ボチボチかめさん

良い日本を夢見てきましたが 現実は遠のくばかり
のろまですが小さな脳で考えます
日本のこと 日本人のこと

グラビア

2008-01-23 23:51:41 | 美術館
もう少し片岡球子さんのことについて書きたい。
だから、書くことにしました。


わたしが20代前半のころ、昭和でいうと45年位。西暦なら1970年代になりますか。
片岡さんは、明治38年のお生まれですから60代後半になりますね。


銀行で順番を待っていて、退屈だったから椅子に座って雑誌を取った。
ぺらぺらと頁をめくった。


文藝春秋の「日本の顔」だったのではないでしょうか、、、週刊誌だったかもしれない。
とにかく雑誌のグラビアだったことは間違いない。


そこに、ひとりの老女が写っていた。


紺と鼠の縞柄の紬の着物に藤色の紅型の帯。
それには濃い臙脂の道明の帯締めを合わせ、
 
襟元からのぞく半襟は、たまご色と茜の二重重ねで、
牡丹の蛇の目の日傘をさして歩く姿が、何枚か載っていました。

髪をふっくらと結い上げ、ちょうど頭上の据わりのいいところで
お団子をつくり、かんざしが挿してある。

形の良い眉。薄いくちびるは朱にそまっていた。



お名前の字面といい、お召し物といい
豪華絢爛といったらいいのか、原色の色彩でまとめた装いは鮮烈でした。


この身体全体からくる凄みはなに? この老女は一体、何者?

それに、、、そこはかとなく漂う色香。
このお歳でこの色気はどこからくるのか、、、、

そのわけが謎のまま、忘れがたい女(ひと)になりました。


何年も経った頃、古本屋でたまたま手にした雑誌に
片岡さんが、誰かとの対談 相手は女性だったと記憶しますが、
謎のわけが書いてありました。


球子には、想い人がいらしたのですね。
それも、深く、永く、、、、。


『その人も日本に住んでるわけですから、いつ、何処で出会うかもしれないでしょう。
いつ、どこで出会っても、その人に恥をかかせないように気を配っているの』

このような意味合いのことを語っていました。


その人に恥をかかせないように、、、、

参ったと思いましたね。


そこで、今日のボチボチ堂画廊の一枚は、片岡球子「ゆたかなる富士」リトグラフ





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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
うーーーーん (ボチボチです)
2008-01-25 00:46:11
云われてみれば そうかもしれない。
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Unknown (かめから、ボチボチへ)
2008-01-25 00:44:39
あんた、記憶は確かかね、、、

>文藝春秋の「日本の顔」だったのではないでしょうか

確か、「日本の顔」は、昔からモノクロのはずですよ。

第一、40年も昔のことを こんなに詳しく覚えていられるワケがないよ。

強烈な印象だったことは わかるとして

あとで片岡球子氏の作品を観たことで
ボチボチさんが、勝手にイメージをふくらまして
創作してしまったんじゃないの?

かめは、そう思うね。

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