goo blog サービス終了のお知らせ 

クロチンゲールの覚え書き

お外で遊んで、美味しいもの食べて、心を満たそう♪

チャレンカ岩

2017-09-09 07:15:43 | seakayak

夏休み6日目
積丹岬を漕いだからには、神威岬もこぎたくなるのが心情

やや雲が多くなってきたものの、雲の切れ間からは晴れ間も見えてるぞ。
風も微風だし、海面も穏やかだ。

神威岬の近くにある漁港から出艇することに〜





この神威岬にも義経さんのお話がありました。

奥州から密かに蝦夷地に渡った義経さん、日高の平取(びらとり)にたどり着きました。
そこで、首長の娘チャレンカと恋仲に〜
しかし大きな野望を持つ義経さん、チャレンカを置いて旅立ってしまうのです。
これが、義経がモンゴルへ渡った「ジンギスカン伝説」に結びつくらしい!
それを知ったチャレンカ、すぐに後を追いかけて積丹半島で追いつきました。

神威岬の先端までやってきたチャレンカが目にしたのは...

義経を乗せた船がすでに遥か沖の方で遠ざかり、少しずつ見えなくなっていく光景でした。   

悲しみにくれたチャレンカは、「和人の船、婦女を乗せてここを過ぐればすなわち覆沈せん」という恨みの言葉を残し海に身を投げてしまいました。

やがてチャレンカの悲しみが岩と化し、神威岩になったと伝えられています。

以来、神威岬周辺で女性を乗せた船が通り過ぎようとすると、必ず転覆したことから、明治時代初期まで女人禁制の地とされていたそうです。

義経さ~ん、女泣かせだなあ~

でも女ってそういう男に弱いもの・・・

このお話を知る前にチャレンカ岩ツーリングをしていたのですが、そしてチャレンカ岩の横を通って少しだけツーリングを続けるつもりでした。

でも、チャレンカ岩まで行ったら、その先に行かないほうが良いのかなって何となく感じたので、チャレンカ岩から出艇した漁港に戻りました。

通り過ぎていたら、チャレンカの逆鱗に触れていたのかな...

でもそのおかけでご馳走にありつけました!

やったー!!

 

これでうちっちの積丹リベンジキャンプツーリングは幕を閉じました~

温泉入って、残りの北の国の旅を満喫するぞ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 


積丹岬

2017-09-05 15:42:19 | seakayak

今日は朝から快晴で、海も穏やか〜



のんびり朝ごはんを食べ撤収。



積丹ブルーに心奪われ、なかなか進みません~

前方にはマッカ岬が。



ピリカ岬を通り過ぎると、「女郎子岩」が見えます。

「じょろっこ」と呼びます。



源頼朝軍に終われ、義経がたどり着いたのは、積丹町入舸(いりか)

そこで義経は首長の娘、シララと恋仲になったそうな。

しかし新天地を求め、大陸を目指し旅立つ義経。

義経の乗った船を追っていくけど叶わず、絶望して海に身を投じてそのまま岩になったとさ。

史実では、源義経は奥州平泉で自害したことになっているんだけど、

実はそれは影武者で、本人は北海道に逃げてきていて、北海道各地に伝説が残っているんだって!

そういえば家康にも影武者がいて、家康本人は関が原の戦いで死んでしまったっていう本を読んだことあるな~

 

更に漕ぎ進むと、日本の渚百選に選定された「島武意海岸」に〜

ここは観光名所で、上からの景色が良くポスターになっているけど、沖から見る島武意海岸はまた全然違った迫力感!



