練習中に選手と雑談し、笑顔を見せる柏原さん(中央)(13日、川崎市の練習場で)
箱根駅伝の往路で、トップでゴールする東洋大時代の柏原さん(2012年1月2日、神奈川県箱根町で)
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東洋大時代に箱根駅伝の区間賞を4年連続で獲得し、「山の神」と呼ばれた柏原竜二さん(28)が、陸上競技から退き、アメリカンフットボールチーム「富士通フロンティアーズ」(川崎市)のマネジャーとして新たな人生を歩んでいる。
チームは今シーズン、社会人の「Xリーグ」で勝ち進み、18日は決勝。
裏方として初の大舞台に臨む。
◆所属の富士通で
川崎市高津区の練習場で13日、細身の柏原さんは体格のいい選手たちに交ざって走り回っていた。
攻撃の進み具合を測る器具「ヤードチェーン」を手にせわしなく動き、タックル練習ではビデオを片手にいろいろなメニューの撮影を続けた。
2009~12年の箱根駅伝に出場。
山登りの往路5区を任され、3度の総合優勝に貢献した。
卒業後に入社した富士通の陸上部では、右アキレスけん痛などに悩まされて思うような活躍ができず、今年4月に競技からの引退を表明した。
「一般社員として働くと思っていた」という柏原さんをアメフト界に引き込んだのが、常盤真也ゼネラルマネジャー(44)だった。
「水分や栄養補給の知識など、トップ選手としてのノウハウを共有すれば、チーム強化も期待できると考えた」と起用した理由を語る。
覚悟を決めて飛び込んだ新境地だった。
しかし、当初は戸惑いの連続。
アメフトは観戦したこともなかった。
一人の時間を大切にする陸上の世界とは違っていた。
「当初は慣れないことばかり。
半泣き状態のこともあった」
そんな柏原さんを、選手たちが温かく受け入れた。
「なんで疲れた顔をしているんだ」「練習が終わったら飯を食いに行こう」などといった選手の言葉に、居場所を見つけていった。
マネジャーとして何ができるかと自問を続け、けがをした選手には、自身のけがが今でも痛むことを明かし「焦らずにやりましょう」と励ました。
いつからか選手から「かっしー」と呼ばれるようになり、自身のもどかしさも消えた。
ディフェンスラインの古木亮選手(31)は「選手目線を大切にし、かつ選手が求めている以上の対応をしてくれる。
トップアスリートだったかっしーが尽力してくれ、僕たちも頑張らなければと思う」と感謝する。
同僚の田中美久マネジャー(28)も「分からないことは素直に聞き、のみ込みも早い」と話す。
チームは18日、東京ドームの「ジャパンXボウル」で連覇を目指す。
「決勝進出を決めた後、『お前をやっと東京ドームに連れて行ける』と選手に言われ、うるっときた」と柏原さん。
「選手が頑張れる環境を作るのがマネジャーの仕事。
楽しくやって、『ああいう生き方もあるんだ』と見せたい」と、裏方として生きる覚悟を示した。
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2017年12月16日
09時13分
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