徒然なるままに~地球クン

私の永遠のグルであるラマナ・マハルシの対話本について自分なりの解釈で語っています。

第2巻 対話402

2022-06-11 13:50:07 | 日記
脳とハートどちらが重要なセンターなのかという討論の流れから。

マハルシ「もし心の潜在的傾向がハートではなく脳にあるとすれば、頭が断ち切られたとき心の潜在的傾向は消滅し、輪廻転生も終焉するはずです。しかしそれは真実ではありません。あきらかに、真我は心の潜在的傾向を最も身近な場所、ハートの奥底に保護しているのです。それはちょうど、けちな人が最も価値のある宝物を肌身離さず持って誰にも見せないようなものです。それゆえ、心の潜在的傾向のある場所は真我、つまりハートであって脳ではありません。脳はハートという温室から現れる心の潜在的傾向の芝居の舞台でしかないのです。」

この世に生まれ出でたのは心の潜在的傾向(ヴァーサナー)を破壊し尽くし真我として在るためだけなのです。何故そんなものがハートの奥底に大事に保護されているのか不思議です。
これがなかなか大変なのです。

第2巻 対話401

2022-06-04 12:56:33 | 日記
苦行に対する質問の流れから。

マハルシ「現在、非実在は一つの強迫観念となっていますが、実在こそが私たちの真の本性です。私は誤って想念や世俗の活動といった非実在なるものを追及しています。これらをやめることが真理を顕わにします。私たちの努力はそれらが心に入り込まないようにすることにあるのです。それはただ実在だけを想うことによって為されます。実在は私たちの真の本性であるにもかかわらず、私たちはあたかも実在について考えているように見えます。しかし実際には、私たちは真の存在の啓示を妨げるものを取り除こうとしているのです。」

マハルシ「実在は私たちの本性なのです。それは新たに獲得されるようなものではありません。新しいものは永遠ではありえません。それゆえ、真我を得るだろうか失うだろうかと疑う必要などないのです。」

私は身体だと考えることこそが苦行ではないでしょうか。私の本性は真我なのにどうして苦行を行う必要があるのでしょうか。それはヴァーサナー(心の潜在的傾向。無数の過去世で起こった行為の印象が蓄積されたもので、衝動、感情、欲望、恐れなどとして現れる。)を取り除くためなのです。

第2巻 対話399

2022-05-29 17:02:42 | 日記
目覚めの状態は存在する対象物から独立しているのか、という質問に対して。

マハルシ「もしそうなら、対象物は見る者なしでも存在しているはずです。つまり対象物自体が「自分は存在している」と言うはずです。そうでしょうか?例えば、あなたの目の前で動いている牛が「私は動いている」と言うでしょうか?それとも、あなたが自分で「牛が動いている」と言うのでしょうか?対象物が存在するのは、見る者がそれらを認識しているからです。」

哲学っぽい話だなと思います。よくよく考えるとマハルシの話ていることは当たり前なことですが、「私」が外側に向かっているときは世界も外側に見ます。
その「私」を内側に向けると世界は存在しないのです。

第2巻 対話398

2022-05-27 21:43:16 | 日記
ハートセンターについて議論の流れから。

マハルシ「身体は心の中に存在し、心は脳をその座としています。心が別の源から借りた光によって機能していることは、ヨーギー自身も泉門の理論の中で認めています。真我実現した人はさらに一歩進めて議論します。「もし光が借り物であるならば、それはそれが生じた源から来たに違いない」と。それゆえ、その源に直接向かいなさい。借り物の源泉に依存してはならないのです。

もしあるイメージが映し出されているなら、そこにはちょうど壺の中の水に反映された太陽のように、そのイメージのもととなる実体があるはずです。その反映を取り除くには、ヨーギーが言うように泉門に到達することで水の表面を覆うか、壺の中の水を空にするかです。

真我をその源としているからこそ、自我を源に融け入らせるには、現れてきた過程を源までたどる他ないのです。
自我のセンターであり中核である「ハート」と「真我」は同じものです。」

集中とは修練の一つなのか、という質問に対して。

マハルシ「集中とは一つのことを考えることではありません。その反対に、それは私たちの真の本性のヴィジョンを妨げるすべての想念を取り除くことなのです。私たちの努力は無知のヴェールを剥ぎ取るためだけにあります。今は、想念を静めることは難しく見えますが、霊的に生まれ変わった状態では、想念を起こすこと自体が難しくなります。実際、考えなければならないようなことが何かあるでしょうか?ただ真我だけが存在しているのです。想念が活動するのはそこに対象物があるときだけです。しかし、対象物は存在しないのです。どうして想念が起こりえると言うのでしょう?」

明け渡すとはどういうことか、という質問に対して。

マハルシ「自我が明け渡すのは、高次の力の存在を認めたときだけです。
高次の力を離れて自我が存在することはできません。

自我の源を探りなさい。そうすればそれは消え去るでしょう。さもなければ、明け渡しなさい。そうすればそれは打ち倒されるでしょう。

考えずにいなさい。我に帰ったときに心を持ち直し、それを内側に向けなさい。それで十分です。
努力なしに成功する人など誰もいません。成功をおさめた少数の人たちは、忍耐を持って成功したのです。」

グルの恩寵について。

マハルシ「沈黙は最も強い影響力を持っています。いかに聖典が広大で力強いものであっても、その効力は無に等しいものです。グルは静寂の内にあり、周囲のすべてを平和で包み込みます。彼の沈黙はすべての聖典を一つにしたものよりもさらに広大で、さらに力強いものです。」

ハートセンターの質問から始まりグルについての質問まで9ページにわたる長い対話です。
何かに感動したりすると胸が熱くなりますね。それこそがハートの場所です。ハートの蓮華が開くとそれはもう圧倒的なエネルギーが溢れ出ます。そのハートを常に開いたままで在ることはとても難しいことです。それは無知で覆われているからです。
私はいつもマハルシにお願いしています。「どうか無知を取り除いて下さい」と。ただお願いするだけではなく心を内側に向ける努力も怠りません。そうすることで少しずつですが霧が晴れて道が見えてくるのです。

第2巻 対話397

2022-05-26 19:30:17 | 日記
眠りは喜んでつくのに死ぬことは恐れるのは何故か、という質問に対して。

マハルシ「眠りを求めたり死を恐れたりすることは、心が活動しているときだけで、眠りの状態や死の状態の中では起こりません。心は「身体を持つ実体が眠りの間も存続し、眠りの後に再び現れる」ということを知っています。それゆえ、眠りに恐れは起こらず、その代わりに身体的存在がなくなることの喜びが求められるのです。一方、心は死が起こった後、再び現れるかどうかに確信がないため、それを恐れるのです。」

こんな体験をしたことがあります。
夢見の状態から眠りの状態に移行している時、ちょうど夢を見ていて夢に気づいている状態から深い眠りに入るまさにその瞬間、自我がそれに気づいて自我がなくなるという恐怖でハッと目覚めたことがありました。起きた瞬間は恐怖心でいっぱいで心臓の鼓動が速くなっていました。この体験はそれまではあまりピンときていなかった「目覚め、夢見、眠り」の状態が何なのか実体験として理解することができました。
また私の今世の課題のひとつとして死(の恐怖)を手放すというのがあるのですが、この体験はそれを手助けしてくれるものでした。

死の恐怖とは自我がなくなることなのです。