独りが辛くなると、僕は電車に乗ることがある。目的地はどこでも構わない。できるなら賑やかなところが良い。それは電車に乗ることの意味と似ている。
吉本隆明さんが「大勢の中の孤独」と書いていたけれど、それが全てを表している。彼はその状態にあることを「気分が良い」と記している。
大勢の中の孤独。それは「知りもしない大勢の人たちが周りにいるのに、話さなくても良いし、それが普通の状態」を指す。電車の中、喫茶店、図書館、駅前などがその典型例だ。僕が落ち着ける場所でもある。
「僕は引きこもり気質だった」というようなことを吉本さんは書いているけれど、きっと僕もそうなんだろう。シンパシーを感じてしまう。すでに亡くなってしまったのが残念だなと思う。
そう感じるならば、僕も何かを書かなくちゃいけない。というか、精神がもたない。書いて自己治癒をする以外にない。
だからこうして、不眠症の夜更けに、こんな文章を書いている。怒りも、悲しみも、不安も、全てが後退していくような気分だ。文章に触れなければ、僕は眠ることすらできない。
(そうして書き終わるころに、またネガティヴな感情に包まれていく)