超歴史研究会

超歴史研究会のブログへようこそ! 各地を訪れ現地調査をした報告をご紹介してまいります。

超歴史とは?

「超歴史」とは・・・

正史から黙殺されている遺跡や古史古伝や文献。 そして異端とされている人物などに着目し今一度歴史を違った角度から見直そうという趣旨からの造語です。我々「超歴史研究会」は、現在入手出来る文献や資料を手がかりに各地を訪れそれら文献の信憑性を実地調査するのが主な活動となっています。このブログでは我々が各地を訪れてそこで巡り会った素晴らしい巨石遺構や現地で知り合った人々とのお話などを交えご紹介して行こうと思っています。あなたも私たちとご一緒に真理を探究する旅へ出かけましょう。

●旧超歴史研究会のミラーを以下に置きました。(一部リンク切れがあります。ご了承下さい)

旧超歴史研究会ホームページ

2009年度夏季大現地調査

2009年08月29日 | 現地調査報告

 今年も恒例の「夏季大現地調査」が無事終了しました。調査地は福島県と、栃木県の一部、特に福島県北部の非常に濃い巨石密集地帯を中心に訪れました。調査地は以下の通りです。

8月9日(日)
東京ー福島           
飯野町千貫森「UFOふれあい館」、クジラ石、方位石、大石、「UFO物産館」、小手神社、岩塚、青木の大石、赤岩稲荷大神、留石、モアイ石、高石の大石、ドンドン山の大石、信夫山の立石

8月10日(月)
岩角山岩角寺、鳥石山、吉祥寺、鈴石神社、観世寺(笠石)、黒塚、三ツ石稲荷神社、七石山公園(愛宕神社)

8月11日(火)
虎捕山(山津見神社)、山津見神社奥社、霊山神社、福島県文化財センター「まほろん」、王子八幡神社

8月12日(水)
式部の石、稲荷の石、石都々古和気神社、都々古和気神社、都々古別神社、山本不動尊、矢祭山、日輪寺

8月13日(水)
古峯神社、古峯ヶ原高原、三枚石、深山巴の宿、大谷観音(石の寺)
宇都宮ー東京

 写真は、おそらく初公開の「大鳥石」です。その巨大さに圧倒される迫力。カーナビを設定せずに走行中、偶然に呼ばれて発見しました。
 前半は雨のなかの激しい闘いではありましたが、いつもながら実りの多い大調査になりました。参加者の皆様、たいへんお疲れ様でした。

安房口神社@神奈川県横須賀市吉井町

2009年08月22日 | 神社・仏閣
神奈川県三浦半島の横須賀市吉井町に「安房口神社」という三浦半島では、最古の神社があります。残念ながら住宅地の開発で周辺の様子は一変してしまい今では、当時の姿は創造するしかありませんが、残された一画に明神山と言われる小高い丘にその神社は鎮座していました。
この神社の特筆すべきことは、その祭祀形態にあります。そう、今では全国でも珍しくなった「社を持たない」イワクラをご神体とした神社なのです。
イワクラ自体は、そんなに大きな物ではありません。今まで見てきたイワクラに比べて小振りな方です。ただその形状は、中央部に凹があり親しみがある形状をしています。祭神は、天太玉命(アメノフトタマノミコト)で、ご神体石には、竜宮から洲崎大明神(千葉県館山市鎮座)へ奉納されたふたつの石のひとつが飛来したとの伝承があります。口のようなくぼみをもった石の正面が、安房の方を向いていることからついた社名だといわれています。

【地図】


標高75mの明神山の頂上に、吉井の鎮守である安房口神社があります。 マテバ椎に囲まれたこの地に入ると、古代聖域の感触を肌で感じられます。 日本原初の信仰は、山、石や樹木などを、神が降臨する御神体として崇めましたが、 この神社も社殿がなく、御神体である大きな「安房石」(霊石)が一つ鎮座まします。 祭神は天太玉命で、安房大神太玉命の御霊代として東国鎮護のためにこの場所に 飛んできたという伝説があります。 また、直径40mほどの穴が安房の方角を向いているので安房口大神と尊称されるともいわれます。 日本武尊(古事記では倭建命。12代景行天皇の皇子といわれる)が東征のとき、 勝利を祈願したといわれますから、まさに古代の遺物といえます。 村人が安産を祈願し、その成就御礼に玉石を供えたと伝えられ、北条政子が懐妊のおり、 代表者が安産祈願に参拝した記録もあります。 穴を陰石、玉石を陽石とする陰陽信仰の気配が感じられます。
以上は、浦賀の歴史とふれあう散策ルート より引用


