5月6日
まんぶるずで、ハキダメの集い参加させてもらいました。
出演者の皆様スタッフの皆様お疲れ様でした。ありがとうございます。
あまり変なことをしないようにして、演奏を前面に押し出した演出などを
考えていたんだけど、僕が少しちぐはぐになってしまったかも。
なんかゆっくりステートしながら、上昇していこうと考えていたのだけれども
助走して、助走して、ずっと風に乗れずに最後まで一生懸命助走してたような・・。
んでも場面場面ではよいところもちゃんとあったんで、これからの励みに。
練習不足ってわけでも無いんだけどな。まあもっと練習したかったけど。
最初、ハキダメ猿、ギター二人の彼ら。
ナベ氏の、朗読のような語りのようなオープニングから始まる。
それぞれにざわついているお客さんらの空気を、少しずつ
異質な場へと手繰り寄せる儀式。
これはハキダメイベントの恒例化してほしい。
いろんなパターンで、変な語りから入るみたいな。
差別化というほどじゃないが、あああの語りから始まるイベントね。
と印象付け、お客さん記憶のタグ付け的な。
のち、ナベ氏のギターバッキングと長谷川氏のロック!ギターの絡みあい。
激しく言葉を吐く(ハキダメだけに)なべ氏の、世界の違和感との対立により
たどり着こうとする歌。生き難さの土砂降りの世の中を、
戦いながら突き抜けようとする。
激しいアンサンブルと言葉の羅列は、呪詛的な土着さではなく、
リアルに路上に立っている人間としての
全うなファイティングポーズに見える。
新曲?の犬が吠えるは、はじめの曲紹介があったので、意味がわかって楽しめた。
あの説明なかったら、初めて聞いた人は、
負け犬がほえる歌のような印象になってしまうような気がして
少しもったいないかなと思った。曲の序盤に、曲紹介の時のイメージを
抽象的にでも(歌詞内でも曲のコードの雰囲気やギターの何かでも)
ちょっとだけ入れたら、ほえる犬本来の、「戦いポジティブ異世界」が
もっとハッキリ立ち上がるんじゃないかと思った。
すごく変な心地悪い心地よさな雰囲気の曲だったからもしかしたら、
この系統の楽曲が続いていくと、また新しい、
もしくは探していたハキダメ猿本来の理想に
近づいていっているんじゃないかと思ってうらやましい。
ちゃんと世界と対話して戦っている。
0ヘクタール、は戦って負けた人間の歌。それでも千葉君は知っている。
そもそも何と戦っているのか。それ自体がもしかしたら馬鹿らしいと
要するに金。金が手に入れば、歌なんて歌わない。(のかも)好きな女と結婚し
子どもを作り、のほほんと生活したいだけなのだ。それなのに、踏みつけられる願い。
それだけの願いさえも叶わない。金を金をと懇願しながら、
繰り返される旋律が、彼の声とギター2本とウッドベースによりさらに、
重なる。いつの間にか美しいシーツが何枚も体積していく。
千葉はその堆積した願いのシーツ上、
早く寝転がり眠りにつきたいように気だるい。
神様から貰った彼のギフト(才能)は幸か不幸か、ギターと歌であったのだ。
彼はその力で月夜をさまよい。幸せはどこへと探す美しいギターゾンビなのである。
人間がいない世界なら土地の奪い合いも、金のやり取りも無いだろう。
1ヘクタール(100メートル四方)なんて、単位さえこの世には無い。
彼は死ぬまで探す。いつかたどり着く概念「0ヘクタール」の世界を。
コスモスは、久しぶりにドラムバージョンで。
迫力でごまかせると思ったんだけど、僕がいまいち乗り切れなかった感じが
プロジェクター用意してもらったりして、いろいろ前日にイメージ膨らませすぎたかも。
まあ。がんばります。いろいろ。
銃下無草って変換された。
じゅげむ草
今回のトリ。
コスモスのギター中氏とベース親方氏、k姉妹とrさんのインすとバンド。
アフリカン、エスニック、コスモス、な。
コンガ、箱のやつ(名前忘れた)、タンバリン、重層的でトリッキーなリズムに
中氏の、スリリングなのに安定したギターのリフが乗っかり、
土の上で星空を望む風景が
どこか、投げっぱなしで立ち上がる。
じゅげむ草にとって音楽は問題ではなく答えなのだ。
彼らは戦わない。音楽を武器にせず、感情の暴発の発露へと変えない。
掲げるものは(掲げてさえいないんだけど)ただはじめから、信じていること。
音楽の作り出す。言葉を超えた言葉を。
詩は言葉以外のすべてに宿っていると、誰か詩人が言っていたが、
じゅげむ草は、そういう意味において、
今日出演したバンドで、一番詩的だったのかもしれない。
彼ら彼女らの演奏により、生命の草原が萌え広がるのだ。
そこでさっきの誤変換を思い出す。
銃下無草。銃の下には草は無いんだと。
とあんまり上手くないオチをつけておしまい。
次は恐怖の北枕ツアー。
イベントの進行動向も大事だけど、
まずコスモスをもうちょっと上手くやれないと。
