50代独女モモの日々

50代独身無職の日々の喜怒哀楽。アダルトチルドレン。父親の存在に苦しみながらも日々前進しようと試行錯誤中。

カウンセリングの日

2025-03-15 16:28:32 | 日記
今日はカウンセリングの日。
カウンセリング、その後
診察。

カウンセリングで、泣きながら色々と説明する。
もう我慢の限界。

聴いてもらった。
そして、

「家を出る方向が良いかもしれないね」

そして、就労支援とか、障害者手帳とか、カウンセリングの先生の知っている情報をシェアしてくれた。

私は正直、うつ病と診断されたことをあまり受け入れていなかったように思う。
心のなかに、うつ病に対する何か、偏見があるのかもしれない。
恥ずかしいとも思っているかもしれない。
人がうつ病になっても、ゆっくり休んでと心から思うのに、自分がうつ病にるのを受け入れられないなんて。

でも、よく考えたら、あんな酷い父親の、無視というやり方を取られた時の私のショックを考慮したら、うつになっても全然おかしくない、と客観的にようやく思えてきた。
今更だけど。

無視は一番卑怯だ、と、以前、カウンセリングの先生が言ってくれた。

それを親にされていることはとても悲しい。

とにかく、ちょっと、就労支援とか調べてみようと思う。

ただもう、フルタイムは無理…心の余裕がなくなる。

まずは家にいる時間を減らす。
父親からのもらい事故はもうたくさんだ。

昨日の事(叔母からのパンのこと)もカウンセリングで話したら、
「よく聞く話」だと言ってくれた。
一度好物だと知るとそれしか買わず、こちらがもうそれに飽きているにも関わらず買ってこられ、こちらは辟易するパターン。
もうお断りだ。
お土産を選ぶセンスのない人は、お金をくれ、と思ってしまう。

今日は寒かった。
どんよりとしていて、
心が重かった。

お金のことを考えず、診察後は外食で食べたいものを食べ、ソフトクリームも食べ、日本茶も飲んできた。

今日はもう部屋で暖かくして過ごす。

良い夜を☆












凄く我慢してきたんだな

2025-03-14 15:38:31 | 日記
明日はカウンセリングと診察。
言いたいことが本当に色々あり、整理出来ない😔

いま、色々なことに凄く腹が立っている。

たった今も、腹が立った(母に、というか、状況に苛立ち母に伝えた)。

今日は母が姪の鍼灸師のところに行って鍼灸してもらう日。
その後、母は母の妹(姪の母親)とランチ。

母の妹は(私の叔母)、私へのお土産をたまに買って母に渡してくれるが、いつも同じもの。
正直、センスがなく超節約家👎

人には給料いくら?と聞くのに、自分はハワイへビジネスで毎回行くことを言われると「お金持ちじゃないわよ」と聞かれるのを嫌がる矛盾する人(私はこういう矛盾大嫌い)。
今度是非ツッコんでやりたい。
だいたい、普通給料いくらなんて聞かないよね。
もうこちらがはぐらかしたりするのも、もう嫌。それ失礼ですよ、と今度聞かれたら言う。

昔、ヨーロッパからのお土産は、マトリョーシカのうちの一番小さい人形1つだった
(全部でなく、バラバラにしたうちの1つ。バラバラにして1つずつ人へ渡す。喜べるか?!)(@_@)

先日、ポンパドールのチーズパンを渡された。
もう飽きた(-_-;)
母に、ダイエットしてるからとそれとなく伝えてもらった。
にも関わらず、また今回も渡された。
私は、もう、本当に、こういう小さいことを、昔から我慢してきた。
嬉しくもないお土産に無理して喜んだりお礼を言うのももうやめたい。

昔、樹木希林が、人からのお土産を断わっているのを見て、非常識だと思った自分。
今なら分かる。
あれは、ストレスをためない、そして、自分軸でいられる、素晴らしいやり方だ。
嫌われることを恐れていない。
失礼をしてはならない、というより、自分の気持ちを優先している。
なかなか出来ることじゃない。

