遅ればせながら、本年もご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。
わたくしの趣味の一つに「漢字パズル」がございます。長い出張で新幹線などに乗りますと、大阪まで2時間半、飛行機にするか微妙なところでは広島だと3時間半。文庫本なら往復すると2~3冊で結構重くなります。それで漢字パズル雑誌。これだと難しいものなら一問で小一時間かかってしまいますので、時間つぶしにはもってこいでした。
漢字には小学校、中学校で習ったようにいわゆる「音読み」と「訓読み」がございますが、正直興味が無かった。従って判らないよりも、もっとひどく、反対だと思っていた節がありました。今は理解していると思います。つまり、日本語として訓める(よめる)のが訓読みで、中国語の音(おと)をそのまま使用したのが、音読みであります。
北海道の先住民族であるアイヌ(ヒトの意味)には、文字という文化はありませんでしたが、縄文も弥生初期にも同様に、源日本民族は文字を持っておらず(一部の伝承で異なる意見もありますが)、中国で象形文字として発達した、漢字を取り入れて文字文化を発達させてきました。これは、朝鮮半島もベトナムも同様です。
最初に漢字が書物という形で入ってきたのは6~7世紀、朝鮮半島の南西部の百済経由で、恐らく仏典や儒教の経典などという形で入ってきたと言われています。中国では三国時代後の晋が滅び、周辺の草原の異民族が五胡十六国として、中原に侵入してきた時代。漢民族は南下し長江下流に六朝時代といわれる、短命な王朝が入れ替わった時代です。
百済にとっては野蛮な異民族(騎馬民族)ではなく、地理的にも海上の直線で往来のでき、いわば憧れの漢民族との往来を望んだのでしょう。そしてその往来する船の発着地である、杭州湾付近の言語音である呉音が、主流となり日本にも伝わったと、感じます。
同時にこの六朝時代は中国には珍しく文化として、政治よりも風流を重んじる風土で、それが日本に入り込み、後の平安貴族の雅な文化に至るのかもしれません。
呉というと、春秋時代の呉・越の興亡(臥薪嘗胆で有名ですね)や、三国時代の魏・呉・蜀の呉を中国史で思い浮かべる方は多いのでしょう。六朝時代に中原から漢民族が南下するまでは、麦を主食とした、漢民族からすれば、どちらかといえば米を主食とする、へき地のイメージなのですね。春秋時代の呉の都は蘇州(懐メロの蘇州夜曲は古すぎですかね?)となります。呉服の呉でもあります。三国時代の魏・呉・蜀の呉については、揚子江の下流というだけで、蘇州は都ではなかったようです。三国志演義で有名な諸葛亮孔明の弟、諸葛均さんは私と同名で愛着がありますが、彼らのお兄さんの諸葛瑾は、この呉の孫権に仕えているのですね~。余談です。
呉音の次に輸入されたのが「漢音」です。これは王朝としての「漢」とは関係ありません。時代としては遣隋使・遣唐使つまり聖徳太子の頃から、遣唐使の取りやめを具申した菅原道真の平安前期くらいの間です。(道真自身は遣唐使の廃止そのものを標榜した訳ではないそうではございますが)こちらは黄河中流域の発音。唐の都長安のある所であり、渡来した中国人や遣唐使として赴いた、僧や留学生が持ち込みました。平安京に遷都した桓武天皇に至っては、漢音奨励の詔を出してまで、大学寮で儒学を学ぶ学生(がくしょう)には漢音での学習を義務付けましたが、それまでに浸透してしまっていた呉音を塗り替えることはできなかったともいわれています。
平安時代に唐に赴いた当時を代表する知識人である、最澄と空海が大量に持ち込んだ経典はどう読まれたのか。既に奈良時代に南都六宗として研究されつくしていた、経典は当然呉音で読まれています。お馴染みの般若心経(玄奘三蔵訳)は当然呉音です。
