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グランハート

日常で精神世界を探究しています。精神世界とは誰もが持っている心の世界です。日々の気づきや学びについて書いております。  

今日も今日とてハッピー祭り11『私の体というものは』

2025-06-10 11:48:11 | 日記

膝が悪い方はいらっしゃいませんか?今回、姉御と慕う情報通の友人より、朗報が届きましたので、ぜひ皆様にもお伝えしたく。

朗報とは、「軟骨は少しでも残っていたら、再生する!」ということです♪詳しくはこの動画をどうぞ!


私は中2の頃、部活中に馬跳びで膝から床に落ちて以来、30年近くもの間、何かと左膝を痛めてきました。4回目でとうとう靭帯が一本切れ、気を付けながら過ごしています。これはスピリチュアル的な意味もありそうですね・・

今回も膝が強く痛むようになり、久しぶりに整形外科に行きました。診断は「変形関節症 (膝)」で膝関節の軟骨がすり減っているからだろうということでした。今までと同じです。もうだいぶん前からこの診断です。

特に今回痛みが出た原因に心当たりがありました。体力をつけようと、お散歩を始めたことです。そこまではまだ良かったのですが、調子にのって姿勢を良くしようとパンプス(3・5センチ)を履いて歩いた直後、痛み始めました。あちゃ~、焦りすぎました。もう一度、パンプスで闊歩してみたかったのですが・・・もうパンプスは履けないのでしょうか・・

 

膝の話を友人にしたところ、この動画を紹介していただきました。軟骨が再生するなんて・・・今まで聞いたことがありませんでした。でもそういえば、今回整形外科の先生が触診で膝を色んな方向に曲げ伸ばしした後、院内を歩くのにスムーズだった気がしました。そしてレントゲンでも異常がなかったため、関節に潤滑剤を注射していただいて様子を見ることになりました。

待合室では自費診療の再生医療やプラセンタ治療などの動画が流れています。「ああ、いつかこの治療をするしかないのかな・・」と思いながら、しょんぼりと家に帰りました。そしてこの朗報です!!

わらをもつかむ思いで早速やってみました。すると、スムーズに動ける気がします。もちろん、前日に注射していただいた潤滑剤の効果もあるでしょう。そしてこの簡単な運動はそうした本来備わっている関節液の分泌を促すそうなのです。体って、よくできているんですね。このまま続けてみます!

 

でもこのこと、整形外科医は知らないのでしょうか?まだ学会では認められていないトンデモ治療なのでしょうか?

いつもお世話になっている病院の綺麗なロビーで眺めていた自費診療の案内動画がチラつきました。悪い先生ではないと思います。そして病院も事業であり、医療機器開発もお金がかかり、その成果で人命が助かるのだとわかります。私や家族も入院したり、緊急手術で何度も救われています。制度を維持するのにも莫大なお金がかかるのでしょう。その恩恵も受けており、意味も分かった上で、今回の「簡単な動作で軟骨は再生する」というのがいろんな意味で衝撃でした。

 

 


ご注意!!この先排泄や病気の話を少し伴います!苦手な方は飛ばしてくださいね。

 

 

 


先々月、トイレに座って小用を足しながらボーっとしている時、「わあ、口から入れたものが一巡りして、不要なものを排泄しているんだ」とふと思いました。以前人気アニメで妖精のようなロボットが口から材料を入れて、おしりからソフトクリームを出すというギャグがありましたね。お店にあるソフトクリームマシンを連想して、「私も生まれながらにこのマシンを一台もらっているんだ・・」とそこはかとなく感動しました。

初めての感覚でした。途中、故障で部品を変えたり、酸素ボンベなど機能を外付けにする場合もあるかもしれません。私も甲状腺を半分切っているので経過観察中ですが、ホルモンが出なくなればホルモン剤で補うことになります。そうしてつぎはぎしながら一生をこのマシンで過ごすのです。

そう考えると、個体差はあるものの、この世を生きることは自分に与えられた一台のマシン耐久レースなのかもしれません。誰かとの競争ではなく、いかに一生を楽しく走り続けるか。なんだかワクワクしてきますね!

そんな中、今回教えていただいた「軟骨は再生する」という情報は、私にとってとんでもない朗報でした!もしも同じく膝関節に故障を抱える方は、必要であれば病院の検査を受け、軟骨がすり減っているだけで切迫していないのであれば、対症療法と共にこの運動を試してみる価値はあるかもしれません。私も朝と言わず、日中も実践していこうと思います!ご興味のある方はぜひ!!!

姉御、ありがとうございます!再びパンプスで闊歩する日を目指して!
今日も今日とてハッピー祭り!!!

 


今日も今日とてハッピー祭り10『血のつながりというものは②』

2025-06-10 10:03:14 | 日記

私は兄と仲が悪いです。先日、年老いた両親の顔を見に、実家に帰りました。帰り際に兄と顔を会わせ、いつも通り言い合いになりました。

互いの言い分は平行線。兄は私が悪いと言い、私は兄が悪いと言う。怒りながらも兄の言い分に納得しつつ、しばらくして帰る時間になり、実家を後にしました。

これが私と兄の通常運転です。でも、私の中がいつもと違いました。あれ?いつもだったらはらわたが煮えくり返って仕方がないのに、今回は···煮えくり返るハラワタがない···?