島武意という地名はアイヌ語の「シュマ・ムイ」(suma-muy=岩の・入り江)に由来してます。


ちなみに、積丹は「シャク・コタン」(shak-kotan=夏の村)


浜にはニシン漁の番屋跡があります。

 

 

駐車場から展望台まで狭いトンネルを通っていくのですが、そのトンネルはニシンを運ぶために、昭和28年に作られたものだとか。

「ヤーレン ソーランソーラン ヤレン ソーランソーラン ハイハイ」でおなじみのソーラン節は、積丹半島から余市郡にかけての地域が発祥で、ニシン漁の歌として有名だ。

NHK朝ドラ「まっさん」でも唄われていたのが、記憶に残ってるな~

きっとソーラン節がここでも唄われていたんだろうね~

積丹岬を越えるとすぐに入舸の集落が見えてくる。

そう、義経とシララが出会った地。

そこで今日は上陸することにしよう~

なにせ無理は禁物、まだ夏休み半ばだからね。

キャンプ地から入舸までは約10kmのパドリングでした。

車が置いてある美国まではバスがあるが、便数が少なく2時間半も待つ。

その間に先ほどカヤックで横切った島武意海岸へ歩いていってみよう!

テクテク歩いていると、島武意海岸入り口のバス停で、男性が座っているではないか!?

こんな日陰のないとこで2時間も待つのかなと思いながら、バスの時刻表を確認してみると、

なんと3分ほどで期間限定の臨時バスが来るではないか!しかも特急!

入舸のバス停は通過だったのだ。

なんとラッキー!!!

特急だけあって、観光バスみたいなバスがやってきた。

「いいな~ 涼しそうで~」とちょっと羨ましくもあるけれど、

旦那はんに車をピックアップしに行ってもらっている間、私は島武意海岸へ~

展望台から自分っちが漕いできた海を眺める。

 

 

楽しいパドリングだったな~

 


 


積丹キャンプツーリング リベンジ 2017 

2017-08-26 20:40:28 | seakayak

夏休み4日目にして、いよいよ積丹キャンプツーリング~

朝、道の駅の駐車場でカヤックを組み立てて、カヤックをカートップしていざ出発!

美国の浜は前日と変わらず、海水浴キャンパーで溢れかえってる...

 

カヤックやキャンプ道具を浜に下ろすのは無理そうだ...

海水浴場は諦め、隣のスロープから出艇させて頂くことに。

昼過ぎまで予報通り東北東の風が強く、のんびりと準備~

15時頃に美国港を出発!!

 さきほどまで強風でウサギが飛んでいた海面が、嘘のように滑らかに~

美国から北上すると、そびえ立つ断崖絶壁に圧倒されます。

 

吸い込まれそうな積丹ブルー

美国から7.5kmほど漕いだところに、キャンプできそうな浜が!

今日の穏やかな海なら積丹岬を越えられそうでけど、もう夕方なので上陸だ。

 

 まずはカヤックから荷物を出して、カヤックを浜にあげねば。

スケール感のある景色を見ながら、作業を黙々と続けます。

 

北海道はヒグマの生息地

うちっち夫婦がお邪魔していることを、浜に落ちていたプラスティックの容器を叩いて猛アピール!!

 

では、キャンプ楽しむとしようじゃないか~

まずは、ビールで乾杯だ

積丹の海と断崖絶壁を眺めながら呑めるなんて、贅沢この上ない

 

夕飯は、夏だけど鍋で、〆はうどん

北の国の夏の夜は、鍋でも汗かきません。

青森でゲットした美味しい地酒があっという間に空になってしまいました

キャンプマジックですな~

夕飯が終わるとワインタイム

北の国の夏の夜は焚き火が心地良いのです~

 


呑兵衛横丁

2016-10-14 07:04:39 | seakayak
10月上旬、岩手の海へ行ってきました。
台風18号は温帯低気圧に変わって太平洋へ抜け、晴れました!

