さて、旅行者に割りと不人気?のウルムチに滞在すること3日目。特に何をしたということもなく、明日には出ようかと考え中。
ウルムチといえば天地なんだけど、ちょっと離れてて面倒だったということと、ウルムチへ向かうバスの車窓からボゴダ山の万年雪はしっかり見たということで、今回はパス。縁があればまた来ることもあろう。
それにしても、到着後は「再び漢族が増えたな」と思ったものだけど、街の人と話してみると「漢族っぽいウイグル人」が結構多いことに驚く。これまではどこに行っても「お前ドコ人だ?」としか聞かれなかったのに、ここでは「お前は何族だ?」に変わった。どう見てもウイグル族には見えてないはずなのだが。そういえば宿の受付の女の子も3日連続で「あなた何人?」と尋ねてきては後で、「そうだ、日本人だった」と照れ笑いする。一体おれの外観は今何族になってるんだ?
この街ではトルファンに続き再びバイク旅行者のKさんと再会。というか同じ情報を共有してるんだから会うのは当然なんだけど、やはり知らない街で知った顔に会えるとほっとする。そしてKさんとバイクに2ケツしてウルムチの街を流した。堂々とノーヘルで街を走るのが気持ちいい。ただ少し気になったのは、この街では自転車もバイクもほとんど姿を見かけないこと。
そしてKさんとたまたま通りがかった新疆大学へ潜入してみた。入ってみて驚いた「みんな若い!」。当然か。ただ行ってわかったことは、新疆大学は公的な北京時間でなくウイグル時間で動いていたこと。14時になると一斉に学生たちは食堂へ。食堂へ入ってみると、中国中の食べ物が揃っててこれまた感激。水餃やぶっかけ飯は当然のことながら、桂林の米線や新疆特産のラグメン、蘭州の牛肉面まで今まで通った地域の食べ物が全て揃っていた。
でも食堂で食べる学生はほんの一部なのだろう、多くの学生はテイクアウトして(それもビニール袋に全て一緒くたに放り込んで)、同じく敷地内にある寮へと帰っていく。よくみたら校舎よりも寮もほうが多くないか?なんとはなしに寮を覗いてみたら、小さな部屋にところ狭しと二段ベッドが入れられている。勉強机はもちろん、服や生活雑貨を置くスペースすらない。だからなんでも寮の学生の多くは夜中まで校舎で勉強してるとか。
校舎でトイレチェックもした。もちろん扉なしだった。ブログでは書いてなかったけど、山丹の田舎の中学校に入ったときはトイレそのものを見つけることができなかったので、ちょっとはましな環境になりつつあるのか?
ともあれ久々に大学なんてものの中に入ってしまったので、自らの学生生活を思い返してちょっぴりセンチメンタルな気分になりながら大学を後に。
さて、新疆に入って以降ネット不毛地帯が続いている。なのでウルムチではメールの返信やブログの更新にできるだけ時間を充ててみた。けれどここから先はそう簡単には無理かもしれない。特に北部パキスタンの通信速度は絶望的らしい(それ以前に停電もしばしばとか)。
そして次の目的地は和田!それもタクラマカン砂漠のど真ん中を南北に突っ切る「砂漠行路」で。和田でゆっくりした後は、いよいよ中国最後の街、カシュガルへ。
果たして次はいつ更新できるのか?(あっさり和田で更新してたりして)。
ともあれしばしお待ち下さい。
ウルムチといえば天地なんだけど、ちょっと離れてて面倒だったということと、ウルムチへ向かうバスの車窓からボゴダ山の万年雪はしっかり見たということで、今回はパス。縁があればまた来ることもあろう。
それにしても、到着後は「再び漢族が増えたな」と思ったものだけど、街の人と話してみると「漢族っぽいウイグル人」が結構多いことに驚く。これまではどこに行っても「お前ドコ人だ?」としか聞かれなかったのに、ここでは「お前は何族だ?」に変わった。どう見てもウイグル族には見えてないはずなのだが。そういえば宿の受付の女の子も3日連続で「あなた何人?」と尋ねてきては後で、「そうだ、日本人だった」と照れ笑いする。一体おれの外観は今何族になってるんだ?
