哲学以前

日々の思索を綴ります

休日のひととき

2018-02-07 17:04:29 | 日記
エルゾーグの『山岳』は実に読みごたえがある。
この中の「白い山と緑の山」の区別が何とも言えず心に沁みた。つまりは、まだ植物のいる高さと生物のいない雪だけの高さとだ。

通常、山で生活している人間は生物のいない「白い山」の領域には立ち入らないという。生物もいない極めて高い標高に入っていくのは近代イギリスから始まった「富裕層による冒険心」なのだという。

普通の人間が単に日々生きていくためには冒険心だとかスリルとサスペンスなど必要ない。生き物のいない領域に入っていく必要などない。

そうした「スリルとサスペンス、冒険」を求めていくのが「アルピニズム」であり、それは時として人の命を奪う。なんだか武道や格闘技に似たところがある気もした。

随分と前に比較思想学会で「高いところに上る必要があるのは敵の襲来を監視する軍人で、高貴な人は高いところになど上らない」と教えられたが、発達障害児の中にも高いところに上る子供がいるそうだ。

私も子供の頃には木登りが好きだったが…。

「スリルとサスペンスの冒険心」といわれて想起するのが登山とは別に「カーレース」。これも時として人の命を奪う。私などは高速道路で100km/時で走っていても恐怖心があるのに、レーサーという人種は何をそんなに速く走ろうとするのかと感じるときもある。

片山右京さんなんかカーレースと登山の両方をやるが、身内の死という極限に遭遇している。富士山でも遭難死するんだな、と驚く。

そんなことを考えていたら郵便屋さんが『ぼくらが原子の集まりなら、なぜ痛みや悲しみを感じるのだろう』と『学城16号』を持ってきた。

『ぼくらが~』は3月に鈴木さんたちの本の合評会が駒場であるので買っといたのだが、学城は意表をつかれた。

学城16号では南郷氏の原稿に「日本ヘーゲル学会への挨拶」とある。南郷氏いわく「日本ヘーゲル学会のドイツ語版に『学城』の瀬江氏の論文についての記事がある」とのことだったが、確認してみたら同学会の日本語版の「ヘーゲル日本語文献目録」で2008年の瀬江論文「南郷継正『武道哲学講義』のヘーゲル論は何を説くのか」のタイトルを記載している。

これは法政大学の山口誠一教授を中心に編集されたもののようだが、ヘーゲル学会のドイツ語版ではそれをそのままドイツ語訳してるのだ。

何はともあれ、これを機会に南郷氏が日本ヘーゲル学会に足を運びヘーゲルに関する議論・討論に花を咲かせることを強く願うものである。



つづく

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。