くろねこさんの話によれば

くろねこが思ったこと、考えたことを記すだけの日記なのだと思う。たぶん。

ふと思いついたみたいに(滋賀編5)

2016年02月22日 00時33分13秒 | 記憶編
電車で大津駅に到着すると、軽やかなジャズの音色が出迎えてくれた。抜けるような青空、ゆったりと音に親しむ人々、楽しげな奏者たち。それは美しい秋をこの上なく彩っていた。祝福、と僕は思った。

結婚式が行われた日曜日はJR沿線を繋ぐジャズフェスティバルの最中で、僕は会場のホテルに行く道すがら、その華やかな空間に出くわした。駅前広場に簡易ステージやら屋台やら椅子やらが並び、人々はのんびりと時間を過ごしていた。まだ日中だというのに、中にはビールを飲んでいる人さえいた。

僕はしばらく耳を傾けた後、近くのパン屋に入って昼食を取り、それからフェスティバルに加わった。ホテルへ直行するバスの便までは時間があった。演奏は電子ピアノとサックスだけだったけれど(会場にはドラムなんかも置いていたけれど)、その二重奏は秋晴れの中に吸い込まれていくように澄み、そして祝祭的な空間を飛び跳ねていた。奏者たちはとても楽しそうで、聴いている僕たちも楽しくなった。僕はそのワンステージが終わるまで、ずっとそこから離れなかった。空は高く、時間には余裕があった。素敵な日曜の午後だった。

その日の朝、僕は、奥さんと一緒に婚姻届を出しに行くHを見送り(結婚日にちなんだ時間に出すのだとHは言った)、それから戻ってきたHと一緒に朝食をとり(コンビニのおにぎりなんかを食べたのだけど、Hは値段が高かったとこぼした)、義父と式に向かうために早めにマンションを出たHを見送った。予想以上に早く義父が到着したので、Hは愚痴をこぼしながら慌てて支度をしていた。「まったくよぉ、早いんだよぉ」。それから、「鍵は後で返してくれれば良いから」と言って出て行った。いつも通り、人懐こそうに笑っていた。残された僕はスピーチの練習を少しして、うとうとと眠り、静かにHのマンションを後にした。そこにはもう戻らないわけで、なんだか寂しくもあった。なんだかんだ言って、僕はやっぱり友だちのいる場所が好きなのだ。

大津駅前からバスに乗ってホテルに行き、チェックインすると、僕の部屋からは琵琶湖を一望することができた。青い空はどこまでも広がり、湖とともに素晴らしい景色を描いた。僕はテレビをつけ、白黒映画を観ながらぼんやりと時間を過ごした。

緊張していた。

僕が結婚するわけではないのに。だから、そう、それはスピーチをすることの緊張だった。それから慣れない場に行くことの緊張感。知らない人だらけの空間。H家の人たちに何て言えば良いのだろう。僕は所在なく部屋の中をうろつき、仕方がないのでベッドにごろんと横になった。目を閉じ、息を吐いて、それからシャワーを浴びた。緊張感はずっと消えなかった。挙式の時間が迫っていて、僕は身支度を整え始めた。

◇◇◇◇◇

前職を辞めたばかりの僕はとても時間を持て余していた。夜になるといつも外を走り、しばらくするとそこを外れて農道に大の字に寝そべりながら、好きなラジオ番組をイヤホンから聴いた。いろいろと考えたし、それに何も考えなかった。時に流れ星を数え、時に架空の女性に対してプロポーズの言葉を考えた。

あの時僕は、どんな言葉を考えたんだっけ。思い出そうとしても、手に触れることのできない影みたいに、僕はそれをはっきりと掴むことができない。でも確か、何気ない日曜の午後なんかに、ふと、思いついたみたいに、言うのだ。

そうだ、確か。

ふと、思いついたみたいに、言うのだ。

〈続く〉

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