数年前、我々がインド映画本を出した時に、あるサイトのコメントにこんなのがありました――「知ってることばかりだった」。我々、というのは、私、安宅直子さん、高倉嘉男さんら、インド映画を専門に研究しているメンバーです。この本の原稿を書くのにも、それぞれが様々なことを調べて、読む人にわかりやすくまとめ、互いに査読して間違いを指摘しあったりしたのですが、そうやって書いたことをこの人はどれもこれも知っていたというのです。おそらく意味するところは、ここに出てくる映画はみんな見たし、登場する人たちの名前もどんな人かもみんな知っている、ということだったのだろうと思います。でも、映画史の部分なんかは、知らないことだらけだったんじゃないのかな? と心の中で反発しながらも、読者にこういうことを言わせてはいけないなあ、と強く思ったのでした。つまりは、本を買う価値がなかった、と言われているわけですものね。
こんなことを思い出したのは、つい先日発売になった上の本、安宅直子さんの編・著による「南インド映画クロニクル」を今、読み進めているからです。この本はさすがに、どんな日本人インド映画ファンであろうが、「知ってることばかりだった」とは言えないだろうと思います。取り上げられた映画は全部で337作品。それも、南インド映画だけでこれだけ、というのですから、すごく濃いセレクションです。しかも、これを選ぶために安宅さんはその何倍もの作品を見ているわけで、いくら1997年以来のラジニカーント・ファンの方でも「参りました!」ではないかと思います。私もヒンディー語映画なら千本ぐらい?は見ているものの、南インド映画だとずっと昔の作品(一番最初に見た南インド映画は1977年のテルグ語映画『Bangaru Bommalu(黄金の像)』で、1978年1月@マドラスでした)から見てはいても合計100本ちょっとでしょうか。というわけで、まずこの本で楽しいのは、まだ見たことのない南インド映画を安宅さんの達者な筆で、想像をたくましくしながら何本も見られること。たとえば、最初の方に登場するラジニカーント主演作『ヴィーラ 踊るONE MORE NIGHT』(1994)の紹介文はこんな風です。
「主人公の性格は定まらないがクリシュナの神話をうっすらとベースに敷いている。回想の初めの方では浴女の衣を盗むなどクリシュナの青年時代が再現され、第1ヒロインとの出会いによって、より大人になったエロチックで犯罪的なクリシュナとなる。マドラスのシーンではおどおどした田舎者から人気絶頂のポップ歌手となり、悪玉を退治し、運命のいたずらによって2人の女性と結婚してしまう、壮年期の神となる。」(P.014)
な~るほど、あれはクリシュナ神話に沿っていたのか、と今頃気づいた私ですが、実はこの作品が『ラジニカーント★チャンドラムキ 踊る!アメリカ帰りのゴーストバスター』(2005)の公開に合わせて日本でスクリーン上映された2006年9月、字幕翻訳をしたのは私でした。上記のマドラスのシーンでラジニカーントが歌う「♬Konji Konji(甘く甘く)」は、S.P.バーラスブラマニアムがとっても甘い声でイライヤラージャー作曲のメロディーを歌うのですが、こんな風に紹介されると、もう一度見直したくなってきます。今はYouTubeでもその他配信等でもいろいろ見られますので、この本で「おっ!」と思ったら、即作品そのもの、あるいはそのソングシーンなどが見られていいいですね。下は、「おどおどした田舎者」を演じるラジニカーントが歌っている「♬Konji Konji」のシーンです。客席で聞いている彼女役はロージャー、その父親役はジャナカラージ、あと友人役でセンティルも出ていますね。
Konji Konji - Official Video | Rajini Kanth | Meena | Roja | Illaiyaraja | Veera #ddmusic
こんな風に、あなたの最強のガイド役になってくれる本です。ぜひ全作品を読み倒して、南インド映画地図を頭の中で描いてみて下さい。そのお役にも立つのが、中間のページにあるインド全図と南インドの地図で、いろいろ書き込んであるのが全部理解できるようになれば、次は現地に行って実地確認もできるようになっています。この本が素晴らしいのは、南インド映画の作品紹介だけにとどまらず、その背景や周辺事情もいろんな形で解説してくれていることです。ここで目次をご紹介し...ようと思ったのですが、書き写すのが大変な詳しい目次なので、コピーを撮ってスキャンしておきます。
すごいでしょ? 第3部は言語別映画それぞれの解説と該当する作品紹介が出ているというスグレモノです。うーむ、北インドではヒンディー語以外はマラーティー語映画について書ける小磯千尋さんがいるぐらいで、他のパンジャービー語映画、グジャラーティー語映画、ボージプリー語映画、ベンガル語映画、オディシャー語映画、そして北東インド諸州の映画等々について書ける人はまだいないので、これはもう完全に南インド映画研究、それも安宅さんの研究に軍配があがります。後半部分を読んでいると、かつて安宅さんから教えて貰ったいろんなこと――ラーヤラシーマ・ファクション映画や芸道もの映画のこと等々が思い出されます。今回、タミル語映画の解説で深尾淳一さんが、そして「ふたつのテルグ語州」でテルグ語映画の字幕監修をいつも担当して下さっている山田桂子さんが加わってらっしゃいますが、このお二人には「インド映画完全ガイド」(2015,世界文化社)を出す時も、それぞれタミル語映画とテルグ語映画の解説を書いていただいたことを思い出します。もちろん、この時も安宅さんにもいろいろ寄稿してもらったのですが、今回、やっと単独著書ではないものの、そう言ってもいいご本が出版の運びとなり、とっても嬉しいです。最後に、出版元PICK UP PRESSが作ったチラシを表裏付けておきます。
インド映画シリーズももう4冊目なんですねー。社長、ありがとうございます! 出版状況の厳しい現在、インド映画本を出版し続けて下さる木田社長の存在はとてもありがたいです。おっと、ありがたいと言えば、今回もしおりが付録についています。下の付録しおりがほしい方は、出版元のこちらからご注文下さい。
次は、安宅さんがいろんな映画のパンフレットに書いた解説とかを集めた本をぜひ出してほしいですね(『ランガスタラム』のパンフとかすごいんですよ~)。それから、NTR Jr.とファンミで会った時の話とか、S.S.ラージャマウリ監督へのインタビューとかも載せて、「インド映画お仕事クロニクル~安宅直子10年の全仕事」とかいうタイトルでぜひぜひ。ヒンディー語映画が専門の高倉嘉男さんもそのうち単独著書を出してくれると思うし、インド映画に関する読み応えのある本がどんどん出ることを祈っています。最後のオマケに、6月20日(金)からの日本公開が決まったヴィジャイ主演、ローケーシュ・カナガラージ監督作『レオ:ブラッディ・スウィート』(2023/タミル語/原題:LEO/配給:SPACEBOX)の予告編を付けておきます。どんな映画か知りたい方は、本書P.91をどうぞ。
LEO - Official Trailer | Thalapathy Vijay | Lokesh Kanagaraj | Anirudh Ravichander