安房口神社入り口 明神山と言われる丘の上に鎮座

安房口神社参道 なかなか気持ちがいい 何でもここはパワースポットだとか...。

境内の様子 見ての通りここには、社は無い

ご神体の「霊石」



正面から 中央の凹の直径は、30cmほど

後方より

霊石全体 高さ50cm 奥行き 2m幅1m 位だろうか。房総産の安房石だそうだ。


由緒を伝える境内にある説明看板(クリックして拡大)


千葉県館山市 洲崎神社の「神体石」由緒にある様にこの石と対になり阿吽を表現しているのだとか。洲崎神社と言えば、東京にも品川神社を始め神田明神にも分社がある。

慈光七石 “女鹿岩(めがいわ)”(埼玉県比企郡都幾川町)

2009年08月16日 | イワクラ・巨石
埼玉県都幾川(ときがわ)にある慈光山中をはじめ、ときがわ町の旧慈光寺領の各所に「慈光七石」と呼ばれる巨石、巨岩が点在しております。
昨年(’08/11月)当会で、紹介されている一部の巨石を探索調査しましたが結局存在を見つけられたのは「女鹿岩」だけでした。この女鹿岩と対になる「男鹿岩」が向かいの弓立山にあります。
男鹿岩の写真は以下サイトにありました。
【弓立山男鹿岩】 -弓立山にまつわる伝説について-

「女鹿岩」所在地 (我々は女鹿岩公会堂近くの民家の脇から登りましたが(登山道になっています。)車であれば県道172号からひとつ入った林道?(舗装路です)から近くまで行くことが可能です。)


「女鹿岩」 ロッククライマーの練習場になっているそうだ。本日唯一の成果の前で、記念撮影

周辺にある巨石群

慈光七石地図(男鹿岩と女鹿岩は、この地図の範囲から外れている)
●男鹿岩と女鹿岩
男鹿岩は弓立山の山頂近く、女鹿岩は西平地区の女鹿岩集落の南側にあり、西平の越瀬橋を挟んで、南北に向かい合っています。そして地元には次のような伝説が伝わっています。
いつのころか、女鹿岩には雌の大蛇が、男鹿岩には雄の大蛇が棲むようになりました。やがて二匹の大蛇は恋に落ち、一年に一度の七月七日の晩、麓の都幾川で逢うことができました。そして一面に霧の立ち込めたある年、大蛇の恋は誰にも知られぬうちに結ばれました。しかしある年の夏、大地が割れるような日照りが続き、雌の大蛇がいずことなく姿を消してしまったそうです。これを悲しんで雄の大蛇は大粒の涙を流し、雌の大蛇の後を追っていつの間にか姿が見えなくなりました。
男鹿岩と女鹿岩にちなむ大蛇のお話はいかがだったでしょうか。また地元には七月七日には災いが降りかかるという言い伝えも残っており、その日は決して外に出なかったそうです。

●稚児岩
「童子岩」ともいわれております。女人堂から霊山院へ抜ける入沢谷のが崖上にある巨岩です。慈光寺で修行していた稚児の一人が、あるとき大切な来客の近くを歩いていたところ、衣ずれ音が放屁の音と思われてしまい、師の僧に厳しく叱責されました。そして稚児は悲しみのあまりこの岩から身を投じて、命を絶ってしまいました。それ以来、この岩から稚児の忍び泣く声が聞こえてくるようになり、「稚児岩」または「童子岩」と呼ばれるようになったということです。

●琵琶石
慈光寺山中の東谷の南斜面にあります。楽器の琵琶に形が似た石で、静かな月夜に耳を澄ますと、この石から琵琶を奏でる調べが聞こえてきたといわれています。しかし近年二つに割れてしまったのが残念です。

●信濃石
別名「牛石」ともいわれています。琵琶石と同じく東谷の南斜面にあります。大牛が腹ばいになっている姿に似ているところから、そういわれてきたそうです。信濃石の名の由来は、伝説が失われており、詳しいことは分かりませんが、「牛に引かれて善光寺詣り」にちなんだものと伝えられています。

