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節分

2022-01-22 15:49:03 | 日記

もうすぐ節分で、当然その翌日は立春でございます。

今年は旧暦の正月は2月1日となります。当然新月。

従って今年の節分は、所謂正月過ぎになりますが、旧暦の正月前に節分が来ることもあります。いわゆる年内節分となります。

基本的に明治6年に正式にグレゴリオ暦が採用される前の、太陰太陽暦では19年に7回という頻度で閏月を加えるために、節分・立春を年末に迎えることがあるわけです。

立春は所謂24節気の一つであり、始まりとも言われています。

元々が太陰暦では季節の変化が捉えられずに、農業のようなある一定の温度やその他の気候条件が指標となる作業には使えなかったことから、太陽運行を元に作成されたのが、24節気であります。

始まりはおそらく黄河中流域の山東省辺りの季節感で、諸説ありますが、殷・周時代には1年の始まりが冬至であったことを考慮すると、既に一部は成立しており、太陽運行と農事を徐々に取り入れて、戦国時代(中国の春秋戦国)に徐々に今の言葉と、形になったように思われます。

日本には恐らく百済経由での飛鳥時代でしょうか。

元々は季節の一巡りを、太陽の運行(天文)の観測に併せて、冬至・夏至(二至)。更に春分と秋分(二分)が誕生し、その中間を四季の変わり目という意味で、立つと称して、立春、立夏、立秋、立冬(四立)としました。

つまり、冬至と春分の中間点として春の最初の節気(おそらく正月のイメージ)として、立春と名付け、それが各四季に冠せられたようです。

この八節が、天文由来の重要な節気であり、その他の中気などを含めて前漢の准南子には既に全ての記述があり、戦国時代を通じてこの辺りで成立したのでしょう。

上記の八節以外は、多少日本との温度差があるのは、大陸内部と海洋温帯気候の日本との違いにおるものが多いと、うっすらと思っておりましたが、最近2008年と15年ほど前の気象学会の石原浩司の文章で、黄河中・下流域の付平均気温と、ほぼ同緯度の水戸及び、寒暖の差のある宮崎、石巻との比較を主題材にしたも論文を読んで、納得という感じでした。

黄河中・下流域の4都市鄭州、西安、運城、安陽では温度、分布共に大きな違いは無く、大暑に最高温度(1971~2000年平均値)に達し、大寒に最低気温に達しました。

対するに水戸、石巻では立秋(8/7)から処暑(8/23)にほぼ横ばいで最高気温となり、大寒(1/21)頃に最低気温となっています。水戸との最高、最低絶対温度の差は最高温度で5度高く、最低温度で4度程度低くなっています。

他のイメージでは、芒種即ち種まき時季に関しては、日本の寒冷地でも遅すぎる感は否めないですね。

さて、節分。雑節の一つで、各季節の始まりの日である(立春立夏立秋立冬)の前日のことで、元々の意味は「季節をける」ことから。江戸時代以降は特に立春の前日を指すことが主流となりました。

昨今恵方巻きなる習慣が一般的になってきていますが、これは元々江戸末期から明治にかけて大坂船場で商売繁盛などを祈願して、発祥したとの通説がございますが、一旦廃れ、昭和50年代に大阪海苔問屋共同組合と、すし屋関連団体の連携で、復活させて販売促進運動をはじめ、1977年頃から関西で広まったようです。

昭和60年頃に半年ほど兵庫県芦屋市の会社の寮にお世話になっていたころに、近くのダイエーの売り場に山盛りの海苔巻を見て、読み物では知っていたけれど、本物のその勢いをみて驚いた記憶があります。

その数年後の平成にいたり、コンビニや大手スーパーがイベント食として売りはじめ、今日の盛況となったようです。

いわばバレンタインデーのチョコレート同様の、業界の陰謀ですな。

海苔巻は子供のころから、運動会や遠足のお弁当として母が用意してくれ、普通に好きでございますが、作るとなると結構手が掛る食物であることは間違いなく。従って特別な日に食することには全く嫌も応も無いのですが、太巻き1本をいっぺんにといわれるのは、少々苦痛かもしれません。

さて、節分と言えば、豆まきでございます。わたくしの生まれた北海道では、大豆ではなく落花生を用いて致します。今日と違い楽しみが少なかった昭和30年代は、落花生の中にキスチョコもいれてもらい、楽しみな行事でございました。

