哲学以前

日々の思索を綴ります

智恵を求める愛の努力

2018-02-12 14:22:05 | 日記
実家の本棚からトルストイの『人生論』を引っ張り出してきた。
日付をみると1978年になっているから父親が買ったものか、あるいは兄貴が購入したものか?

しかし、兄貴だとしたら小学生の頃だから、いくらなんでも早熟すぎるだろう。やはり親父の本かも知れない。

そういえば、私が子供の頃には自宅に理論社の『トルストイの子どものための本』なんかが全巻セットで置いてあったから、両親の私たち兄弟への想いがあったのかも知れない。それが、こんな穀潰しに育ってしまって申し訳なくて仕方がないが。

トルストイを出してきたのは出隆の『哲学青年の手記』にトルストイが出てくるから。出隆も十代の頃にトルストイを読んだようだ。

『出隆自伝』は出が69歳のときの口頭インタビューだから、十代の頃の状況が赤裸々に語られているとは考えにくい。

思想的な転向もし、共産党に入党したり、各所から様々な批判もされ、激動の心の旅を果たした古稀の男が思春期のままの精神であるとは到底考えられぬから。

それが、『出隆自伝』の自嘲気味な語りになっているように思われて仕方ない。

『出隆自伝』では旧制六高のときに教頭だった岡野義三郎にシュベーグラーの『西洋哲学史』を講義されたと述べているが、たった三回で、それもデカルトだったというから近代日本・明治期の人間として自我の確立あたりから学ばせようとの教師側の思惑があったかも知れない。シュベーグラーというのは全く関係ない話だったわけだ。

十代の頃に出は「哲学は歴史でもなければ科学でもない」と記しているから、歴史哲学は出隆にとって本意ではない。


おそらくは出隆が哲学に「智恵を求める愛の努力」と規定するに至った過程にはトルストイの影響もあったと想像される。

「文豪」と呼ばれ「思想家」だともされるトルストイの『人生論』はパスカルやカント、そしてヨハネ伝の言葉を冒頭に掲げているが、その根幹は「幸福」であり「愛」だという。

もしも「哲学」という人間の思索の根幹に「愛」というものがあるならば、物理学だとか化学といった自然科学にも「愛」はあるのだろうか?

そうした「愛」が現象するのは、やはり「テクノロジー化」といった製品化の過程だろうか?

分かりやすい例として原子爆弾を考えてみる。

原子爆弾に関する物理学者たちの発言内容。アインシュタインに「愛」はあるか?

オッペンハイマーに「愛」はあるか?

西田幾多郎の『善の研究』のエピローグのようなものに「知と愛」なる論考があるという。

「知即愛、愛即知」と…。




つづく


「先達を完成させる」ということ…

2018-02-12 09:33:03 | 日記
毎度毎度のことなのだが、『学城』16号も余り見るべき所が無い。それでザーッと目を通してから、私の見たことも聞いたこともないキーワードを検索して、それが現代の学術世界で如何なる議論がなされているものかを調べる方向にいくのが専らの「学城」の私に対する貢献ということになっている。

というのも、それ以外の論述が何と言ったらよいのか、問われるべきこと、語られるべきことを的確に良い表していない言語表現であるように感じられ、さらに問われるべきこと、語られるべきことを確りと理解して説かれていないように感じられて仕方がないと述べたらいいのか…。

確かに私も「私の論考を完成させて下さい」と先達から言われ、そのつもりで取り組んでいる分野もあるが、そうした「💮💮先生の論文を完成させる!」という志向性、目的性の場合には「脱構築」といった思考は出てきにくい。先達の論旨を壊さぬよう、損なわぬように進んでいこうとするものだから、先達の論考を破壊しようとはしないものだ。

だが、確かに学術的には先人の論考を破壊して進む在り方もあり、それは換言するならば「革命的」とも言えようが、それは学術的な革命ばかりでなく現実世界の革命が反映された場合すらある。

コペルニクスの太陽中心説・地動説はプトレマイオスの地球中心説・天動説を完成させたと果たして言えるだろうか?

「より現実に近づいた」とは言えるかも知れないが、「先達・プトレマイオスを完成させた」というよりも「プトレマイオスを破り棄てた」に近いのでは?