まんぶるずで、ハキダメの集い参加させてもらいました。
出演者の皆様スタッフの皆様お疲れ様でした。ありがとうございます。
あまり変なことをしないようにして、演奏を前面に押し出した演出などを
考えていたんだけど、僕が少しちぐはぐになってしまったかも。
なんかゆっくりステートしながら、上昇していこうと考えていたのだけれども
助走して、助走して、ずっと風に乗れずに最後まで一生懸命助走してたような・・。
んでも場面場面ではよいところもちゃんとあったんで、これからの励みに。
練習不足ってわけでも無いんだけどな。まあもっと練習したかったけど。
最初、ハキダメ猿、ギター二人の彼ら。
ナベ氏の、朗読のような語りのようなオープニングから始まる。
それぞれにざわついているお客さんらの空気を、少しずつ
異質な場へと手繰り寄せる儀式。
これはハキダメイベントの恒例化してほしい。
いろんなパターンで、変な語りから入るみたいな。
差別化というほどじゃないが、あああの語りから始まるイベントね。
と印象付け、お客さん記憶のタグ付け的な。
のち、ナベ氏のギターバッキングと長谷川氏のロック!ギターの絡みあい。
激しく言葉を吐く(ハキダメだけに)なべ氏の、世界の違和感との対立により
たどり着こうとする歌。生き難さの土砂降りの世の中を、
戦いながら突き抜けようとする。
激しいアンサンブルと言葉の羅列は、呪詛的な土着さではなく、
リアルに路上に立っている人間としての
全うなファイティングポーズに見える。
新曲?の犬が吠えるは、はじめの曲紹介があったので、意味がわかって楽しめた。
あの説明なかったら、初めて聞いた人は、
負け犬がほえる歌のような印象になってしまうような気がして
少しもったいないかなと思った。曲の序盤に、曲紹介の時のイメージを
抽象的にでも(歌詞内でも曲のコードの雰囲気やギターの何かでも)
ちょっとだけ入れたら、ほえる犬本来の、「戦いポジティブ異世界」が
もっとハッキリ立ち上がるんじゃないかと思った。
すごく変な心地悪い心地よさな雰囲気の曲だったからもしかしたら、
この系統の楽曲が続いていくと、また新しい、
もしくは探していたハキダメ猿本来の理想に
近づいていっているんじゃないかと思ってうらやましい。
ちゃんと世界と対話して戦っている。
0ヘクタール、は戦って負けた人間の歌。それでも千葉君は知っている。
そもそも何と戦っているのか。それ自体がもしかしたら馬鹿らしいと
要するに金。金が手に入れば、歌なんて歌わない。(のかも)好きな女と結婚し
子どもを作り、のほほんと生活したいだけなのだ。それなのに、踏みつけられる願い。
それだけの願いさえも叶わない。金を金をと懇願しながら、
繰り返される旋律が、彼の声とギター2本とウッドベースによりさらに、
重なる。いつの間にか美しいシーツが何枚も体積していく。
千葉はその堆積した願いのシーツ上、
早く寝転がり眠りにつきたいように気だるい。
神様から貰った彼のギフト(才能)は幸か不幸か、ギターと歌であったのだ。
彼はその力で月夜をさまよい。幸せはどこへと探す美しいギターゾンビなのである。
人間がいない世界なら土地の奪い合いも、金のやり取りも無いだろう。
1ヘクタール(100メートル四方)なんて、単位さえこの世には無い。
彼は死ぬまで探す。いつかたどり着く概念「0ヘクタール」の世界を。
コスモスは、久しぶりにドラムバージョンで。
迫力でごまかせると思ったんだけど、僕がいまいち乗り切れなかった感じが
プロジェクター用意してもらったりして、いろいろ前日にイメージ膨らませすぎたかも。
まあ。がんばります。いろいろ。
銃下無草って変換された。
じゅげむ草
今回のトリ。
コスモスのギター中氏とベース親方氏、k姉妹とrさんのインすとバンド。
アフリカン、エスニック、コスモス、な。
コンガ、箱のやつ(名前忘れた)、タンバリン、重層的でトリッキーなリズムに
中氏の、スリリングなのに安定したギターのリフが乗っかり、
土の上で星空を望む風景が
どこか、投げっぱなしで立ち上がる。
じゅげむ草にとって音楽は問題ではなく答えなのだ。
彼らは戦わない。音楽を武器にせず、感情の暴発の発露へと変えない。
掲げるものは(掲げてさえいないんだけど)ただはじめから、信じていること。
音楽の作り出す。言葉を超えた言葉を。
詩は言葉以外のすべてに宿っていると、誰か詩人が言っていたが、
じゅげむ草は、そういう意味において、
今日出演したバンドで、一番詩的だったのかもしれない。
彼ら彼女らの演奏により、生命の草原が萌え広がるのだ。
そこでさっきの誤変換を思い出す。
銃下無草。銃の下には草は無いんだと。
とあんまり上手くないオチをつけておしまい。
次は恐怖の北枕ツアー。
イベントの進行動向も大事だけど、
まずコスモスをもうちょっと上手くやれないと。