哲学以前

日々の思索を綴ります

死を見ること帰するが如し

2018-02-09 05:23:38 | 日記
去年の国際武道学会では主催校である関西大学のベネット先生のご人脈で山折哲雄先生のご講演を拝聴できた。誠に得難き時間を過ごせたと内心喜ばしく思っていたが…。

山折先生といえば、私が所持している『死を視ること帰するがごとし』が強く印象に残っている。

そこでは古来日本人の死生観として「死ぬということは故郷に帰るようなもので決して怖いことではないのだよ」といった話が説かれていたように記憶しているが…。

私はこの「死を怖れない」ということに深く感銘を受けつつも、「死を見ること帰するが如し」というフレーズのそもそもの出典が『大戴礼』という中国の文献であることに興味を覚えた。(ちなみに、「今日は死ぬには良い日だ」というネイティブ・アメリカン(インディアン)の戦士の精神にも興味を覚えて資料を集めているが)

それで和訳されている『大戴礼』を購入し、該当箇所を当たってみた。
この『大戴礼』という書は曾子の教えが説かれたもので、曾子というのは孔子の弟子で儒教黎明期の重要人物だという。

「儒教」なんですよ!春秋時代に武力による覇道を批判し徳治主義を説いたという「儒教」!

どうやら古代日本の精霊観念とは異なるようだ…。

古代日本の「あらゆる自然のものには精霊が宿っていて、死んだら我々も精霊が宿った自然物に帰る」といった思想とは儒学の思想は一致しないと思われた。

それで『大戴礼』の「曾子制言上54」を見ると、「辱しめは避けるべし、その避けることのできない事態にまでおよんだなら君子は死を見ること帰するが如し」と説かれている。

先ずは「君子」なんですよね。そして、ここでの「帰する」とは「帰着する」「帰結する」ということで「家に帰る」ということでは無いように思われた。英語にすれば「return」であって「go home」では無いのだろう。

曾子が述べているのは「恥」ということで、自らが恥をかくにしろ、相手に恥をかかせるにしろ、それは死を見ることに繋がるから避けろということだと判断した。

つまりは「大戴礼」の「礼」とは、武道における「礼」「礼儀作法」に通じ、稽古の際に道場に入るとき礼をするとか、試合のときに主審や相手に礼をするとかいうのは相手に恥をかかせない、自らが恥をかかない「恥の文化」に由来するのだろう。

武力で勝敗を決するという覇道の道・試合において、覇道を批判したという徳治主義の「礼」が生きているというのも一つの矛盾であろうが、それは互いに命のやりとりまでは至らせない歯止めとしての人と人としての関係の了解に基づいているのだろうか…。

つまりは、武力に対して武力で応じるのではなく、武力に対して心法で対するという…。拳や刀剣の武威で相手の肉体に響かせるのでなく、心をもって相手の心に響かせるという、「ペンは剣よりも強し」「北風と太陽」のような境地に春秋戦国時代の思想家たちは到達していたということか?

そして、江戸時代初期の針ケ谷夕雲の無住心剣流、相抜け、そこから植芝盛平の合気道へ……?

そうした理解なくして形骸的に入り口の前なら頭を下げる習慣でやっていないか?

小笠原流などの各種の礼法などもあるが、なぜ「礼」は「頭を下げる」のか?
なぜ自らを相手より低い位置に置くことが、相手より自らを小さき存在に見せることが、相手に恥をかかせないことに繋がるのか?

そう考えたなら、ケンカ空手を謳い直接打撃制の試合を敢行した大山倍達総裁が、一方で儒教精神を説いていたことは全く弁証法を謳ってはいなかったにも関わらず非敵対的矛盾の実現であり、逆に弁証法を謳いながら実戦空手だからとて覇王への道を説いていた八王子の阿呆な空手家は一つ目人間だということか…。

あらためて考察したい。

ちなみに今年の「世界哲学会」は中国・北京で開催されるようだが、開催国に相応しく孔子や老子、孟子といった中国の思想家たちがポスターを埋め尽くしている。残念ながら北京では行くこと能わず、であるが…。

驚くのは紀元前505年に生誕したという曾子の「相手に恥をかかせると死を見ることになる」との言は、18世紀前半の吉良上野介が浅野内匠頭へ恥をかかせた赤穂事件の顛末を予言していたとも言えるのだろうか?

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