この街ではトルファンに続き再びバイク旅行者のKさんと再会。というか同じ情報を共有してるんだから会うのは当然なんだけど、やはり知らない街で知った顔に会えるとほっとする。そしてKさんとバイクに2ケツしてウルムチの街を流した。堂々とノーヘルで街を走るのが気持ちいい。ただ少し気になったのは、この街では自転車もバイクもほとんど姿を見かけないこと。
そしてKさんとたまたま通りがかった新疆大学へ潜入してみた。入ってみて驚いた「みんな若い!」。当然か。ただ行ってわかったことは、新疆大学は公的な北京時間でなくウイグル時間で動いていたこと。14時になると一斉に学生たちは食堂へ。食堂へ入ってみると、中国中の食べ物が揃っててこれまた感激。水餃やぶっかけ飯は当然のことながら、桂林の米線や新疆特産のラグメン、蘭州の牛肉面まで今まで通った地域の食べ物が全て揃っていた。
でも食堂で食べる学生はほんの一部なのだろう、多くの学生はテイクアウトして(それもビニール袋に全て一緒くたに放り込んで)、同じく敷地内にある寮へと帰っていく。よくみたら校舎よりも寮もほうが多くないか?なんとはなしに寮を覗いてみたら、小さな部屋にところ狭しと二段ベッドが入れられている。勉強机はもちろん、服や生活雑貨を置くスペースすらない。だからなんでも寮の学生の多くは夜中まで校舎で勉強してるとか。
校舎でトイレチェックもした。もちろん扉なしだった。ブログでは書いてなかったけど、山丹の田舎の中学校に入ったときはトイレそのものを見つけることができなかったので、ちょっとはましな環境になりつつあるのか?
ともあれ久々に大学なんてものの中に入ってしまったので、自らの学生生活を思い返してちょっぴりセンチメンタルな気分になりながら大学を後に。
さて、新疆に入って以降ネット不毛地帯が続いている。なのでウルムチではメールの返信やブログの更新にできるだけ時間を充ててみた。けれどここから先はそう簡単には無理かもしれない。特に北部パキスタンの通信速度は絶望的らしい(それ以前に停電もしばしばとか)。
そして次の目的地は和田!それもタクラマカン砂漠のど真ん中を南北に突っ切る「砂漠行路」で。和田でゆっくりした後は、いよいよ中国最後の街、カシュガルへ。
果たして次はいつ更新できるのか?(あっさり和田で更新してたりして)。
ともあれしばしお待ち下さい。
川が流れていて、そこで玉が取れて、古来より有名。それが「うてんの玉」。
川をさらって玉を取っていらっしゃいませ。
和田→カシュガル→タシュクルガン→パキスタン?
そこからはどう進むの?
パキスタン→北インド→デリー→反時計回りにインド一周?
それとも一路西へ?
○通信事情
北パキスタンは通信事情はよくないでしょうな。
ちなみにパキスタンは
いちおうWTO加盟国。
固定電話に関しても、田舎はあまり電話が普及していないみたい。(固定回線の9割は都市部にあるそうです。)
PTCL(パキスタンのNTT)は
公衆電話の敷設を進めているようです。
携帯電話のサービスは開始しており4者がサービス提供してるんそうな。
インターネット事情・電話事情もレポート希望!
ちなみに、「うてんの玉」ですが、それを
輪の形に加工して、
=璧(完璧の語源)
輪の一部を切って(馬蹄型のようにして)、
=「玉央」(これで1文字だ。「けつ」と読む)
項門の会で「はんれい」が項羽に決断をさせるために使った道具。
なんか、自分のこと書きすぎた・・・・・
>こーきさん
もちろん早速ユーロンカシ河へ行ってきた。んでもって早くもコブシ大の玉を入手(誰が何と言おうとこれは玉に違いない。そうに決まっている)。あとは香港のブローカーを通じて売りさばけばウハウハ(死後)ですわ。
ま、記念に拾った石ころはいいとして、予定通り進めばやはり年末は南インドにいてるはず。インドに「呼ばれてなかった」ら、さっさとネパールに逃げ込んでる可能性も。
それにしても「玉央(けつ)」か、そういやそんな道具出てきてたな。あれも玉やったんかあ。
>せりなのパパさん
有難うございます。全ては修行と思って(その割には楽しんでますが)毎日過ごしてます。
>恥本さん
みなさんで楽しんで貰えれば何よりっす。