初日は昼頃からシーカヤック。
1.5km位進んだところで、その先はウネリも強く風もあり引き返してきました。





無理しない
無理しない

夜は今回楽しみの1つであった呑兵衛横丁



 横丁は昭和30年代前半、戦争で夫を失った女性たちが、生活のため市中心部の水路の上に軒を連ねたのが始まり。
高度成長期には30店以上が並び、製鉄所の従業員らで賑わっていましたが、津波で全26店が流されてしまいました。

 2011年12月にJR釜石駅近くのプレハブ店舗で再開し、今は12店が営業しているそうです。
店で使う厨房設備や食器は、渋谷の呑兵衛横丁や全国各地から寄せ集められそうです。
釜石の呑兵衛横丁は愛がいっぱい詰まっているのです。

MESAの草山さんが決まってお客さんを連れていくという「とんぼ」へ。



74歳のおかあさんが1人できりもりしています。

6席のカウンターのみですが、1人できりもりするには十分です。

今宵の料理は旬の秋刀魚!

@秋刀魚の刺身
@秋刀魚の塩焼き
@秋刀魚のつみれ汁

私は秋刀魚のお刺身が食べれませんでしたが、東北に来てからは大好きになりました。
それほど新鮮ということです。

秋刀魚以外のお刺身や料理も美味しかったです。

みんな食いしん坊なので、写真撮る余裕なしでした…

呑兵衛横丁は2018年3月で取り壊してしまうそうです。

市は中心部の市有地を大手リース会社に貸し、約20店を集めた共同店舗3棟を建て、一部を細長い店が連なる横丁にする計画。
市と協定を結んでいるリース会社は、横丁の店主に対し、出店には3か月分の敷金などのほか、180万円の設備工事費が必要と説明しました。
「高過ぎる」との声を受け、仮設の設備を再利用して98万円にする案も提示したそうです。

12店のうち10店は68~77歳の女性店主で、自宅を流された人もいます。
出店には内装費などもかかり、生活再建や年齢の不安も抱えています。
結局、出店を決めたのは4店舗(うち1店舗は調整中)のみ。

30年続けた居酒屋「とんぼ」のおかあさんは出店を諦めたそうです。
「続けたい思いは強いが、年齢を考えるとあと何年できるか。震災で人も減ったし、借金しても返せない」

70歳台で1人できりもりしているおかあさんっちには、リスクがありすぎます。

「まだまだこの仮設は十分に使えるのにねぇ〜」

おかあさんには今のままの「とんぼ」で人生を全うしてほしいと切に願っている人は少なくありません。

2019年にラグビーのワールドカップが日本で開催されます。
開催地の1つが釜石。
人口3万5千人強の町に1万4~5千人収容の競技場を新設するようです。


 スタジアム建設費など約29億円の事業費のうち国などの補助金や寄付などを見込んで、市の負担額を約10億円と試算。
ちなみに、
市の予算規模は1031億円。
うち853億円が震災対応予算だから、
実質的にはかなりの負担!

 2020年東京五輪と並行の作業となることから、資材や人件費の高騰でさらに事業費・大会運営費などの負担が膨らむ可能性は高いのです。
W杯後、「復興スタジアム」は仮設スタンドを外し、1千人収容規模の競技場としてクラブチーム釜石シーウェイブス(SW)の試合などで活用する計画といってもね〜
それでも維持管理費は毎年発生するんです。
それだけの集客が見込めるのかしら…
新日鐡釜石ラグビー部時代の「北の鉄人」復活なるか!

嵐が宮城でコンサートしたときだって、仙台の宿泊施設だけでは足りず、近隣県に宿泊してた人も多かったっていうじゃない。

釜石の宿泊施設はそれに比較にならないくらい少ないだろうからね。

ワールドカップ開催に向け道路の整備や、宿泊施設建設など、費用は予定していた費用よりさらに増えるだろうね…

あら、何か最近やれ同じような話をどこかで…
あー!東京オリンピック!
まさに東京オリンピックの縮図だわ…

結局、漕いだのは初日の半日のみでしたが、たくさん美味しいもんを食べ、たくさんしゃべり、たくさん笑った3日間でした。

草山さん、ありがとうございます!

そして、
来年こそは、仮店舗でないことを願ってます!




