アジア映画巡礼

アジア映画にのめり込んでン十年、まだまだ熱くアジア映画を語ります

「小野佐世男~モガ・オン・パレード」展@岡本太郎美術館

2012-10-31 | その他

昨日は午前中の町田市の仕事場から、小田急線で向ヶ丘遊園駅へ移動。川崎市岡本太郎美術館へ行ってきました。前に拙ブログでもご紹介した、「小野佐世男~モガ・オン・パレード」という展覧会を見に行くためです。事前に、小野佐世男の長男である小野耕世さんから、「生田緑地の中にあるんだけど、駅から歩くのが一番。バスは生田緑地の入口までしか行かず、駅から停留所2つぐらいで降りることになる」と聞いていたので、少々荷物が重かったのですが、辛抱して歩いて行きました。

私は川崎市在住であるものの、生田緑地に行くのは初めて。バス通りに面して「生田緑地」という看板が立っていたのですが、そこに「パーキング→」という字が入っていたため、駐車場だけかなと勘違いしてだいぶ行き過ぎてしまい、また戻る羽目に。で、めでたく生田緑地に辿り着けました。ここには日本民家園もあり、広場には電車が置いてあったりして、市民の遊び場になっているようです。この日も小学生が遠足にきていました。

入口の案内所で地図をもらい、10分ぐらい歩いてやっと一番奥にある岡本太郎美術館に到着。美術館入り口へは階段が続いていますが、階段左側を入っていくとエレベーターも設置されています。中に入ると、今回の入場チケットで岡本太郎の展示も見られます。私は、”バクハツ”太郎の作品はいまいち好きになれないので、パ~ス。まっすぐ「小野佐世男」展に向かいました。展示は、いくつかのパートに分かれています。カタログ(下)を見ながら、各パートの見どころや発見をちょっとご紹介しましょう。展覧会の詳細については、川崎市のこちらのサイトをどうぞ。

モガ・オン・パレード――小野佐世男とその時代
クリエーター情報なし
岩波書店

1.小野佐世男、人形座へゆく

1925年(大正14年)、20歳の小野佐世男は東京美術学校(現在の東京芸大)に入学するのですが、あまり学校へは行かず、浅草や銀座でフラフラしていたようです。翌年に父が亡くなり、その頃から和綴じのノートに「佐世男漫画日記」というのを描き始めるのですが、それが洒脱で面白く、全ページ見たくなります。また、同じ頃舞台美術家の伊藤熹朔や演出家千田是也(この2人が兄弟とは知りませんでした~)が中心になった人形座に加わります。会場では、人形座の流れを組む劇団の人形劇「梯子と盥(たらい)」の上演DVDを見ることができます。

2.小野佐世男、レヴューの夢

このあたりから、「モガ」の世界が広がってゆきます。「東京パック」を始めとするたくさんの雑誌に描かれた個性的な女性たち。時代風刺や笑い、そしてペーソスも盛り込んで、時には自身と思われる狂言回し的主人公を登場させたりしながら、昭和の初めの世界が活写されて行くのです。見ていると、上等なソファーの上で跳ねているような感覚が味わえます。同じ女性としては、自然に背筋が伸び、胸を張って歩きたくなる絵のオン・パレードでした。

3.小野佐世男、ジャワへゆく

1942年(昭和17年)2月、小野佐世男は軍の宣伝班として、評論家の大宅壮一、漫画家の横山隆一(「フクちゃん」の作者)、作家の阿部知二らと共にジャワへと出発して行きます。えーっと、ジャワってわかるでしょうか? 現在のインドネシアでは、ジャワと言えば首都ジャカルタや古都ジョグジャカルタのあるジャワ島のことなのですが、当時はインドネシアを指す言葉としてジャワが使われていたようです。漢字では「爪哇」と書いたりしました。でも、インドネシアさえどこだかわからない人もいるかも知れないので、会場に地図があったらなあ、と思いました。

この時小野佐世男は、「小野佐世男 ジャワ従軍画譜」という本を1945年7月に現地のジャワ新聞社から出しているのですが、今回の展覧会ではその現物が展示してあり、カタログには内容の一部が紹介されていて嬉しかったです。先日出た復刻版を買えばいいんですが、高いですしねー。この画集の他、彼の様々なスケッチには、当時のインドネシアの人々や風俗が温かい目で捉えられています。


4.小野の旦那が帰ってきた

1946年(昭和21年)に復員してから、1954年(昭和29年)に48歳で急死するまでの仕事が展示されています。10年にも満たない期間なのに、その多作ぶりは驚くばかり。絵を描くだけでなく、ラジオやテレビ出演もこなし、雑誌のインタビューを受けたり、温泉にも出かけたり(出かけた先の温泉旅館に作品を残していたりする)、と、まあ分刻みのスケジュールだったのでは、と思います。それが心臓の負担になったのか、マリリン・モンローのインタビューをする日、その前にちょっと立ち寄った日劇ミュージック・ホールで階段を上がっている最中に倒れ、心臓発作で不帰の人となったのでした。お子さんたちも、15歳の小野耕世さんを筆頭に、3人ともまだお小さかったんですねー。カタログには、「時代を駆け抜けた父・小野佐世男」という小野耕世さんの文が掲載されており、告別式の様子も述べられています。

上はチラシの裏面を拡大したものですが、左下の油絵は162×130㎝の大作です。こういった本格的な洋画にも取り組みつつあった矢先の、早すぎる死でした。今回の展覧会は、昨年11月に銀座の若山美術館で行われた展覧会よりももっと大規模で、小野佐世男の軌跡の全貌がわかると共に、昭和という時代の前半約30年間の世相や文化がわかるものとなっています。カタログも充実しており、展示になかった作品も少し入っているほか、詳しい年譜が読み物としても面白いです。amazonでも買えますので、興味がおありの方はぜひどうぞ。

ところで、岡本太郎美術館にいらっしゃる方は、なるべく早い時間にいらした方が正解です。一つには展示が内容豊富で、じっくり見ていると3時間ぐらいあっという間に経ってしまうからです。最後のパートには小野佐世男が絵を担当した30分の文化映画というかドキュメンタリー映画もあるのですが、私は時間がなくて15分ほどしか見られませんでした。

もう一つは、お帰りが遅くなると生田緑地は寂しいので、特にこれからの時期、日暮れが早いと足下がおぼつかなかったりします。実は、美術館に行く通り道である奥の池あたりは、高い木が取り囲んでいて、ちょっと何か出そうな雰囲気の所なのです。昨日の帰りはちょうど午後5時の放送(よい子はおうちに帰りましょう、というアレですね)が聞こえる頃通ったのですが、夕闇の中で何だか左手に冷たいものが...。雨かなあ、と思っても濡れてもいず、左手の親指の元のところだけ、何か冷たいものがポツンと何度も当たるのです。林を抜けて広場に出るとその感覚はなくなりましたが、うーん、何かいたのかも、と思いました。

心霊現象にはほとんど縁のない私ですが、ごくたまーにこういうことがあります。というわけで、お出かけになる時は、5時の閉館よりだいぶ前にお帰りになれるよう、早めの時間にいらして下さいね。

 


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