〜かたることばが歌になる風になる〜

作曲家林光さんの作品を中心に歌ってきた「女声合唱団風」 団員の気ままな日記

三四二さん見事軟着陸

2013年03月12日 | 家族
父は昨年10月18日に入院し、11月初めに長期療養のベッドに移り、ここで4か月ちょっとお世話になった。緊急入院で危機を乗り越えて少ししゃべることができたころ、近くに住む、私の母方のいとこ夫婦がよくお見舞いに来てくれて、いとこのご主人が趣味にしている陶芸の話になると、父は水を得た魚のように饒舌に話をしていたようだ。

先週半ば夜11時ごろ、病院から呼吸が弱くなってきているのでと連絡があり駆けつけると、これまでにも呼吸が弱い時は酸素マスクをつけたりしていたが、この療養病棟でも重篤な患者さんが付けている、心臓の波形や、血圧、酸素の取り込みの数値などのモニターがベッド横に設置されていて、元々低い血圧の数値が、上は70、下50ぐらいと、非常に低い。酸素量は健康な人間は98ぐらいで、マスクをして安定している時の父は95というようなころもあったが、この時、66ぐらいまで下がったりしてかなり苦しそうで、吸う力が弱く、時折とまっているような気がした。
このような病状でも心臓の波形はしっかりときれいな形で出ていた。

耳元で私と主人が来ているよ~と何度も声掛けしたり、腕をさすってみたり、手を握ってみたりした。これまでにも、手を握ってやると、眠りこけていても握り返す握力はかなり強くて、88歳の老人とは思えない時もあったが、この時は握り返すことはなかった。母も妹たちも夫婦で来て、しばらく様子を見ていたが、声掛けしたことや、意識がなくても家族の来ていることが分かっていたのか、モニターの酸素量は時折94まで上がったり、かなり呼吸が強くなった。心拍数も安定してきたと同時に、表情も穏やかになってきたので、夜中1時すぎにそれぞれ一旦帰宅した。

父には持病はなく、老衰で亡くなっている人が多い家系なので、多分徐々に低空飛行していくんだろうと覚悟していたが、この様子からあと長くても1週間か・・・と思っていたら、2日後の朝病院から連絡があったが、病院に到着するのに少し時間がかかった。病院に到着したころ再度看護師さんから電話があったその直後に呼吸が止まったそうだ。病室に到着した時まだ体が温かかった。

眠っていることが多く、入院の数か月殆ど声を聞くことができなかったが、家族の皆や、親戚の甥や姪に何度も見舞ってもらって、お世話になったヘルパーさんにも見舞ってもらって、本人はわかっていたかどうかは定かでないが、幸せな最期、見事な軟着陸だと思う。
願わくば私も、命の最後がこのようでありたいと願っている。

「父の告別式で飾った作品」

左から「亜鉛結晶壺」雪の結晶のような白い模様(亜鉛結晶)が出ている
    「油滴天目茶碗」油のしずくのような模様が出ている天目(黒い)の抹茶碗
    「木の葉天目平茶碗」
    模様が出るためには、木の葉が焼けて炭にならないように仕上げるのが難しいらしい。
    「辰砂(しんしゃ)釉薬茶碗」赤い色の出た壺。辰砂は赤い色素の成分の鉱物

  
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