だから、暫し目にする「批判のための批判はするな❗」との金言は容易に得心できる。「批判のための批判」とは南郷氏が述べているが如き「出隆は論理能力が幼く解答を論理として把握できず文学として感じてしまった」なんて文だろう。

果たして共和制を論じた学術論文はヘーゲルの立憲君主制の論を完成させると言えるのだろうか?あるいは社会主義は帝国主義を完成させるものなのか?

資本制は封建制を完成させたのか?それとも破り棄てさせたのか?

大化の改新における中大兄皇子と中臣鎌足による蘇我入鹿の暗殺は蘇我氏の強権政治を完成させたものだろうか?

当然に「博士過程の院生が指導教官の論考を完成させる」といった現実もあるだろうが、「論敵、政敵の論述を論破する、破壊する」といった現実もあるだろう。

そこには多様な現実から反映した多様な論考の可能性を「弟子が師の業績を完成させる」といった一義的・モノトーンに押し止めようとする「複雑→単純」な思考運動があるのかも知れない。

それが一般的、全般的に「単に批判するだけではなく先達を完成させるように論じる」という何とも隔靴掻痒な言語記述と言えるのだろうか?

この「単に批判するだけではなく先達を完成させる」という言葉は「産湯とともに赤子を棄てる」の諺のように「大事なものまで棄ててしまう」ことへの警告、「螺旋的な発展法則」の一旦は離れても再び戻って還ってくる反復への心構えを用意しておくことを示唆していると好意的に解釈することも出来なくはないのではあるが…。

これら学城の言語表現とくに南郷氏の発言は、記載することがらを確りと紙に書き出して、それを対象化して省察してから書かれているとは丸で思えず、むしろ何らかの直感的な言語表現だと感じる次第だが、その「直感」のレベルというか目の粗さが論者の知識量に規定されたものだという気がしてならない。それでも悠季真理あたりは私が隔靴掻痒だと感じる何ともモドカシイ表現は「表象」的な言語表現なのだと強弁するのだろうか?

死を見ること帰するが如し

2018-02-09 05:23:38 | 日記
去年の国際武道学会では主催校である関西大学のベネット先生のご人脈で山折哲雄先生のご講演を拝聴できた。誠に得難き時間を過ごせたと内心喜ばしく思っていたが…。

山折先生といえば、私が所持している『死を視ること帰するがごとし』が強く印象に残っている。

そこでは古来日本人の死生観として「死ぬということは故郷に帰るようなもので決して怖いことではないのだよ」といった話が説かれていたように記憶しているが…。

私はこの「死を怖れない」ということに深く感銘を受けつつも、「死を見ること帰するが如し」というフレーズのそもそもの出典が『大戴礼』という中国の文献であることに興味を覚えた。(ちなみに、「今日は死ぬには良い日だ」というネイティブ・アメリカン(インディアン)の戦士の精神にも興味を覚えて資料を集めているが)

それで和訳されている『大戴礼』を購入し、該当箇所を当たってみた。
この『大戴礼』という書は曾子の教えが説かれたもので、曾子というのは孔子の弟子で儒教黎明期の重要人物だという。

「儒教」なんですよ!春秋時代に武力による覇道を批判し徳治主義を説いたという「儒教」!

どうやら古代日本の精霊観念とは異なるようだ…。

古代日本の「あらゆる自然のものには精霊が宿っていて、死んだら我々も精霊が宿った自然物に帰る」といった思想とは儒学の思想は一致しないと思われた。

それで『大戴礼』の「曾子制言上54」を見ると、「辱しめは避けるべし、その避けることのできない事態にまでおよんだなら君子は死を見ること帰するが如し」と説かれている。

先ずは「君子」なんですよね。そして、ここでの「帰する」とは「帰着する」「帰結する」ということで「家に帰る」ということでは無いように思われた。英語にすれば「return」であって「go home」では無いのだろう。

曾子が述べているのは「恥」ということで、自らが恥をかくにしろ、相手に恥をかかせるにしろ、それは死を見ることに繋がるから避けろということだと判断した。

つまりは「大戴礼」の「礼」とは、武道における「礼」「礼儀作法」に通じ、稽古の際に道場に入るとき礼をするとか、試合のときに主審や相手に礼をするとかいうのは相手に恥をかかせない、自らが恥をかかない「恥の文化」に由来するのだろう。

武力で勝敗を決するという覇道の道・試合において、覇道を批判したという徳治主義の「礼」が生きているというのも一つの矛盾であろうが、それは互いに命のやりとりまでは至らせない歯止めとしての人と人としての関係の了解に基づいているのだろうか…。

つまりは、武力に対して武力で応じるのではなく、武力に対して心法で対するという…。拳や刀剣の武威で相手の肉体に響かせるのでなく、心をもって相手の心に響かせるという、「ペンは剣よりも強し」「北風と太陽」のような境地に春秋戦国時代の思想家たちは到達していたということか?