とにかく、他人への感謝も大事だが自分の気持ちにも嘘をつきたくない。

今日はもうお礼のメールは書かない。

こういうことがあると、ストレスで喉が痛くなる。
我慢したり、無理すると痛くなる。

はっきりと、「ダイエットだからもうチーズパンはいいと伝えたはずなので、次回からは結構です」とメールしたい。

母は、忙しい姪に、色々と食事を作り持って行く。
なのに私にはパン(300〜400円程度)って、何なの?
それが本当は一番言いたい。
あからさまなケチ最低。

良い午後を。









凄く疲れた日

2025-03-13 14:36:21 | 日記
昨日は1年に1度の都立病院での検査、診察日だった。

結論から言うと、問題なし。
私の病気がとても珍しく、データが少ないため、術後だいぶ経っていても一応検査を続けるという病院の判断で毎年1度病院に行く。
診てもらうのは有難いことだ。

朝7:30から病院外で並んでいた時に、前に並んでいたおじいちゃんとひょんな事から会話が始まり30分会話。
その人は、色々な病気を患っていた。
でも、私の病気についても聞いてくれる、会話が出来る人だった(自分の事ばかり話す人、多いから、おじいちゃんの会話力はなかなか良かったよ☺)。
それでも、普段は使わない気を遣ってしまい疲れた😅

その後の採血では、注射を右腕に刺した途端、「すみません💦」の声。
やり直します、と言われ、主任が代わりに来て左腕に。
新人だったのか?!
勘弁してくれ。
「最初に刺された所が痛いんですけど」と訴え、しばらく様子を見た。
どこに指したのか…その人は主任に任せいなくなっていた…

その後はレントゲン。
MRIと隔年でやっていて、レントゲンは簡単♪

診察は脳外とリウマチ。
診察の待ち時間、診察、会計の待ち時間等で、午前中を使い切る。
待つのって、疲れますね……

病院を出る時は、自分でも驚く位、物凄く疲れていた。

やっぱりもう50代なんだな、と思った。
笑うしかない。

30代からこの病院に来ていて、同じ事を30、40代でやっても、こんなに疲れなかった。

色んな刺激があり(人も多いし)、普段使わない頭を使い、頭痛も酷くなった。

(@_@)

私ってほんとにポンコツになっちまったーーー

そういう自分を受け入れてあげるしかない。

帰りの電車では爆睡。

今日は普段通り、午前中はスーパーに行った。
午後は郵便局や角上魚類。
5800歩。

今日は風も弱く、外歩きに最高だと感じた。
寒くないのは身体に良い。
花粉は凄いけど。

もう木曜日(*_*)

良い午後を。








今日は整形 明日は脳外

2025-03-11 16:26:06 | 日記
今朝は1ヶ月半に1度の大きな病院へ。

数年前、両腕を痛め、地元病院のリハビリでは効果なく、紹介された。
そこで3度の処置(部分麻酔で腕肩の固まったところをバキバキ伸ばす💦)、そしてリハビリとお世話になった。
健康保険はリハビリ期間が決まっており、期間内に治らず、あとは家でリハビリしている。
今はだいぶ可動域が拡がったけど、完治はないと思う。
それは受け入れた。
今は、痛みが出ると、注射をしてもらうが、両手ではない(片腕しか出来ないみたいで、まー仕方ない)。
今回も左。

今日はずっと気になっていたことを尋ねた。

「症状が良くなると、地元の病院へかえされる、地域連携があると掲示板に書いてありました。
私もだいぶこちらでお世話になってきました。
でも今戻されると、地元病院に注射の技術はないので(超音波で様子を見ながら注射する、その機械も地元の個人病院にはない)、出来たらもう少しこちらにお世話になりたいんですが、よ、宜しいでしょうか?」