頭でカッカしているだけで、内側までは侵食されていない。不思議な感覚。···何だコレ···?

帰宅すると、兄との不仲を知っている夫が心配そうにしていて。少し聞いてもらいその日は寝て、翌日まだ残る怒りを見ながら過ごしました。

出来事を分解すると、兄の親への接し方や私への態度は、身勝手な兄らしいものでした。そっか。あれが兄だったわ。近頃優しくて温かい方々の中で過ごしていたので、忘れていました。

そして私の兄と対峙すると出てくる怒りの感情は、今の問題というよりも今までの恨みなのでした。

子供の頃からいつもわがままで身勝手な兄中心に家庭が動いてきました。それを感謝することもなく、自分が良くなれば家は繁栄して存続するのだから、踏み台にするのは当然だと言い放った兄。結果は何一つ上手くはいかず、その事に関して悪びれもせず、何の労いの言葉一つもないことへの恨みでした。

両親は我が子のためにと本望だったのでしょうが、私はそこはかとなく虐げられて来たという思いがあって、兄が苦手でした。

幼い頃はまだ言い返していました。でも敵うはずもなく、また内向的な私は横暴な兄と過干渉な母に対して、いつしか逆らうことをやめ、内にこもっていきました。

今はこれが私の罪だったとわかります。可干渉な母に対しては、結婚で実家を出た後、数年かけてわだかまりを解消しました。ところが兄に関してはさほど関わらなくなっていたため、向き合わずにいました。

近頃両親の老いを通じて兄と関わることとなり、ここ数年は会うたびにぶつかります。そして今回、知らず降り積もっていったそこはかとない不満が恨みとなって今でも自分の中に残っているのがわかりました。

今回、頭で怒りながらもどこかで兄を観察していました。兄は本当に私が怒る理由がわからないようでした。それもそのはず。私は過去の恨みで兄に腹を立てていたのです。

正直、今の両親の実状をわかっているのは兄の方なのです。私もそこは受け入れなければなりません。兄が両親の快適さを優先しないことは、非常に兄らしい。何の不思議でもありません。

私も遠方に嫁ぎ、嫁ぎ先の舅を優先しなければならない現状があるため、兄に任せるしかありません。手もお金も出せないなら口も出すなということです。それもまあ、わからなくはない。

そしてもう一つ、新たに気づいたことがありました。私には親の家が自分の実家だと思っていました。だから「好き勝手にしやがって」という思いが少なからずあったのです。でもきっと兄からすれば、「どうせ自分が跡取りなのだから、名義は変わってないけど自分の家だ」と思っているのに違いありません。そう考えると全てに納得がいきました。遅かれ早かれそうなるとすれば、私ももうここを受け入れるしかないだのと実感しました。寂しいけど、嫁に出るというのはそういうものなんですね・・


ただ実家の現状を見たときに、「自分はあれだけしてもらったくせに」という、怒りが沸き上がってしまうのです。でも今回わかったのは、この怒りは私自身の恨みだったのです。

こういうお話を聞いたことはありませんか?
「あなたのために」「人として」などといろんな理由で誰かに対して腹を立てる時、実はその怒りは自分の中の怒りを投影している。だからあなたの怒りを手放せばいい。あるいは相手を許す。

かーっ!これかー!!出ました、「相手を許す」です。ついでにそんな怒りを抱えていた未熟な自分も許します。今の私への課題です。

いえ、もうわかっています。こんなゴミのようなネガティブな感情を手放せないことはただの執着です。この怒りを手放すことは、今まで怒りを抱えてきた長い年月を否定するかのような、奇妙な無念さ。

わあ、これが片付けられないことにも通じているのでしょうか?なんともいえないこの気持ち。でもこれ、私の中にあったんですね。

よし!このネガティブな感情を我が家の断捨離と共に手放します!確かに自分の中にあったと認めます。もういらないので、手放します。そして兄を許します。そして未熟な自分も許します。

6月は今年の上半期の締め括りとして、自分の中と我が家を断捨離します!何か思い当たる方はご一緒に!

これで今回もハッピー祭り!!

 

追伸)) 実家から戻って3日後、兄と電話で話しました。私は自分の罪や恨みを理解して手放したので、落ち着いて話すことができました。すると兄も現状について説明し、なんとなく落ち着きました。

兄妹と言えども個であり、相手の全てをわかりあうということはできないということ。受け入れるというのは、そうした違いをも丸ごと、ということなんですね・・私自身のエゴが兄の言動にいちいち引っ掛かっていました。

「そうなんだね、それでいいんじゃない?」と言って住み分ける。とりあえず、今回はこれで精いっぱいです。よし、これで終わり!

 

 

 


今日も今日とてハッピー祭り!8『天地を食らうということは』

2025-01-15 15:54:21 | 日記

2025年が始まりましたね!今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

さて、今日は年の初めに衝撃を受けた動画をご紹介させていただきます!



