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置かれた場所で咲く

教育のこと、道徳のこと、音楽のこと、書籍のこと、つれづれ、あれこれ

誰のための運動会?

2007-09-08 23:59:57 | あたし的教育論
どうして練習がヒートアップするほど、せんせーたちは叱るのでしょう??

運動会の本来の目標値は、美しい演技をしたり、感動を呼ぶことじゃない。
そんなの副次的な産物、二の次三の次でいいんだ。
大人の欲求を満たすだけの運動会なら、しなくたっていい。

そう、思ってた。いつもの批判思考でね。


運動会の目標値も、授業と同じで向上的変容だと思ってる。子どもたちが思考を経て変わっていくこと。社会で生きていくための知識技術を身につけること。何かがゲットできなきゃ、そして子ども自身が変わった!しかもイイ感じに!って思えなきゃ、意味がない。

あたしの中での一番の目標値はこれ。集団の中で、しかも異学年交流の中で、いかに子どもたちが成長できるかが勝負。その成長が、学級に還ってきたときに生きる。音楽祭で生きる。6年生を送る会で生きてくる。


・・・ただね、子どもたちが成長したなぁって感じるきっかけをつくれるのもまた、大人であることが多いの。

整列・集合が揃うことで、子どもたちはまわりの大人に自分の具体的な行動を褒められる。具体的な行動を褒められると、「できた!」って自信につながる。高学年は、集団を動かすことで「できた!!」って自信を持つ。創作ダンスが美しければ、家に帰ったあとのビデオで言葉と自信をリンクできる。


子どもたちの力を伸ばしたいって思いを抱えて二週間やってきたのに、結局子どもたちの思考チャンスを奪ってしまったこと数回。企画に対してのフォローもできずに、ムリだって決めつけて、子どもたちの思いを潰してしまいそうになった。これは偉大な人のフォローで何とか叶えることができたんだけど。

どれをとっても中途半端なあたしの力だけでは、一番の目標値である子どもたちの向上的変容はもちろん、達成感も充足感も感じさせることができなかった。
まわりのせんせーたちがいなければ、ボロボロだったよ、実際。
人に恵まれていることに感謝してる。

本当に今回ほど技術不足を痛感したことはなくて、思い描いていた子ども像へのステップが、いかに大雑把なものであったかということ、机上の空論であったかってことを、しっかりと認識できてなかった。
今までひたすら落書きを書いていたんだなぁ、あたしは。


また凹んでるブログっぽいけど、基本自虐的なので今は全然ダイジョーブです
(・・・でも、昨日はほんとグロッキーだったから、コメントみて泣きそうだったわありがとうございます
これは、また這い上がるためのパドリングだからね

こんなとこで停滞してらんない!!せっかく課題が見えたんだもん、来週からの怒涛の日々に向けて、ひた走ります




経験主義は這いまわるだけなのか?

2007-08-09 18:14:14 | あたし的教育論
・・・なんか、えらいこと書いてありそうなタイトルですな
はい、すいません、ちょっとエエカッコつけてみたかっただけです

ちぽは経験主義者です。どっちかってーとね。
経験主義っていうのは、えーーーっと、つまりね、小難しいことをいうと
キリがないので、デューイとかなんちゃらって知ってる人むしろ語りたい人は、
すっ飛ばしてください。
要は、学びたいならやってみぃ的な考え方のこと。あたしの解釈ではね。

学校の教育は系統的な学習システムだから、数学とか国語とか、いわゆる
世の中ではすぐに通じないじゃーーん的な勉強を、最低9年間もしこしこと
していくわけ。
おかげで、勉強=机の上、って考え方だけは、どの子にもしっかり身について
いるんじゃないかって思う。(はぁ

タイトル『這いまわる経験主義』って、経験主義論への批判を揶揄したもので、
“経験から学ぶっつったって、子どもらは楽しそうに地べたをはいまわってる
だけじゃんよーー、おいおい、これで学力なんてつくと思ってんの?”って
いうことだと思ってるんだけど。

確かにね、学びの少ない体験や経験もあるとは思う。
これ、何のためにやってるんだ?とか、こんなことさせて、なんの意味が
あるんよ?なんていう想い抱いたこと、自分が小学生のときもいっぱい
あったもんね。

すべては状況設定とネタ次第!
そして決め手は教育者のこの子たちにここを学んでほしいっていう強い
目的意識と、あったかい人間性に裏付けられた技術だと思うんだ。
どんなに学習指導要領変えたって、教育委員会が指針を出したって、
現場の人達が変わらなきゃ、ぶっちゃけ全部ムダな労力じゃん。
全然意味ないよ。
(・・・頼むから、もうこれ以上、ちょっこちょこ法律変えないでよぉ。
提出文書が多くなって、事務的な負担が増えるだけだもん実際。
この辺はあれ?っておもうこともあるから、臨機応変だとは思うけど。)

