欲しいものはすべて手に入れたが心の安らぎがないのは運命か。
運命についての質問。
マハルシ「運命というものは存在しないのです。明け渡しなさい。そうすればすべてはよくなるでしょう。すべての責任を神に投げ出しなさい。自分一人で重荷に耐えようとしてはいけません。神に任せるなら、いったい運命に何ができるというのでしょう?」
明け渡しは不可能です。
マハルシ「初めのうちから完全な明け渡しは不可能です。部分的な明け渡しなら確かに誰にとっても可能でしょう。時とともに、それは完全な明け渡しへと導かれていくのです。
もし明け渡しが不可能なら、何ができるというのでしょう?それでは心の平安はなく、あなたにはどうすることもできないでしょう。ただ明け渡しによってのみ、それができるのです。」
部分的な明け渡し、それで運命は取り消せるのか。
マハルシ「もちろんです!それは可能です。」
運命はカルマによるものではないのか。
マハルシ「もし神に明け渡したなら、神が面倒を見るでしょう。」
マハルシ「すべては神の中にのみ在るのです。」
マハルシ「もし心が内面に向かえば、神は内なる意識として現れるでしょう。」
マハルシ「神はすべての中に、そしてそれを見る者の中に存在しています。いったいそれ以外のどこに神を見いだせると言うのでしょう?神を外側に見いだすことはできません。彼は内側に感じられるものなのです。対象物を見るには心が必要です。対象の中に神がいると考えることは知的作用です。しかしそれは真理ではありません。心を一掃した内なる意識、それが神として感じられるのです。」
例えば美しい色があると、それを目にすることは喜びでその中に神を見いだすが。
マハルシ「それらは精神的観念です。」
マハルシ「それらもまた精神的なものでしかありません。」
マハルシ「魂も神も精神的概念にすぎません。」
どのようにすれば心を消し去ることができるか。
マハルシ「いかなる試みもそれを破壊することはできません。それについて考えたり、願ったりすること自体が想念だからです。しかしもし考える者を探し出そうとするなら、想念は消え去るでしょう。」
マハルシ「実在ではないからこそ、それは消え去るのです。難しいと考えること自体が実在への妨げです。それは克服されなければなりません。真我としてとどまるのは難しいことではないのです。」
人が望むすべてを手に入れる祝福を与えられたと話す王妃との9ページにもおよぶ長い対話です。
すべてをもっているからこその不安でしょうか。
この対話の中で私が気づきを得たのは、例えば美しいものを見た時の喜びが精神的概念にすきないということです。
真我実現に向けた努力、スピリチュアル的な探究をしていると精神的高揚を伴う出来事が多々あります。自然を感じたときの喜びやふとした中での一体感、エネルギーの流れに気づいたり神の存在を身近に感じたり等あります。
ですがそれはすべて精神的作用でしかないのです。
その精神的作用は自我を満足させるための出来事であって、真我実現ではないのです。
探究を進めていく上での通り道であってそこにとどまってはいけません。
絶えず真我実現に向けて努力をするべきです。
運命についての質問。
マハルシ「運命というものは存在しないのです。明け渡しなさい。そうすればすべてはよくなるでしょう。すべての責任を神に投げ出しなさい。自分一人で重荷に耐えようとしてはいけません。神に任せるなら、いったい運命に何ができるというのでしょう?」
明け渡しは不可能です。
マハルシ「初めのうちから完全な明け渡しは不可能です。部分的な明け渡しなら確かに誰にとっても可能でしょう。時とともに、それは完全な明け渡しへと導かれていくのです。
もし明け渡しが不可能なら、何ができるというのでしょう?それでは心の平安はなく、あなたにはどうすることもできないでしょう。ただ明け渡しによってのみ、それができるのです。」
部分的な明け渡し、それで運命は取り消せるのか。
マハルシ「もちろんです!それは可能です。」
運命はカルマによるものではないのか。
マハルシ「もし神に明け渡したなら、神が面倒を見るでしょう。」
マハルシ「すべては神の中にのみ在るのです。」
マハルシ「もし心が内面に向かえば、神は内なる意識として現れるでしょう。」
マハルシ「神はすべての中に、そしてそれを見る者の中に存在しています。いったいそれ以外のどこに神を見いだせると言うのでしょう?神を外側に見いだすことはできません。彼は内側に感じられるものなのです。対象物を見るには心が必要です。対象の中に神がいると考えることは知的作用です。しかしそれは真理ではありません。心を一掃した内なる意識、それが神として感じられるのです。」
例えば美しい色があると、それを目にすることは喜びでその中に神を見いだすが。
マハルシ「それらは精神的観念です。」
マハルシ「それらもまた精神的なものでしかありません。」
マハルシ「魂も神も精神的概念にすぎません。」
どのようにすれば心を消し去ることができるか。
マハルシ「いかなる試みもそれを破壊することはできません。それについて考えたり、願ったりすること自体が想念だからです。しかしもし考える者を探し出そうとするなら、想念は消え去るでしょう。」
マハルシ「実在ではないからこそ、それは消え去るのです。難しいと考えること自体が実在への妨げです。それは克服されなければなりません。真我としてとどまるのは難しいことではないのです。」
人が望むすべてを手に入れる祝福を与えられたと話す王妃との9ページにもおよぶ長い対話です。
すべてをもっているからこその不安でしょうか。
この対話の中で私が気づきを得たのは、例えば美しいものを見た時の喜びが精神的概念にすきないということです。
真我実現に向けた努力、スピリチュアル的な探究をしていると精神的高揚を伴う出来事が多々あります。自然を感じたときの喜びやふとした中での一体感、エネルギーの流れに気づいたり神の存在を身近に感じたり等あります。
ですがそれはすべて精神的作用でしかないのです。
その精神的作用は自我を満足させるための出来事であって、真我実現ではないのです。
探究を進めていく上での通り道であってそこにとどまってはいけません。
絶えず真我実現に向けて努力をするべきです。