4年前から夫が家庭菜園をするようになって、自然との関りや時間の感じ方が変わってきました。命を育み、いただきながら、『生かされている』と日々実感するようになりました。天地の恵み、種という神様のお作りになった仕組みに感謝して生かされているという実感・・・・

でも私、スーパーのお野菜には冷たかったかも。農薬や化学肥料の使われているだろうお野菜を敬遠し、できるだけ安心安全な物を選別していました・・・そういう私の凝り固まった思いが優しく溶かされていきました。

知らず知らずのうちに、「よりましな」食材を追い求めてスーパーで成分表とにらめっこをしていた私・・・家族の健康を守る戦士のようでした。楽しくない・・・でも船越康弘さんのお話をお聞きして、心や頭がふにゃふにゃになりました!楽しい!!らくちん!!



より詳しく知りたい方はコチラもぜひご覧ください!窪塚洋介さんの「今をよくするTV」で船越先生のWaRa倶楽無を訪ねていらっしゃいます。①は見るだけで幸せになり、今日から少しでも取り入れられる実践編です!②では実際に素晴らしいコースメニューが出てきます。③ではお二人の対談があります。また④では山遊びの後、船越先生直伝のマヨネーズの作り方もありますので、ぜひ!

 

素敵な出会いに大感謝です!ありがとうございます!
2025年もみんなで越えて行きましょう!
今日も今日とてハッピー祭り!

 


リバース・ザ・バース!

2024-12-18 17:42:52 | 日記

「ポケットの中には、ビスケットが一つ♪
・・・たたいてみるたびビスケットは増える♪

子供の頃に聞いた童謡です。このポケットの中身がただのビスケットなら、たたいて増えるのが美味しいビスケットならいいのですが・・・


数年前、ある時イメージでユリのようなラッパ状の花のつぼみが開花する様子が見えました。どんどん開花して満開を通り越してそのまま反り繰り返って、中身が外見のような姿になりました。その花は地球上にびっしりと覆うように生えていました。無数の花々が次々に開花していき、中身が外にあらわれていくのです。

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その時来た言葉が『リバース・ザ・バース』でした。その言葉で、その花は地球に住む人々の事なのだと思いました。そして中身が外にひっくり返るのは、本来の自分につながる、覚醒の事だと思いました。それはいったいいつなんだろう・・・待ち遠しい!!早くその時を迎えたい!


そのイメージを見た時は、地球人の覚醒だと思っていたのですが、今はもう少し違うように捉えています。

花の開花はその人の本性が現れる、あるいは元々持っている想いを抑えきれないということを暗示しているのだと思いました。「ひっくり返ることで本来の自分として生まれる」ということをとっさに言葉にしたのかもしれません。英語に疎い私はこんなめちゃくちゃな表現になったのでしょうね。


もう本性を隠せない、そんなエネルギーが地球を覆い、人々は否応無くぽろっと本音を出してしまう時が来てしまったのではないかと思うのです。ここ数年、いろんなことが明るみに出てきているように思います。世の中の動きや、身の回りの知人レベルまで。そして自分自身への違和感も。

そこはかとなく感じ続けていた違和感に我慢できなくなり、「もう体裁もかなぐり捨てて、スッキリしたい!!」そんな衝動に駆られてしまうのではないでしょうか。それが近頃は個人でなく、全体的に起きている気がします。


でも、決して悪いことではありません。自分の本音に向き合うのはしんどいこともありますが、よくない本音があると認めれば、手放すことも出来るのです。また他人の嫌な本音を知ってしまうことは、その人との関係を見直すチャンスとも言えますね。「薄々わかってはいたけれど···」という場合などは、ようやく決着が着くのですから。

 

そして「中身が外側に現れる」というのは、本質への回帰とも言えるのです。「もうこれから先の時代はこんな風に本来の自分で生きる」、あるいはその人の本質が見えてしまう、ということになるのではないでしょうか。

それはそれですごいことになりそうで、ワクワクします!誰かが作った物差しに振り回されることなく、自分の心に従って生きることをみんなが選び始めるからです。その時ポケットをひっくり返すように自分の心をひっくり返したら、何が出てくるのでしょうか?

リバーシブルのバックっていつの間にか内側はうっすら汚れていて、裏返すのがはばかられることがありませんか?私だけですかね・・・


誰にでも心があり、愛があります。この愛が果たしてエゴなのか、高次の愛なのか・・・そこが大きく行動を左右します。そして結果が変わります。このひっくり返るというのは、自分を形作っている心や愛がさらけ出されてしまうことなのではないでしょうか。

かつてある先生から「与えられる愛は奪う愛でもある」と言われ、高次の愛について考えるようになりました。あれから約4年・・・今この時のための準備の期間だったとも思えるのですが、私の「奪う愛」はどうなったのでしょうか。

もう隠すことはできません。ポケットをひっくり返して出てくるのは、エゴか甘いビスケットか・・・いざ、リバース・ザ・バース!!

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自然は惜しみなく与えてくれます。ありがたいですね。感謝!