●冠岩
霊山院から大野地区の七重集落へ抜ける道の途中を、北側に上がった尾根上にあります。かつて慈光寺の修行僧のうちの行徒、すなわち修験僧たちは、秩父の峰を回り、富士山頂などに登って行を修めておりました。それらの行徒たちが、回峰を終えてこの岩まで来ると、法螺貝を吹き鳴らして帰山を告げるのを習わしとしていました。そして、これを聞いた衆徒たちがこの岩まで出迎えに行き、そこではじめて行徒たちは冠を解いて帰坊したことからこの名前がついたそうです。

●冥官岩
「独鈷の井」のすぐ近く、後野川のほとりにあります。由緒は分かりませんが、この岩の下に奥行き4メートルほどの洞窟があり、この洞窟を冥界への入り口に見立てたのかもしれない、といわれております。また、冥官は冥界閻魔の庁の役人のことをいいますので、十王信仰にまつわる岩であることも考えられます。

由緒、地図引用 慈光寺ホームページより

イワクラサミットIN茅野 2009/9/5~9/6

2009年08月14日 | イベント紹介・報告
盛大のうちに閉幕しました。後日参加報告をさせていただきますので、お楽しみに!!

2009年サミットのご案内

☆開催日時:2009年9月5日(土)~9月6日(日)

☆場所:長野県茅野市・茅野市民会館(JR茅野駅東口隣接)

☆趣意:諏訪&八ヶ岳エリアの要所に配された未だ謎が多いイワクラ(磐座)に光をあて、縄文王国に様々な造形でのこされた圧倒的な創造力を多面的な視点で迫りながら、環太平洋まで広がる文明潮流の源泉を見つめ直し、混迷の時代を切りひらく人類の叡智を掘り起こすべく、今回は縄文王国のど真ん中でイワクラ(磐座)サミットを開催します。
それは新たなる縄文コスモロジーを、イワクラによって再構築していくダイナミックな試みでもあります。魅力あふれる初秋の信州をゆっくり楽しみながら、イワクラについて存分に語り合いましょう。

☆内容:
初  日: 
開会挨拶
来賓挨拶      
地元考古学者による
研究レポート
小池 岳史(芽野市尖石縄文考古館 学芸員)

映像&LIVE・講演・パネリスト

映像&LIVE
美咲(シンガーソングライター)

基調講演
藤森照信氏(建築家・東京大学生産技術研究所教授・茅野市出身)

シンポジューム
パネラー:
鎌田東二(京都大学こころの未来研究センター教授)
田中 基(元季刊『どるめん』編集長/多摩大学講師)
平野貞夫(元参議院議員/イワクラ(磐座)学会顧問)

コーディネーター:
渡辺豊和(建築家/イワクラ(磐座)学会会長)
荻原哲郎(編集者)
総合司会:
小林節子(元フジテレビアナウンサー)
美咲

閉会挨拶
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二日目  エクシブ蓼科 8:00集合
▽イワクラツアー
出発:鳴石(蓼科牧場)ほか雨境峠祭祀遺跡群⇒御座岩遺跡(池ノ平)
⇒諏訪大社上社本宮(硯石・沓石・蛙石)⇒小袋石(磯並社ほか)⇒
諏訪大社上社宮(本殿・御室社・鶏冠社)⇒

昼食・休憩(中央構造線と糸魚川-静岡構造線が交わる杖突峠で
諏訪湖から八ヶ岳までの絶景を眺めながら、守屋山の湧水と地粉による
手打ち蕎麦を賞味。)

昼食後の予定
『Aコース』か『Bコース』を選択してください。
『Aコース』 守屋山登山:諏訪大社上社御神体山中腹付近の磐座群
往復約2時間のコース
『Bコース』 JR茅野駅解散(午後2時)

一般の方の申し込み方法

郵便振替口座の通信欄に
参加行事名と住所・お名前・電話番号を記入の上
口座番号 00960-4-221966 イワクラ(磐座)学会 宛てに
シンポジウムのみの場合 1,000円、
シンポジウムとツアーの場合は6,000円を振り込んでください。
入金確認後、当会から確認のハガキをお送りします。
当日受付にてハガキを提示していただければ入場していただけます。

イワクラ学会ホームページ