阪神大震災(平成7年(1995年)兵庫県南部地震)から30年が経った。
あの日、東京でテレビ報道を見た時の無力感は今も鮮明に覚えている。日没が迫る。自分には何もできない。何も。
その前、カリフォルニアの大地震で高速道路が倒壊したことについて、当時の日本の専門家は、耐震基準の厳しい日本ではあり得ないと断言した。
その日本で、高速道路が文字通りに横倒しに倒壊した。もしも当時ツイッターがあったなら、「ピルツ工法」がトレンド入りしたに違いない。
自分が衝撃を受けたのは、倒壊した高速道路から、飲料の空き缶等のゴミが露出したこと。どうせバレないから、と施工時にそこに"捨てた"のだろうか。
お若い方々は、あの大災害を覚えていないのだろう。それはそうだ。若者には若者の記憶があり、未来がある。
一定以上の年齢にとってはまだ記憶も生々しい大災害の教訓を語るのは、自分にはおこがましい。それでも、勇気を振り絞って、一点だけ指摘したい。
バレなければいい、後の事は知らない、という人たちが多数になったら、私たちの社会は終わるだろう。それが人々の選択であるのなら、何も言うまい。
あの日、何もできなかった自分は、幸いにして30年も生きることができた。ささやかながら、学び得たものがある。
悔しかった気持ちを敢えて呼び覚ます。為すべき事を成す。痛みも悲しみも、まだ生きているからこそ。