌倉に越してやっと7か月。
やっと、ここがホームグラウンドだなと自覚が生まれてきました。

薬をやめてからは、3年と2カ月が経ちました。
顔、右の耳が勝手に引っ張り運動をして痛みます。
おなかが出っ張り勝手に動きます。
突然に一部の部位がしびれたり痙攣したりします。
歩く速度はもう普通とまったく変わりません。
たまには走れるようになりました。
食事には、ほとんど気を使っていません。
睡眠も普通、排泄のほうにも不便を感じなくなりました。
身体は、勝手に治してくれます。これは、本当のことです。
無駄なことをしなきゃいいんです。

仕事や人生や役目など

2013年03月16日 | CURAス
私は明日から、まるまる1週間の休みをとってみることにしました。

おそらく、自宅で何か仕事はするだろうかと思いますが
仕事場には行かないでみることにしました。

CURAスタイルができて、まだ1年です。
急激に忙しくなり、鎌倉に引っ越しをして
引っ越しをした時点では1人しかいなかったスタッフが
いま、私以外に5人になりました。

人が増えると、それだけ場の雰囲気が変わり
もちろん、おのおのいろんなことを考えて日々生きているわけですから、思惑 というものがうずまいて
さまざまなことが起こります。

それをほどほどにキャッチして、良いほうに流れを持っていくのが今の私の最大の仕事なのかもしれない と思ってます。
こんなことばかりを考えて、半年くらい経ちました。
この半年は、通常の2、3年くらいに相当するような感じでした。



私は、ほぼ日刊イトイ新聞が好きで、毎日読んでいます。
今日のほぼ日に糸井さんが書かれていましたが、私も同じく
「これまでの働き方では、もうどうしようもない」 と思っています。

我慢をした対価としての報酬 とか
拘束時間=仕事だとか

私は日本にしか住んだことがないからよくわかりませんが
日本特有の価値観だとも聞いたことがあります。
過労死 という言葉を外国の方が聞くと、「は?なんだそれ?」
と、わけがわからないのだそうです。

何か楽しくて、そんなに自虐的な生き方をするのか?

仕事をするみなさんに問いたい。
仕事、楽しいですか?
生きがいを感じてますか?

仕事の時間が一日8時間だとすると、
人生の3分の1は仕事をしているわけで
睡眠時間が8時間だとして
仕事と睡眠と、その他の時間がだいたい等しくなるわけです。

ほんとうに自分が人生で何を求めているのか
もしくは、求められているのか、お役目なのか をわからないと
まったく生きてきた意味がわからずに死ぬことになります。
それでは、あまりにも生命さんをないがしろにしすぎと私は思う。
もっと、自分の尊厳を表に出していいんじゃないか?大切に扱おうよ と思う。

イライラしたり、かりかりするとき
大事に扱われていない という理由が、私は圧倒的に多かった。
なので、自分が自分をまず大事にすることを心がけるようになりました。
そうしたら、仕事の仕方が変わりました。

私は、仕事が好きです。楽しいです。
そうじゃないときもありますが、基本的に仕事ラブ人間です。
人生の役目=仕事なのだろうなと、よく思います。
服を考えて、作ること、その過程を踏むことが、とっても楽しくて好きです。

飽き性なので、違うことをチョコチョコやらないと、ストレスがたまるほうです。
おなかがすくと、そちらに気をとられて仕事に身が入らなくなります。
なので、サラリーマン時代はそういうところもつらかった。

仕事の仕方を、身体に合わせることにしています。
イヤだーと思ったらいったんやめて、気分転換をするだとか、その日はもうやめるとか
おなかがすいたらとにかくまずは食べるとか
眠くなったら身体を動かすとか。

それを、ほかのスタッフにもそうしてくださいと言っています。
みんな私よりも、ぜんぜんお上品ですが。

そういうことを、「仕事っぽくない」とか
「わきあいあいしてて学校みたい」と思う方もいるかもしれません。
でも、仕事場は仕事場です。学校や仲良しクラブではありません。
そのへんのけじめはつけているつもりです。


一般的に言われている、日本の企業の在り方とか
仕事の形態、考え方を、真逆から発想するような考え方を、私は意識しています。

もちろん、儲けを出すことが企業の目的なのですが
なぜ、儲けを出したいのかというと、大前提として、スタッフ、私がお金の心配のないように生活したいからです。
そして、いろんな意味で上昇していることを、ともに喜びたいからです。
さらに、卸をさせていただいているお店、服を作ってくださっている工場、
関わっている方みなさんがそうなっていただきたいと願っています。
うちが作る服で、みんが富んでハッピーになったらいいと思ってます。

うちの製品を買ってくださったお客さまがシルクを着ることで、靴下をたくさん履くことで
精神状態、身体の状態が安定し、健康になって
ポテンシャルを最大に生かせる状態になって、やろうと思うことがすぐにできる状態になったらいいのだ と思っています。
誰にも損はさせない そういう気持ちでいます。

関わる人みんながハッピー、健康、富んでいる。
そこを目指して、仕事をしています。

また、ハッピーや冨に際限がある、という考え方は間違っていると思うので
みんながハッピーで富む状態が可能であると信じています。

ひとりがそう決意したら
それが広がります。
みんなが広げて、この世全体がよくなるように、そこを目指しています。

(つきつめると、この話題はかなり深い話になるので、いまは省略します)

幸せが続くと、人は怖くなります。
楽しい時間が長いと、不安になったりします。
そうなったときに、「どうしてそう思うのかな」 「そうじゃないかもしれないな」
「このままずっと、楽しくていいし、幸せでいいし、平和でいい。それを自分に許すことにしよう」
と、思い直します。
不安になったり怖くなったりは、人生のトラップ=わな です。
落っこちないように気をつけてます。
わな が気がつかせてくれることも、あります。
それが自分の課題だったりします。

そういうところを、そういうところから意識をすることが
結果的に富んで、ハッピーになることにつながると、信じていま生きています。


このお休みで、そういうことをもう一度、じっくり考えてみようと思います。