上の人ー!
もっと人々の暮らしに寄り添ってほしいものです。

夏休み 2016 シャーラ船

2016-09-03 13:03:15 | seakayak

強い西風の向かい風の戦いに打ち勝ち、目的地の浜に上陸した我々は、勝利のビールで乾杯した後に、集落を散策してみることに~

途中で地元の人と思われる方に声をかけていくうちに、今夜は盆踊りがあり、翌日の朝には西ノ島の夏を彩る風物詩といっても過言ではないとお祭りがあるのだという!

前日にも盆踊りを見ることができ、違う島の集落でも盆踊りが見れるなんて、これは面白いな~

で、「何時から始まるんですか?」と訊くと、

「夜8時半か9時くらいかな」

スタート遅いけど、まっいいか。

盆踊りが始まったのは9時くらい。

やはりやぐらの上に唄う人、合の手を入れる人、太鼓をたたく人が上がっていて、途中演奏者を変えながら、盆踊りの演奏が繰り返されるのです。

やぐらの周りを人々が囲んで踊るのですが、盆踊りの唄も踊りも前日見た盆踊りと同じような感じで、とても心が和む時間が流れてゆきます。

 30分ほどで鑑賞して浜に戻りましたが、実際何時までやっていたかは不明です。

昔は夜通しやっていたそうですよ~

 

盆踊りの翌日の朝早くから、盆踊りをやっていた広場にはたくさんの人が!!

昨日まではブルーシートで覆われていた木や竹、藁でできた船体だけだったのが、、みるみる色鮮やかな船の姿に!!

 

この船はシャーラ船といって、毎年8月16日の朝に、盆に向かえた霊を精霊船に乗せて、海に向けて(西方浄土)送る盆の行事です。

精霊がシャーラと変化していったようですね。

西ノ島の2つの地区では全長10mを越える大きなシャーラ船を作るそうで、子供たちも参加するそうです。子供たちが各家・墓から集めた旗(盆旗)や供物を船に乗せ,自らも船に乗り込んで精霊を送ります。

女性っちは色紙に経文を一枚一枚書きます。

集落ごとにシャーラ船を作るようになったのは,明治中頃とされています。それまでは家ごとに船が作られており,現在でも西ノ島の一部の地域では家ごとに小さいシャーラ船が作られています。

シャーラ船には藁が使われていましたが、高度成長期に伴い藁の入手が困難になり、現在では地域により葦や茅で代用したり、木造船に変わっているそうです。

 私っちが見た地区では、8月5日から船の準備が始まり、8日木材で船体の骨組みが作られます。

設計図は各々の頭の中にあるそうです。

9日に茅などにより外装が調えられ,13日に子供たちが旗などを集めながら各家を廻(まわ)り,16日の早朝に集めた旗などがマストに取り付けられます。

船体の下に枕木を敷いては外すを繰り返しながら、集落の男衆が力を合わせ、あんうんの呼吸で少しずつ船をスロープまで動かしていきます。

 

 

船が海の上に浮かんだ瞬間、浮かぶまでの経過を見ていて、とても熱いものがこみ上げてきました。

中学生の男っちが船尾にしがみついて、船の傾きを修正します。

 

 

最終的には中学生が船に乗り込み、海岸では女性たちが御詠歌を歌う中、船に引かれながら、港内を3週します。

 

その後,美田湾を経て,最終的に焼火山南側の雉(きじ)が鼻の岬までえい航されていきます。

 

 

 曳航している船とシャーラ船の比べると、シャーラ船がいかに大きいかイメージできると思います。

昔はもっと大きかったっていうから驚きです。 地元のおじさんが「迎えたもんは、ちゃんと送らなきゃならない」と話していたのが印象的でした。 地元の人っちのご先祖様を大切に思う気持ちと共に、ご先祖様の魂をシャーラ船に乗せて送って行くのですね〜

村の若い衆の頭の中に設計図が描かれるようになるまでは、もう少しかかるようですが、あえて紙面やデーターに設計図を残さずに伝承していく伝統行事が、今後も続いて欲しいと願うばかりです。