豆まきにつきましては、鬼は外と家から追いやられる鬼さんを含めて、非常に興味深いお話でございますので、また新たな項目としてご紹介させて戴きます。

いずれにせよ、既設の変わり目の意味もある立春前日のこと、暖かくしてご自愛くださいませ。

本格的な春はもう少し先のようです。

 

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コートについてのしったかぶり

2022-01-15 10:20:45 | 日記

遅ればせながら、本年もよろしくお付き合いください。

小寒をもうすぐ大寒そして立春となります。

年明けの雪のように例年に比べ今年は寒さが厳しいような気が致します。

昨年この時期はボア無のトレンチコートで十分暖かかったと記憶していますが、既にこの時期にオーバーコートであるダッフルにマフラーになっています。

 

中学校まで北海道で日常暮らしておりましたので、防寒着という意味でのオーバーコートや、準スキーウエアであったり、登山に用いられるアノラックには随分お世話になりました。

 

ところが、学生時代を過ごした広島県では十分寒いにも関わらず、コートを身に着けている人がいないというカルチャーショックを受けたのは、もう50年ほど前。

北海道で冬休みを過ごし、マクレガー(ゴルフウエアのブランド品)のグレーのダッフルで学生寮に帰ってきたときには、結構周りに馬鹿にされましたが、最近は中国地方でも普通にオーバーコートを着ているように見受けられます。

 

巷に目にするこれらのコート、特に最近は男女の境があやふやになってきて、マニッシュなトレンチコートやいかにもビジネスっぽいステンカラーコートをまとう、若い女性が目につくことも日常となったようです。

更に短いスカートやストレッチジーンズに、レザーのライダースジャケットとなると、カッコヨイという感想とともに、妙な危うさを感じてしまいます。

 

上記のコートって、元々は防寒着や防水着として作業服、更に軍隊に採用されたものが主体ではあります。

有名なのは塹壕を意味するトレンチから派生したトレンチコート。第一次大戦で英国陸軍が採用し、泥濘戦で威力を発揮した防水コートであります。レマルクの「西部戦線異状なし」の世界ですが、1930年代の映画で探偵役のハンフリー・ボガードなどが身に着けたことで、ハードボイルドなタフガイのイメージが、このコートには付きまとうようになりました。

今でも探偵のイメージがあるように皆さんも思いませんか?

 

かくいう私も就職したての1970年初頭頃に、JUNブランドで濃いグリーンのひざ下までのロングトレンチを愛用していました。

 

ピーコートやダッフルは海軍に採用された、元々が北欧などの漁師が愛用していた防寒着です。

特にダッフルは手袋をはめていても、前ボタンに相当するトゲルと称される流木で作られた、留め具とループにより着脱ができ、前合せも風の向きにより左右を簡単に入れ替えることが可能。

 

ベルギーの都市ディフェル(英語読みでダッフル)に起源をもち、第2次大戦にてロイヤルネービーに使用され、戦後その余剰品が市場に出回り一般化したようです。

 

更に英国海軍が19世紀末から艦上用として、更にフランスのブルターニュ地方で漁師たちが愛用したのがピーコート。

オランダ語でラシャを意味する pii jekkerが語源でドイツ語ではCabaと呼ばれていうようです。ダッフルよりも多少短く、これも同様に風向きにより前合わせを簡単に左右変更できるのは、艦上作業を前提にデザインされているからでしょう。

 

ダッフルとピーコートは前あわせがどちらでもなることから、日本の中高生の制服としてもお馴染みになっています。その分多少幼く感じる向きがあるのかもしれません。

 

さてスーツに良く合うといえば、チェスターコートが挙げられます。正式にはチェスターフィールドコートと云い、同名の伯爵が初めて着用したとされる、フォーマルなコートです。

近年はダークカラーのカシミヤ地のものが主流となり、かの007ことジェームス・ボンド氏が映画で着用し、それにそそられて私も10年来愛用しています(笑)

 

さて一般的な形のコートについて、調べてみましたというか、実は全て私のコレクションとなります。更に素材によりレザーや羊毛、更に最近はダウンまで日本のビジネス街の男女は実にお洒落なウインターファッションを楽しんでいます。本人のみならず、周りの眼も楽しませてくれているのは間違いありませんね。

 

昨年始めた本ブログも大変ご愛顧を賜り、有難うございました。

本年もよろしくご贔屓のほどお願い申し上げます。

 

 

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