あら、言っちゃった。
良い意味でこれがオバサン化してきた証拠か。

先生は、
いいですよ、
だんだん良くなると思いますし。2ヶ月に1回位で…

あえて聞かなくても良いことだったのか?
でも、ずっと引っ掛かっていた…症状が酷い人はもっといるのが、診察を待っている時に分かる。
先生に、もう地元に戻ってと言われる前に、モヤモヤを解消したかった。

最近は1ヶ月半に1度が多かった。2ヶ月と言われ、内心、あれ、と思ったが、断られないだけよしとした。
それに、先生の言う通り、ちゃんとリハビリしていれば、1年後、もう少し状態が良くなる可能性もある。
処置をして、リハビリをして、医学療法士にいきなり「もう手に負えない」と言われ、傷ついた頃からは想像出来ない程良くなった。
(この医学療法士は役職つきだが、役職がついている=優秀ではない。そんな言い方して患者の気持ちも想像出来ないのかと言ってやった。言い方が悪かったです、とは言われたが、本当、なかなか治らない人に言うならもっと言い方があるはず、と感じた)

病院の後、
お江戸に来ている。
明日は年に1回の都立病院での検査、診察。
朝7時半には病院に着きたいから(血液検査から始まるが患者が多い)、病院の近くに泊まる。

33歳(厄年)の時に、頭蓋骨に腫瘍が出来て2度開頭手術をした。腫瘍を取り、頭蓋骨の一部に人工骨を埋めた。
珍しい病気で、脳神経外科の手術の時は他の科からも先生達が見学に来たと聞きびっくりした記憶がある。

それから毎年1回の検査、診察。MRIやCT、血液検査…
めちゃめちゃ慣れた😅
53歳まで(33歳から20年)このルーティンは続く。
診てもらうのは有難い。
血液検査も、数値が正常だと安心する。

今日泊まるのはスーパーホテル。
パジャマは貸し出しされ、その名も、ぐっすりパジャマ。
着ていてとても楽。
オンラインで販売もしている。
ただ、部屋に、手洗いグッズがない😅
フロントで聞いたら、
置いてないですね〜と。
「文句言われないですか?!」と思わず口が開いてしまった。
やっぱりオバサン。
でも、普通あるでしょって思っちゃう。

フロントで化粧品を頂けるが、そこに石鹸もあり、もしよろしければ石鹸もお持ちくださいと言われた。
遠慮なく頂いた。(近くのマツキヨでキレイキレイの携帯すら売ってなかった…)

父親の声が聞こえなくて楽。

ゆっくり過ごそう。









母との時間

2025-03-10 17:25:23 | 日記
昨日の父親の件で、
今朝から少なからずショックが残っていた。
父親を鬼畜だと本当に思う。

母が、「ちょっと出かけない?」と言ってくれ、近くの商業施設へ。
2人でお店をまわり、雑貨や洋服を見て、楽しい時間を過ごし、心から感謝した。

お昼は寿司常さんへ。
その後はスタバ。
最後にロピアでホワイトソースの素や、ヨーグルトやら購入し、本当に廉価で得をした気分になった。

母は私に、もう父親の事を考えないようにするのが一番だと言った。
それに対して、私は、そんなこと出来るわけがない、とは思わず、ただただ聴いていた。
私はとにかく、父親が死んだ時は、父親の葬式には出ないから、と言った。
もう何度も母に伝えている。
私をこんなふうにしたヤツの葬式に出るなんて自分が可哀想、そんなことは自分に対して絶対にしない、と私は決めている。
母は、それでいい、と言う。
私の苦しみ、母の苦しみ。
両方ある。

母は、またこうして出かけて、嫌な奴を忘れる時間を増やそうよと言った。

私ちゃんと生きなきゃ。
あんなヤツを恐れ、心はずっと子供の頃から支配されたままで(暴力を受けたらそうなる)、父親の承認を得ることで生きてきた。
こういう暴力からくる影響を暴力を振るったヤツは創造もしないし、出来ない。
ほんと、何のためにこんな悲しい思いしなくちゃいけないんだ?

寿司常さんは、相変わらず美味しかった。

母に感謝。