茂木のシネマテーク通信

シネマテークたかさき総支配人・茂木正男のブログ

『ホテル・ルワンダ』2

2006-06-29 14:22:02 | Weblog
『ホテル・ルワンダ』今週末からスタートします。

ドン・チードル演ずるホテル支配人ポールこの男がこの映画の主人公である。
ドン・チードルといえば『トラフィック』のイメージつよいが、あっ、『クラッシュ』もあった。しかし、この作品にかける意欲も並々ならぬものを感じるのは茂木だけではないだろう。1200名もの避難民の命を救った男のしたたかさにうなるのである。ルワンダの高級ホテルの支配人の立場を最大限利用して、あらゆる手だてで彼等を救って行く手腕に拍手を送るのである。

人の命を救うため必要ならなんでもやる。最近「教養のある人」とは、みたいなことを話しているのだけど「教養」とは、その人のおかれた環境の中で精一杯に他の人との関係を正常に保つ事の出来る人、みたいなことを話して来た。そうならば、ドン・チードル演ずる主人公ポールこそ、「教養」の固まり教養がスーツをきているといってもいいだろう。

それにしても、見所たっぷりの映画でもある。多少、誤解をうけるかも知れないが、これアクション映画であり、エンターテイメントな作品でもある。

『ホテル・ルワンダ』

2006-06-28 18:44:31 | Weblog
さて『ホテル・ルワンダ』である。1994年アフリカのルワンダで長年続いて来た民族間抗争で僅か3ヶ月間に100万人が虐殺された事実をもとに映画化されたのが本作である。

この間、アメリカ・ヨーロッパ諸国そして国連までもがこの事実に目をそらしている中、一人のホテルマンが家族と避難して来た1200人の人々の命を救った。なんとも凄い内容の映画である。こんな陳腐な表現をしている自分にあきれるのだが、歴史的事実のなんと重い事か、そしてこのような内容の実話を映画で観ることの意味が問いかけられる作品である。

こうして世界中で現在おきているこうした出来事について何ら反応出来ない事を自己批判することではない。僕たちは、いま映画を観ることから本を読む事から、テレビや新聞でおきていることの真偽を読み取る感性を養う努力が出来ているかが問われているのだと思う。

楽しい時間を、柳町監督ありがとう

2006-06-26 20:26:04 | Weblog
25日、高崎駅まで柳町監督をお迎えに行く。

電話で何度かこの日のために打ち合わせをしているもののお会いするのは初めて、伝説のというかこの世代にとって監督は特別の存在で、駅までの時間久しぶりにびびっていた。

改札を出て来た監督は、すこし不機嫌そう。まいったなあーと思いつつシネマテークたかさきまでの道程のながかったこと、、、。志尾支配人、渡邊事務局長、佳奈のお陰でなんとか挨拶が済んだ。上映までの時間、昼飯に向かう。きらくのトンカツとビールとなる。ビールのお陰で和む。やはり日曜の昼はビールだ。と心の中で叫ぶ。

舞台挨拶のあと上毛新聞宮崎さんにご挨拶して、ラジオ高崎の田村クンが監督にインタビューとなる。なんとか終わってW杯の話題に入る。ここから話しのほとんどがサッカーになる。過去のワールドカップからA級戦犯から16強の闘い方オシム監督、ベッケンバウアーの結婚まででるわでるわの止めどないサッカー論議に時間が経つのも忘れた。コーヒー飲みに行った先で上映終了後のシネマテークで話題はついにつきなかった。びびってた茂木はそこにはいない。その中でサッカーと映画の共通点について、ここでも双方の監督のありかたまで類似点が浮き彫りとなった。

いやー面白かった。柳町監督ありがとうございました。また、映画そっちのけでサッカーの話ししましょう。

『カミュなんて知らない』

2006-06-23 17:56:41 | Weblog
カミュ 懐かしい響きだ。
そして、ポール・ニザンからサルトルへと、、、。
『カミュなんて知らない』の公開が決まった時から、このフレーズが頭の中を駆け巡った。とっても懐かしく。
かれこれ40年も前になる。
ポール・ニザンの「アデン・アラビア」たしか晶文社の装丁がシックで手に取った本。
たしか、「ぼくは、二十歳。この瞬間が人生で最も美しい時だと誰にもいわせない」このフレーズにいかれた。
この本まだ持ってる。
あの頃は、サルトルが全盛期でなぜか日本人が実存主義という難解な思想を熱病のように崇拝した時代だった。18歳の茂木は、わけもわからずサルトルの講演会に上野まで出かけていた。
フランス語と日本語の同時通訳というのを初めて体験してえらいこっちゃと驚いた。
いま考えたら大汗ものであるが。
大学に進めなかったことを、親の貧乏のせいにして世の中斜めにみていた。
本当は、自分の学力のなさが原因もわかっていたのに。
なのでひたすら背伸びして実存主義とはなんだ、この世界とのかかわりの入口を求めていた。なにもあてがないままに、、、。
この頃に映画をひたすら見た事で、いまこんなことしてるとおもうと可笑しいけどね。
このアデン・アラビアの響きと当時アデンをめぐるさまざまな政治的駆け引き・民族独立運動とあいまって茂木は、そっちの方向に走りはじめていったような気がする。

さて、柳町監督の舞台挨拶にこの辺の事が触れられるでしょう。
皆様のお出でをお待ちしております。

トミー・リー・ジョーンズと増村保造そしてヒメネスへの旅

2006-06-19 14:25:02 | Weblog
これはいつものように勝手にこじつけた話しになるとは思うけど、どこかひっかかるので、、、。

トミー・リー・ジョーンズは、『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』であり増村保造は、『清作の妻』1965年大映・若尾文子主演映画になり、たまたま一日にこの2作品を立て続けに観た。なんの脈略もなくに。ただひとつの繋がりは、どちらも「目が見えない男」が登場すること。一方はわけあってメキシコの荒野にたった一人で生きている老人であり、一方は、日露戦争に夫を戦場に行かせたくなく自らの手で夫の目に五寸釘を突き刺す妻の話しである。二人の監督は、この目の不自由な男2人を「生きてきた土地にへばりついても定住する」ことを描いているところである。ここには、「見えない」ことに意味をおかない。動かないことの意味を観客に問うているのである。

『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』と『ガルシアの首』との共通点がシネマテークたかさきで話題になりはじめた。これは、後日語ることとして。いまは、メルキアデスの故郷のヒメネスである。多くを語れないが、茂木のなかで、ヒメネスを探したいと思いはじめている。土田くん、成田さん、渡辺、ヒメネスを探す旅に出てみませんか?