東方閃電はどこに由来するのか

「ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう。」(マタイによる福音書 24:27)

キリスト教家庭映画「わが子よ帰っておいで 」インターネット依存症少年に対する主の救い

2019-07-17 14:37:56 | 教会生活映画

 

キリスト教家庭映画「わが子よ帰っておいで 」インターネット依存症少年に対する主の救い 予告編
李新光は高校生です。彼は、幼い頃から賢く行儀の良い男の子でした。両親も先生方も彼が大好きでした。中学生になると 新光はインターネットゲームにのめり込み、 インターネットカフェに行くため頻繁に授業を休むようになりました。両親は、息子がインターネット依存を断ち切られるようできる限りのことをしましたが、残念ながらそれはひどくなるばかりでした。 彼の魂は蝕まれ徐々に堕落していきました…。両親が途方に暮れていた時、神は人を救いインターネット依存を止めさせて悪魔の堕落から解き放つことができるということを聞いたのです。そのため両親は神への信仰を決意し、神が息子を救って下さることを願いました。二人は神の言葉から、人の腐敗や堕落の根源について学びました。人の暗闇と邪悪の真の姿が見えました。そして、神だけが人を救い、悪魔の堕落と災いから解放することができるとわかりました。 新光はただ、神を信じ真理を学べばよいのでした。そうすれば、インターネット依存から解放されるのです。そして両親は 新光に福音を伝え、神の言葉を読むよう導きはじめました。二人は神に祈りをささげ、息子を救いインターネット依存から解放して下さることをお願いしました…。争いはありましたが、新光は神に祈り、神を信じるようになりました。神の言葉の導きにより、とうとうインターネット依存からも悪魔がもたらす堕落と災いからも解放されました。絶望的にインターネットゲームやインターネットカフェに惑わされていたこの息子は、ようやく家に帰ってこれたのです!

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キリスト教家庭映画「わが子よ帰っておいで」インターネット依存症少年に対する主の救い

 


クリスチャン映画「邪魔しないで」抜粋シーン(4)主を十字架に釘付けにしたパリサイ人が再び現われました

2019-07-01 14:44:01 | 教会生活映画

 

クリスチャン映画「邪魔しないで」抜粋シーン(4)主を十字架に釘付けにしたパリサイ人が再び現われました
今から二千年前主イエスが働きをなされていた時に、パリサイ人は聖句を堅持するという名目で主イエスの働きを非難しました。主イエスを大工の息子にすぎないと断定し、信者が主に従うのをあらん限りの力で妨害しました。最後には主イエスを磔にしたのです。終わりの日になって主イエスは戻られ、働き、語られています。宗教界の牧師や長老はこれと同じように聖書を利用して神様の働きを非難し、同じように神様をただの人間であると非難しています。真の道を受け入れようとする信者を、全力で妨害します。信じがたいことに歴史は繰り返すのです。

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クリスチャン映画「邪魔しないで」抜粋シーン(5)神様に逆らうパリサイ人の真実を明かす



共産主義の妄言

2019-06-28 19:42:08 | 教会生活映画

 

キリスト教会映画「共産主義の妄言」は中国共産党政権がどうキリスト教徒を洗脳するのかを正確に描いた作品です。中国共産党の警察はジャン・ミンダオ他7人のキリスト教徒を逮捕し、残酷で非人道的な拷問をしました。彼らは神に頼って断固として証しをしました。中国共産党の役人や中国社会科学院の教授、また警察学校の教官や心理学者や牧師などが交代で、神を裏切るという宣言書に強制的に署名させようとします。8人のクリスチャンを洗脳しようと無神論、唯物論、科学、中国の伝統文化やあらゆる種類の噂などを吹き込もうとします。この武器のない戦争で、ジャン・ミンダオ達は神に頼り、中国共産党政府との激しい戦いで真理によって戦いました。結局真理は噓を打ち負かし、正義が悪を打ち負かしました。

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クリスチャンの証し「共産主義の妄言」抜粋シーン(1)封建的迷信として宗教信仰を非難する中国共産党の愚行

クリスチャンの証し「共産主義の妄言」抜粋シーン(2) 中国共産党の科学にもとづく神の支配の否定これは恩恵か、禍か


クリスチャン映画「私は善人!」正直な人のみ天の国へ入れます 完全な映画 日本語吹き替え

2019-06-08 03:13:25 | 教会生活映画

クリスチャン映画「私は善人!」正直な人のみ天の国へ入れます 完全な映画 日本語吹き替え 
キリスト教徒ヤン・フイシンは幼い頃から善人であることを好み、人の機嫌を損ねるとを嫌い、自分は人に親切で優しいから善人だと信じている。しかし、神の終わりの日の福音を受け入れ、神様の言葉の裁きと刑罰を経て初めて覚醒し、自分は本当は善人ではないと悟る。むしろサタン的な哲学に基づいて生きている非常に利己的で狡猾な「八方美人」なのだ、と。真理を求めて正直で高潔な善人になろうと決心するヤン・フイシンだがどのような経験を通してそのような変化を遂げるのだろうか?

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