そうじゃなくてさ。大切なのは、もっともっと、人の心の根底に
あるものでしょ?
教育者が学んでいく意欲と謙虚さ、大事だと思うけど。


人が人を育てるんだもん。
薄っぺらい文書や、言葉だけずらずら並べた法律じゃ、絶対に
人は育てられないもん。


山本五十六の有名すぎる言葉
「やってみせて 言って聞かせて やらせて見て 
   ほめてやらねば 人は動かず」


ホントそうでっせ!!って思う。

やらなきゃずっとできない。やってみなくちゃわかんない。
相手を信頼して、任せること。学びは後からついてくるよ。


育てたい、育ててもらいたい、相手を想うこと、相手に想われること。
これって愛なんだろうなぁって思う。

できないこともできることも、喜びも悲しみも、一緒になる。


血のつながりにも酷似してる、これって愛なんだろうなぁ。そう、思う。




いいのか?

2007-07-27 23:02:36 | あたし的教育論


教えることと考えること。

常に判断に悩んでいる。
バランスに悩んでいる。

小学校は生きていくための基礎・基本を学ぶ場でしょう?
ゼロから10を求めるのは厳しくないですか?
当たり前のことを褒め続けることに、意味はありますか?
道標を示さずに叱るのは、どうなの?
考えるって、大人の用意した答えを当てること?

「余韻を残す指導」
「気づいたら行動するんだよ」「君たちの自主性に任せる」
子どもの具体的な像がありますか?
一歩ずつ成長していくためのスモールステップが見えていますか?
子どもたちはそれをイメージできている?
示されたゴールも、階段も、あたしには霞んだまま。

耳に響く美しい言葉、綺麗な字面、それだけでは子どもは育たないでしょ?


最近、自分が関わる行事や事業、イベント、研修が終わる毎に、いろいろ考えさせられることが多い。
「何がやりたいかわかんない」「これは意図がない」「目的が定まってないじゃん」って、シャットダウンしてしまいがちな自分は、そのたびに戒めてる。
(想いの一本化と共に、アタマ固くなってるよなぁ…。)
すべての場で、人は学べるからね。


…まぁ……願わくば、より多く、敢えて悪く言うなら効率良く学びたいからねー。

自分が今、新たに求めてるつながりって、やっぱり、そんなつながりなんだよなぁ。

もっともっと、物事を細かいステップで理解したい。
もっともっと、簡単な言葉で子どもたちに伝えたい。

考えを深めたいの、視野を拡げたいの。
想いを共有したいの、より多くの人たちと。



JRCトレーニングセンター

2007-07-26 22:58:04 | あたし的教育論
…に来ています
今日で2日目。。。

子どもたちの自主性を高め、リーダーとしての資質を身につけることが主な目的
学生のときのつながりで、呼んでいただきました

スタッフ構成は、主に50代以上と20代。教員メンバーでは一番年下で初参加のあたし。
・・・のはずが、やっぱりちょっと気になるところはゆっちゃいましたけど
もちろん、子どもたちの動かし方、指示、勉強になることもたくさんあります。
すいません、こんなキャラで
聞いてくれた先輩せんせー方に感謝

フィールドワークの途中で、羽化直前の蝉の幼虫を見つけました

ぢつは、抜け殻になる直前の蝉を見たの、初めて
まわりに子どももいなかったため、思わず撮っちゃった

酒+寝不足で結構キテましたが、気合いで乗り切った!!
・・・やっぱり理想論語っちゃうあたし。若さゆえ、でしょうか?
出会いには感謝



“わたしメッセージ”

2007-07-07 08:24:37 | あたし的教育論


フィードバックの原型、こんなところで見つけた
“親業”で有名になった、トマス・ゴードン博士の著書にて

「わたしメッセージ」

自分が相手に対して感じたことを、「君」を主語にせずに「僕」を主語にして
伝えていく

せんせーって、結構やってる気がする、コレ

「ダメでしょ、こんなことしちゃ。」
「それは違うよ。」
「掃除きちんとやってた?」

起こっている事実を見て、自分が感じたこととして伝える。

「僕はこう思うんだけど。」
「これって君にとっても学級にとってもマイナスに見えるな。」

自分の感じたこととして、フィードバックを返すのって、自分も相手も
成長する、プロセスの一つなんだろうなぁ

まだまだ脇が甘いぞ、自分