徒然なるままに~地球クン

私の永遠のグルであるラマナ・マハルシの対話本について自分なりの解釈で語っています。

第1巻 対話308

2018-02-04 10:09:55 | 日記

イーシュヴァラ神(ヒンドゥー教の宇宙を司る神)についての質問に対して。

マハルシ「イーシュヴァラ神の存在は、私たちが抱くイーシュヴァラ神の概念から現れたものなのです。まず、その概念が誰のものかを知りなさい。概念はそれを考える人にしたがって生じます。あなたとは誰なのか、それを見いだしなさい。そうすれば他の問題もおのずと解決するでしょう。」

私たちが抱く個々の神々の概念を使って真我実現に向かうのはかまわないと私は思います。
例えば、シヴァ神(ヒンドゥー教の破壊神)に「私」という想念を打ち壊してもらうために祈りを捧げてもいいと思います。

真我に辿り着くまでにはいろいろな道があるのです。
マハルシもシヴァ神も全て真我なのですから。





第1巻 対話307

2018-02-01 19:05:51 | 日記
「私ー私」の光ついての質問に対して。

マハルシ「努力は目覚めの状態でのみ為されるべきものです。努力することで、真我は今ここで実現されるのです。実現された後には、真我が目覚め、夢見、眠りに妨げられることなく、常に、絶えず存在していることがわかるでしょう。それゆえ、真我は途切れることのない体験なのです。」

マハルシ「想念は心の働きですが、途切れることのない意識は心を超越しています。これが解脱した人の自然な、原初の状態です。それは途切れることのない体験です。相対的意識が静まったとき、それはそれ自体を顕わにします。「私」という想念は途切れるものですが、「私ー私」の光は途切れることなく永続的なものです。その光は思考が静まったときに輝き出すのです。」

真我実現に向けての努力はするべきです。それを切望するのであれば。
努力は真我を迎えるための準備なのです。

真我を知ったからといって常に原初の状態でいられるか、というのはまた別問題です。
途切れることのない体験であるはずが騒がしい想念せいで、その体験は途切れてしまうのです。
常に真我として在るには、相対的意識を静かにさせる努力をしなくてはなりません。
そうしているうちに真我は常に実現されるのです。

私もまだまだ道半ばです。