そして、江戸時代初期の針ケ谷夕雲の無住心剣流、相抜け、そこから植芝盛平の合気道へ……?

そうした理解なくして形骸的に入り口の前なら頭を下げる習慣でやっていないか?

小笠原流などの各種の礼法などもあるが、なぜ「礼」は「頭を下げる」のか?
なぜ自らを相手より低い位置に置くことが、相手より自らを小さき存在に見せることが、相手に恥をかかせないことに繋がるのか?

そう考えたなら、ケンカ空手を謳い直接打撃制の試合を敢行した大山倍達総裁が、一方で儒教精神を説いていたことは全く弁証法を謳ってはいなかったにも関わらず非敵対的矛盾の実現であり、逆に弁証法を謳いながら実戦空手だからとて覇王への道を説いていた八王子の阿呆な空手家は一つ目人間だということか…。

あらためて考察したい。

ちなみに今年の「世界哲学会」は中国・北京で開催されるようだが、開催国に相応しく孔子や老子、孟子といった中国の思想家たちがポスターを埋め尽くしている。残念ながら北京では行くこと能わず、であるが…。

驚くのは紀元前505年に生誕したという曾子の「相手に恥をかかせると死を見ることになる」との言は、18世紀前半の吉良上野介が浅野内匠頭へ恥をかかせた赤穂事件の顛末を予言していたとも言えるのだろうか?

休日のひととき

2018-02-07 17:04:29 | 日記
エルゾーグの『山岳』は実に読みごたえがある。
この中の「白い山と緑の山」の区別が何とも言えず心に沁みた。つまりは、まだ植物のいる高さと生物のいない雪だけの高さとだ。

通常、山で生活している人間は生物のいない「白い山」の領域には立ち入らないという。生物もいない極めて高い標高に入っていくのは近代イギリスから始まった「富裕層による冒険心」なのだという。

普通の人間が単に日々生きていくためには冒険心だとかスリルとサスペンスなど必要ない。生き物のいない領域に入っていく必要などない。

そうした「スリルとサスペンス、冒険」を求めていくのが「アルピニズム」であり、それは時として人の命を奪う。なんだか武道や格闘技に似たところがある気もした。

随分と前に比較思想学会で「高いところに上る必要があるのは敵の襲来を監視する軍人で、高貴な人は高いところになど上らない」と教えられたが、発達障害児の中にも高いところに上る子供がいるそうだ。

私も子供の頃には木登りが好きだったが…。

「スリルとサスペンスの冒険心」といわれて想起するのが登山とは別に「カーレース」。これも時として人の命を奪う。私などは高速道路で100km/時で走っていても恐怖心があるのに、レーサーという人種は何をそんなに速く走ろうとするのかと感じるときもある。

片山右京さんなんかカーレースと登山の両方をやるが、身内の死という極限に遭遇している。富士山でも遭難死するんだな、と驚く。

そんなことを考えていたら郵便屋さんが『ぼくらが原子の集まりなら、なぜ痛みや悲しみを感じるのだろう』と『学城16号』を持ってきた。

『ぼくらが~』は3月に鈴木さんたちの本の合評会が駒場であるので買っといたのだが、学城は意表をつかれた。

学城16号では南郷氏の原稿に「日本ヘーゲル学会への挨拶」とある。南郷氏いわく「日本ヘーゲル学会のドイツ語版に『学城』の瀬江氏の論文についての記事がある」とのことだったが、確認してみたら同学会の日本語版の「ヘーゲル日本語文献目録」で2008年の瀬江論文「南郷継正『武道哲学講義』のヘーゲル論は何を説くのか」のタイトルを記載している。

これは法政大学の山口誠一教授を中心に編集されたもののようだが、ヘーゲル学会のドイツ語版ではそれをそのままドイツ語訳してるのだ。

何はともあれ、これを機会に南郷氏が日本ヘーゲル学会に足を運びヘーゲルに関する議論・討論に花を咲かせることを強く願うものである。



つづく