唐に赴いた時点で、既に通訳ができるほどに語学に天才的に堪能であった空海については、当然この漢音での会話ができるレベルであり、密教を完全に受戒して持ち帰っていますので、これらの密教経典は漢音で読んでいたと推測します。代表的な密教経典である「理趣経」などは当然漢音。これは違った意味合いもあります。内容がそのまま読むと、かなりエロティックと誤解される可能性があるので、あえて漢音で読み、呉音中心の旧仏教界には意味を掴めないようにしたという説もありますが、これは俗説です。
但しこの時点で既に国内に流付していた、役行者でお馴染みの孔雀明王経などの雑密経典は既に呉音で流付していたようです。
潔癖な最澄さんに至っては、法華経(妙法・蓮華経の略)の「安楽行品第十四」や「阿弥陀経」については漢音読みを開宗以来の伝統として、いまだに天台宗では守っています。
その後に入ってきたのは「唐音」。宋音ともいわれます。これも唐の時代というより、中国を意味する「から」とか唐土という意味での唐音ですが、時代的には唐末から宋・元・明と、日本では平安中期から江戸時代までまたいで、伝わった音といえるでしょう。例を挙げれば椅子(いす)、蒲団(ふとん)などの中国から伝わった物の名前。更に石灰(しっくい)、提灯(ちょうちん)、行灯(あんどん)、暖簾(のれん)などが唐音の代表格です。
禅宗の留学僧や倭寇を含む貿易商人によって、物品を含めて伝えられたということでしょうね。
この三音を一番端的に示すのは「和尚」という言葉。奈良の法相宗・律宗では「わじょう」と呉音で読み、なぜか真言宗でも同じ。天台宗では「かしょう」と漢音で読み、鎌倉以降に成立した禅宗・浄土宗では唐音で「おしょう」と読むそうです。概して仏教用語は飛鳥・奈良時代以来の伝統的な呉音が主流となっています。
もう一つ面白いのは、明治になり西洋語を翻訳するに際して造語された、和製漢語には漢音が多いようです。これは江戸時代に漢字を仮名で書き写す、字音仮名遣いの研究が始まり、呉音よりも、体系的な字音資料を持つ漢音が基礎とされたことの、延長上にあるからと言われています。
最後に、国字というのは、漢字を使う文化圏(中国・朝鮮半島・ベトナムそして日本)で中国以外の国で作られた独自の漢字体の文字を指します。
日本では和製漢字とも呼ばれます。古くに作られたものと明治以降に輸入した西洋の言葉を翻訳するに際して作られたものがあります。読みは当然ながら基本的に訓読みですが、一部に音読みのものもあります。
あ、第二次大戦後の日本や中国本土で採用されている、漢字の簡素化とは意味が全く違いますので、お断りしておきます。
逆輸出して中国で使われているものもあったり、逆に中国にある漢字を別の意味で使ったり(この場合は国訓と呼ばれますが、魚編のもが非常に多いです)するのも楽しい。
峠(とうげ)・榊(さかき)・辻(つじ)・働く(はたらく・音読みでドウ)・畑/畠(主に苗字として中国が逆輸入、畠山とか)・糀(こうじ)・匂う(におう)・搾(しぼる:さく)・凪(なぎ)・凩(こがらし)・梺(ふもと)・毟る(むしる)・塀(へい)。鎹(かすがい)等々
所で、神棚にお祀りする榊に対して、仏壇に供えるのは樒(しきみ)です。この樒という字は梻とも書きこちらは国字です。樒という字にはもともと日本で仏に備える植物としてのしきみを指さず、じんこうという香木を指す漢字です。
ついでに申し上げれば、中国では畠も水田も基本的には耕作地は「田」で表すそうです。日本の場合は、米を第一義に弥生時代から耕作しており、他の作物は2級品でありますから、ハタケを白田などと呼び、いつの間にか一緒になって畠となり、畑は焼き畑を表すのではないかと思います。
結構日本の漢字文化ってのは楽しいものでございます。